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起死回生のギャンビット

他作品もあるため、更新は遅くなるかもしれません。

「殿下、もうしばらくで大司教領に到着いたします」

 馬車の外で並走していた、イルクが告げる。

「ヘイデン様……私の力が及ばず、本当に申し訳ありません」

 目的地--大司教領が近づく馬車の中。

 もう何度思ったことかわからない言葉を口に出した。

 もっと私に力があれば、こんな選択をせずに済んだのかもしれない。

 少なくともあの人だったら、こんな切り捨てる用な方法は取らないはずだ。

「エルザ殿下、どうかご自分をお責めにならないでください。私は、いつかこの日がくることを覚悟しておりました」

 「二十年前のあの日から」そう目を伏せながら呟いたヘイデン司祭の表情は、ヴェールごしからでも苦笑の中に疲労感が混じっていたのが分かった。

 それを見て、ますます悔しくなる。

「……それでも、思わずにはいられません。あなたは犯人ではないのですから」

「殿下はお優しいですね」

「私は当たり前のことを言っているだけです。例えこれが戦争を回避するためだったとしても、罪のないあなたが罰を受けるいわれはないはずです」

 私の名付け親でもあり、伯父のような存在。

 その人を私は、これから敵国に差し出すのだ。

 司教殺害の容疑者として。

 『ヘイデンは法の許で正式に裁くことになる』と先方の使者から伝えられてはいたが、念のためにと大司教領までの護衛に剣の誉れも高い騎士団の若き騎士、イルク・アルフレート=ゴルトベルガーをつけた。

 あと数刻すれば、大司教領の中心に位置する大聖堂の円卓広間でブリシアの大使と謁見し、ノクタリアの代表としてヘイデンを引き渡すことになる。

「絶対に、私があなたの無実を証明してみせます」

「……昔から、こうと決めたことは曲げない方ですね、あなたは」

 ヘイデンの口元が僅かに綻び、優しい表情に変わる。

 同時に馬車が止まり、同じく馬の歩みを止めたイルクが告げた。

「到着いたしました--大司教領です」


 司祭たちに通されて着いた大聖堂の広間の中央には、名前の通り円卓が据えられていた。

 席は全部で二十。円卓と同じ木目調の椅子の背もたれには、二つの意匠がちょうど十席ずつ施されている。

 〈白の王冠〉と〈黒の王冠〉だ。

 席の主たる司教たちも、席に合わせて白と黒の衣装を身に纏っている。

 私たちが広間に着くと同時に、広間にいたすべての視線が向けられた。

 好奇、猜疑、様々な色の視線。そのすべてを私は黒のヴェールごしから受け止める。

「これはこれは。〈黒の王妃〉様が直々においでになられるとは」

 司教たちの中の白い衣装を纏った一人が私に歩み寄り、挨拶をしてきた。

 その言葉の裏には少しの刺が隠れている。

「私はもう王妃ではありません。夫亡き今、王位は義弟シュテファンが継承します」

 夫のリヒャルトが亡くなったのは、ちょうど一年前。在位僅か三年、享年二十三歳だった。

「それでは、喪も明けぬ内に、何ゆえこのような場所においでになったのですかな、殿下?」

 違う司祭が告げる。

 まったく、ここに来た理由は一つしかないというのに。

「我が義弟に代わり、ノクタリア領ライシアット州元司教ヘイデン=フィールドの身柄を、ブリシア王国に引き渡しに参りました」

 見え透いた煽りに対し、十分な微笑みと間をもってお辞儀を返す。無礼には憤りを通り越して呆れた感情しか沸かないが、ここですべてを台無しにするわけにはいかない。

「エルザ=フォン・ブライト=ノクタリア殿下」

 ヴェールの中で小さく溜め息を吐いたとき、誰かに名を呼ばれた。

 声がした方に目を向けると、円卓の反対側から一人の男性がこちらへ歩いてきていた。

 短く整えられた綺麗な白金髪が、広間のステンドグラスから射し込む午後の陽光を浴びて輝いている。

 --ブリシア国民に多い特徴だ。

 同時に後ろで控えていたイルクの雰囲気が変わった。これまでの司教たちからの私への侮辱には何とか耐えていたのだろうが、その時よりも視線は冷たい。

 私は視線をイルクに向け、短く首を横に振る。聖堂に入る際に帯剣は禁じられているからと預けたため、今彼の腰に剣はないが、もし預けていなければ抜刀していそうな表情だった。

 彼の翡翠の瞳は私の真意を理解してくれたのか、すぐその思いを静めてくれた。

「リヒャルト王につきましては、誠に御愁傷様です」

「……お心遣い、大変痛み入ります。失礼ですが、どちら様でしょうか?」

 だいたい想像はできているが、形式的に質問を返す。

「私は、ブリシア王国レルフィネン領主セルジュ=ディオ=レルフィネンと申します。この度の大使を務めさせていただくことになりました」

 年齢はいっても三十代前半。領主と呼ぶにはいささか若い気がしたが、その佇まいは修交の大使として優れたものだと理解できる。

「レルフィネン殿、ノクタリア国二十七代国王リヒャルト=フォン・レシティア=ノクタリアが妻、エルザ=フォン・ブライト=ノクタリアにございます」

 改めてレルフィネンに挨拶をする。

「……本日はこのような場を設けてくださり、誠に感謝いたします」

 日時も場所も、すべてブリシアからの要望をのんでの今日だ。

 含むところはないというノクタリアの誠意。それをみせるために、すべてを今日この日に間に合わせた。

 レルフィネンが静かに口火を開く。

「--それでは、本題に入りましょうか」


 その後会見は滞りなく進み、司教たちが見守る中、ノクタリア、ブリシア両国の調印がなされた。


「この度はご協力くださり、誠にありがとうございます。シュウィッティン司教」

 用意された宿泊施設に入る前に、大聖堂の一室で知己の人物と再開した。

「いえ。先の戦の折りに、亡き陛下と共に我が領民を手厚くもてなしてくださったことに比べたら、些細なことでございます。殿下」

 現在は領主の位を弟公に譲った、先代のシュウィッティン領主その人だ。朗らかな表情とは裏腹に、齢四十から教えの道にその身ひとつで飛び込み、身分など関係のない世界で僅か六年で司教の位まで登り詰めた、破天荒な人物。

 喪に服している私がここに来られるよう取り計らってくれたのも、シュウィッティン司教だった。

「あの日より、終戦を願っておりましたが。まさか、このような形で実現するとは」

「まだ終わったわけではありません……それで、お願いしたものは?」

「はい。こちらにございます」

 司教が控えていたシスターに合図をし、盆に入ったものが机の上に置かれた。

 それは、シスターの衣装だった。

 盆をもってきたシスター同様に服は一律みな白く、白派、黒派の区別もない。

「あなたは、ブリシア出身なの?」

 私はウィンプルから僅かに覗く髪と彼女の花色の瞳に思わず声をかけていた。

 無理もないだろう。私は今、夫の喪に服しているため、全身が黒ずくめなのだ。これに加え、顔はヴェールに覆われているため、向こうからは私の表情が一切わからない。

「い、いえ……祖父の代よりノクタリアに移住しております」

「……そう。その容姿では、色々と大変だったでしょう」

 代理戦争が起きてから、両国の国交は完全に断絶していた。それまでに移住などで生国を離れた者は、裏切り者や間者としてのレッテルが貼られ、場所によっては迫害を受けた者もいたという。

 シュウィッティン司教がここに呼んだということは、彼女がその協力者なのだろう。

「あなた、名前は?」

「ミシェル=バラボーです」

「〈知恵を授ける者〉、素敵な名前ね。バラボーはブリシアの北州にある地名だったかしら」

「どうしてそれを……?」

「私の母もブリシアの北州生まれなの」

 そう言って身に着けていたヴェールを外した。

「……!?」

 ミシェルの花色の瞳が大きく見開かれ、その顔は驚きの表情一色に染まる。

「この白金髪と空色の瞳は母親譲りでね。王妃時代は染めていたのだけど、もうその必要もなくなったから」

 夫はこの地毛の髪色が好きだと言ってくれていたが、戦時下において敵国の血を引く者が王族に名を連ねるなど兵の士気に関わる。

「話はどこまで聞いているの?」

「『王妃様が終戦を望んでいる』と。……私もこれ以上、私のような人を増やしたくなくて……」

 一瞬にして潤んだその瞳とその言葉で、彼女が歩んできた道のりがわかった。

 私は膝をつき、彼女の手の甲を額に当てる。驚いたミシェルが声を上げた。

「王妃様っ!?」

「あなたの勇気に、心からの感謝と敬意を」

 言葉だけでは言い表せられない想いは、行動にして示すしかない。

 私がこれからすることも、その一つだ。

「《エルザ=フォン・ブライト=ノクタリア》は明日、ノクタリアに戻ったあと、北のセイロン塔で残りの喪に服します」

 例え喪が明けてたとしても、私がノクタリアの王政に口を出すことはしない。

 それがここに来るときに大臣たちと交わした誓約だ。

 義弟シュテファンも今年で十二歳。摂政には先々王弟である叔父のフェッテル公が就くことになっているから、問題も起こるまい。

「もし私に何かあっても、あなた方には一切危害を加えさせたりしません」

 これはあくまで私の一存。

 誰にだって覆させはしない。

 猶予はブリシアで行われるヘイデンの裁判が始まるまでの三週間。

 それまでに二十年前の事件の犯人を見つけ出し、彼の無実の罪を晴らすのだ。

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