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それが始まり

 この世界には3種類の種族がいる。1つは人間族、1つは人間の体に獣の耳や尻尾などを体の一部に持つ獣人族、そして1つは姿形を持たない精霊族。前の2つはヒトと呼ばれ、最後の1つは神とも呼ばれる。

 ここはヒトが手を取り合って生活する王国アルテア。その王都アルティネットにはある噂が流れている。

 大通りの一角にある喫茶店から裏道に入り、その裏道をある順番で進むと、名前の無い煤けた金色のネームプレートを掲げる飴色のドアが在る。そこで一人の人間の魔女が”魔法”を売っているという。その魔女は変わり者で、ヒトと顔を合わせることを厭ってか常に目深にマントのフードを被り、肩に乗せた猫が魔女の代わりに言葉を話すという。


「………で?」

「へ?」

「それだけ?」

「…そうだよ?」

 どうして?と首を傾げる妹メリルに、兄ウィリアムはがくりと項垂れた。

 アルティネットの酒場で給仕の仕事をする兄と、パン屋で売り子をする妹は辺りでも評判の良い兄妹だ。2人の両親は兄が9歳、妹が6歳の時に流行病で死んだ。以来10年間、周囲の大人や友人に助けられ、励まされながら、2人で支えあって生きてきた。

 そんなある日、パン屋が定休日のため暇なメリルが客から聞いた噂を、仕事の時間まで家でだらだらしているウィリアムに話していた。聞き終えて思ったことは、はあ、だった。

「ったく、聞け聞け言うから聞いたのに。魔女なんて珍しくもねえ、向かいのばあさんも魔女だっての」

「な、なによっ! だって面白いじゃない、猫がしゃべるのよ!?」

「その話でお前が食いついたのそこだけだろ、どうせ」

「うっ…、た、確かに一番気になるのはそこだけど」

 メリルは無類の猫好きである。今でこそしなくなったが、昔は猫を見つけるとどこまでも追いかけては迷子になっていた。

「名前の無いネームプレートとか、魔法を売る魔女とか、何それステキ! って、お兄ちゃんならないの!?」

「なんない、全然なんない。ていうか何だよ、魔法を売るって」

「さあ?」

「さあ?ってお前…。まあ良いや。その喋る猫とやらを探しに裏道に入って迷子になってもお兄ちゃんは助けに行きませんからね」

「なっ、あたしもうそんな子供じゃ、」

「じゃあオレ仕事行くから」

「ちょ、お兄ちゃん!!」

 ぱたん。

「んも~~~~~!!」



「んじゃ、お先失礼しやーっす」

「おう、また明日なウィル!」

 虎の獣人族の店主の声を背に、夜11時、ウィリアムは仕事場を後にした。ぐうっと体を伸ばしながら初秋の夜風を頬に受ける。道が暗い、今日は薄く雲が出て月も半分以上その姿を隠している。

 家路の途中、大通りを横切る。メリルが話していた噂の大通りだ。その大通りを向こうから走ってくる少年がいる。少年は通りに一軒だけある喫茶店の前で立ち止まった。

 こんな時間に何を?

「おい、ボウズ」

 ウィリアムは近隣の家の迷惑にならない程度に声を張った。少年は振り向く。見ると少年は10歳前後のようで、簡素なシャツとズボンを身に着けているが、靴を履いていなかった。

 少年は返事をすることなく、喫茶店の脇から裏道に入っていった。

「あ、おい!?」

 ウィリアムも追って裏道に入る。少年が角を曲がるのを見てウィリアムも曲がる。それを何度か繰り返し、舌打ちのひとつも打ちたくなりながらも次の角を曲がると、そこに少年の姿は無かった。

「くそっ、どこ行った?」

 その時、今まで閉まっていたはずのドアが僅かに開いた。

 きいっという音に身構えて、じっと観察する。ドアの色は判断できないが、その上部には名前のないネームプレートが。そして開いた隙間から、一匹の黒猫が出てきて、ウィリアムを見上げる。

「入って」

「………………は?」

「さあ」

 頭が真っ白になった。

 猫が、喋った。女の声だった。高くもなく、低くもない、年齢を感じさせない声だった。

 ドアの前で立ち止まって、こっちへ来いと尻尾を振る。ウィリアムが動き出すまで、ただじっと琥珀色の目で見つめている。

 喉が鳴った。ウィリアムの喉だ。のろのろとドアの方へと歩み寄り、猫が入ったドアをそっと開く。

「入って、ドアを閉めて」

 言われるままにドアを閉める。瞬間、部屋に明かりが灯る。テーブルの上の枝つきの燭台に立つ3本のろうそくの明かりだ。その傍には。

「うわっ」

暗い色のマントを羽織り、そのフードをすっぽりと被った女が立っていた。

 猫が軽やかにテーブルに乗ると両腕でその体を抱き上げ、己の肩に乗せる。

「どうぞ、座って」

「え…」

 いきなり座れと言われても、という戸惑いを見透かしたのかそうでないのか、言葉が続けられる。

「わたしの魔法が要るんでしょう?」

喋っているのは、やはり猫だ。

「ま、ほう…」

「うん、魔法。だからあなたは来た。違うの?」

「あんた…、魔女なのか?」

「うん」

「じゃあ、ここは噂の…?」

「さあ、どうだろう。わたし、噂とか疎いから。でも、ここはわたしのお店。お客さんに魔法を売る、わたしのお店」

 間違いない、ここはメリルが話していた、魔法を売る店で、この猫を肩に乗せて、猫にしゃべらせている女が、店主の魔女だ。

「ご注文は?」

「え? いや、オレは…」

 魔女が首を傾げる。

「ミトがあなたを連れてきた。あなたにはミトが見えた。だったら、あなたはお客さん」

「ミト? …あのボウズのことか?」

 一瞬の間の後、魔女はうなずく。そして未だに突っ立ったままのウィリアムに再び席を勧める。ウィリアムはおずおずと席に着くと魔女に問う。

「なあ、聞いてもいいか?」

「なに?」

「魔法を売るって、具体的にはどういう商売なんだ?」

「…お客さんの、今回はあなたの、望みを叶えるの、わたしの魔法で」

「望み?」

「そう。ミトは、どうしても叶えたい望みを持つヒトの前に現れて、わたしのもとに連れてくる。わたしはそのヒトの望みを、叶える。わたしに、出来る形で」

「そりゃあ…、またずいぶんな商売してんな」

「?」

「てことはあれか? そいつの望みが誰かを殺したいってんなら殺すのか? 大金持ちになって、地位も名誉も手に入れて良い暮らしがしたいってんならそうしてやんのか? オレが…、死んだ人間に会いたいって言ったらそうしてくれんのかよ!?」

 その時ウィリアムの胸を占めていたのは、とてつもない怒りだった。そんなこと出来るわけが無い、それを一番理解しているのは他ならぬウィリアムだ。否、引き合いに出した2つに関しては出来るかもしれない。それでもウィリアムの望みは決して叶わない、どんなに望んでも、叶いやしないのだ。それをこの魔女は簡単に、望みを叶えるなどと口にした。それがひどく、腹立たしかった。

 しかし彼の怒りを受けても、魔女はただ静かに座っていた。

「そんなことはしないし、出来ない」

そして、猫から紡がれる魔女の言葉もまた静かだった。

「それに、そんなヒトなら、ミトは連れてこない」

「…は?」

「ミトは、とても自分勝手。自分のしたいことだけをする。でも、誰かがそういうことをするのは、見るのも嫌なの」

「…けど、ここは望みを叶えるんだろ? だったら、」

「ここに来るヒトは、ミトが見えるヒト、ミトが連れてきても良いって思ったヒトだけ。ミトが好きなのは、誰かの幸せを、望んでるヒト」

「誰かの、幸せ…?」

「…いるんじゃないの? 幸せにしたいヒト。家族とか、恋人とか」

 ウィリアムの幾分か冷静になった頭に過ぎったのは、妹メリルの姿。しかし。

「いや?」

「え?」

「家族は…妹しかいないけど、あいつはきっと放っといても幸せになるし、恋人なんかいないし、特には」

「………」

「………」

「……どういうこと?」

「オレが聞きたい」

 こてりと首を傾げる魔女に、がくりと項垂れた。ふと既視感を覚えて魔女に問う。

「なあ、あんたいくつ?」

「? わたしは1人」

「んなもん見りゃわかるわ。いやじゃなくて、あんたの年だよ、年齢。あ、オレは19ね」

「年齢、…17」

 17歳、メリルの1つ上。しかしどこか拙い口調や、今の的外れな答えを聞く限りではメリルよりも幼く思えなくも無い。

「じゃあ名前は? オレはウィリアム」

「名前、フアナ」

「そか…、よろしく」

「? うん」

無邪気な様子でこくりとうなずく魔女フアナは、やはり幼く見える。

 ウィリアムの中に、何やら奇妙な感覚が生まれた。

「あー、じゃあさフアナ」

「なに?」

「ここは客の望みを叶える店で、フアナはそれが仕事で、オレはフアナの客…なわけだよな?」

「うん」

「でも今オレにはフアナに叶えて欲しい望みは無いんだわ」

「…うん」

「んな顔すんなって、また来るから」

「…え?」

「叶えて欲しい望み、見つけるから。んで見つけたら、フアナに叶えてもらう、から」

「また、来る…?」

「…ダメか?」

 フアナは俯いてしまった。迷惑だったろうか、仕事とは言え望みを叶えてもらうために会いに来るというのは厚かましかったろうか。彼女の戸惑いが伝わってきて焦る。

「あ、あの、フアナ? 無理だったらそれでも、」

「ううん」

「…へ?」

「初めて」

「初めて?」

「初めて、言われた。また、来る、て…。それがとても、嫌じゃない」

「嫌じゃない? 嬉しいってことか?」

「…嬉しい、そっか…。うん…、嬉しい」

 噛み締めるように伝えられた、嬉しいという感情。ウィリアムは頬が熱くなるのを自覚した。これほどの面映さを覚えたのは初めてだった。

 これ以上ここに居るのは良くない気がする。ウィリアムは慌てて立ち上がった。

「そ、それじゃあオレ、今日んところは帰るわ。…あ、フアナ」

「なに?」

「大通りまでの道、わかんねえ」

「それは大丈夫。ここを出れば、すぐ大通りだから」

「ここ…て、この部屋か?」

「そう」

「オレ、またここ来れるか?」

「大通りの喫茶店の横に、ミトが居るから、ついて来れば大丈夫」

「そか…、じゃあフアナ、またな」

「また…?」

「…また会いたいやつと別れる時はそう言うんだ。ほら、フアナも」

「…またね、ウィリアム」

「…おう」

 ウィリアムは不思議な感覚を胸に抱いたままドアを潜った。するとフアナの言ったとおり大通りに出た。どうやら大通りにある喫茶店のドアはフアナの店のドアと繋がっているらしい。とはいえ、このドアを潜ったところでフアナの店に行けないことは、日中この店が繁盛していることが証明になる。

 予定よりずいぶん遅くなったが、ウィリアムは家路を急いだ。雲はもう晴れて、道は明るい。今日はなんだか、良く眠れそうだった。



「また、ね…だって」

 ドアの向こうに消えた彼が教えた言葉を紡いだのは、フードから覗く唇。彼女は猫をテーブルに降ろすとフードを外す。肩口までの茶髪と同じ色の瞳がそこにはあった。

「また、来てくれると良いな、ウィリアム。ね、ミト」

フアナは黒猫を撫でながら、味わったことの無い感情に胸を躍らせていた。

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