第二話「恋人にせがまれて」
発端は、一週間前の遊園地デートだった。
「やっぱり、作り物ってわかってると、あんまり怖くないわね」
あるアトラクションの出口で、玲子が呟いたのだった。
「えっ、怖くなかったのか?」
「うん、全然」
そこは、かなり大きめのお化け屋敷。『夏の恐怖体験!』と銘打たれており、掲げられた看板には、おどろおどろしいモンスターが描かれている。
別に俺は興味もなかったが、玲子が「入ってみよう」と言い出したのだ。実際に入ってみると、暗い中を恋人と二人で歩き、時々恋人が俺に抱きついてくるというのは、なかなか楽しい体験だったわけだが……。
「玲子ちゃん、何度も『きゃっ!』って言ってなかったか?」
「あら、それは違うわ。わっと驚かされて、びっくりしただけよ。驚愕と恐怖は違うもの」
「ああ、そういうことか」
納得の笑顔を俺が返すと、
「どうせお化け屋敷なら、こういう人工のお化け屋敷じゃなくて、今度は本物の幽霊が出るところに行ってみたいわね」
デート中なのに、次回以降のデートの話をし始める玲子。
いや『本物の幽霊が出るところ』なんて現実的な話とは思えないから、『次回以降のデート』というわけではないのかもしれないが……。
俺にしてみれば。
玲子と二人で遊びに行けるのであれば、行き先はどこでも構わない。それくらい、俺は玲子にベタ惚れだったのだ。それこそ「死が二人を分かつまで」と宣誓したいくらいに。
何しろ玲子は、女性と縁のない十代を過ごした俺が、二十歳を過ぎてようやく出来た、生まれて初めてのカノジョだったのだから。
一人暮らしの大学生同士が付き合うと、こうなるのが普通なのだろうか。
いつのまにか玲子は、俺の部屋に居着くようになり、彼女自身の部屋へ戻るのは、一週間に一度か二度くらいになっていた。着替えなどの私物も、俺の部屋に持ち込み済み。夜は一つのベッドで抱き合って眠る、という状態だが、欲情するような『抱き合う』ではなく、穏やかな幸せに包まれるような『抱き合う』の方だ。
そして、今夜も、そんな感じで寝るつもりだったのだが……。
「ねえ、たまには少し、夜更かししない?」
「夜更かし……?」
「そう。夜のドライブデート! ちょっと、これ見て!」
玲子が俺に見せたのは、インターネットの不気味なサイトだった。
オカルトとか心霊現象とかを扱ったサイトらしく……。
その中に書かれていた一つ、廃墟となったホテル。そこに玲子は関心を持ったらしい。
とりあえずタイトルだけ、声に出して読んでみた。
「『連続怪死事件の舞台となったホテル』……?」
「ほら、面白そうでしょう? 本物の幽霊、見られるかも!」
玲子の言葉を聞き流しながら、黙って続きに目を通してみる。
連続怪死事件といっても、実際には立て続けに起こったわけではなく、ある程度の期間を置いた三件の事件。家族旅行に来たお父さんが入浴中に心臓発作、二泊三日で宿泊予定のカップル二人が二日目に崖から転落死、部下と上司の不倫旅行中に大喧嘩となり女が男を刺殺、の三件なのだが、問題は三つとも同じ部屋の宿泊客だったこと。
ホテル側では、以降その部屋は封印して、いわば開かずの部屋とすることで対応。どんな繁忙期でも絶対に使用禁止としたのだが……。
今度は、他の部屋でも怪死事件が起こり始めた。
こうなると「ホテル自体が呪われている」という噂が広まり、客が寄り付かなくなる。結果、そのホテルは潰れてしまい、今は廃墟となっているのだという。
「うーん……。読み物としては、確かに面白いだろうけど……」
「私、前に言ったわよね。本物のお化け屋敷に行ってみたい、って」
実際、玲子と同じようなことを考える人は、結構いるのだろう。
廃墟となった後、心霊スポットとして、多くの人々が探索に訪れており、幽霊の目撃談もある、と書かれていた。しかも、そうした人々の中には、そのまま行方不明になった者までいるそうだ。
そこまで書かれると、俺としては、少し眉唾に思えてしまう。箔を付けるために創作話が加わったとか、噂に尾鰭が付いているとか、そんな感じだ。
「その廃ホテルなら、ここから車で一時間くらいの場所よね? ちょうどいいと思わない?」
俺に同意を求めるような口調だったが、もはや玲子の心の中では、行くこと自体は決定事項なのだろう。俺が反対するはずもない、と顔に書いてあった。
「それで、いつ行くつもりだ? 『たまには夜更かし』とか『夜のドライブデート』とか言ってたが、まさか、今から……?」
「そう、もちろん、今これからよ!」
そういえば。
玲子が着ているのは、赤いワンピース。近場へ遊びに行く時に好んで着る服であり、間違っても部屋着などではなかった。
一方、俺は、もう寝るつもりだったから、寝間着兼用のシャツと短パンだ。「いやいや。もう真っ暗だぞ。こんな時間に、そんな廃墟に行くのは……」
「暗い夜だからこそ、雰囲気が出るのよ、こういうのは! 幽霊だって、きっと昼間は出てこないわ!」
明るいテンションで、俺の言葉を遮る玲子。
まあ、肝試しは普通は夜間に行われるものだから、その理屈はわからないでもないが。
それでも俺が渋い顔をしていると、
「もしかして浩太、怖いとか危ないとか思ってるの?」
「そんなわけないだろ」
玲子が少しニヤニヤ笑いを浮かべながら言うので、反射的に、そう返してしまった。「怖い」とは思わずとも「危ない」という考えは確かに浮かんだのだが。
俺は幽霊の存在なんて信じていないが、でも『廃墟』だったら、浮浪者やホームレスの根城になっている可能性はあるよなあ……?
それでも。
玲子は、俺の言葉を真に受けて。
「じゃあ、決まりね! 早速、行きましょう!」
と、俺の腕を引っ張る。
「わかった、わかった。せめて服だけは着替えてから……」
彼女にベタ惚れの俺は、結局、玲子には逆らえなかったのだ。