木漏れ日から見詰めて2
できれば「木漏れ日から見詰めて1」を読んでからこの小説を読んでいただくと物語の全体像が見えてきます。
胸騒ぎがして学校へ引き返した。
第6感や霊感など、目に見えないものを信じる性質じゃないんだけど紺野さんのことが気がかり。彼女が悩んでいるのは間違いない。きれい好きなのか熱心に掃除をするタイプだけど今日は同じところをずっとホウキで掃いていた。
「紺野さん、先に帰るよ」
声をかけると紺野さんはぼくの方を見向きもしないで軽く頷いただけだった。いつもなら生返事くらいはかえしてくれるけど、さすがに元気がない。
原因ははっきりしている。
紺野さんは数学の菱沼先生をいつも見詰めている。机の上で組んだ両手に顔を固定して視線を逸らさない。憧れだけでは片付けられない彼女の表情。数学以外の授業では教科書を壁にして堂々と眠っている。数学の授業がない日は休み時間になると職員室に押し掛けて菱沼先生のところへ。質問する必要性がないくらい数学の成績が急激に上がっているのに彼女はその日課を欠かさない。
ぼくから見れば菱沼先生もまんざらでもないような気がする。2人がラブホテルへ消えたという噂が流れるくらいだから。真実はわからないけど噂の出所はたぶん学校の裏サイトを仕切っている花岡美紀。あんな奴のことなんか信用できない。
けれど、火の無い所に煙は立たないって言うし……。
結局、菱沼先生は田舎の学校へ飛ばされることになった。正義感面の生徒の親たちからは苦情、多方面からも圧力がかかったらしい。
そして、今日が学校を去る日。
紺野さんは一日中、心ここにあらずといった感じで窓の外を見ていた。魂は菱沼に抜かれ、人形のように精気がなかった。
学校に戻ったところで紺野さんを励ますことさえできないのはわかっている。いままでまともな会話をしたことがないし、おれのことなんか眼中にないはず。
まだ、彼女は無意味な掃除を続けているのだろうか?
紺野さんのことを思うと切なくなってくる。掃除をやめて家に帰っていればそれでいい。
ぼくは3年2組の教室をそっと覗いた。
ハッとしてすぐに顔を引っ込めた。見てはいけないものを見てしまったような……たったいま目で見たものが現実なのか夢なのかまたは妄想や幻覚なのか整理できない。
紺野さんと菱沼先生が抱き合っていた。噂は本当だった?
ぼくが呆然としていると花岡美紀が階段を駆け上がってきた。
「どこ行くんだよ?」
歩み寄り、花岡の前を遮った。
「教室に決まってるでしょ」
「話しがある」
ぼくは花岡の腕を掴んで階段を下りていく。
「ちょっと忘れ物くらい取りにいかせてよ」
花岡は口では拒んだが制服に皺ができることを恐れてなのか力ずくで抵抗することはしなかった。
「いい加減離してよ!」
ぼくは2階の廊下の突き当たりにある情報処理室の前まで花岡を引っ張った。とりあえず紺野さんを守るために花岡を現場から離すことには成功した。
「なによ、話しって?」
花岡は不満そうではあるがちょっとは興味があるようで聞く姿勢を示した。ぼくは少しでも話しを長引かせるために話しの話題を模索したが、頭の中は紺野さんのことで一杯だった。
「紺野さんと菱沼先生がラブホテルへ行ったという噂は本当なのか?」
「なによ、いまさら」
同じ質問を繰り返し聞かされてきたのか花岡の口が尖がる。
「どうなんだ?」
「わかんないわよ。でも菱沼先生の車に紺野さんが乗ったのは事実だからね」
花岡が不貞腐れ気味に答えた。
「単純に紺野さんの家まで送っただけなんじゃないのか?」
「そうかもしれないけど、他にも何人か帰る生徒はいたはずだから菱沼先生がどうして紺野さんだけを乗せたのか考えると答えは絞られてくるじゃないの」
真っ当な意見に思えた。菱沼先生が紺野さんに好意がなければ車には乗せないだろう。やっぱりさっき見たことは現実の出来事だったらしい。
ぼくは花岡を追及することをやめた。
「あんた紺野さんのこと好きなの?」
花岡がぼくの顔を隅から隅へじっくり観察して訊いてくる。花岡と目を合わせることができない。顔が赤くならないことをひたすら祈った。
「紺野さんはモテモテね。どこがいいの?」
「まだなにも答えてないだろ!」
「菱沼はいなくなるんだから告白ってみたら?」
慌てて否定すると花岡はぼくが紺野さんを好きだと決め付けてしまった。
「余計なお世話だ」
ぼくはくるりと背を向けて話しを打ち切り、花岡を開放した。ただ、一抹の不安がある。このままだと明日になれば学校の裏サイトで『紺野さんに新たな男の陰』からはじまる恋愛ネタがネットを賑わすかもしれない。
「ネットに流すなよ」
振り向いて釘を刺す。
「安西が紺野さんを好きだってこと?」
花岡が不思議そうな顔をして尋ねる。
「ああ」
返事をしたあとで“しまった!”と思った。紺野さんを好きだと認めてしまった。まんまと花岡の作戦に引っ掛かってしまった気がした。
「そんな面白くもないネタ流さないわよ」
花岡が挑んでくるような顔をしてぼくを睨んだ。半分キレている。
「信じられるか」
売り言葉に買い言葉で対抗して花岡とケンカ別れした。紺野さんと菱沼先生の密会を隠す時間を稼げただけ良しとしなければいけない。
意外にも花岡美紀は嘘をつかなかった。ぼくに対する中傷や冷やかしなどは裏サイトの掲示板に書き込まれていなかった。ひと安心というところだが、花岡に感謝するのもおかしな話しだ。感謝したり謝ったりすればつけあがるタイプのような気がするからこっちから媚びるようなことをするのは控えた。
花岡のことなんかよりも紺野さんのことが心配になった。2人が抱き合っていたあの日を境に学校に来なくなってしまった。自主退学したとの噂もある。担任の先生からはなにも報告がない。
寝ても覚めても考えるのは紺野さんのことばかり。家の前を通って偶然出会うことを装うか、それとも自宅に電話をかけてみようかと思ったけど、キモイと思われるのがオチだ。紺野さんが今どうしているのかさえわかればそれでいい。こんなときに頼れるのは花岡美紀しかいなかった。
ぼくは学校の帰り道で一人になった花岡の肩を後ろからポンと叩いた。
「なに?」
不機嫌な顔で花岡が振り向く。
「元気かなと思って……」
心にもないことがポロッと口から出てしまった。花岡のことなんか気にも留めていないのにある目的のためなら人間はなんでもしてしまう恐ろしい生き物だと認識した。
「学校に来て同じクラスで毎日顔を合わせているんだからいちいち答える必要はないでしょ」
花岡の目に映っているのは明らかに不信感で払拭するのは困難な状況に思われた。そういえばケンカ別れしてから口を利いていない。
「そうだね」
視線を下げ、照れながら次の展開へ話しを進めるために頭の中を整理していると花岡が先に切っ掛けをつくってくれた。
「最近、私の方をチラチラ見てるでしょ?なにか聞きたいことでもあるの?」
気づかれないようにさりげなく見たはずなのに花岡美紀の洞察力はあなどれない。どんなささいな噂でも聞きつける耳も恐ろしいし、隠し事なんてできそうにない。この際、おれは勇気を出して訊くことにした。
「紺野さんは……いまどうしてるのかな?」
ぼくが質問すると花岡はため息をついた。
「自分で調べればいいじゃん」
「それはそうだけど……」
正論を突きつけられ、ぼくはしどろもどろになり優柔不断な男に成り下がった。
「そんなに紺野さんのことが知りたいの?」
花岡は腕組みをしてぶ然としている。
「クラスメイトを心配することがいけないことなのか?」
ぼくが非難するように責めると、花岡は一瞬怯むような顔をした。
「……しょうがないわね……私も紺野さんのことについては責任感じてるんだ」
花岡の口から反省の言葉が出てきた。彼女なりに心に痛みは感じているようだ。
「偶然会ってビックリしたんだけど紺野さんは学校に来なくなってすぐにスーパーでレジのバイトをしてたのよ」
「どこのスーパー?」
「慌てないで最後まで聞いて」
花岡が嗜める。
「あ、ああ」
押され気味に返事をした。
「会ったときに菱沼先生の新しい赴任先を教えてあげたの。それから数日して紺野さんがバイトしてたスーパーに行ったらいなかった。なんか嫌な予感がして紺野さんの家に行ってお母さんに聞いたら引っ越して一人暮らしをはじめたって言われて……」
「もしかして……」
頭を過ぎったのは最悪の事態。
「そう。引越し先を教えてもらったら住所は菱沼先生のいる町になってた」
「紺野さんのお母さんに菱沼先生のことは教えたのか?」
「まさか……言ったところで娘のことを心配するような母親には見えなかったし……」
花岡は言葉を慎重に選びながら発言したので悪口には聞こえず、紺野さんを気遣っているようにさえ見えた。
「紺野さんの住所を教えてくれ」
「別にいいけど、会ってどうするの?あなたになにができるの?」
「実際に行動しないとなにもはじまらないじゃないか!」
追求され、ムキになって答えた。花岡に言われるまでもなくぼくは無力だった。
花岡から引越し先を聞いてから1カ月と12日後が創立記念日で学校が休みになった。ぼくは紺野さんに会いに行く日をその日と決めていた。もしかしたら紺野さんと菱沼先生は一緒に暮らしている可能性だってある。そうなると先生が休みじゃない日を狙わないといけない。ぼくの学校が休みで他の学校が普段どおり授業がある日は創立記念日しか思いつかなかった。数日前に花岡から“あれだけのことを言ったわりにはなかなか実行に移さないのね”と嫌味を言われたが無視をした。
けれど紺野さんに話しを聞ける勇気が自分にあるだろうか?果たして自分にそんなことができるだろうか?押し掛けたところで“何しに来たの?”と気味悪がられるかもしれない。その可能性はかなり高い。でも、ひと目でいいから元気な姿を見たいという願望がぼくを突き動かした。
電車を乗り継いで紺野さんの住む町へ向かった。距離的には日帰りで帰ることが可能だった。田園風景が広がる田舎の町。駅前の商店街はシャッターを下ろしている店の方が多かった。
あらかじめインターネットから検索した地図で菱沼先生が赴任した高校と紺野さんの住んでいるアパートが隣り合わせだということと路線バスが『T高校前』に停まることも了解済み。しかし、バスの時刻表を確認するとあと2時間経たないと駅前からバスが出発しないことがわかった。
14万分の1の地図のスケール・バーに指を当てて駅から紺野さんのアパートまで計測すると約7キロ。タクシーを使えばもしものときにお金の余裕がなくなる。
周囲を見渡し、運よく『貸自転車』という看板が目に入った。1時間500円という割高な設定に驚きながら『石橋サイクル12番』のプレートが前方のカゴに貼り付けてある自転車を漕いだ。
所々錆びて使い物にならなくなっている洗濯機や冷蔵庫が敷地内に放置されているアパートを見たとき、愕然とした。ある程度予想はしていたが紺野さんの生活環境は劣悪だ。
「……203号室」
手摺に掴まらないと落ちそうな外付けの急勾配の階段を上がって部屋の前に立った。両隣の部屋は空き部屋で借りたい人のために管理人の連絡先を記入した張り紙がドアに貼ってあった。
ノックをしても返事がなく、しばらく突っ立っていたが、金色の握り玉を捻ってみるといとも簡単に回転した。
「すいませ〜ん」
そっと声をかけてみるが人の居る気配はしなかった。ただ、狭い玄関の上り口には白地にピンクのラインが入ったスニカーと緑色のパンプスがきちんと揃えられている。視線をおもむろに上げると窓の脇で倒れている女の人を発見した。
「紺野さん!」
ぼくは土足のまま畳の部屋に入って紺野さんの体を揺すった。ぐっすり眠っているような彼女の顔を見て不安がこみ上げ、名前を叫びながらさらに激しく揺さぶると紺野さんは僅かに目を開けた。
「だれ?」
か細い声をぼくの耳が捉えた。
それからすぐに携帯で救急車を呼んでぼくは付き添った。担当した医者の話しだと容態は思わしくなく、しばらく様子を見るとのこと。紺野さんのお母さんに電話をかけたが「あら、そうなの?」と反応の薄い返事がかえってきた。“あなたは誰?”などの質問はされず、ぼくと娘の関係など気にもかけていないようだった。
身内じゃないぼくが余計なことをするわけにいかなかったが、紺野さんのアパートに戻って管理人さんに事情だけは説明しておこうと思った。レンタルしてきた自転車も乗り捨てたままだった。
管理人さんに連絡する前に紺野さんのアパートを覗いた。心配性かもしれないがカギをかけてこなかったので泥棒に入られていないか気になった。
しかし、盗まれるようなものはなにもなかった。電化製品はドライヤーくらい。生活できる必要最低限の物しか置いていない。
開いていた窓を閉めようとアルミサッシの枠を手で掴んだ。重なり合う緑色の葉っぱの隙間から学校の教室が見えた。白髪頭で度のきつそうなメガネをかけた中年男性の教師が片手で教科書を持ちながら教室の後ろへ歩いていく。
紺野さんと菱沼先生はこの窓から目で会話していたのだろうか?
確かめる方法がひとつだけある。これから教職員専用の玄関で菱沼先生を待ち伏せして紺野さんが倒れたことを伝えれば、菱沼先生の反応の仕方で2人の関係がわかる。
なにも聞かず病院へまっしぐらに向かえば学校の隣で紺野さんが暮らしていたことは知ってるはず。“どうしてこの町に紺野さんが?”などと疑問符をつければ紺野さんのことは心にもなかったことになる。
ぼくは管理人さんに連絡するのを忘れ、菱沼先生に会うために紺野さんの部屋を出た。
〈了〉
ホラーと恋愛小説を中心に書いている「赤いからす」といいます。
連載だと「狂犬病予防業務日誌」と「無期限の標的」
短編だと「心の絆創膏」「敵は全人類」「人類、最後の言葉」「付きまとう都市伝説」など多数投稿してありますので感想と評価をぜひお願いします!




