第二章 陰陽師姫の初恋と受難に遭う話 二十五
今回、帝回
宮中を騒がせた血生臭い事件の噂も下火になった晩秋の頃、事件の舞台となった右京二条にある亡き左大臣の広大な屋敷に、無紋のやつした牛車が静かに止まった。
中から降りてきたのは目立たない朽葉色の狩衣を纏った男だ。
やつしてもなお、風格と男の色気を滲ませた帝だった。
案内され、人の姿の無いひっそりとした邸内を進む。
奥の部屋の御簾をくぐると、その中に横になっていたのは二の皇子、基康親王だった。
「え?父上。」
驚いた声を上げて起きあがろうとする二の皇子を父帝が止める。
「そのままでよい。基康。」
そして褥の近くまで来て腰を下ろした。
「傷の具合はどうだ?まだ痛むか。」
「ええ、少し痛みは残っていますがだいぶ楽になりました。
でもまだ元のように動かすことはできませんが。」
と、言ってわずかに左手の指を動かしてみせる。
「そうか。無理はするなよ。
酷い怪我だったからな。」
父帝の滅多に見ない温和な態度に二の皇子は知らずに顔が少し赤くなる。
「今回のこと、そなたも知らなかったこととはいえ、いろいろ大変だったな…。」
「はい…。
突然のことで考えが追いつきません。
何でこんな事になったのか…。
私はどうしたら良いのでしょう…。」
あの事件から、すっかり毒気を抜かれたように変わってしまった息子を、帝は優しい目で見た。
「好きなだけここに居て考えればよい。
急ぐ必要はないのだから。」
あれから二の皇子は怪我の療養も兼ねて、主のいないこの二条の屋敷に留まっている。
今はまだ、変わってしまった後宮に帰る気はないらしい。
帝はそれでも良いと思う。
全てを失った今、ゆっくり考える時間も必要だ。
「あの、先日、源典侍が来ました。
この屋敷には穢れた場所があって、瘴気を浄化しないといけないと。
私のこの傷も穢れに触れているので浄化する必要があると。
まったく、私の事など放っておけばよいもを…。」
基康のそっけない言い方だが、まんざらでも無い様子に、帝はちょっと意外だが何だか微笑ましく思った。
「それではまた来る。ゆっくり休め基康。」
「はい。ありがとうございます。」
そう声を掛け、帝は立ち上がった。
二の皇子の所を後にして、次に向かったのは同じくこの屋敷で傷を癒している中宮のところだ。
案内されたのは西の対の一番奥まった部屋だった。
御簾に手を掛け中に入ろうとした瞬間、奥より鋭い声が上がった。
「入ってはなりませぬ!」
思わず足を止めた帝にさらに中宮は畳み掛ける。
「こちらには来られますな!どうかお帰りを。」
「なぜだ。中宮…。」
「我のことを少しでも哀れとお思い下さるならこのままお帰り下さいませ。
二目と見られぬ浅ましい姿故、金輪際お目にかかることはありませぬ。」
「それほどまでに…。朕のことが憎いか…?」
「…。憎くないとは言えませぬ。
でももう過ぎたこと。
元に戻ることはできません。
どうか愚かで哀れな女と捨て置き下さいませ…。」
「……。
我らはどこですれ違ってしまったのであろう…。
愚かな男と…許せよ。永子…。」
しばらくして無言で去っていく帝の気配に、御簾の中より静かな忍び泣きの声が続いていた。
数日後、伽羅の浄化の申し出も一切断り、二の皇子の顔を見ることも無く、中宮はひっそりと都を離れ、遠く山寺へと旅立って行った。
それぞの結末。
次回翡翠と伽羅編
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