女神との遭遇 iii
「さてと、買い物に戻るか。ここから近いところは……」
呟きながら歩き始めた時、後方から足音が聞こえる。
かなり急いでいるようだが、どうしたのだろう。ふと泉雲の顔が思い浮かぶ、しかし、泉雲ではないだろう、あんなにもはっきりした声で「大丈夫」と言ったのだから、心配する必要もないはずだ。それに日曜とは言っても人がいないわけではない。部活生や先生がいるはずだ。親切な人に出会うことができれば、無事に目的地まで案内してくれるだろう。特に、生徒会役員に会うことができれば、断る理由がない限り詳しく案内してくれることだろうから心配には及ばないはずだ。
思いながら振り返ろうと脚を一歩引いたときだった。
「――炎雲さぁーん。――はぁ、――はぁ、……すみません、――あんな……、――こと……、――言って、――おいて、――」
先程思い浮かんだ顔が再び思い浮かぶ。長い髪を二つに結んだ少女のその顔が。しかし、信じられないとも思っていた。先程いろいろな思考の末に納得したから、というのもあるかもしれないが、なによりも泉雲のあの微笑している貌を見て、はっきりとした声を聞いて、道がわからないのに「大丈夫です」と断ったとは思えなかった。しかし、体を翻した先に立っていたのは、紛れもない泉雲だった。
肩で息をする泉雲は近くまで来ると、膝に手を付き呼吸を整えようとしていた。
「と、とりあえず、深呼吸をしよう。すーはぁー」
「――は、い……、すぅー、はぁー」
炎雲が促したように、呼吸をする泉雲はだいぶ落ち着いてきたらしく、呼吸も穏やかになっている。
「それで、どうしたんだ?そんなに急いで。」
「校内に入った、までは良かったんですが、あまりにも広すぎて、どこに、何があるのか、わかりませんでした。それに、人に聞こうにも、人の気配もなかったようなので、聞くこともできず――」
「まあいい、事務室まで案内するよ。はぐれないように」
「はいっ」
途切れとぎれでも、一生懸命に話す泉雲に簡潔な言葉だけで返すことで、それに返す負担を軽くする。それに答え、元気に返事をする泉雲はどこか誇らしげに見える。
事務室は昇降口のほうを向いて右へ進み、建物の最後の角を左へ進んだ先にある幾段の階段を、上った先に扉があり、その向こう側が事務室だ。
扉は、とても重厚感が有り三枚ガラスで強化ガラスに挟まれる形で鉄線が格子状に入っている防火防犯ガラスがありとても用心しているように思える。その為なのだろうが、五回転三段ロックを採用しており、鍵を五回転させることで、三枚の歯車が回り鍵が開くという仕組みなのだが、寿命が早く、壊れやすいのが特徴である。そのため、無理にこじ開けようとすれば、壊れることとなり開かない、という事になり得るので、一番最初に開ける人物はとても用心して開けなければならない。また、一度開けたら、鍵保護システムが作動し、鍵穴とその歯車を保護するように機械が自動的に保護してくれる、なので、空いているときは、多少乱暴に扱っても壊れないような設計になっている。そのことから重厚感溢れる扉に見えるわけだが、開けるためには見た目以上に力を使わず開けることが可能な為、初めて開ける場合は、思ったより軽いため客観的に見た場合、乱暴に開けているように見えるのだ。
車があったりすると、階段が見えなくなっていることもあり、初めて来た人が見つけるのには苦労する。階段さえ登ってしまえば、扉の向こう側の右と左に『事務室』と大きく表札が置いてあるのでわかる。
階段のすぐ隣には壁としてよく利用されるツツジのような植物を挟んで隣には駐車場があり、主に来賓者用の専用駐車場のような扱いをされている。しかし、ここには、進路指導の先生やよく出張をされる先生の車も止めてある。そして、この駐車場には教育委員会専用の車を止める場所と校長先生、理事長などの世間一般的に言う位の高い人が使う専用の場所があるらしいが、生徒が入るような用事はほとんどないので、噂でしかない。
泉雲には、その扉まで案内した。
「本当にありがとうございました」
手を揃え、軽くしかし深く頭を下げる泉雲。
「礼はいいから、用事を早く片付けておいで」
「はいっ」
何か、嫌な予感がしたのだ。扉まで案内が終わったとホッと胸をなで下ろした瞬間、視線を浴びていることに気がついた。
「…………」
やはり、間違いではなかった。
視線の主は、泉雲ではなく学級委員で生徒会長でもある――結城絢理守である。
炎雲が通っている学校の生徒会制度は、基本的には立候補した生徒を選挙で決めるやり方であるが、選挙で決まらなかった場合は、推薦する人の数、及び立候補した生徒の能力を見て職員会議で決められる。そしてなによりも、上下制限が強いため間の学年である二年生が選ばれやすい傾向にある。ちなみに、上下制度とは何かと言うと三年生は進路を決める大事な年、ということで、一、二年生を補助する役にしかつけない、ということと、一年生は学校に馴染めていない上に、学校についてよく知らない。という理由から選ばれにくくなっている制度である。つまり、上下制度とは、常識的に考えて一番学校について知っていて、時間にゆとりが持てる学年を優先して生徒会役員にしましょう、という制度である。
絢理守は、口元をピッくとさせるとどこかへ行くようだった。
「ちょうど良かった、絢理守、お願いがあるんだけど。」
「何か用? 今忙しいのだけれど。それとも何、遊んで欲しいのかしら。いい歳にしてそれはないわ。まぁ、いいけれど。それで何?」
妙にグサッと来る言葉遣いで問うてくる。
何か、怒るような事でも言っただろうか。いつも以上にピリピリしているのは気のせいではないだろう。何かあるのであれば、幼馴染として、友達として、クラスメイトとして、話して欲しいものだ。
「この子を案内して欲しいんだ。頼めるかな?」
「私を誰だと思っているの。できないわけがないでしょう」
自信を持って言い切る絢理守。その表情に笑が見える。
「じゃあ、頼むよ」
「で、この子は誰、親戚? それとも、彼女?」
「お、おい、違うから。俺はいいが、この子までからかうのはやめてくれ」
絢理守は、半眼でこちらを訝しげに見やる。
「だ、だから、違うって、あーもう。じゃあ、よろしくな」
「ふーん、まぁいいわ、それでどこに案内すればいいわけ?」
絢理守は、腰に手を置き、泉雲を一瞥して訊ねる。
「それは、泉雲に聞いてくれ」
絢理守は、深くため息を吐くと、泉雲に視線を移す。
「泉雲さん、でしたか。私は、結城絢理守です。以後、お見知りおきを」
足を引き、スカートの裾を引くと頭を下げる。
「あ、あの、私は泉雲水恋といいます」
慌てながら泉雲はお辞儀する。それは違うとしか言いようがない、立ち振る舞いの差であった。さすがは絢理守である。慣れている。その立ち振る舞いは、高貴であっても可憐、愛らしいなどとは言わせぬオーラを醸し出している。それに比べれば、ぎこちない、としか言い様がないが、それでも可憐であり、上品なオーラを出していたが、やはり泉雲は愛らしさが残っている。それはつまり、幼く見えるということだ。その差が、大人と子供のように、姉と妹の意地の張り合いのように見えるのだ。無論、客観視すれば姉が、大人が、勝負事であれば勝つであろうことは安易に予想できる。が、この時、見ているのは、炎雲である。幼馴染には悪いのだが、一度ギャップに落とされた泉雲の方が愛らしさを兼ね備えている分よく見えてしまうのはいけないことなのだろうか。なぜか、罪悪感が沸き上がってくるのは、これこそ気のせいだと信じたい。
「ひとつ、質問していいですか?」
「何?」
「二人は付き合っているんですか?」
「付き合ってねぇ!!」
「付き合ってないわ!!」
発した言葉が偶然にもハモった。
ハモるという行為は偶然に合わさったのであって、意識的に合わせたものではない。むしろ、意識的に合わせろ、という方が無理なのだ。
泉雲の顔がポッと桜色に染まった。
「やっぱり、付き合っているんじゃないですかー?」
ふてくされたように訴える泉雲は、呆れた顔半分、怒り半分、といった感じだった。
「だから、そんな関係じゃないって」
なぜ、こんなことになったのだろう。
炎雲は首をかしげる。
「どうしたの。たーくん」
「たっ、たっ、たーくん?」
泉雲は、一歩、また一歩と後ずさり、今にも崩れ落ちそうになった。
「お、おい、その名で呼ぶなよ」
今、その言葉はダメだろう。あだ名を使うということは、どれだけ相手に好意を持っているかの証明でもあるあるのだ。それを、関係性を疑っている人物の前で発するなどという行為は、自殺行為に等しい。もしかして、絢理守は天然なのだろうか。しかし、今まで、そのようなことはなかったわけだし、今になってそうなることはありえないのではないだろうか。
疑問はふつふつと湧き上がってくる。が、湧き上がってくる疑問は、、出てきては、答えが出る前には消え、新しい疑問が湧き上がってくる。
「やっぱり、付き合っていたんですね」
「だから違うって」
はぁー、とため息を吐きそうになるのをこらえ泉雲を見る。
「とりあえず、絢理守は生徒会長さんだからこの学校については詳しいはずだ」
「はい、炎雲さん今日はありがとうございました」
泉雲とのやりとりを絢理守が、やっぱり、というように眺めている。
「あ、絢理守、あとは頼む。じゃあな」
これ以上変な誤解を濃くするわけにもいかないので早々に立ち去ることにした。