一章-2
適度に息抜きをしたシンがカイリティカの居城へ戻ると、今あまり顔を合わせたくない相手が帰りを待っていた。
「兄さんやっと戻ってきた」
「貴様、今が一番忙しいだろうに、わざわざ出待ちとは何の用だ?」
侮られないように身につけた不遜な態度。
弟のチェリョは慣れたもので、それがシンなりの気遣いであることを承知していたが、わずかに表情を曇らせた。
神の子同士の兄弟仲はそう悪くはない。
ただ、シン自身が腫れ物のように扱われることを忌避し、距離を置いているだけだったし、良くも悪くも実直な兄弟達と考え方が合わないというのもあった。
そう、良くも悪くも根が素直な者達。
時に融通が効かないのだ。
「父さんが呼んでる」
「そんなこと、別のものに託ければ良いものを。おおかた呼び出し理由に引け目でもあると言ったところか」
「シン兄さんには敵わないなあ。おっしゃる通り、珍しくベルが怒って父さんに直談判しちゃってね、その結果の呼び出しです」
「後始末の間違いでは?」
「ベルの始末は僕がつけるから平気だよ。それじゃあ、ちゃんと伝えたからね」
そう言って、チェリョは先にその場を後にする。
シンは一旦自室へ向かおうか悩んでから、特に手荷物もなかったのでそのまま神王のいるだろう謁見の間へ向かった。
城内の天使達は、実に統率が取れている。
シンを快く思わない者もいるだろうに、それを表に出すことは決してない。
それもこれも、神王への忠誠心ゆえと言える。
シンのことは信用出来ずとも、シンの存在を許した神王の意思には忠実なのだ。
謁見の間の前に立つ兵達は、シンが前に立てば扉を開ける。
広間の奥には段差があり、高い位置に大きな玉座。そこに腰掛ける黄金の髪と瞳をした美しい男は、見るからにメソメソとしょぼくれて、膝を抱えていじけていた。
そこはかとなく話しかけたくない。
それは壁際に待機する衛兵達も同じなようで、表情から心労が窺えた。
「神王よ、呼び出しに応じてやったぞ」
「あ、シン、待ってたよ。聞いてよもー、ベルに怒られちゃってさぁ、参っちゃったよ。大人しい子だったから初めて見る剣幕に吃驚しちゃってさあ、はあ、女の子の機嫌ってどう取れば良いのかなあ」
「知らん。ベルのことならチェリョに聞け。本題に移れ」
「えーん、パパって呼んで慰めてよ。父上でもお父さんでも良いよ」
「…………」
「あ、無視。地味に傷つく。なんだい、シリスとシンはまだ反抗期なの? 寂しいなあー悲しいなあー」
「せめて反抗期ではなく親離れと形容してもらいたいが、まあいい。我に関する話であの双子が直訴する内容くらい察しがつく。結論を聞こうか」
促され、居住まいを正した神王は、ニヤリと笑う。その表情は、先刻別れた己が片割れとよく似ていた。
片手をあげて合図をすれば、控えていた衛兵達が退室し、謁見の間には親子だけが残される。
「シンはやっぱり賢いね。憎らしいほどにアイツそっくりだ。あ、シンのことはちゃんと愛しいと思ってるからね」
「良い加減にしろ」
「はいはい、本題ね。チェリョとベルからね、優秀な兄を差し置いて自分たちが先に創世の権利を得ることに異議があるって言われてね。まあー私としても気持ちはわからなくもない。ただシンは色々事情があるからさ、そう簡単に話は進められないわけさ」
シンもそれは理解している。
無論、神王が許せば無理やり推し進めることはできなくもないだろうが、仮にも国という共同体をとっている以上、民の懸念を無視することはできない。
何より、身内にとことん甘い神王は、シンに責任を与えないことで要らぬ諍いからシンを守ってもいるのだ。
が、神というものは時に愚かなほどに純真で真っ直ぐだ。
チェリョとベルにはその不正が許せなかった。
能力を認め、尊敬する兄が許されず、まだ未熟な自分達が恩寵を授かるなどという不当を受け入れることができなかった。
特に、ベルは相当頭に来たらしい。
あの神王が半泣きしていじけるほどの剣幕、少し見てみたかったかもしれない。
「それで、どう落とし所を見つける?」
「私が心配なのはね、大事な息子が裏切られてしまわないかってことなんだよ。立場上、お前をうまく守ってやることは難しい部分もある。なにより、私と同じ苦しみを、お前にまで背負ってほしくはない」
「我こそが貴様を裏切るとは思わないのか?」
「その時はお前の首が飛ぶだけだ」
「子を脅すなど、酷い親がいたものだな」
「信じている、と言ってやれるほど、私は勇敢じゃないのさ。でも、裏切らないでほしいと願っているよ」
臆病を隠さず笑うあどけない神王に、シンは苦笑を返す。
神王の願いには答えずに、「我はそう易々と騙されないさ」と告げた。
「裏切りで傷つくほど、親密な者も居ない」
「友達いないのはそれはそれでパパとしては心配なんだけど……」
呆れてぼやいた神王は、一旦咳払いをして話を戻す。
「世界の管理にはどうしたって信頼できる補佐がいると思うんだよね。私への報告義務もあるわけだし、シン直属の天使数名は見繕いたい」
「……だが、我のそばに仕えたい者などいるわけがない」
「私が適した人材を配属させるということもできなくはないけど……」
「側から見れば七光りか」
「シンは嫌でしょ? 私の施しで成功するなんて」
親というだけあってか、シンの心を見透かして、神王はいたずらっぽく笑った。
すまし顔でシンは頷く。
「もちろん。しかし、真っ向から我が出向いたとて誰も良い顔はしまい」
「シンはこんなに良い子なのに、天使達には困ったもんだよね〜」
今いる優秀な天使の多くは、聖樹戦争を経験している。
そうでなくとも、魔族との小競り合いは度々あったし、前線で活動できるような優秀な天使ほど、魔族に思うところがあるのだ。
シンは例外だと頭ではわかっていても、無意識に反発してしまう天使は多かった。
なんなら神王こそも、シンが幼い頃に無意識に手を振り払い怪我をさせたことがあったのだが、自分は棚上げである。
ちなみにその経験はシンの中で苦いトラウマとなっていて、あの出来事をきっかけにシンは神王を父と呼ばなくなったりしたのだが、神王は気づいていないのだからなんともおめでたい。
自重気味にシンは笑った。
「無理に選んで背後から刺されるくらいなら、補佐などいらん」
「それもそれでねー、民は納得しないんだよねー。不穏分子には監視をつけたいって声もある」
「足を引っ張られるのは御免被るのだがな」
シンの嘆息を聞き、神王は一旦話を区切るためにパチンと手を叩いた。
「というわけで、まとめるとね……チェリョとベルの嘆願があったから、シンにも責務を与えたい。だけどそれには確実に人材が必要になる。でも、シンに従いたい人材はそうそういない。これが今の状況だ」
「ああ」
「そこで、だ。こういうのはどうだろう? 自分で人材を探して育成する、というのは」
「ふむ……悪くない提案だ」
「そう、悪くない。私としては息子の独り立ちが心配で仕方がないけど、方法としてはむしろ良いくらいだ」
「相変わらず無駄口が多いのが玉に瑕だな」
「天使の数はあまり増えないどころか、魔族との紛争で年々減っていっているのは、シンも知っているよね」
シンは無言で頷いて見せる。
天使は、天使同士での番でも増えることはあるが、あまり出生率が高くはない。
基本的には、希少で稀有な清らかな魂に、神王自ら神聖力を分け与え天使として生まれ変わらせる。
問題は、人間嫌いと名高い神王のお眼鏡に適う美しい魂が、そう易々と見つからないということ。
概ね、選り好みをするこの王が悪いのだが、人口減少は今や深刻な問題であることに間違いはない。
「試験という名目で、シンには人里に降りてもらう。自分の補佐にするに相応しいと思う、天使の素養のある人間を……そうだな、三人くらい捕まえておいで。方法は問わない。本来なら魂への過干渉は褒められたことじゃないけど、良い魂がなければ浄化をしても構わない。人口問題は深刻だからね、シンが選んだ人材なら、多少の融通は利かせてあげるとも」
「なるほど。周囲へ我が力を証明する良い機会でもある、ということか。実に良い」
何と言っても、シンに必要なのは周囲からの信用を得ることだ。
国への貢献に繋がる献身を見せることで、多少のイメージアップも期待できる。能力こそ優秀なシンだ。印象が良くなれば、責務への懸念は大いに減らせるだろう。
そして、試験を通過した、という目に見えた実績があれば、反対する者も声を上げにくくなる。
理に適っている。
「一応、試験と言う以上、条件もあるからね。人間と直接関わることは構わないけど、神だと悟られないこと、これは絶対条件だ。それから、魔族以外の殺生は行わないこと、魂が欲しいからってまだ生きてる動物から強奪しちゃダメだからね。公平性を保てる天使を監視につけるから、節度を持って行動するんだよ」
「期限は?」
「ないよ。そんなに簡単に見つかるものでもないしね」
ただし、周囲を納得させたいのであれば、あまり時間をかけられない。
いくらでも時間をかけて良いのであれば、いずれは必ず終えられるということだ。それは神王なりの慈悲であったが、シンはそんな甘えを望まない。
五百年だ。
それを過ぎたら、自分から諦めるつもりでいよう。
人間の国を巡回する天使でさえ、五百年に一人見つけられれば良い方なのだから、シンの掲げたハードルは高い。
五百年で三人。
それでも、シンにはやり遂げる自信があった。
「監視の天使は常に二人つける。交代制で計六人。内、三人は私の部下から選抜する。残り三人はシンが選ぶと良い。あくまでも、お前が悪いことをしないか、危険な目に遭わないかの監視と最低限の護衛のためだ、試験には一歳手を貸さないからね」
「ふうん。それは、エイザスやシリスのところから借りても?」
「本人たちが承諾すれば良いよ。ま、すでに補佐やってる子達が妥当だよね」
すでに兄神達の補佐についている天使とは、シンもたびたび交流がある。
顔見知りだし、神子同士の交流の姿を知るからこそ、シンへの偏見は薄いため、安心感があった。
「ならばエイザスのところから、アドニス。シリスのところからアメノは借りたいところか……」
「これも試験の一環ってことで、交渉は自分でしてね。正式に決まってから人間の国へ降ろす準備を始めるからね」
「ああ。ならばまずは、引き抜きに行かねばな」
悠然と踵を返し、シンは謁見の間を後にした。
次回は来週です。
▪️おまけ
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