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教会(前編)

 ヒトにとって神とは、深遠なる英知を遥かに超越した存在である。故にヒトは精霊を神とも呼ぶ。精霊はあらゆる自然の眷属であり、個々が付随する自然を操作し得るとされているが、ヒトの間では自然を操ることなど如何な賢者、如何な魔法使いであっても不可能だ。故にヒトは精霊を神と崇め、敬い、信仰する。

 だが精霊にとって神はこの世に唯一の存在である。それはこの空と、大地と、海と、そこに息づく全てを生み出した母なる存在。名を、ファリエと言う。



 フアナの肩に揺られていたミトは、その揺れが納まったことで目的地に着いたのだと悟る。閉じていた瞼をそっと開くと大きな扉、視線を上にずらすと彼女が惹かれてやまない大きな鐘が鎮座している。彼女はといえばその鐘を見上げてあんぐりと口を開けている。

「…フアナー? お口が開きっぱなしですよー?」

 ウィリアムがおどけた調子で指摘するとフアナは油の切れたブリキ細工のような動きで視線を移す。

「あ、あれ…鐘?」

「おう」

「あんなに…大きいの?」

「ははっ、あれぐらい大きくないと街中に響かないって」

「そう、なんだ…」

感心しきった様子で再び鐘を見上げるフアナ。ウィリアムはからからと笑い、扉を開く。

「鐘が鳴るまではまだ時間があるし、教会ん中も見てみたいだろ?」

「う、うん。でも、入って良いの?」

「もちろん。教会はどの精霊の信徒でも入って良いんだ」

「その通り。だがてめえのようなクソガキが入ることは断じて許されねえ」

 突如として響いたウィリアムでもミトでもない男の声。それはウィリアムの背後、つまり扉の内側から聞こえてきた。

 足音が徐々に徐々に近づいてくる。ウィリアムはいかにも不本意だという表情と声で声の主に返す。

「相変わらず聖職者とは思えねえほど口が悪いなグランづぁ!?」

「口が悪いのはてめえだクソガキ」

「うぃ、ウィル!?」

 言葉の途中で目にも留まらぬ速さで硬い拳が頭上に落とされて、視界に火花が散った。小走りでウィリアムに駆け寄ったフアナは、扉の傍で陽の光が揺れるのを見た。そしてそれが陽の光をそのまま宿したような金色の長い髪だと気づいて戸惑う。男はおどおどとする気配に気づき、ようやくフアナを認めた。

 端正な顔立ちと蒼い瞳、修道服の上からでもわかる逞しい体躯のその男は、年の頃はウィリアムより10は上に見える。彼はフアナににこりと微笑み、歩み寄ってその手を取った。

「これはこれは美しいお嬢さん、お見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ありません。本日はどういったご用件で?」

「え、…み、ミトっ」

「その手を話せこの女ったらし!」

 全ての女性を魅了してしまいそうな艶やかな声と微笑みを浮かべる男にウィリアムは殴りかかった。しかし男はフアナの手を離しその拳をひらりとかわす。そして不機嫌を絵に描いた顔でウィリアムを見据える。

「いきなり殴りかかるなんざ、どういう了見だクソガキ」

「てめえにだきゃあ言われたくねえよ!!」

「ばか野郎俺のは躾だ。てめえと一緒にすんじゃねえ」

「躾の対象がお前の気に食わない男だけってんならただの暴力だろうガっ!?」

「年長者に口答えすんなって何べん教えりゃわかんだクソガキ。ったく、いつの間にかこんな可愛らしいお嬢さんを攫って来るような悪党にまで成り下がりやがって」

再び落ちた鉄拳にうずくまるウィリアムを一瞥すると男は再びフアナの手を取り、やはりにこりと微笑んだ。

「はじめましてお嬢さん。私の名はグランツ、この教会を預かる仕者ししゃでございます。このような目つきも素行も悪い男に乱暴されてさぞ怖かったでしょう。ですがもう大丈夫、ここに来たからにはこのグランツがお嬢さんを身命を賭してお守りします。おや戸惑って居られますね、ああもしや私の身を案じてくださっているのですか? 何とお優しい! しかしどうかご心配召されませんよう。救いを求める者に手を差し伸べるのが我らの務めであるならば、お嬢さんを守ってこの身を危険に晒すも本望というもの。さ、まずは中へどうぞ。すぐに温かいお茶をご用意いたしますからね」

 ぱたん。

 滔々と喋り続けるグランツという男にフアナは意思表示をする暇を見つけることが出来ず、その背をやんわりと、しかし外すことの出来ない力で押され中へと導かれた。外に取り残されたウィリアムはしばし呆然としたが、すぐに立ち直り声を張り上げながら扉を壊す勢いで開く。

「ちょっと待てぇ!!」



 礼拝堂に備えられたベンチには膝にミトを乗せ紅茶を手にするフアナ、その左側に同じく紅茶を手にするグランツ、右側にはひび割れた花瓶を手にするウィリアムの姿がある。ひびから漏れ出た水が少しずつウィリアムの膝を湿らせている。

「…おい女ったらし、」

「年長者を敬えクソガキ。何だ?」

「これは……何だ?」

 ウィリアムは無理やり手渡された花瓶の中身をちゃぷりと揺らす。

「ああ、そりゃ花瓶っつってな、花を活ける、あ、いや飾る道具だ」

「言い直すな、活けるぐらいわかる。あとオレが聞いてるのはこれが何かじゃなくて何でオレだけ水でしかもひびの入った花瓶なんだってことだわかってんだろうが」

「お前…花瓶知ってたのか…っ!」

「ばかにすんにも程が有んだろ!いいからオレにも茶を持ってこい!!」

「はい」

声を荒げるウィリアムにティーカップが差し出される。

「違う、違うんだフアナそういうことじゃないんだ!」

「お茶、いらないの?」

 こてっと首を傾げるフアナにウィリアムは涙を禁じえなかった。グランツはフアナの腕にそっと手を添えてカップの中身を溢さないように下ろさせる。

「良いのですよお嬢さん、そのガ……少年は自分の扱いが不当に低いのではないかとそう言いたいだけで、別に紅茶が飲みたいという訳ではありませんから」

「お前やっぱりわかってんじゃねえか!!」

「当たり前だ、てめえと一緒にすんじゃねえ」

「この、」

「さあさあ、このお茶はあなたのためだけに淹れたとても美味しいお茶なのですから冷めないうちにお召し上がりくださいね」

「オレの話を聞けぇぇええ!!」

 意図してウィリアムを無視するグランツの声に、意図せずウィリアムを無視するフアナは素直に従い1口紅茶を含む。するとフアナの周囲に花が咲き、ウィリアムは感情を鎮めた。

「美味いか?」

フアナは小さくこくりと頷いて答えミトを撫でる。ミトはくゆりと尻尾を揺らして口を開いた。

「とても、美味しいです。…ありがとうございます」

「いいえ、どういたしまして」

 ミトの口からなされる礼にグランツは事も無げに返す。それを見てきょとんとするのは人間の2人だけ。

「おや、どうしましたお嬢さん?」

「大方、お主が驚かなかったことに驚いておるのじゃろう。大抵のヒトの仔は猫が喋れば驚くからのう」

「あ?何だお前言ってなかったのか」

「おいおい、年長者は敬うべきではないのかの?」

「はっ、知らねえな。誰だそんなしょうもねえことほざきやがるやつぁ?」

「ふんっ、抜かしよる」

 親しげに会話する1人と1匹にフアナは固まり、ウィリアムはあんぐりと口を開ける。グランツはフアナを見ると、先ほどまで彼女に見せていた美しいがどこか嘘くさい笑みとは違う自然な微笑みを浮かべ彼女の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「はじめましてフアナ、やっと会えたな」

「お前、フアナのこと知って…!?」

「ああ、つってもこの猫の話に聞いただけだったがな。っかししょうもねえ精霊も在ったもんだ、なんつうでたらめな呪いかけてんだか」

 グランツはフアナの前に立つと身に着けていた首飾りを外し、そのまるで蜂蜜を固めたような丸い水晶をフアナの額ほどの高さにかざし、目を伏せて祈りを捧げる。

「全なる者、我らが母、創造主ファリエ。汝の御技を示し給え」

瞬間、水晶から放たれる金色の閃光。その眩さに耐えかねたフアナとウィリアムは固く瞼を閉じる。

 光が収まるとグランツは険しい表情をしながら2人に目を開けるように言う。そしてウィリアムが見たものは、

「なん……だよ、それ」

金色の光の鎖が全身に絡まったフアナの姿だった。

「グランツてめえっ、フアナに何した!?」

ウィリアムはグランツの胸倉を掴んだ。しかしグランツは僅かに顔を顰めるものの、フアナから全く視線を動かさない。フアナはと言えば苦しむ様子も慌てふためく様子も見せず、ティーカップを脇に置き不思議そうにそれを観察している。

「フアナ、それが何かわかるか?」

 グランツの問にフアナは首を横に振って答えた。

「そうか。…おい、いつまで掴んでんだクソガキ、放せ」

「放すのはてめえだ! 今すぐフアナを放せ!」

「いいやお主じゃよウィル、その手を放すのじゃ」

「っミト!?」

フアナを誰よりも案じているはずのミトの言葉にウィリアムは困惑し、同時にミトへの怒りを覚えた。

「何で!? だってフアナがっ!」

「説明してやる、じゃからその手を放せ。フアナ、それは痛いか?」

ミトの問いにもフアナは首を振った。ウィリアムは気遣わしげな表情で問う。

「本当かフアナ? 本当に痛くないか? 苦しかったりは?」

「うん、大丈夫」

事も無げに答えるフアナにゆるゆると脱力していく。

 フアナが再びそれに視線を落とすと、それはすうっと空気に溶けるように消えてしまった。グランツを見上げると、彼は首飾りを戻しながらひどく難しい表情をしていた。

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