第一章 陰陽師姫神隠しの怪に遭う話 十五
ラストまであと少し
やっと二人の距離が少し近づきます。
十六夜の月が照らす静かな境内に、伽羅と翡翠のニ人だけが、金色の短刀が突き刺さった琵琶を見つめて立っていた。
「終わったのか…。」
翡翠が呟く。
「ええ、多分…。
琵琶からは嫌な臭いはもう有りません。」
伽羅も呟くように返す。
その時、ゴホゴホと咳をしながら、
「翡翠様、大丈夫ですか?」
と、橘侍従が近くに来た。
「ああ、俺は何とも無い。」
真白も人の形となり、音も無く伽羅の側へ来た。
そして二人も同じモノを見る。
「奴もかるらと同じく時を経て付喪神と成ったモノだったようだ。
あの女が求めていた男の方は成れなかったようだがな。」
と、真白が呟いた。
「そのようね…。」
と返した伽羅が真白を見ると、その白い頬に血が付いていた。
「あっ、血が!」
「かすり傷だ。」
真白は拳でそれをぬぐい、
「よくやったな。伽羅。」
と、優しい目を向けた。
ざわざわと気配がして、
「これは一体…。」
「何が起こったんだ…?」
倒れていた者達が次々と起き上がり、周りの景色に呆然としている。
橘侍従が高らかに、皆に全てが終わったことを告げる。
そして、あの琵琶はそのまま護国寺へ残し、内裏へと帰ることになった。
西の空に傾いた月の光を受け、静かな都大路を牛車はゆるゆると登って行く。
行きと同じく向かい合って座っている伽羅と翡翠は無言である。
時折り眠いのか、ガクッと伽羅の身体が揺れている。
その様子を見ていた翡翠が、ふっと笑い、
「眠いのか?
肩を貸してやるからもたれて少し眠るがいい。」
と、伽羅の隣りに移動した。
「だ、大丈夫でございます。」
と、伽羅は姿勢を正すが、ちょうど良い牛車の揺れと疲れが出たのであろう、しばらくすると翡翠の左肩に重みがかかった。
ほのかに、伽羅の名の通り、甘い沈丁花の花と伽羅の香りがした。
左をそっと見ると、白い頬には土が付いていたが、長いまつ毛に縁取られた大きな眼は閉じられ、桜色の小さな唇からは微かな寝息が聞こえてきた。
その寝顔を見つめながら翡翠は思う。
行きの牛車の中で小さく震えていた小柄な少女のどこにあのような大きな力があったのか。
あの琵琶のもののけと対峙した時、実は恐怖で身体が強張っていた。
でもそんな時、激しい風の中、長い髪を靡かせ異形のモノを前にしても一歩も引かぬ強い光を宿した黒い瞳を、その姿を美しいと思った。
対して自分はどうか?
今回の神隠しの事件に関わるようになったのも、怠惰な毎日の中で、暇つぶしに始めた事であった。
現実から目を背け、自分の運命から逃げ、空虚な日々を過ごしていた。
あの牛車の中で、自分は震えていた少女の手をただ握ってやる事しか出来なかった。
自分は弱い…。
羞恥と後悔で胸が痛む。
ぐっと唇を噛み締める。
この時、初めてもっと強くなりたいと思った。
やがて静かに牛車は止まった。
しばらく待っても外に出て来ない二人を心配した橘侍従が、
「翡翠様、着きましたぞ。」
と、そっと牛車の御簾を上げると、そこにはお互いの肩にもたれ合って眠る少年と少女の姿があった。
無言で真白に目配せした橘侍従は、ニヤニヤしながら起こさないようそおっとお互いの寝所まで運んだ事は、二人には内緒である。
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