月を放つ
働き疲れた毎日の中で、ふと月に気が付く。そんな何気ない瞬間を、古典っぽく書いてみました。
襖がかちりと音を立てて閉じる。部屋の中から筋となっていた蝋燭の明かりが断たれた。静寂と暗黒と疲労をかき分けるように、彼女は歩く。
真っ暗な廊下を摺り足で進む彼女自身の裸足を、ぼうっと眺めていた。あかぎれ、擦りきれ、所々赤く腫れ上がっている哀れな足。天彦の擦りゆく音は軋む声。鳴く風拾うものは闇のみ。夜もとっぷりと更けている中、縁側とも呼べるそこを彼女は俯いて歩いていた。衣擦れの音が、ぽつりぽつりと影に足跡を彫っていく。
せせらぐような軌跡のうちに、彼女はふと足許に違和感を覚えて立ち止まった。
ぬばたまの暗い檜に差す光、歪みを照らして赤く輝く。光っているごく一部の床の、そこに差し掛かっている足の形に明かりがぽっかりと切り取られていて、彼女ははっと上を見上げた。廂の継ぎ目、そのわずかな隙間。縦横に張り巡らさされた木の梁、その牢に閉じ込められた十六夜の月がためらうように顔を覗かせている。ちいさく、それでいて確かな光を縁側のそこだけに注いでいるのだった。
素足のまま、弾かれるように惹かれるように屋根の下から歩き出して、庭園へと出る。敷き詰められた砂利は、傷だらけの足を涼しく抱き締めた。人工の湖の揺らめく音が、彼女の耳を攫うようにくすぐる。
低木で斑に照らされた土を尻目に、彼女は屋根のない所から月を仰いだ。
光。
どん、と衝撃さえも伴ったかの景色が彼女の目いっぱいに煌めいていた。久方の夜に輝く月の影、星を映して鏡のごとく。夜空いっぱいに散りばめられた星が、むしろ夜空は白いものだと言わんばかりに天を焦がしていた。
彼女の双眸にこれでもかと降り注ぐ光の奔流。彼女の瞳は、天空を逆さに移す漆黒の水晶玉。しかと焼き付けて、強く息を吸い、一歩を踏み出す。ざく、踏まれた石の音は高く響いた。しっかりと上がった目の先に進む道を照らしながら、確かな歩みを踏みしめていく。
彼女の働き者の足は、その勲章を誇らしげに抱いていた。
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