第二章 陰陽師姫の初恋と受難に遭う話 四
一の皇子様のアイドル化回 (笑)
秋晴れの抜けるような青空に菊の花の香りが漂う穏やかな午後、内膳司ではいつもの女官達のおしゃべりが続いていた。
「今年の紅葉賀の宴に一の皇子様が舞人に選ばれなさったそうよ。」
「私も聞いたわ。御上が直々にお声をかけられたって。」
「へぇー。それは楽しみだわ。
琵琶の次は舞までお出来になるのね。」
「ほんと、ワクワクするわねー。」
伽羅もその話を聞き、心が浮立つような嬉しさを覚えたが、最近少し気がかりな事があり、心は沈んでいく。
今まで皇子様は朝夕とも出された膳は全てきれいに召し上がっていらっしゃったのだが、ここ最近少しずつ残されることが増えた。
ただそれだけなのだが…。
都を囲む山の木々が鮮やかに色づき、まさに錦秋といった風情の清々しい秋の日の午後、宮中の仁寿殿は華やいだ空気に包まれていた。
ここの庭にも紅葉の古木があり、今を盛りと紅く燃え立つように色づいている。
その前に設けられた大きな舞台は本日の主役の登場を待つのみである。
今年の紅葉賀の宴は帝の四十賀の祝いも兼ねていて、近年稀に見ぬ盛大な宴となった。
大勢の貴族やその北の方、子たちが招待され、宮殿の御簾や几帳の下から色とりどりの袖や褄を覗かせた華やかな出衣が所狭しと並んでいる。
特に今日招かれた高家の若い姫君達は、本日舞人に選ばれた、最近、次の東宮とも噂の高い一の皇子のお姿を少しでも近くで拝見するべく前方に陣取って、今か今かとそのお出ましを待っていた。
伽羅も今日は女官として正式な衣装、浅緑と杏色、紫苑色の袿と表着を重ね、腰に裳をつけ、唐紅色の唐衣を羽織っている。
残念ながら場所は御簾からずっと離れた奥の席より、遠くの舞台を見つめていた。
やがて中央の高座に御簾を巻き上げ、一段低い両脇に左大臣、右大臣を従えた帝がお座りになり、賀の祝いが始まった。
しばらくして雅やかな雅楽の演奏が始まり、いよいよ舞人の一の皇子がしずしずと舞台へと上がった。
武官に似た舞衣装で、緋色の袍に巻纓の冠、後ろへ長く小忌衣の裾を引き、頭の冠には色鮮やかな紅葉の枝の挿頭花を差し、顔の両脇には馬の毛で作られたおいかけを付けているため、伽羅のいる位置からはお顔はハッキリとは分からないが、すらりとした立姿は大そう美しかった。
そして長い袖を翻し、楽とともに舞い始めると、その艶やかさにどよめくような歓声が上がった。
曲は帝の長寿を寿ぐ「長天楽」だ。
流れるように優美に、それでいて武術も嗜まれるのか、演武のようなきびきびとした躍動感もあり、明るい秋の陽射しを一身に集めたようなきらきらしさに最前列の姫君達のみならず、そこに招かれた全ての人が頬を染め、感嘆のため息を漏らした。
伽羅も同じくぼんやりとしかみえないが、どこか翡翠に似た面差しをため息を持って見つめていた。
一の皇子の祖父である式部卿の宮の北の方、つまり皇子の祖母は橘氏の娘だったので、橘氏の縁者だと言った翡翠とどこか似ているのかも、と伽羅は漠然と思った。
そして賑やかに楽が止み、静かに舞が終わる。
しばらく息を詰めるような静寂の後、割れんばかりの歓声と、賞賛の声が上がった。
その歓声の中、側面の回廊から観ていた男が仁寿殿の大屋根を指差して驚きの声を上げた。
「あっ、あれは…!」
その男の指差す先を見た人々が口々に騒ぎだす。
「金色の鳥…。」
「鳳凰か?」
「瑞鳥だ!」
「おお、何と目出度い…。」
騒ぎ出した人々を見て、その金色の鳶は慌てたように天高く飛び去った。
その羽ばたく姿を全ての人が驚きを持って見た。
「きっと皇子様の舞の素晴らしさに神が御使を遣わしたのであろう。」
「神さえ御心を動かしたのか…。」
「何という瑞兆だ…!」
人々が喜びさざめく中、伽羅は苦笑しながら違う事を考えていた。
「かるらだ…。」
そういえば、昨夜かるらが一の皇子様の舞台を見たいとずっと言っていた。が、伽羅の侍女であるかるらには招待は無い。
「あ、そうだ!
私は一番良い席で拝見することに致します。」
と、にんまり笑っていた。
きっと真白も何処かで見ているのだろう。
この春の事件以来、二人は淑景舎にもたびたび来るようになった。
かるらは侍女として下働きをし、真白は庭の繁った木の陰や縁で昼寝をしたり、ごくごくたまに人型になり、翡翠と伽羅相手に手合わせをしたり。
きっとこの場の何処かで、伽羅と同じ思いで、翡翠と橘侍従、父と兄がこの瑞鳥の騒動を見ているのであろう…。
その日の夕刻から始まった宴は、昼間の興奮をそのままに大変盛況なものとなった。
一の皇子の素晴らしい舞を褒め称える者、帝の長寿を祝う賀に現れた瑞鳥に明るい未来を語る者、一の皇子のお姿の麗しさにキャアキャアと姦しい女君達。
残念ながら遠くに喧騒を聞きながら、伽羅は女官として裏方で宴の采配に忙しく働いていた。
宴もたけなわの頃、四十歳を迎えてもまだまだ瑞々しい威厳のあるお姿の帝が、
「今日の褒美を取らせる。
宗興親王ここへ。」
と、仰った。
「はっ。」
膝立ちで帝の御前までにじり寄った一の皇子は、両手を軽く握り頭を低くした。
「本日の舞は神をも寿ぐ素晴らしさであった。
大変嬉しく思う。」
と、仰り侍従に目配せし、褒美の女装束を持って来させた。
一の皇子は深くお辞儀をし、お礼の意味を込めて、その一番上に畳んであった唐衣を肩にかけ、一差舞ってみせた。
その優美さに会場はまた大いに盛り上がり、帝は心の中で、愛する亡き中宮にあまりにも似ていたために長年避けてきた息子の立派に成長した美しい姿に落涙した。
その二人の親子の様子に眉をひそめ、睨みつけている目に気づく者はいなかった。
注 杏色 明るいベージュ色
紫苑色 薄紫色
唐紅色 くすんだオレンジピンク
「宗興親王♡」「こっち向いて♡」とか書かれた推し扇が流行ったとか…?
お読みいただきありがとうございます。
不定期投稿になりますがよろしくお付き合い下さいませ。




