校舎を取り巻く怨念
寝ないで書いてたら逆に能率下がりました。
保健室の鏡を使って首を観察すると、血の手形がべっとりとくっついていた。だから首がどうにも熱く、重かったのだ。本物の霊能者の手など借りずとも分かる。
たった今、俺は憑かれた。
正確には目印をつけられてしまった。これではよしんば脱出出来たとしても、俺は引き続きここの怪異を連れ歩く事になる。元より逃げるつもりはなかったが、これでいよいよ怪異に対処しない訳にはいかなくなってしまった。いや、そんな事はどうでもいか。とにかく智里さんを助けなければ。
―――俺に出来る事があるとは思えないがな。
トイレに居なかったという事は、智里さんはあの腕に引きずり込まれたと考えて良いだろう。あれだけ力が強いと、最早武道とか関係なく、即座に対処しなければ引きずり込まれるのがオチだ。真正面から襲撃を受けた俺がどうにか対処できたくらいなのだから、背後から掴まれでもしたら為す術が無さそうだ。
鏡に張り付けたお札を剥がし、鏡に映り込まない様に横へ逸れる。誠に勝手ながら備品を使って手当させてもらった。流血を止める為とはいえ使いっぱなしでは痕跡が残ってしまうので、後で個人的に侵入して補充するつもりだ。
もう用はないので、保健室から退室。智里さんを助けに行きたいのは山々だが、まず被害状況の確認だ。誰が怪異と遭遇していて、誰が俺と同じく引き離された側なのか。それ次第で動きは変わる。
『怪異と遭遇してない奴は返信をくれ。直ぐに合流する』
メリイさんを疑われても仕方ない文面になってしまったが、これで何かしらの反応を見せてくれれば、そいつは少なくとも怪異には遭遇していない。先程は御影達が返信してきたが、今はどうだろうか。
下手に動いてもすれ違いが怖いので、様子見の為にもここは静観に徹する。五分後、返信が返ってきた。
『今は二階に我妻と一緒に居ます』
既読は1。そして返信も御影達だけ。萌や陽太達からは何の返信も既読も返ってこない。携帯の電波はちゃんと繋がっている。同じ空間に居るのだから他の奴等も繋がっている筈だ。智里さんは明らかに連れていかれたから例外としても…………
「部長。ここで何してるの」
トイレのある方向を重点的に警戒していると、背後から女性の声がした。驚くべき所じゃない。愛するべき部員の声を俺が聞き間違えるものか。
「…………御影。二階に居るとたった今聞いたんだが?」
「……? どういう事ですか?」
溜息を吐きつつ振り返る。新たな怪異かとも思ったが、何処からどう見ても御影由利だ。携帯を片手に、怪訝そうな表情でこちらを見ている。隣に我妻の姿は無い為、たった今届いたメールの文言と早速食い違う。
状況が呑み込めないらしいので、画面を翻し、彼女の方に見せつける。
「さて、御影部員よ。俺が聞きたい事は一つだ。お前は本物か?」
「仮に偽物だったとしても……『本物だ』って言うと思いますよ」
「―――それもそうだな。俺が悪かった」
偽物が素直に「偽物です」と言う訳が無い。それもその通りだ。二階に確認しに行けば真偽はハッキリするが、それでは時間がかかり過ぎる。俺はメッセージアプリを介して直ぐに御影の番号に電話を掛けた。
「逃げるなよ」
呼び出し音が俺の耳に木霊する。僅かに間を置いて、目の前の携帯に着信が掛かる。彼女が確認するよりも早く分捕って画面を覗き込むと―――『クオン部長』だった。つまり俺だ。試しに電話に出てみると、やはり俺と繋がった。
「これで、証明出来ましたか」
「ああ。所でお前、今まで何処に行ってた?」
「体育館の女子トイレに。我妻が男子トイレに入ったので、分担して探索していました。でも何も無くて、トイレから出たんですけど、いつまでたっても我妻が戻ってこなかったんです。だから確認しに行ったら……誰も居ませんでした」
「…………成程な」
やはり一筋縄ではいかないか、今回の件は。
「シュウキに遭遇してる?」
僕は改めて周囲を見渡したが、それらしき怪物も、コスプレをした変人も居ない。居るのは僕と、内裏と、そして愛しい愛しい萌だけだ。
「何処にも居ないじゃないかッ。ほら、やっぱり嘘なんだよ萌! お化けなんて居ないのさ!」
「じゃあ俺の携帯が圏外になってる件についてはどうやって説明をつけるんだ?」
「それはお前の携帯が弱いんだろ? 見ろ、僕の携帯はちゃんと電波がけん…………がい?」
信じられなかった。通信制限が掛かるならまだしも、圏外など久しぶりに見た。単にこの学校が電波を受信しづらい状況にあるとも考えたが、それにしては悪すぎる。萌も言った通り、地下室にでも居ないとこうはならない。
「お、お、お、落ち着くんだ萌! こういう時は警察を呼ぼう! ね!」
「……呼べないし呼べた所で何も出来ないよ、藤浪君。多分今だけは……私達だけで何とかしないと!」
「何とかって……でも萌ちゃん。今まで怪異に対処してたのって、確か部長だったよね。俺達だけで何とか出来るのかな?」
「……メッセージアプリが使えなくなったから、多分シュウキに遭遇してるのは私達だけ。その証拠に、ほら」
僕の携帯が何かを受信した。内裏も時を同じく受信した様だ。揃って通知を確認すると、萌から『ね?』という二文字が個人チャットの方で送られてきていた。繰り返すが、この場に居る全員の電波レベルは圏外。どれだけ近距離に居ても、受信される筈が無いのだ。
「ど、どういう事だ? まさか萌と僕は運命の赤い糸で繋がっているか―――」
「はいそこ。怪奇現象よりよっぽど非現実的な理屈をつけないでくれ。しかしシュウキの対処法なんて、俺達聞いた事もないぞ」
「私も知らないけど、でも部長も言ってたでしょ。縁のない所に怪異は生まれない。今の私達が遭遇したら……逃げる事しか出来ないけど、でも探さないと。いつかは対処しなきゃいけないんだし……!」
内裏は本当に僕の恋を応援する気があるのだろうか。下らないオカルト話で直ぐに意気投合して、僕を置き去りに早速移動を始めたじゃないか。ひょっとして、僕の恋路を応援するというのを口実に彼も萌を狙っているんじゃなかろうか。どうもそんな気がしてならない。
となると電話も繋がらないこの状況は、事実上の密室であり、僕さえ居なければ忽ち二人は深い仲に―――
「ちょ、ちょっと待ってくれよ! ねえ萌、一体何を探せばいいのかな?」
「それは、私にも分からないけど。でもこの校舎の何処かに、絶対にシュウキに関わる何かがある筈だからそれを探すつもり」
「じゃあこうしようじゃないか! 萌と僕は一階、内裏は二階を調べるんだ。校舎の何処かにある物なんて、三人一緒に固まってたら探しようがないだろ? だから―――」
「おいおいおい。ちょっと待ってくれよ。何でお前達は一緒なんだよ」
「うるさいお前は黙れ! 萌はか弱い女の子なんだから、僕が守ってやらないといけないんだ!」
「藤浪君。気持ちは嬉しいけど、私は大丈夫だよ。それよりも三階の教室はまだ調べてないからそっちを―――」
「女のくせに強がるな! 僕が守ってやるって言ってるんだから、大人しく守られてろよ!」
イライラが収まらず、ついつい本音が出てしまった。萌は目を丸くして僕の発言に言葉を失っていたが、当の僕は全く後悔していない。怖いなら怖いと素直に怯え、僕の後ろに隠れていればいいのに、どうしてそうやって独り立ちしたがるんだ。
それだけでは飽き足らず、まるで僕を馬鹿にするみたいに部長や内裏と仲良くするなんて信じられない。それでも僕の好きになった女性か? 僕が好きになった女性なら、僕だけと仲良くするべきだ。
「も、萌ちゃん。その……今の発言は気にしないでくれ。何せこいつは初めて怪異に遭遇するから心が不安定になってるんだ。今のも全部冗談。いや、冗談じゃないんだけど……その、萌ちゃんが心配だから、つい強い言葉で言っちゃったんだ。分かった?」
「う、うん」
「有難う。それじゃあ萌ちゃんは二階ね。三階と一階は俺達が調べるから」
「い、いいの? 対処法も分からないのに遭遇しちゃったら大変な事になるよ」
「それはお互い様だろ。いいからほら、行って。あ、困ったらすぐ呼んでよ。俺じゃ力になれないかもしれないけど、助けには行くから」
「…………ありがとうッ、陽太君! じゃあ私行くね!」
「うん。気を付けて」
萌は僕から逃げるみたいに、わざわざ向こう側の階段から降りるべくカメラを両手に走り去った。彼女が廊下の角を曲がったのを確認し、足音が完全に消え去った所で、内裏が凄まじい形相で僕の事を睨んできた。
「なあ、お前がいつまでもそんな態度だと、萌ちゃんは一生お前の事を好いちゃくれないぞ」
「お前が悪いんだろ! お前が僕の萌とイチャイチャイチャイチャするから! お前だって本当に協力する気あんのか? 実はお前も萌の事好きなんじゃないだろうなッ!」
「いや、俺が好きなのは碧花先輩だし……吊り橋効果は否定しないけど、単に同じ部員として仲良くしてるだけだよ」
碧花というのは、校内で一番の美人と称えられる二年生の水鏡碧花の事だ。高校生とは思えないくらいグラマラスでミステリアスだと聞いているが、僕は萌以外に興味がないので、よく分からない。只、学年問わずほぼ全ての男子から人気で、現在の彼女を振ってまで告白した奴が居るらしい。
噂によると撃沈したらしいが。
「まあ自分の性格を変える気が無いって言うなら、俺はもう何も言わないけどさ。でも萌ちゃんの前でそういう高圧的で強引なのはやめた方がいいよ。あの子、結構というか、お人好しってくらい滅茶苦茶優しいけど、そういう高圧的な男性って、嫌いらしいから」
「……でも、萌が僕の物だっていうのは揺らがない事実」
「それだよ、それ」
陽太が僕の額に指を吐きつけながら、鋭く指摘した。
「物扱いする様な奴が嫌いなんだよ萌ちゃんは。だから心の中では思っても、二度と口に出しちゃ駄目だぞ。萌ちゃんもそうだけど、クオン部長も彼女に関わると過保護になるからね。本当に萌ちゃんを手に入れたいなら、絶対に、ぜええええええったいにそんな事を言っちゃ駄目だからな!」
「何だよその言い方。こういうやり口は本で読んだんだ。女性はリードされる事を好むし、余裕があって頼れる感じの男性を好むって。僕が何か間違ってたか?」
「何もかもだよ。でもその本、正しいかもしれないね」
「何でだよ」
「だって、リードして、余裕があって、頼れる感じの男性だろ? それって全部クオン部長に当てはまる事じゃないか」