泥棒の俺、炬燵(こたつ)で生足中継中。
冬の恋愛、というテーマで書きました。
楽しい話です。
部屋には、安物のテレビやオーディオセットの他、いかにも必要最低限といった風の生活用品が、窮屈そうに閉じ込められていた。
男子大学生の一人暮らしである。まあこんなものだろうと思う。
部屋の中には、俺以外の人間は存在しない。
ただし、俺はこの部屋の主である男子大学生ではない。
さて、俺の正体はなんでしょう?
読者諸賢にはもうお分かりだろう。
俺は、この部屋に侵入した泥棒なのだ。
それも、そんじょそこらの泥棒ではない。
この町の都市伝説となっている『大切なものを盗み取る影』とは、何を隠そうこの俺のことである。
……。
聞いたことないですか。そうですか。
まあいい。説明しますとも。
『大切なものを盗み取る影』とは、全くそのまま、字のままの意味を持つ。
俺は、誰かにとって『最も大切なもの』を見分け、そして盗み取る泥棒なのである。こんななりだけど、実は結構スゴいのだ。
今回は、セキュリティがボロボロで侵入しやすそうだったので、暇潰しにこの部屋にやってきた、というわけだ。
現在、絶賛物色中。
安っぽい食器。
小型のストーブ。
流行り物を寄せ集めたと思われる、こだわりのないCDラックの陳列物。
俺の目はそのどれにも反応しない。
この部屋に住む男子大学生は、一体、何を盗んでやれば絶望するだろうか。何を核にして生きているのだろうか。
部屋の真ん中には炬燵が、その上には乱雑に幾つかの蜜柑が転がっている。部屋の冷たさに、どれもが白い息を吐いているようだった。溶け込む静けさがあった。
かすかに湯気を立てる炊飯器。
クローゼットの中の冬物の洋服。
そして、漫画本と、その裏に隠されたエッチなDVDを引っ張り出して一枚一枚観察しているところで、ガチャリと玄関が軋んだ。
「あっ、やべ!」
エッチなDVDの観察に、思いの外時間を取られてしまっていたらしい。家主が帰ってきたのだ。
これは迂闊だった。俺は焦って咄嗟に逃げ場を探すが、どうにも間に合いそうもない。
しかし、こんなところで捕まるわけにもいかない。
おのれ、エッチなDVD、恐るべし。やってくれる!
俺は焦りに焦って……
……手近にあった炬燵の中に、身を隠したのであった。
ドウシテコウナッタ…………。
「いやー、さ、寒かったね」
「そ、そうね」
と、間もなく玄関の扉が開き、人の気配が入ってくる。男子大学生……の方は事前の調べで分かっていたが、もう一人は……女だな。
「じゃあ、その、入って」
「う、うん。……ん、しょ」
この擦れるような音は、靴を脱ぐ音か。
そんなに広い部屋ではない。すぐに、二人はこの炬燵のある部屋まで入ってくる。息を吐く音ばかりで、静かなものだ。息が詰まるような緊張感を感じる。
始めは恋人同士かと思ったが、妙に距離感がぎこちない。付き合い始めたばかりか、まだそこまで行っていないか、といったところだろう。
ちなみに俺は、この二人とは全く違った理由で、極度の緊張を感じている。ははは。
「さ、どうぞどうぞ」
「それじゃあ、その、お邪魔します?」
うお! あぶねえ!
炬燵の布団部分が持ち上げられて、女の足がスッと入ってくる。
おお、いい足しておるぞ……ゴクリ。
ではなく、俺は必死に体を縮めて、彼女の足に当たらないように努めた。
それとほぼ同時に、俺の背中がほんのりと暖かくなる。男子大学生が炬燵の電源を入れたのだ。
頭まで潜っているので多少息苦しさはあるが、やはり炬燵はいい。冷えていた体が、徐々に熱を持っていく。
「お待たせ」
頭上からコトコトと音がして、女の反対側から、男子大学生の足が入ってくる。
うおおおお!
俺はかつてないほど体を縮めて、なんとか二人の足に当たらない位置を陣取った。
ふう、なんとかここまでは。
ついでに、男子大学生の足など見ても仕方がないので、顔は女の方に向けておいた。
「ありがとう」
ホッとした様子で女が言う。
二人はしばらく沈黙の中で、チビチビと何かを飲んでいる。
俺は、もう既に汗だくだ。
なるべく早く、隙をついて脱出する方法を考えなくてはならない。
ただ、今の距離感だと隙もクソもなかった。
どうしたものか……。
「て、テレビでもつけようか」
男子大学生くんが硬い声で言って、数瞬後、バラエティらしい拍手と歓声が、テレビがあった方向から聞こえてくる。
空気が変わって、女がソッと身を捩った。
「あ」
女の動きが不自然に止まった。
ん? どうした? 気付かれてはいないハズだが。
「あ、あぁ」
男が情けない声を上げながら、物凄い勢いで炬燵から足を引っこ抜いて、ドタドタと音を立てて動いた。
足音は女の背後に向かう。うーむ、確か、本棚のある方向か?
…………あ!
しまったぁ!
「こ、これは! その、違うんだよ。その、ね」
「あ、うん……」
し、死んでる……。
空気が死んでる……。
ちょっと男子大学生が可哀想になってきたぞ。
まあ俺のせいなんだけどさ。
俺が、エッチなDVDに夢中になっていたばっかりに……。
そう、本棚の前には確か、『アレ』が出しっぱなしになっているのだ。すっかり忘れていた。
「な、なんで……片……ハズ…………に」
なんで、片付けたハズなのに?
ぶつぶつと、動揺を隠せない男子大学生くん。
「あ、アハ、アハハハ、アハ」
ゴトゴト、ゴトゴトゴト。
「な、なんでもないんだ、アレは。お茶でも飲んで、ゆっくりしよう」
片付けが終わったのか、お茶の提案で話を反らす。
でも、お茶はさっきまで飲んでたじゃないか。相当焦ってるな、この男。
それに、女は先ほどから一言も喋らない。
ダメだ。諦めろ。
もう既に、『なんでもない』で切り抜けられるレベルの問題ではない。
なかったことにはならないぞー。
ともあれ、再び炬燵に戻ってくる男。心臓の音がここまで聞こえてきそうだ。
野郎のドキドキなんか聞いても仕方がない。
ていうか、俺もちょっと心拍数が上がって、汗が滝だ。めちゃくちゃ暑い。本当、早くどうにかしないと乾涸びるぞ。
それにしても、さっきまでのドタバタとは打って変わって、静かだ……。
テレビの司会者の声くらいしか聞こえてこない。
二人がどんな表情をしているのか、少しは気になる。
まあ、そんな余裕もないんだけど。
「ほ、ほらこれ、ご近所さんに貰った蜜柑。とっても甘酸っぱくて、美味しいんだ」
「う、うん」
「お一つどうぞ」
「ありがとう」
お、動きがあったぞ。
おそらく、炬燵の上に幾つか転がっていた蜜柑。それに手をつけたのだろう。
大した効果もない誤魔化しだが、対する反応から、女の心境を推察することはできる。
緊張はあるし、どうしたらいいのかという不安もあるが、それでも、今回の一件で男子大学生の好感度が地に落ちた、ということは無さそうだ。
よかった、俺のせいでこの二人が喧嘩を始めたりしたら、流石に少し申し訳ないからなぁ。
空き巣に入っておいて何を言ってんだ、って感じだけど。
「っ!」
しまった。
蜜柑を食べているだろうと油断していた。
女の足が俺のわき腹のあたりに、おどおどと、伸びてきていた。
俺は咄嗟に、限界まで男子大学生の側に体を寄せて、小さくなった。
それでも女の足は近付いてきて、ついに、俺の足先にちょこんと、撫でるように触れた。
そのまま二、三回ほどちょこちょことつついて、足はまた元の位置に戻った。
俺は中央に体を戻しながら、女の意図について考えた。
そして、一つの『不器用なふれあい』を察する。
炬燵の下で、思い人の足をツンツン。それが、彼女にできる最大限の歩み寄りなのだろう。ったく、お前は中学生かよ。
でも、そうだな。
このまま男子大学生が何の反応も示さなければ、女が疑問を抱くかもしれない。
この現状をどうにかするには……。
うーんどうしよう……。
仕方がない。
現状維持にしかならないが、他にいい案も思いつかん。これでいこう。
俺は、そーっと男子大学生の足に手を伸ばして、なるべく、さっきの女の足の動きを真似て、優しく撫でるように触った。
まったく!
何で俺が!
男の足を!
優しく撫で回さなくちゃならんのだあああ!
男は一瞬ピクっと反応して(やめてくれマジで)、すぐに俺に向けて足を伸ばしてきた。ツンツンと、不器用ながらも最大限の気遣いに満ちたその動きを、なるべく完璧にトレースして、俺は女の足にも同じことをする(ちょっと嬉しい)。
女は一瞬ピクっと反応して(ちょっと嬉しい)、笑う。
「ふふ」
「……はは」
少し、場が和んだような気もする。
おい、そこの男子大学生くん。感謝しろよまったく。
と、またも女の足が俺に伸びてくる。
「〜〜♪」
ツンツン。
俺→ツンツン→男子大学生。
「蜜柑、美味しい?」
「うんっ」
男子大学生→ツンツン→俺→ツンツン→女。
「身が大きくて、立派だね」
「よければ、幾つかあげるよ」
女→ツンツン→俺→ツンツン→男子大学生。
おいおい、俺中継巧すぎない? 泥棒退職してプロ野球選手やろうかな。
ていうかさ、こいつらさ。
とか言ってる間に、男子大学生→ツンツン→俺→ツンツン→女、っと。
もう一回。
ていうかさ、こいつらさ。
マジで!
中学生!
かよ!
炬燵の中とかいうクソ暑い中で、何でこんな焦れったいもの見せつけられなきゃいかんのだ。
俺だっていろいろ忙しいんだよ! ほんと。
とか言ってる間に、ハイハイ。
女→ツンツン→俺→ツンツン→男子大学生ね。ああ、暑い。もはや熱い。
俺、こんなところで死ぬのかな?
わけのわからん恋の中継役になって、二人にツンツンされながら死んでいくのかな……。
まあ自業自得でしかないんだけどさ。
でもなあ、勘弁してほしいよ。
男子大学生→ツンツン→俺→ツンツン→女。
女→ツンツン→俺→ツンツン→男子大学生。
男子大学生→ツンツン→俺→ツンツン→女。
男子大学生→ツンツン→俺→ツンツン→女。
女→ツンツン→俺→ツンツン→男子大学生。
男子大学生→ツンツン→俺→ツンツン→女。
女→ツンツン→俺→ツンツン→男子大学生。
もはや俺は無意識で中継役に徹している。
二人が何やら言っているが、どうしても耳に入ってこない。
暑さも曖昧になってきた。汗も、一線を超えたのか、あまり出ていない。
いよいよ終わりかもな……。
俺は死を覚悟し、ゆっくりと目を閉じた。
そしてそのまま、意識を失っていった。
※
目を開けると、一変して、炬燵の中は快適な環境へと変化していた。
どうやら一命は取り留めたらしい。喉はカラカラだし、頭痛はガンガンだけど。
右を見る。左を見る。
不思議なことに、男子大学生の足も女の足もない。
耳を澄ませても、テレビの音も二人の声も、室内には無かった。
別室にいるのかもしれないが、どうせ、今脱出できなければ俺は本当に限界を迎えるだろう。今しかない。
俺は炬燵から素早く、かつ音の無いように飛び出し、周囲をうかがった。
「よかった……。誰もいない」
俺は台所まで行くと、蛇口を捻って水を口に含む。
何時間ぶりの水だろう。
目を閉じると、隅々まで染み渡っていくような感覚があった。
「……ふぅ」
ようやく一息。
しかし、また同じ目には会いたくない。
炬燵の電源もテレビも消えていることを考えると、二人はまたどこか出かけたのだろう。
男子大学生の『最も大切な物』を盗んだら、さっさと退散することにしよう。
もう、エッチなDVDなんぞには惑わされない。
俺は固く決意して、再び室内の探索に従事した。
数分経ってもそれらしいものはなく、俺は手を止める。
しかしだ。
実のところ俺にはもう分かっていたのだ。彼の『最も大切な物』が。
「俺もまだまだ力不足、か」
最高の泥棒を自負している俺だったが、今回ばかりは、どうにも盗めそうにない。
あの二人の、炬燵より暖かく、何より不器用なふれあいは。
ああいうものは、どこか優しい慈愛に満ちた爪先で、撫でるように盗み取る物なのだろう。
仮にも中継役に携わった俺には、その繊細さが伝わっていた。
だからこそ、こう思うのだ。
これは盗めない————————と。
俺の掌に無いものを、彼らの爪先は持っていた。
「…………」
けれども、散々手伝わされた挙句、手ぶらで帰るのは屈辱だ。
そう思った俺は適当に部屋をぶらつき、炬燵の上に一つ、蜜柑を見つけた。
俺は出来うる限りの優しさでそれを手に取り、白い息を吐きながら部屋を出る。
二人が言うには、この蜜柑は甘酸っぱくて、美味しいらしい。
了
ご一読ありがとうございました。
感想等、お待ちしております。