第二章 陰陽師姫の初恋と受難に遭う話 五
無理矢理な表現(未遂)があります。苦手な方はご注意下さい。
とうとう恋愛っぽい感じにたどり着きました。
お待たせ致しました。
(すっかり遅くなったわ。)
伽羅は全てを片付け終え、まだ今日の華やかな余韻が残る内裏の、明るく上弦の月が照らす廊を曹司へと急いでいた。
その時、急に物陰から袖を引かれよろけた所を背後から抱え込まれた。
「何を!」
叫びかけた口を
「静かにしろ。」
と、手で塞がれ、近くにあった土壁で囲まれた塗籠に引きずり込まれ、後ろ手で重い戸を閉めようとしている隙に伽羅は咄嗟に懐にあった人形を放った。
そのまま硬い木の床に押し倒される。
(この甘ったるい香は!)
その時、明かり取りの小窓から雲間より明るい月の光が差し込んで男を照らした。
「二の皇子様!!」
暗い欲情を孕んだニヤけた顔に、思わず声を上げようとしたが、再び口を押さえられ、
「おっと、叫んでも無駄だ。
俺を止められる奴は居ない。
また女を連れ込んでいると思われるだけだ。」
それでも伽羅は身体を捩り、これくらいのヤツなら…と、懐の呪符か人形を取ろうとした。
が、刃物を持っていると勘違いされたのか、その手を押さえられ、
「よく聞け、お前が俺を傷つけたら、兄上が命じてお前に俺を襲わせたという事になるぞ。
そうなればアイツは無事でいられるかな…。」
伽羅は冷水を浴びたような心地がした。
(そうだ、今は持て囃されているけど、本来の後宮での弱いお立場は変わっていない…。)
この二の皇子の後ろにある権力と、何の後ろ盾も無い薄氷の上にいるような一の皇子の危うさに気付き身震いがした。
伽羅は悔しさと怒りに唇を噛む。
「分かったら大人しくしろ。」
と、唐衣を脱がされ、胸元を大きく広げられた。
伽羅は息を呑みながら身を硬くして目を閉じ顔を背ける。
「何だ女官のくせにこの初心な態度は。
アイツに可愛がられてるんじゃないのか。」
「そ、そんな事は!」
「そうか…。では俺がお前の初めての男になってやる。」
と暗く笑う。
伽羅も宮中に上がる時、このような危険もある事は聞いていた。
妃に上がる娘以外はそこまで純潔を重要視されないことも。
でもこれは違う。
無理矢理犯されるのは違う。
悔しさと情けなさに涙が頬を伝う。
「ほぉ、なかなかその顔も唆るな…。」
二の皇子は獣のように大きな身体で伽羅を組み敷き、細い首を舐め上げ、露わになった白い胸に顔を埋めた。
そしてうわ言のように、
「アイツが悪い…。アイツのせいだ…。調子に乗りやがって…。」
と、呟いている。
伽羅は吐き気を堪えながら、心の中に浮かぶ濃い緑色の瞳の優しい笑顔に涙を流し、深い絶望に沈んでいった。
しばらく前、やっと宴の果てた後、少し酒の入ったほんのり赤い顔で内裏の廊を歩く翡翠の姿があった。
その時、暗がりから飛んでくる小さな白いものが目に入った。
(人形⁈ 伽羅か?)
それを目で追うと、庭の茂みから白い大きな猫が飛び出してきてそれを咥えた。
「真白!伽羅に何かあったのか!」
駆け出した猫に追いつくように問うと、唸り声を上げた。
そして塗籠の前まで来ると、その重い戸を引っ掻くようにして低く唸った。
「この中か。」
翡翠は力任せに戸を引く。
そしてその中に見たものに一瞬にして血が沸くような強い怒りを覚え目眩がしそうになって叫んだ。
「伽羅!!」
真白は素早く伽羅の上になっている男に飛びかかり、その頬に爪を立てた。
翡翠も男の大きな身体を引き掴んで床に叩きつける。
ゴンと、鈍い音を響かせ頭を打ちつけた男を見下ろし、
「去れ!」
と、周りが凍てつくような威圧をもって言い放つ。
「お、お前は…!」
男はふらつきながら乱れた衣を引きずり這う様にして去って行った。
残された伽羅を見た翡翠は、その痛ましさに震える指で乱れた胸元を直してやり、
「大丈夫か。伽羅…。」
と、優しく掻き抱いた。
いつもの翡翠の橘の花のような爽やかな甘い香りがした。
伽羅も緊張の糸が切れたように、その胸に縋り付き翡翠の名を呼びながら泣きじゃくる。
しばらく泣いて落ち着いたのか、嗚咽混じりに、
「私…。私…。
一の皇子様の名前を出されて抵抗出来なかった…。」
とまた肩を震わせる。
「もういい。大丈夫だ。何も言うな…。」
翡翠が伽羅を抱きしめたまま黒髪を撫で続けた。
そのうちに泣き疲れたのか眠ってしまった伽羅に頭から唐衣を被せて膝裏に腕を差入れ軽々と横抱きにし立ち上がった翡翠は、真白に
「このまま淑景舎に運ぶ。
橘侍従に連絡を。それからかるらも呼んで来い。」
と、歩き出した。
真白から伽羅が二の皇子に襲われ、翡翠がこちらに連れて来ることを聞き、急いで部屋を設え、殿の入口でおろおろしながら橘侍従は待っていた。
青い月の光の中、色鮮やかな衣に包まれ横抱きにされ運ばれて来るぐったりとした伽羅とその身体を宝物のように抱えた翡翠のこれまでに無いほどの不機嫌な顔に言葉を無くした。
急いで部屋に通し、几帳で囲った褥にそっと伽羅を下ろした翡翠は、そのまま自身も横たわった。
長い黒髪を梳きながら、今は閉じられたキラキラした黒い大きな瞳を思いじっと見ている。
細い首と、先ほどチラリと見えた白い胸には他の男によって付けられた赤い痣が残されていた。
腑が煮え返るような黒い感情を感じた時、全てを覚った。
自分はこの可憐で強く美しい少女を愛おしいと。
これが初恋というものだろう。
誰にも渡したくは無いと強く思った。
几帳の外から橘侍従がそっと声をかける。
「かるら殿が参られました。」
「分かった。今行く。」
翡翠は今一度、伽羅の寝顔を見つめ、長いまつ毛に溜まった涙を指で拭い、少し開いた小さな桜色の唇にそっと口づけた。
たびたび出てきます、翡翠の香の橘の花の香りですが、初夏の始め頃に咲く柑橘類の花の爽やかな甘い香りです。
因みに伽羅の香は早春に咲く沈丁花の柔らかな甘い香りをイメージしています。
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




