フアナのお仕事(後編)
「えっと、始めるって…?」
「ご注文は?」
「へ?」
「ちょいちょいちょいちょい」
事態をまったく理解していない客の娘に構わず話を進めようとするフアナに待ったを掛ける。振り向き首を傾げるフアナにウィリアムは頭を抱える。こいつ、話の進め方を全然知らない。
「フアナあのな? たぶんその嬢ちゃんなんもわかってないから」
「? どういうこと?」
「ここがどういう所で、フアナがどういうヒトで、嬢ちゃん自身はどうしてここに居るのかってこととか」
昨日のオレがそうだったろ?と問うと、少しばかり考えてから頷いた。そして娘に向き直って尋ねる。
「説明、したほうがいい?」
「えと、はい…。お願いします…」
娘はフアナのマイペースぶりに戸惑いながらも答える。ちらりと横を見るとウィリアムがすまなそうに苦笑しているし、フアナの方もマイペースでずれているところは有るようだが、どちらも悪いヒトではないらしい、と強張っていた肩から力を抜いた。
娘に拙いながらも言葉を重ねるフアナを見て、ウィリアムは考える。
言葉が不自由なわけじゃない。口下手というのも少し違う。ならこの言葉のぎこちなさはいったい? …否、ぎこちないのは言葉じゃなくて会話か? それにこの年齢に不釣合いな幼さは?
フアナをじっと見つめる、といっても見えるのはすっぽりと被ったフードから僅かに覗く口許のみ。その口許も、ミトに代わりにしゃべらせているから動くことは無い。そいうえば昨日も全然動いてなかった、あまり表情に出るタイプじゃないのか?
知りたい。
ウィリアムは特別好奇心が旺盛なわけではない。だが彼が持つ元来の面倒見の良さがフアナを放っておけないのだ。フアナの持つ危うさのような、歪さのようなものを。
「あなたには、どうしても叶えたい望みが有るんだと思う。わたしは、わたしに出来る形でそれを叶える」
「どうしても、叶えたい…。有ります、望み。でも、あたしお金持ってなくて」
思考が一段落すると、何やら切実な単語が聞こえてきた。そうだ、仮にもここは店なのだから仕事に対する報酬が必要になる。この嬢ちゃん、10歳前後だろうにしっかりしてやがる。ウィリアムは昨夜の己の迂闊さを恥じた。
フアナはしかし、首を振った。
「ううん、お金はいらない」
「え? でも、」
「でも、報酬はもらう。あなたの、好きなもの」
「あたしの好きなもの?」
「そう。あなたの好きなもの、お気に入りのもの。くれなくても良い。それがどういうものか、わたしに教えてくれるだけでも、良い。それが、報酬」
好きなもの、それが報酬。ウィリアムと娘の頭上に疑問符が浮かぶ。いったいどうしてそんなものをと。
ウィリアムは部屋を見渡す。昨夜は暗くて良く見えていなかったが、この部屋には雑多な物々で溢れている。本棚に納まりきらない量の本、美しいガラス細工や工芸品、何かの絵や地図、タペストリーが在ると思えば石ころや木の実、瓶のふたのような一見ごみに思える物まで。
「なあフアナ、」
「なに、ウィリアム?」
「…ここに在るのって、全部その報酬、か?」
「うん、そう」
「…そっか。どんなヒトだった?そうだな、たとえばその地図をもらったヒトとか」
「このヒトは、いつか世界中を旅したいって言ってた。そのヒトの奥さんは妊娠してて、でもお腹の赤ちゃんも奥さんも元気じゃなくて、それでわたしのところに連れてこられたの。この地図はそのヒトが描いたんだって。もう世界中を旅することは出来ないし昔ほどそうしたいとも思わなくなったけど、それでもまだ憧れは有って、だから世界地図は憧れの象徴で宝物。自分が持ってるのは古臭いから新しいのを描いたんだ、て言ってこれをくれたの」
両腕で軽く広げられる程度の大きさの世界地図は、地形や地名が詳細に描かれている。強い思いが込められたその品を指先でそっと撫でながら、フアナは語る。その姿を見ただけで、その言葉を聴いただけでわかった。大切なのだ。その地図やそこに込められた思いは、既にフアナにとっても宝物なのだ。おそらくここに在るもの全てがそうで、聞けばどの品はどのようなヒトからどのような経緯でもらったか全て答えられるのだろう。
娘もそれを見て、フアナのひととなりを知れた気がして安心した。そういうことならと、娘がポケットを探って取り出した物は、一本の赤いリボンだった。
「これは?」
「おばあちゃんにもらったんです。あたし、毎朝おばあちゃんにこのリボンで髪を結ってもらってたんだけど、おばあちゃん病気になっちゃって、最近はしてもらえてないんです。魔女さんにこれをあげます。だからおばあちゃんを元気にしてください」
そうか、あの時家から出てきた男は医者だったのか。あの様子を見る限りじゃああまり良い病状とは言えなさそうだけど、フアナはいったいどうするんだろう。
「…うん、がんばるね」
フアナの答えに娘は大いに喜び、ウィリアムは驚愕した。まだどんな容態なのかもわからないのに安請け合いして良いのか。そんな心配を知ってか知らずかフアナは2人を待たせて隣の部屋へ行ってしまった。ものの1、2分でフアナは小さな鍋と小箱を持って戻ってきて、それをテーブルの上に置くとまた部屋を出て今度はオイルランプと三脚を持って戻ってくる。
「フアナ、何するんだ?」
「お薬を作るの」
「お薬、ですか? でもお医者さまは、」
「うん、これはちょっと特別。あなたのおばあさんにだけ効くお薬。条件が揃ってる今回だけ作れる」
「…なんか手伝うか?」
「あ、あたしもっ」
「…うん、じゃああなたは水差しにお水を汲んできて。ウィリアムはランプの火をつけて」
2人に指示を出すと、フアナは小箱を開けて中からいくつかの小瓶を吟味しながら取り出した。中には液体や粉末が入っていて、取り出す度にちゃぷり、さらりと揺れ動く。2人の作業はすぐに終わり、フアナが小瓶を吟味する姿をじっと見守る。やがて準備が整うと、フアナは小箱の中から取り出した小鉢に縁のぎりぎりまで水を張り、娘に差し出す。
「縁を指でなぞって。こぼさないようにね」
「は、はいっ」
娘はそうっと縁に触れる。その時点で指に水が触れてしまい緊張が増したが、慎重に慎重に円を描いていく。やっと指が1周して指を離すとどっと息が漏れた。どうやら呼吸を忘れてしまっていたらしい。しかし娘が苦労して円を描いた小鉢を、フアナはひょいっと持ち上げる。あまりに軽々しい手つきに娘もウィリアムも目を剥くが、その小鉢から水がこぼれることはなかった。
フアナはその水を鍋に注ぐと鍋の下にランプを置いて、そこに迷いの無い手つきで次々と小瓶の中身を投入していく。分量を量っているようには見えないが、恐らく彼女の手は正確に、厳密に量っているのだろう。淀みなく動く手が全ての材料を入れ終えると、柄の長い匙で中をゆっくりとかき回し始める。やがて細く白い煙が鍋から立ち上り、それを更に数分かき回し続けてから匙を引き抜き、片手をかざす。
「癒しの精霊リィンよ、我が望みを掬い、汝の慈悲を垂れ給え」
言葉が終わると鍋の中身がぽわっと光ったが、ウィリアムはそれどころではなかった。フアナがミトの口ではなく、彼女自身の口で言葉を紡いだからだ。鍋の中に夢中の娘は気がつかなかったが、ウィリアムはそれに目を見開いた。あの声はやっぱりフアナの声だったのか、しゃべれないわけじゃないなら何であんな回りくどい方法でしゃべるんだ?
ウィリアムの驚愕や疑問に気づくことなく、フアナは光りの納まった鍋の中身を先ほどとは別の水差しに取り、他よりも一回り小さい小瓶に移した。透明の小瓶から透けて見える液体は水色がかっている。
「完成…ですか?」
「うん、完成」
その言葉は、再びミトの口から放たれた。いや、これは後で聞こう。ウィリアムは疑問を追いやり、フアナと娘のやり取りを見守る。
フアナは小瓶を揺らし中身を検めると、それを娘に手渡した。
「これを今日の夜、おばあさんに飲ませてあげて」
「今じゃだめなんですか?」
「うん。魔力は、月が出ているときが、一番強まるから。本当は、満月まで、待ったほうが良いんだけど、これだけ色が出てれば、大丈夫」
「魔力? 色?」
「今日の夜、月が出てから、飲ませてあげて。それで、元気になるから」
「は、はい! ありがとうございます!!」
「ここを出たら、今日はもう、入ってきちゃだめだよ」
「わかりました! あの、本当にありがとうございます!」
娘は小瓶を大事に握り締めると、店を後にした。きっと今頃は大通りに出て驚いていることだろう。後片付けをするフアナの後ろからウィリアムは問う。
「なあ、フアナ…」
「なに、ウィリアム?」
「…それってさ、どういう薬なんだ?」
ウィリアムは、寸でのところで質問を変えた。彼女が自分の口でしゃべらないことに理由が有るのは当然で、それはきっと容易く踏み込んで良いことではないと思ったからだ。
「これは、体の中の魔力を強める魔法薬」
「ごめん、さっぱり」
変えた質問が悪かった。さっぱりというウィリアムのために、フアナは考える仕種を見せてからゆっくりと、言葉を選びながら語りだす。
「魔力は一部のヒトしか持ってないって言われてるらしいけど、そうじゃない。魔力はみんな持ってる。魂っていうのは、放っておいたら体から抜けちゃうから魔力で蓋をしてるの。体に起きてる病ならお医者さんや他の魔法薬でも治せるけど、そうじゃないならこれじゃないと治らない」
「えーっと、つまり…」
「飼い鳥は逃げ出さんように籠に入れておくじゃろう。この魔法薬はその鳥籠の開閉口を修理するためのものじゃ」
「ああ、籠が体で開閉口が魔力で鳥が魂か。…急にしゃべんなミト!」
今までフアナの口代わりになっていたミトが自分の声で話し出した。何かを説明することが苦手なフアナのためのことだ。
「なんじゃ、やかましいわっぱじゃのう。わしの的確な助言のおかげでわかったじゃろう」
「いや、まあそうなんだけど…、ん? じゃあその薬で開閉口を治し続ければ、」
「お主は開閉口だけで鳥を飼うのか」
「…ああ、そうだよな」
如何に薬で魔力を強めたところで、体という器が壊れてしまえば魂を留めておくことは出来ない、ということだ。
「…なあ、この薬オレが飲んだらどうなんだ?」
「どうもならん。言うたじゃろう、この薬はあの娘の祖母にのみ効くのじゃと。何故かなどと聞くでないぞ、お主に説明するのは面倒じゃ」
「へいへい。フアナ、手伝うぜ」
ウィリアムは立ち上がって、洗い物を始めているフアナに歩み寄る。彼女はミトが話し出してから一言も話そうとしない。話しかけられてわたわたするくらいならしゃべってしまえば良いのに、とは言えなかった。だからウィリアムはフード越しに頭を撫でてやってから、まだ片されていないテーブルの上の小瓶を片せと背を押してやる。
ミトはゆらりと尻尾を揺らした。その琥珀の瞳は何かを見定めていたのだが、己の作業に集中する2人が気づくことは無かった。