第二章 陰陽師姫の初恋と受難に遭う話 十八
お互いを思うがゆえにすれ違っていく心…。
次の日の朝、伽羅は橘侍従に四日間お世話になったお礼を言って、まだ少しふらつく身体で逃げるように淑景舎を去り、三条の屋敷へと帰って行った。
一の皇子が久々に朝儀に出られて居ないためだったが、あの事件のせいで典侍を罷免された伽羅には女官の仕事は無く、後宮で給わっていた曹司もすでに返されて、淑景舎に長居する事をはばかったからだ。
昼過ぎ、翡翠が朝儀より戻り、早々に
「今、帰った。伽羅、起きてるか?」
と、几帳の中を覗いた。
その中に伽羅の姿は無く、褥が敷いてあるのみであった。
後ろから翡翠の帰りに気づいた橘侍従が声をかける。
「お帰りなさいませ。伽羅殿は朝、迎えが来て三条の実家へ帰られました。
皇子様には宜しくとのことです。」
「えっ…。」
「伽羅殿はあの事件の際、典侍の職を罷免となりました。故に今までの曹司ももう有りません。」
「そうか…。」
翡翠は力なくそのまま誰もいない褥に座り込んだ。
悔しさが込み上げてくる。
いくら父帝には自分と伽羅が無実であることを分かってもらえても、一度下った評決を覆すことは今はまだ無理だ。
よっぽどの証拠を上げ、真犯人を捕らえない限り、自分と伽羅の証言だけでは無実とする事は認められないだろう。
今は左大臣が父帝に申し立てた罪状について、周りの人々は表面的には無視する形で静観している。
誰も直接的には今まで通りに振舞っているが、心の中ではどう思っているかはわからないし、もし左大臣が何かしら動く事があれば、自分を含め伽羅の身にも危険が及ぶことも充分あり得る。
今回のこの事件に関して根底にあるのは自分と、自分の母に対する以前からの、ずっと続いている悪意だ。
伽羅はたまたま自分に関わったために巻き込まれただけの被害者だ。
そんな伽羅を心も身体も深く傷つけてしまった。
神隠しの事件を解決したあの夜の牛車の中で、紅葉賀の宴の夜、二の皇子に襲われて泣きながら眠った伽羅の姿を見て、あれほど守りたいと思ったのに何もできなかった弱い自分がひたすら情けなかった。
それなのに伽羅は自分に対して何も恨みごとを言うことは無かった。
そんな伽羅のことがますます愛おしかった。
これ以上傷つくことがないように、自分の側には居ない方が良いのかもしれない…。
それに今日、伽羅は自分の元から去って行った。
思考はどんどん暗く沈んでいく。
がらんとした几帳の中、倒れるように褥にうつ伏した。
微かに伽羅の甘い花のような残り香がした。
昨日、三日ぶりに目を覚ました伽羅は、自分に一人ではないと言ってくれた。
たくさんの人に守られているのだと。
でも、伽羅はいない。
伽羅一人がいないだけでこれほど寂しいものだと今まで気づかなかった。
だめだ、まだ終わった訳ではない。
翡翠は褥より起き上がった。
犯人を探し出すのだ。
自分を呪った奴を。伽羅を傷つけた奴を。
そうだ、事件はまだ解決してはいない。
そのために追捕使になったのだ。
大切な者を守るために。
過去からの因縁を断ち切るために。
あの時伽羅は命懸けで自分を呪詛から救ってくれた。
その恩に報いたい。
例え自分の気持ちが報われないとしても…。
逸る気持ちとは裏腹に、翡翠の心の中には冷たく激しい秋風が吹き抜けた。
苦悩する翡翠。
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