やさいのたね
春が来ない。それが、一大事なのだ。ま、僕にはそんなことどうでもいいけれど。いや、僕だけじゃない。大事なのは、王様からの褒美だ。
「冬の女王と春の女王を交代させれば、王さまからのほうびがもらえるんだって!」
僕の住む、小さな貧しい田舎町では、その話で持ちきりだった。といっても、この町の住人は王様の顔なんて見たことないし、王様がどんな暮らしをしているのかも知らない。そもそも、王都とか、城下町がどんなものかも知らない。それほどまでに、貧しく、王都からも離れている。
「いったい、どんなものがもらえるんだろう。お兄ちゃんは何がもらえると思う?」
牛舎を掃除しながら、弟が期待に満ちた顔で聞いてきた。
「わからないよ。多分、宝石とか、お金とか、凄く豪華なものじゃないかな。それこそ、僕らでは見たこともないような」
「お金に、宝石……。それが、あればお母さんの病気もなおるかなぁ」
弟のその言葉に僕は答えられなかった。僕たちのお母さんは、生まれつき身体が弱く、今ではたくさんの病気を持っている。最低限の薬は持っているが、あくまで最低限で、薬なんて僕たち家族には手が出せない額だ。なにより今年は、冬の女王が塔にこもっているせいで、冬が長い。寒さも厳しく、雪がどんどんつもり、池の水は氷り、この間なんか吹雪にもなった。その、寒さのせいで、お母さんの体調はいつもより悪い。雪のせいで薬も買いに行けず、いつもくる薬屋さんも来ない状況だ。それでも、お父さんが狩猟の帰りにどうにか貰ってくる薬でお母さんの身体は持っていた。
「そんなことより、はやく終わらせちゃおう。今日はきっと、お父さん帰ってくるよ」
「ほんと!? ぼく、がんばる!」
嬉しいのか、満面の笑みで笑う弟。いつもより、テキパキと仕事をやりはじめた。お父さんが帰ってくる。確かにそれは、嬉しいことだけど、ここ最近ますます寒くなっている。それを見越して、いつもより早く帰ってくることは、僕にはわかっている。それから、しばらくは家にいて牛の世話をする。お父さんの狩猟はお金にもなるし、お肉が食卓にあがる。しばらくそれがなくなると思うと、僕は弟みたいに純粋に喜ぶことが出来なかった。
牛の世話を終え、家に戻るといい匂いが漂ってきた。
「2人とも、お疲れ様」
台所に、寝巻き姿でたつお母さん。
「お母さん!!」
そんなお母さんの姿をみて、弟がお母さんに飛びついた。
「あらあら、甘えん坊さんね」
お母さんは弟を抱きしめ、頭を撫でる。寝巻きの袖から見えた手首が、前より細くなっている気がした。全体的に、前よりやつれている気がした。
「お母さん、寝てなくて大丈夫なの?」
お母さんは、にっこりと微笑んだ。
「今日はきっと、お父さんが帰ってくるでしょ? それなのに、寝てなんていられないよ。疲れているだろうから、美味しいものをたくさん作ってあげないとね」
「そう……。なら、手伝うよ」
僕は、お母さんに寝てろとは、言えなかった。お母さんが、あまりにも、嬉しそうに笑うから。僕には、隣に並んで、少しでも負担を減らそうと手伝うことしかできない。かといって、弟のように、無邪気に甘えることも出来なかった。大きくなると、色んなことを知る。そのせいか、僕は前より感情の出し方が下手になっていた。
「お母さん、お母さん。お母さんは、王さまのほうびは何だと思う?」
芋の皮を剥くお母さんにまとわりつく弟。僕もお母さんと一緒に芋の皮を剥く。お母さんは、にこにこしているけど、明らかに弟が邪魔をしている。もちろん、弟にその気はなくて、お母さんと一緒にいたいだけなんだけど。
「そうねぇ、お母さんは野菜の種がいいかな。それもたくさんの」
「やさいのたね?」
「そう。野菜の種。その種を庭に埋めて、畑を作るの。これなら、いつでも新鮮なものが食べられるでしょ?」
「そっかー! ぼくも、やさいのたねがいい!」
僕も野菜の種がいい。そう思ったけど、口には出さなかった。別に芋と豆しかなくても、僕はそれでよかった。お母さんとお父さんと弟がいれば。それに、僕たちがこんな話をしている間にも、どこかの誰かは冬の女王の塔に向かっているんだろう。そして、そいつは王様から褒美をもらう。もとから、裕福にも関わらず。だから、こんな話に興味をもっても無駄なのだ。叶いっこないんだから。それを知ってか、この町からは誰も女王のところには行っていない。弟も褒美の話はするけど、冬の女王のところに行こうとは言ったことがない。多分、本能的にわかっているんだろう。無理だということを。何より、家を空けている間にお母さんになにかあったら嫌だ。
少し残っていた野菜を切り、芋と野菜と豆のスープを作る。ほかにも、芋のふかしたものや、芋を焼いたもの。豆を煮たものと、この間買ったかたいパン。夕食の準備を着々と進めていくと、寒い空気が入ってきた。
「帰ったぞー」
その声と同時に玄関の閉まる音。
「お父さんだ!」
ぱぁっと笑顔になり、弟が駆け出した。
「おー、元気だな。ほら、鹿狩ってきたぞ」
「わー! すごい! ぼくがもつ!」
弟がすでに燻製になった鹿の一部を重たそうに持ってきた。
「おかえりなさい」
お母さんが笑顔でお父さんを出迎える。
「ただいま。外は寒いぞー」
お父さん、家を出た時よりやつれた気がする。服についているはずの雪は、家に入る前に落としたのか、殆どついていない。
「暖かいスープが出来ていますよ」
お父さんから、コートや帽子を受け取るお母さん。
「そうか。それは、ありがたい」
にこっと笑い、自分の椅子に座るお父さん。
「そうだ。イチも頑張ったんだ。褒めてあげてくれ」
お父さんに寄り添うように、犬がいる。我が家の愛犬イチだ。大人しく、頭が良く、お父さんの狩りのパートナー。イチにも雪はついていない。
「イチ、えらいねー!」
真っ先に弟がイチに抱きつく。イチの尻尾が動く。
僕が家族分の暖かいお茶をいれ、久々に家族揃った夕食となった。イチは、いつのまにかお父さんの足元からはなれ、自分のベッドですやすやと眠っていた。たくさんの話がつきなかった。お父さんがいなかったときのこと、お父さんの話。笑顔に溢れていた。こういうのも、幸せって言うんだと思う。僕はこんな日がずっと続けばいいと思っていた。
穏やかな数日が過ぎた。外は益々寒さを増していた。そんなある日、お母さんの体調が急激に悪くなった。
「隣町までいって、薬を買ってくる」
お父さんは、そう言って、イチをつれて雪の降る中外に出た。弟は、お母さんの横で声をあげて泣いていた。僕は、泣き顔を見られたくなくて、牛舎にこもった。もちろん、牛の世話をしながら。
「お母さん、大丈夫かな……」
涙が止まらなかった。それから、僕はお母さんのそばを離れない弟の分まで牛の世話をした。イチの声が聞こえないか、ずっと聞いていたが、何日もイチの声はしなかった。
日をますごとに雪は深くなり、気温も下がる。お母さんの体調は益々悪くなり、ついには高熱が出た。
「お母さん……」
弟が泣きながら、お母さんの手を握る。お母さんは、にっこりと笑う。僕は、熱が下がるようにと、水で濡らしたタオルをお母さんの額に乗せた。それを繰り返しおこなっていたら、手が、しもやけになった。
「ありがとう」
お母さん、笑っていた。僕の手を握り、申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんね、痛いよね。お母さんのせいで、こんな手になって。お父さんに、しもやけの薬も買ってきてもらわないとね」
弱々しく笑い、僕の手を握りながら眠りについた。お母さんは、二度と起きなかった。お父さんがイチと薬を持って帰ってきたときには、もう手遅れだった。
「うわぁあああん!」
弟の泣き叫ぶ声が響いていた。
弟はお母さんのそばを離れなかった。お父さんは椅子に座り、うなだれていた。イチは、寂しそうにくんくんと鼻をならしていた。まるで、家の中から、光が消えたみたいに、静まり返っていた。僕は、泣けなかった。でも、ずっと考えていた。もし、この冬が長引かなければ、お母さんは死ななかったんじゃないかって。こんなに雪が深くなければ、薬だって……。
ある寒い早朝のこと、まだ日が昇っていない朝だ。あたりは、暗くなんの音もしない。そんな中、僕はそっと玄関を開けた。冷たい風が家に入って来る。外に出て、急いで玄関を閉めようとすると、目にとびこんでくるものがあった。
「お兄ちゃん、ぼくもいく」
真っ赤に腫れ上がった目。鼻も赤く、今にも泣き出しそうな顔をしているのに、弟がパジャマのまま立っていた。
「だめ」
「いく!」
「だめ!!」
声が段々と大きくなる。このまま、弟を家に残してドアを閉めればいいのに。僕はそれが出来なかった。泣くのを必死で我慢している弟の気持ちがわかるから。
「……わかった。はやく着替えてきて。ちゃんと待ってるから」
ため息をつき、一旦玄関をしめ、家の中に戻る。弟は、ぱぁっと笑顔になった。
弟が、出かける準備をしている最中、僕はお父さんに置き手紙を書いた。僕だけならまだしも、弟もいなくなるなんて、お父さんが心配してしまう。本当に、短い一文だけど。
その後、弟を待つが、遅い。中々来ない。しかも、弟の行った先で物音がする。
「まさか……」
お父さんに気づかれたんじゃ。僕は忍び足で音のする方に向かった。そこには、準備を終えた弟と、イチがいた。イチが、弟の行く道の前に座っていた。イチは、吠えるでもなく、ただじっと見ていた。
「イチ」
僕が小声で呼びかけると、ぴくっと耳が動く。立ち上がり、僕の前に来て、伏せをした。
「イチ、ごめん。僕たち、行かなきゃいけないんだ。イチは、お父さんのそばにいて」
そっとイチの頭を撫でる。お父さん、いつものお父さんなら、僕たちが外に行くことに気づくはず。この場にお父さんがいないということは、お母さんのことでいっぱいになり、気づいていないんだろう。
イチが、くんと鼻をならし、僕の手に擦り寄る。イチは、寂しそうな顔をしているようにも見えた。
「イチ、ぼくもいくから」
泣きそうな顔で弟がイチに抱きつく。弟がイチから離れ、僕と弟は玄関に向かう。外に出て、家の中が見えなくなるまで、イチはその場を動かなかった。
外は寒かった。まだ、はやい時間だというのに、空が明るくなって来ている。この時期は太陽が1番顔を出している時期だ。それなのに、雪雲はそんな太陽を隠してしまう。僕と弟はしっかり手を繋ぎ、雪の中を歩いた。雪が深いせいか、弟が何度も転びそうになる。弟は転ぶたびに泣きそうになっていたが、ぐっと堪えていた。
「冬の女王さまは、どこにいるんだろう」
弟が、ふと呟いた。そうだった。僕も弟もどこにいるか、まったくわからない。この町から出たこともない。多分、森の中だろうとは、思っているけれど、僕たちは、町を出たところで、途方にくれていた。ぐー、と弟のお腹がなった。
「おっと、子供2人がこんなところでどうしたんだい?」
暫く途方にくれていると、一台の馬車が止まった。馬車を運転しているおじさんが僕たちに問うた。
「おじさん、冬の女王さまが、どこにいるか知らない?」
少し警戒している僕とは違い、弟は、お腹を鳴らしながら聞いた。
「冬の女王だぁ!? 何だ、お前達もか! 俺もちょうど行こうと思ってたんだよ! 後ろの荷馬車におのりよ。人数は多い方が女王を動かせるかもしれないからな!」
大きな口をあけて笑うおじさん。ぱぁああと、笑顔になる弟。僕はそんな弟の手をぎゅっと握った。
「なに、心配するな。飯だってちゃんとある。こんなところで、立ちんぼしているよりは、いいと思うぞ」
確かにそうだ。弟が僕を見る。僕はため息をつく。
「お願いします」
「よし! そうと決まれば乗り込めい!」
「やったー!!」
弟が歓声をあげる。僕と弟は、見知らぬおじさんの馬車に乗り込んだ。
見知らぬおじさんは親切だった。僕たちにご飯をくれ、夜は寒いからと宿をとってくれた。そとあとは、再び馬車に乗り込み、冬の女王がいる場所を目指す。
「旅は道連れだなー!」
大きな口をあけて笑うおじさん。声も大きい。
「おじさんは、どんなほうびが欲しいの? ぼくたちはね、やさいのたね!」
弟は相変わらず王様からもらう褒美の話をしていた。その話を聞くたびに、おじさんは、まるでバカにしたように声をあげて笑った。
「野菜の種だぁ!? そんなもの、どうすんだよ! 俺はなぁ、もっとすごいものをもらうぜ!?」
「へー! すごいもの!」
おじさんと褒美の話をしている間は、弟は楽しそうだった。おじさんも、いい人そうで、僕も少し気を許してしまった。
おじさんの馬車のおかげで、僕たちはあっというまに、冬の女王がいるという森につい
た。深い森で、おじさんは、冬の女王のいる場所を事前に調べたと言っていた。
「ただ、さすがに馬は無理だなぁ」
森の前でおじさんがぼやく。僕と弟は、おじさんに促されるまま馬車を降りた。
「ほら、あれが冬の女王がいる塔だ。もっと人がいると思ったが、見当たらねぇな」
おじさんは、きょろきょろと辺りを見渡した。確かに人の姿は見えない。すでに、誰かが成功したか、それとも、皆失敗して諦めたか……。僕の隣で弟が転んだ。
「ははは、ここは他の場所より雪が深いかな! ほら、あっちを歩こうぜぃ。皆、あっち歩いてるみたいだな。足跡がいっぱいあらぁ」
転んだ弟を見て、おじさんが笑った。おじさんは、顎でその場所をしめした。その示したところには、、たくさんの足跡。その足跡が道になっていた。僕たちは、そこに移動する。雪が踏みかためてあるため、凄く歩きやすい。おじさんを先頭に、塔まで歩く。塔が目の前に迫ったとき、おじさんは突然足を止めた。横から覗くと、おじさんの前に扉があった。
「おじさん?」
声をかける。おじさんは突然笑い出した。
「おじさん、どうしたの?」
「いや、ちょっとあることに気づいちまってな」
おじさんは、ゆっくりと僕たちの方を向いた。おじさんは、笑っていた。
「悪いが、俺は褒美を誰にも渡したくねぇんでね!」
おじさんは、手にナイフを持っていた。
「え……?」
おじさんの顔が悪魔みたいに見えた。おじさんは、ナイフを僕たちに振り下ろした。あまりにも突然なことで、僕は動くことが出来なかった。
「お兄ちゃん!」
「わっ!?」
スローモーションのように振り下ろされるナイフを見ていたら、弟にひっぱられ、雪の上に崩れ落ちた。
「ちっ!! 待て!!」
ナイフは僕に当たらず、僕たちはおじさんを交わす。脇をすり抜け、扉へと手をかけた。
「お兄ちゃん!!」
弟の服がおじさんに掴まれた。再び振り下ろされるナイフ。僕は雪玉をおじさんの顔めがけて投げた。
「くそっ! この、やろう!!」
おじさんの悪態が響く中、僕はもう一発雪玉をお見舞いする。おじさんの悪態が止まる。僕たちは、なだれ込むように塔の中へと入った。
塔の中はしんとしていた。冬の女王がいるからなのか、空気も張りつめていて、ところどころにつららがある。すぐそばに塔の壁にそって上へ伸びている階段がある。弟を見ると、泣きそうになっていた。そうだ。僕たちは、あのおじさんに殺されかけたのだ。
「急ごう!」
弟の手をひき、階段をかけあがる。急がなければ、あの男が追ってくる。寒いのに、汗が噴き出してくる。息はきれ、脇腹が痛い。
1番上は、屋根みたいのがあって、その屋根に天井裏に続くようなドアがある。僕は、そのドアを持ち上げる。鍵はかかかってないみたいだけど、重たい。
「ぼくも、やる!」
弟の力が加わり、ドアが動いた。僕たちは、よじ登るように、ドアをくぐった。ドアを離すと、音を立てて、ドアが閉まった。僕も弟も、その場に座り込んだ。脇腹が限界で、腕も足も痛い。息も苦しく、暑い。
「だ、誰!?」
りんとした声が降ってきた。顔をあげると、銀色のキラキラ輝くドレスに身を包んだ銀髪の女の人。すごく綺麗な人。雪のように白い肌。この人が、冬の女王?
「冬の女王さま?」
弟が問うた。冬の女王は、どこか怖がっているようにも見えたが、小さく頷いた。
「何で、とじこもってるの?」
弟が、いきなり確信に触れる質問をした。冬の女王は、びくっとし、目が泳いだ。僕たちと、目を合わせまいとする女王。一体、この人は、どんな理由があって、冬を長引かせているのか。冬が長引いたせいで、お母さんは死んだ。僕たちだって、殺されかけた。僕は、この目の前でおどおどしている冬の女王が、突然憎らしくなった。
「えっと……あの、閉じこもるつもりは、なかったの」
暫く沈黙が続いたあと、やっと冬の女王が口を開いた。
「あの、最初は、怪我をしている人を見つけて、その人の手当てをするために、塔にいたの。これは、春の女王も知っているわ。怪我が治ったら、交代しようと思ったのよ? そしたら、その人が、塔を出るときには、たくさんの人が塔にいて、怖い人たちで、毎日溢れていて……、私、怖くなって、外に行けなくなったの……。ごめんなさい」
うなだれる冬の女王。まさか、そんな理由で? 怪我人を助けて、そしたら、意味がわからない。怖い? そんな、くだらない理由で僕のお母さんは死んだの?
「ふざけるな!!」
僕は、大声を出していた。感情が、溢れて溢れて止まらなくなった。
「そんな、理由で? そんな、理由でお母さんは、苦しんだの? あんたの、勝手な行動でお母さんは、死んだの? そんなの、あんたが殺したようなものじゃないか!! あんたが、ちゃんと交代していれば、お母さんは、死ななかった!」
胸が苦しくなる。お母さん、お母さん。お母さんに、会いたい。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
冬の女王は、震えながらしゃがみこみ、うつむきながら、謝っていた。何度も、何度も。それでも、僕は……。
「冬の女王さま、ぼくたちが来たときには誰もいなかったよ。ぼくたちと、いっしょに塔をでようよ」
重い空気の中、弟が冬の女王の手を取り、そう言った。冬の女王は、顔をあげる。
「ぼくたち、帰らないとならないし。お父さんが心配する」
弟が笑う。僕は何だか胸が熱くなった。冬の女王は、小さく頷いた。
塔を出るとき、僕は弟の手を握り、弟は冬の女王の手を握っていた。冬の女王は、時折何かを呟きながら、弟にひっぱられるようについてくる。これで、やっと冬が終わるんだ。
塔の扉を、開けた瞬間頭に痛みが走った。くらくらとし、目に血が入る。
「お兄ちゃん!!」
弟の声が遠くから聞こえた。痛む頭を抑え、前を見ると、あのおじさんが血のついた石を持っていた。石が振り上げられ、僕は再び痛みを感じる。弟の叫び声と、冬の女王の声、それに遠くから聞こえる犬の声。僕はそれを最後に、雪の冷たさもわからなくなった。
目が覚めた時、馬車に揺られていた。目の前には、弟とお父さんの顔。
「お、お父さん……?」
何故、ここにお父さんが? そう声をかけると、僕はお父さんに強く抱きしめられ、弟は泣き出した。
「お父さん……?」
「良かった。お前までいなくならったら、と考えたら……」
お父さんの声は涙声だった。
「心配かけて、ごめんなさい……。それより、何でお父さんがここにいるの? 冬の女王は?」
僕は、お父さんに支えられながら体を起こした。殴られたところを触って見ると、包帯がしてある。弟が僕に抱きついてきた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!!」
「うわっ、鼻水つくだろ!」
「だってぇ」
弟の顔はぐちゃぐちゃだった。
「お前たちと一緒にいた人が冬の女王なら、春の女王と交代したよ。お父さんは、お前たちがいなくなって、ご近所から馬をかりてイチに導かられるように来たんだ。お前を殴った男は、馬車を運転してるよ。自分の馬とご近所の馬にひかせて。どうやら、イチが怖いらしく、変な気を起こさないように隣にイチをいかせてある」
「そうなんだ」
あの時、聞いた声はイチの声だったんだ。
「あれ……?」
お父さんを見て、安心したのか急に怖くなって来た。気づいたら泣いていて、涙が止まらなくなった。
「大丈夫だよ、よく頑張ったな」
お父さんはそう言って、僕を抱きしめてくれた。僕は、声を出して泣いた。まるで、泣き虫の弟のように。色々なことが頭に入って来た。恐怖や、疲れ、最後に、お母さんの笑顔。お母さんがいないという現実が重くのしかかる。お母さんは、もういない。
僕たちは、王様のところには行かなかった。おじさんに町まで送ってもらい、近所の人に馬を返した。おじさんは、最後に何かぶつぶつ言っていたけど、イチに吠えられ、まるで逃げるように去っていった。
「春がきたら、お母さんにお花をたくさんあげような」
お父さんが、そう言った。お母さんがいないのは、凄く悲しい。それでも、僕たちは、お母さんがいないということを受け入れなければならない。
季節は巡り、春が来た。僕たちの家に、王様から、たくさんの野菜の種が届いた。