第二章 陰陽師姫の初恋と受難に遭う話 ニ
新キャラ登場
少し短めの話になります。
後宮の一番奥、人気の無い所にある御納戸に、傷んだ几帳を抱え、伽羅は重い引き戸を開けて中へと入った。
そこは薄暗く埃っぽい場所だったが、何となく漂う違和感を覚え、静かに奥へと進む。
ふいにカサカサと衣擦れの音と荒い息づかいの音とともに、
「ああっ…。」
小さく喘ぐような女の声が聞こえてきた。
(誰か居る!)
伽羅はその場でそっと身を隠し、奥をうかがうと、一番奥の壁ぎわの大きな唐櫃の上に座るような形で重なる男女の姿があった。
薄暗い中に女の長い黒髪と緋色の袴、男のひわ色の鮮やかな直衣が見えた。
伽羅は咄嗟に、何かこの場に居てはいけないような気がし、すぐに見つかる前に去ろうとして、脇に置いてあった高杯をがたんと倒してしまった。
「誰だ!」
と、鋭い男の声がした。
「誰か居るのか。出てこい!」
怒気を含んだ若い男の声に伽羅はおずおずと几帳を抱えたまま物陰から身を現し、そこに居る男の顔を一目見て慌てて顔を下に向けた。
着崩れた直衣を整えながらこちらに近づいてきた男は、何と第二皇子、基康親王だった。
女のほうは何処かの女官らしい。
乱れた襟元を直しながら、俯き逃げるように御納戸から去っていった。
二の皇子様と呼ばれるこの皇子は、一の皇子とは一つ違いの異母弟で伽羅と同じ十五歳になる。
この後宮に住む女人の中で最も位の高い弘徽殿の中宮のただ一人の御子で、女官達や高家の姫君達の間で熱い視線を送られ騒がれている貴公子である。
その評判通りの整った、御母君によく似た少しきつめの目元をしたお顔は色気さえ漂い、何もかも器用にこなすその様は作り物語の主人公の男君に例えられていた。
そんな二の皇子は遠慮なく伽羅に近付き、
「面を上げよ!」
と冷たく言い放つ。
視線を下げたまま少し顔を上げると、皇子は手にしていた閉じた扇を伽羅の顎に当て、強引に上を向かせた。
きつい麝香の様な甘ったるい香りがした。
「そなた、名は?」
この時代、女性は本名を明かすことはあまり無く、名を問うということは求婚する意味もあり、無遠慮に名前を聞くのは大変失礼な事とされる。
伽羅も例に漏れず眉をひそめ、
「淑景舎の女官、源典侍にございます。」
とのみ名乗る。
「源三位の娘か。見かけない顔だな。」
と、不躾な目で伽羅を見て、
「ふうん。なかなかだな。
お前、あんな辛気臭い所は辞めて弘徽殿へ来い。」
囁くように顔を近づけてきた。
伽羅は扇を手荒に押しのけて、
「お戯れを。そちらに移る気はございません。」
と、きっぱり言い切り睨みつけた。
二の皇子は一瞬呆気に取られた顔をしたが、
「靡かぬか…。今はまだよい。」
と、言い捨て不敵な笑いを残して御納戸より出て行った。
その後、伽羅は怒りと羞恥と何だかよく分からない不快な感情がこみ上げてきて、夕闇が迫るその場所で動くことが出来ず、しばらく座り込んでいた。
注 ひわ色 黄色みの強いくすんだ緑色
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