第一章 陰陽師姫神隠しの怪に遭う話 一
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中天にかかる十六夜の月の蒼い光が煌々と誰もいない都大路を照らしている。
その寝静まった通りを貴族らしい狩衣姿の若い男が供も付けずにたった一人、虚な目をして熱に浮かされた様な顔でフラフラと歩いて行った。
何処かで幽かな琵琶の音が嫋嫋と響いていた。
暦の上では春とはいえまだまだ寒い早朝の清らかな光の中、色とりどりの小袿と紅の長袴を纏った女官達のきびきびとした声が響く。
ここは雅で華やかな宮中、多くの皇族や妃が住む後宮の一画。
「源の典侍殿。」
と呼ばれて振り向いた小柄で可憐な少女は、黒目がちの大きな瞳を輝かせ
「はい、尚侍様。」
と大きく返事をした。
「一の皇子様の朝餉のご用意が出来ました。
お運びするように。」
「承りましてございます。」
彼女の名は源 香子
産まれた時、産室に何とも言えない馥郁とした香りが漂ったため、家族や家の使用人達からは「伽羅姫」と呼ばれている。
歳は十五才。
この新春より宮仕えに上がった新人女官である。
伽羅の父、源 雅忠は三位の位を持つ賜姓源氏で、陰陽寮の長官、陰陽頭を務める高官である。
四つ違いの兄、実重も陰陽寮の文官をしている。
そんな高位貴族の姫で十五歳ともなれば、皇族に妃として入内、または婿を取ることもおかしくはないが、幸い家族の理解と本人の強い希望、そしてある特殊な理由により女官として宮中に出仕する道を選んだのであった。
伽羅は命ぜられた通り、いつものように朝の膳を捧げて今上帝の第一皇子である宗興親王のお住まいになる静かな淑景舎へと向かう。
宗興親王は御歳十六才。
聡明ではあるが大変病弱との噂で、宮中行事にもほとんどお出にならず、母である故式部卿の宮の姫が亡くなった後は後宮の奥の端にある淑景舎へ移り、ひっそりと暮らしておられる。
お仕えしてまだ日の浅い伽羅だが、お姿はもちろん声さえも聞いた事は無い。
「朝餉をお持ち致しました。」
と、御簾の外から声を掛けると、
「ご苦労。」
と若い声がし、たった一人の侍従の橘 光資が大きな体を屈めるようしにて顔を出す。
そして膳を渡し、しばらく後、食べ終わった頃に下げに行く。
いつものやり取りだ。
一の皇子は病弱との事だがいつも綺麗に召し上がっているため、伽羅は
「まぁ、心配は要らないわね。」
と独り言ち、内膳司へと下がる。
そこには朝の一仕事を終えた同僚の女官達がおしゃべりに花を咲かせていた。
さまざまな噂話や恋の話、仕事の愚痴、女達のおしゃべりは尽きない。
それらを聞くとは無しに聞いていると、ある女官の話が耳に止まった。
「ねぇ、お聞きになった?
今度は藤大納言家の若君様が例の神隠しに遭われたらしいわ。
先日見つかってからまだお目覚めにならないそうよ。」
「えー!また?これで三人目だわ…。」
「おお怖い。何か悪しきものの仕業かしら…。
最近お付き合い始めたあの方に当分は夜の訪いを止めてもらう方がいいのかしら…。」
「あら、それでは別の女の所に行ってしまうかもよ?」
「それは困るわ! でも、ねぇ…。」
(神隠しか…。)
伽羅はそんな不穏な会話を聞きながら白梅の花の甘い香りの漂う庭を見ながらじっと物思いに耽っていた。
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