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最初の1歩

「よし、決めた」

 ウィリアムは顔を上げた。その顔に一瞬浮かんでいた恐怖は見当たらない。

 フアナはウィリアムの言葉に首を傾げる。

「何を?」

「フアナ、外でよう」

「外?」

 ウィリアムは考えていた。先ほどの話を鑑みれば、自分にフアナの声が聞こえるのは、自分がそれを望んだからだ。では何故、自分はそれを望んだのか。そしてミトは何故、自分をここに連れてきたのか。

 ウィリアムは考えていた。

 ウィリアムは考えてみた。

 考えて、わからなかった。

 そしてウィリアムは決めた。わからないのなら仕方が無い、今やりたいことをしよう、と。

 そして思った。知らないから怖いのであって、だったら知れば良いのだ、と。

「フアナさ、あんま外出たこと無いだろ?」

 それは疑問ではなく、確認だった。そのニュアンスはフアナに正しく伝わり、驚かせた。

「どうしてわかったの?」

「いや、フアナは何ていうか…目立つ、からさ。なのにフアナの話を聞いたこと無かったから、そうなのかなって」

「目立つ? わたし?」

「うーん、まあ」

 ヒト前に出るのにわざわざあんな格好をする奴は目立つよ、と口にはしなかった。だが追求されても困るので、ウィリアムは窓から空を窺った。

「いい天気だしさ、昼前で街も賑やかんなってきてるはずだからきっと楽しいぜ」

「いい天気…、賑やか、楽しい…」

「そ。な、行ってみようぜ」

「……良いのではないかの」

 ウィリアムの言葉に僅かに心を動かしつつも決心しかねているフアナに、ミトが口を開いた。

「フアナ、臆することは無い。読書と同じじゃ」

「どくしょ?」

「そうじゃ。ドアの向こうには、本と同じように世界が広がっておる。じゃから外に出ることと読書をすることの違いは、体を動かすかどうかだけじゃよ」

「…読書と、同じ」

「好きじゃろう? 読書は」

「…うん、好き」

「…決まりか?」

 ミトの一風変わった説得を口を開けて聞いていたウィリアムも、フアナの気が乗ったのを感じた。

「うん、外…行きたい。でもわたし、街のこと、よく知らない」

「大丈夫、オレが案内してやるよ。じゃ行くか」

「うん」

 ウィリアムが立ち上がるとフアナも倣い、ミトを肩に乗せて彼の後に続いて部屋を出た。それがフアナの最初の1歩だった。



 恐らく彼女の新たな物語の最初の1行はこう書き出されるだろう、 ”それは、世界をまだ知らない赤ん坊の物語である” と。

 家を出れば、そこにはやはり活気に満ちた大通りがあった。軒を連ねた店々は賑わい、行き交うヒトたちは楽しそうに、或いは忙しそうにしている。太陽の光が石畳を、石壁を跳ね回っている。

 音や光の溢れる世界に尻込みするフアナの手をウィリアムは引く。

「王都の構成って知ってるか?」

「し、知らない」

「そっか。まず北区には王城があるんだ。王城前の広場から南に抜けるアルティネット通りがあって、それを横切る形であるこの大通りがエルデ通り。エルデ通りを境に南側が商業区で北側が居住区んなってる。アルティネット通りを境に東居住区と東商業区、西居住区と西商業区の4つに分かれてる。ここまでは大丈夫?」

「う、うん」

「よし、じゃあとりあえず広場に向かうか、今日は日曜日だからなんか催しやってるだろうし。あ、途中でなんか気になるものがあったら言えよ?」

「わ、わかった」

 フアナの手を引き歩きつつウィリアムは説明する。フアナはその姿に驚きを隠せない。フアナは椅子に座った状況でしか話したことが無く、歩くことだって家の中でしかしたことが無い。だから歩くということと向かってくるヒトやそこかしこにある障害物を避けること、そして話をすることの3つを同時に行うウィリアムが、フアナには信じられなかった。

 きょろきょろ。おどおど。どぎまぎ。

 フアナの感情が大きく揺さぶられていることを、その肩にのるミトは感じ取っていた。だがミトにそれをどうこうするつもりは、今のところ無かった。それが決して悪いことではないというのももちろんだが、それはミトのウィリアムに対する信頼の顕れでもあった。

 そして広場に着くと同時に、フアナはへたりこんでしまった。

 ウィリアムはベンチにフアナを座らせると良く冷えた水を1瓶買って渡した。

「大丈夫かフアナ?」

「う、うん…平気」

「疲れたのじゃろう。今まで家から一歩も出たことが無かったのじゃ、無理も無い」

「ヒト、いっぱい…。音も、光も、」

「あー、いきなりはつらかったか…?」

「ううん、なんか…すごく、どきどきする」

「どきどきする?」

 瓶を握り締めるフアナの表情は明るい。頬の血色も良く、瞳もきらきらと輝いている。となれば、この子供のような語彙力しか持たない娘の言わんとすることは。

「そりゃ良かった」

「?」

「フアナのそれは、きっと”楽しい”だよ」

「楽しい…」

 きょとんとした表情、しかしすぐにその言葉の意味を味わうように口の中で転がす。そして飲み下した後、胸に広がるのは不思議な熱。

 そうか、これがそうなんだ。

「うん、楽しい」

 今まで名前の無かった感覚に、ようやっと名前が付いた。すると不思議なことに、世界がより一層輝いて見えた。

「楽しい、これ好き」

「おう、オレも楽しいことは大好きだ」

「うん」

「よし、じゃあもう少しここで休んでよう。出店のおっちゃんの話だと12時から大道芸が始まるらしいからそれ見ようぜ」

「だいどうげい、わたし初めて」

「おう、今日は初めてのこといっぱいするからな」

「うんっ」



 広場の中心で芸が始まるとウィリアムはフアナの手を引き、なるだけ前の方に連れて行く。フアナは一つ一つの芸に瞳を輝かせて喜んだ。観客が感動を拍手で示していると知り誰よりも一生懸命に叩いているように、ウィリアムには見えた。ショーの最後に盛大に舞い上がった花びらの美しさに見ほれるフアナは無邪気そのものだった。

「ほい」

「?」

「プレゼント」

ウィリアムはひらひらと舞うその1ひらを手のひらに巧く掴むとフアナに差し出す。フアナはそれを嬉しそうに受け取る。

「…ありがとう、ウィル」

「どういたしまして」

「ぶえっっくしょい!!」

「うお!?」

 2人の間に流れる柔らかな空気を吹き飛ばすような盛大なくしゃみが、フアナの肩に乗るミトの口から放たれた。

「お、脅かすなぁ!!」

「あー、許せ。このひらひらと舞う花びらが悪いのじゃ」

どうやらミトの鼻の上に花びらが乗ってしまい、それが痒かったらしい。唸りながら前足で鼻をこするミトの頭をフアナが撫でている。

 ふと、疑問に思う。

「なあ、何でお前の猫なの?」

「何故、とは?」

「いやだって、何にでもなれるのにどうして猫を選んだのかな、と。もっと言うなら別に実体化しなくても良いんじゃないかな、と」

「フアナが初めて外に出るというに、わしが居らんわけにはいかんじゃろう」

「いやだか…、ああ」

 つまり実体化しているのはフアナに、ミトがそこにいることをわかりやすく示すためか。とウィリアムは納得した。

「じゃあ、なんで猫?」

「猫、かわいい。みゃあ、て鳴く」

「…そうか、フアナ猫好きか」

「うん」

 でもその猫みゃあって鳴かないと思うぞ、とは言わない方が良いのだろうか。

「とまあ、こういうことじゃ」

「お前案外いいヤツだな」

「ばか者、わしはどこからどこまでもいいヤツじゃ」

「ばか野郎、いいヤツは自分で自分をいいヤツとは言わねえよ」

「何をわっぱ!」

「やんのか猫ぉ!」

 声を荒げる1人と1匹をまるっと無視してフアナはきょろきょろと視線を移していた。そしてある1つが彼女の興味を強く引いた。

「ウィル、ウィル、」

「おう、どうした?」

「あれ、何?」

「あれ?」

ウィリアムはフアナの指差す先を見やる。その先にあるものといえば、屋根の上に建つ鐘楼。

「教会の鐘か?」

「きょうかい? かね?」

「教会、ファリエに祈りを捧ぐ場所だったり、神父が街の子供たちに勉強を教えたりする場所だよ。あの鐘は朝の9時と夕方6時に毎日鳴るんだ。街のどこからでも聞こえるからフアナも聞いたことあるはずだぜ」

「9時と6時…、あのきれいな音のこと? あれが、あの音を出しているの?」

「そ。後は聖誕祭だとか結婚式が有ったりすると時間関係無しに鳴ったりもするな」

「あれが鐘…、あれは、鐘の音だった…」

「…行って見るか?」

 遠目に見える鐘を熱心に見つめるフアナに、ウィリアムは提案した。

「良いの?」

「もちろん、今日はフアナの行きたい所に行く日で、オレはその手助けをするために居るんだから」

「…行きたい、あれの近く。連れて行って、くれる?」

「よし来た任せろ」

 ウィリアムはフアナの手を取り、東居住区の一角へ歩き出す。目指す教会に居る人物には決して良い思いはしなかったが、心弾ませるフアナを思えば取るに足らないことだった。

2017年03月12日、誤字修正

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