シュウキに満ちた校舎
信じられないかもしれないが、まがりなりにも俺は部長だ。オカルト部の部長たる者、危険に部員達を晒すのならば、まず先陣を切って己が身を危険に晒すべし、とはかつての部長が残した言葉だ。その言葉に従い、俺は情報提供者の智里さんと共に、一階のトイレを探索していた。
九蘭高校のトイレは全部で九つ。部員達とはメッセージアプリを通じてやり取りしているが、それによると、萌は三階のトイレ、由利と我妻は体育館のトイレ、藤浪と陽太はそもそもトイレにはおらず、その辺の教室にいるらしい。
入ったばかりなので仕方ないが、誰もシュウキには会っていないそうな。
「それにしても、貴方達の部活、よく部費がおりますわね? 生産性もなく、実績もない部活が続くなんて、余程そちらの高校ではお遊びの部活が乱立しているのね」
「生産性がなきゃ部活動はやっちゃいけないんですか? 一理ありますが、うちの高校では『生徒が打ち込みたい事を応援する』ってのが方針です。ゲーム部とかは駄目ですが。電気とか使うし。一方でうちの部活は殆ど自前で用意してるし、少なくとも迷惑はかけてない。活動レポートを出せと言われたら電話帳みたいな厚さを出せる自信があります。それにフィールドワークとレポート執筆は率先して動く力と文章を考える力を鍛える。前者は社会でどんな職業に就くにしても、大事な力だ。目に見えない力はちゃんと生産してる」
「居もしないものを居るかの様に纏める力って事? 確かに文章を考える力が付きそうですわね。でもその内、現実と妄想の区別がつかなくなりそう」
「それがオカルトというものです。狂気の世界だ。のめり込むだけで頭がおかしくなってくる。でも、だからこそ私達は、オカルトを愛してやまない。たとえそれが嘘でも、本当でも」
トイレにこれと言った特徴はなく、また変化もない。小便器が五つ、個室便所が五つ……かと思いきや、一つは用具入れだった。個室便所は一つを除いて全て洋式。どこもかしこも綺麗で、何の変哲もない。
俺はレストランで拾った話を思い出していた。
「…………そういえば、一番最近の被害者は女子らしいですね」
「あら、何処でその情報を聞いたのかしら。ええその通りです。正確には私の友達ですわね。第一発見者が言うんだから間違いありませんわ。今は病院に運ばれて、意識不明だったかしら……わたくしが疑われる事はありませんでしたわ」
「何故だか当ててみせましょうか。死体……失礼。まだ死んでませんでしたね。ご友人の倒れていた状況があまりにも異常だった。とても人間が短時間でできる事とは思えなかった。違いますか?」
「……ええ、その通りですわ。わたくしの友達……悦子は、女子トイレで倒れていました。わたくしは思わず駆け寄ったのですが、その時の悦子の身体の冷たさは、この環境下では想像もできない冷たさでしたわ。まるでついさっきまで冷蔵庫の中に居たみたいな……」
急に身体が冷たくなって動けなくなる、か。冷蔵庫とまで言うくらいだから凍死してもおかしくない体温だったのだろう。意識不明なのは単に奇跡的に命が助かった代償と言うべきか、怪異の影響かにあるせいで意識が目覚めないという考え方もある。
「しかしおかしな話ですね。貴方の友人が被害に遭ったというのに、貴方はシュウキを出鱈目だと言うのですか」
「そんな非現実な存在が居てたまりますか。何やら男子達はその件で盛り上がっていますが、我々女子は怖がっているのですわ。男子だけだと思ってたのに、被害が遂に女子でも起こり始めて―――シュウキそのものはデタラメでしょう。しかしそんな悦子を襲った犯人は居るでしょう。わたくしが今回同行しているのは、その確認も兼ねています」
「成程。飽くまで怪異は居ないというスタンスですか」
「居れば、とっくにテレビが特集を組んでいる筈ですわ」
いやあ、どうだろう。
怪異と呼ばれるまでに肥大化した怪物を取材なんてしようものなら、死者多数につき放送がお蔵入りになりそうだが。生放送ならば可能かもしれないが、そんな危険を冒さずとも(命と視聴率という二重の意味で危険)視聴率を稼ぐ方法は幾らでもある。出来る出来ないより前に、まずやらない気がする。
心霊番組の殆どが除霊済みであったり嘘っぱちなのは、その方がリスクがなく、且つ視聴率も取れるからだ。心霊とか関係なく死ぬ危険性がある樹海に足を踏み入れるテレビは居ないだろう。そういう事だ。
「男子トイレは駄目か。じゃあ次は女子トイレだな」
「え? ちょっと、貴方気が触れたの? 男子が女子トイレに入るなんて、そんな破廉恥な―――」
「誰も居ないならそこには男子も女子もないでしょう。勿論貴方が使うなら話は別ですが、これも確認の為です。女子にも被害が及んだという事なら、女子トイレも調べないと」
躊躇は無い。今まで何度も廃墟の女子トイレに足を運んだ事がある。ここは廃墟とは違うが、誰も居ないなら同じだ。
「ちょ、ちょっとお待ちくださるッ? 同行者として、わたくしが入らせて頂きますわ! 貴方はどうか、ここで待っていてくださいなッ」
「……失礼を承知でお尋ねしますが、もしやこの状況でトイレに―――」
「違います! やはり男子を入らせるなんて倫理的わたくしが許せませんわッ」
「脳内人格の豊富な事で」
「どうせシュウキなどというものは嘘っぱち。居るとしたら実在の犯人! わたくし、これでも武道を嗜んでおりますの。もし見つけたら叩きのめしてやりますわ」
…………無理だと思うが。
俺みたいにいざこざばかり巻き込まれている奴はともかく、武道を嗜んでいるだけの実戦経験もない女子が実在の犯人に何が出来る。刃物への恐怖で足が竦むのがオチだ。
そんな事を言い出す前にまずは隙を無くす修行をした方が良い。この道中処か、今も殺す隙が武道を嗜んでいるとは思えないくらいたくさんあった。俺に殺すつもりはないが、実在の犯人とやらに躊躇はあるまい。そんな隙だらけな動きでは、絶対に取り押さえられないだろう―――と。
ここまでが実在の犯人を前提とした話だ。
怪異にも物理攻撃が効くかと言われると効かない。緊急回避として使えなくはないが、それも飽くまで緊急だ。何度もやってればその内カウンターを喰らう。怪異の弱点を突く上での物理攻撃ならともかく、一切関係がない攻撃は、文字通りその場しのぎだ。
部長として断言しておく。怪異を物理的に殺害する事は出来ない。
絶対に!
そんな事が出来る奴はこの世に存在しない。もし居たらそいつは人間じゃない。智里さんは友人が被害にあった影響か絶対に許さんと言わんばかりに息巻いているから、本来は止めるべきかもしれないが、考えが真っ向から対立している人間を止められるとは思えない。
「…………分かりました。それでは行ってきてください」
説得出来る瞬間があるとしたら、それは一旦その人間に考えを貫かせて、それからその人が痛い目に遭った時だ。不幸に遭えば自分のやり方や認識に疑問を持つようになる。こういう我が強い人間は成功しているから我が強いのであって、失敗には非常に弱いのが大半だ。俺はトイレ入り口横の壁を背に座り込んだ。
「でも危なくなったらすぐ帰ってきてください。貴方はオカルト部員ではない。命は大事にしないと」
「武道を嗜んだ事もない素人に心配される謂れはございませんわ。まあ何も居ないでしょうが。それでは見に行ってまいります」
俺はメッセージアプリを開き、メッセージを送信した。
『報告しろ。そっちはどうだ?』