ヒロインと悪役令嬢の密やかな野望
ふと「私だったら、こんなことしてみたいかも」という思いつきだけで書いたものです。ゆるーくかるーく読み流していただければ。
「マリアンヌったらさすが田舎娘、床に這いつくばっている方がお似合いですわ! おほほほ…!」
「イザベル様、ひ、ひどいで…!」
宮廷で行われるお茶会、その会場から少し離れた人気のない回廊での出来事だった。
床に無様にひざまずく栗色の髪の娘と、それを指差しながらあざ笑う豪奢な金髪と派手なドレスを着た娘。
金髪の娘が足をひっかけたことで起こった光景は、馬鹿馬鹿しいほどに分かりやすい ‘いじめ’ の現場だった。
けれど、その場面が雷が打たれたように固まった。
イザベルは「ほ」、マリーは「す」という口の形を作ったまま、お互いの顔を食い入るように見つめ始めたのだ。
「――マリアンヌ…?」
「――イザ、ベル…?」
そして同じタイミングで周囲を見渡し、同じタイミングで再びお互いに視線を合わせる。
過去に様々な対面を果たして来た二人だったが、取り巻きも周囲の目もない二人きりの場面は初めてだった。
そのせいで起こった化学反応なのだろうか、知識と記憶の衝撃が脳内をかけめぐる。
情報と経験を消化するのに、どれだけの時間が必要かは分からない。
だが、ただひとつの事実だけが何よりも優位に立ち、それぞれの精神と自我を保たせていた。
先に探るように静かに声を出したのは、イザベルの方だった。
「――魅惑の…」
「……ばらの園…」
「乙女の…」
「「コンチェルト…!」」
まるで合言葉の如き言葉の掛け合いの後は、緑と青の瞳が輝きを増したように煌めいた。
ありきたりの言葉ではあったが、最後の単語はこの世界にない言語だった。
そしてそれが繋ぎ合わせられた言葉の元となるものも、この世界にはないもの。
そう、それは ‘乙女ゲーム’ のタイトルだった。
先程までの険悪さは吹き飛び、二人はまるで惹かれ合うかのように互いの手を握り合っていた。
それぞれの視線が絡み合い、頷き合う。
それだけで互いを認め合うことができた。
ああ、目の前にいるのは、仲間だと…!
「これ、転生…? これが転生トリップってやつなの?! あのゲームの世界に来たのよね?!」
「ですよね? この世界と、ここまでの流れって間違いないですよね!」
「やだーっ! すんごく好きだったのよ、このゲーム!」
「私だって! 何度プレイしたことか!」
「ええっと、それで私がイザベルってことは…」
「…私がヒロインで…」
「侯爵令息のレイエスのルート? 私、ばっちりライバルの悪役令嬢ね?!」
それぞれがお互いを見合って、苦笑をもらす。
「やだ、まさか私がヒロインだなんて」
「いいじゃない! 私は金と権力がある方が好きだから、こっちが合ってる。きつい顔でも美人だし、伯爵令嬢だし、断然いいわ!」
「…確かに、合ってるみたいですね…」
「何?」
「いいええ!」
「しっかし、話の通りだったとはいえ、くだらない苛めばっかりしてたわねー、ごめんなさいね」
「いいんです! そうでなくちゃ話が進まないんですから…」
そこまで言うとマリアンヌの顔は翳る。
お互いのキャラクターを知って、ここまでの経緯を思いだせば、次に浮かぶのはお互いの行く末だ。
「でも問題ですよ。あなたの役は、私がうまくエンディングに行けると、大体が没落や追放ですよね?」
「――そうよね…って、うわ、そうよ、まずい!」
イザベルがマリアンヌの手を取って、令嬢らしからぬ素早さで回廊から庭へ走り出る。
束の間驚いたマリアンヌもすぐに意図に気づいたように、合わせて足を早めた。
ようやく庭園の目立たぬ場所にある東屋に辿り着いた時には、二人とも息がたえだえだった。
「ど…ドレスとヒールで走るの…きつっ…」
「で、でも…最悪は回避、できましたね…!」
「もう少ししたら、王妃様が通るところだったものね。そしたら私、もう宮廷への出入りが差し止めのところだった! あー、ヤバかった!…ってダメじゃん!」
「え?」
安堵していた顔を、急にひきつらせたのはイザベルだった。
「やだ、ごめん! つい逃げちゃったけど、ストーリー変わっちゃったじゃない! どうしよう、この先!」
青くなった顔でマリアンヌの手を再び取ると、マリアンヌの方は何の憂いもない顔でその手を握り返した。
「これでいいんです」
潤んで見上げる瞳は、まるで愛しい者を見るに等しい輝きで、視線を外せない。
思わず「うわ、ヒロイン力、すご」とイザベルの脳内で呟きが漏れた。
「今となっては話の展開よりも、この世界を楽しむ同士の存在の方が私には大切。あなたが没落してしまうなんて…会えなくなってしまうなんて考えたくない!」
「マリアンヌ…!」
「イザベル…!」
そこでがしっ!と抱き合う二人は、はたから見れば実に異様だった。
宮廷の庭での貴族子女の行いとしては、全くの規格外。
けれど打てば響くこのやり取りが、この二人には溜め込んだものを吐きだすように心地よかった。
もう手放せないであろう友情を確かめ合った瞬間だった。
「大丈夫! イザベルの横やりがなくても、彼との恋愛は成就させるから!」
「あ、本当に好きなんだ? 私の婚約者のレイエス」
「…さすがに、ここまで恋心を育ててくると、簡単に捨てるのは難しいわ…って、あなたは?」
「私? うーん、私は…そうね、プライドを潰された方が大きかったからな。元々の好みは違う人だし。今となっては、ヒロインとのスチルを楽しむ方がいいわ!」
「スチル!」
イザベルの言葉に、再びマリアンヌの顔が輝きだす。
「このゲームのイラストは、ほんっっとうに素敵でしたよね…! 私、スチルを集める為に、どれだけやりこんだか!」
「私だって! プリントアウトして、壁に張りまくってたわよ!」
「PCのデスクトップや携帯の待ち受けも全部これでしたよね!」
「うもー! 夜会でのダンスシーンや薔薇園でのキスシーンなんて、奇跡の一枚だったわ!」
「でした、でした!」
お互いがお互いの記憶とテンションを引きだすように、きゃっきゃと楽しげな声が響き合う。
けれど、そこでまた何かを思い出したようにイザベルの顔が曇り始めた。
「…やだ…やだやだ、私ったら!」
「イザベル?」
「何てこと…! 大好きなスチルシーンだったのに、私ったら夜会では嫉妬にまみれて見てたから、ちっとも美しく記憶に残ってない…っ! あっ、回廊の場面が終わったってことは、キスシーンてもう終わってるわよね?! 何てこと!」
そこまで言われると、マリアンヌの方も顔を強張らせる。
今や取り戻した脳内の記憶に、こびりつくほどに残っている美麗なスチル画面。
その中に、いや、その人物になっていたのは確かに嬉しい。嬉しいが。
「…あああ、私も…素敵な時間ではありましたけど、自分では見られないんですね…レイエス様のアップしか覚えてないし…」
「二人同時の姿を眺めて妄想するのが、乙女の夢なのに!」
「ですよねー!」
「この世界に来たはいいけど! あの美麗なイラストを拝めないなんて! パソコンもスマホも写真もない世界なんて…!」
「それに、さすがに三次元になると、美しい、可愛いのは確かなんだけど、なんだかキラキラ加減が少ないですよね…」
「イラストだと実現できないようなエフェクト効果が入ってたもんね。二次元なら何とかなるけど現実じゃ妄想も難しいわ……」
「二次元みたいに留めても置けないし…」
「二次元、なら…?」
そこでイザベルが天啓を得たように、ぽん、と手を打つ。
マリアンヌが首を傾げると、にやり、と笑みを作る。
それはまさに、この世界で作り慣れた悪役令嬢の笑顔だった。
「ここでは私、身分も金も権力もあって、親からも甘やかされている我が儘な令嬢なのよね」
「え、ええ、そう、ですよね」
その笑みに条件反射でマリアンヌが怯えると、イザベルは更に笑みを深めた。
「だったら、それを大いに使ってしまえばいいんだわ」
「え?」
「私に任せて!」
仁王立ちになったイザベルに、思わず「おおー」とマリアンヌは拍手を送る。
二人の欲望にまみれた野望はここから始まったのであった。
+ + + + +
その後、侯爵令息レイエスの婚約者である伯爵令嬢イザベルと、男爵令嬢マリアンヌの険悪さ――主にイザベルからの一方通行だったが――は何事もなかったかのように消失し、周囲を驚かせた。
イザベルは自分の周りにいた取り巻きを遠ざけ、掌を返すようにマリアンヌと共にいるようになった。
そのことにレイエスは戸惑いを見せたが、婚約解消を申し出、マリアンヌとの仲を誰よりも応援するようになったイザベルに、次第に心を解く様子を見せていく。
高慢の塊だったイザベルの改心と、それを許したマリアンヌの高潔さが生んだ友情。
周囲にはそう見えており、二人もそれを否定することはなかった。
しかも二人の友情の始まりと共にイザベルは社交よりも芸術に目覚めたらしく、その後、多くの画家を抱えるようになった。
若手で画風の定まっていない者を多く呼び入れ、細かい注文を受け入れる者がお気に入り画家として手元に残されていく。
その傍らには常にマリアンヌもおり、二人の定まった趣向は絵画の世界に新しい風を吹き込んだ。
肖像画と風景画、歴史画が主だった絵画の世界に、 ‘美麗画’ なるジャンルを創り出したのだ。
絵にはそれぞれに恋する娘が夢見るような場面の物語が付属しており、他の絵画から見れば過剰とも思える効果を加えて描き出される。
現実よりも容姿や姿態が少しデフォルメされつつ、美しさを重視した男性がこちらを見つめる画は、まるで観る側が場面に引きこまれるような魅力を持っていた。
傍らにいる女性は、マリアンヌに似ているようでもあり、イザベルに似ているようでもあるのだがはっきりとはしない。
微妙に角度を持たせて、観る女性が自分に投影できるような雰囲気で描かれているものが多かった。
伯爵家には専用の部屋ができ、そこにはイザベルとマリアンヌだけが持つ鍵がかけられた。
描かれる男性達の容姿が、見る者が見ればすぐに分かる貴族男性が多かったことから、この部屋は二人の許可した女性しか通さない秘密の部屋になった。
『乙女の部屋』と表された部屋では、観賞を兼ねた朗読の集いが行われ、一度訪れた令嬢達はほぼ常連となっていく。
いつしかその場所が、女性達の間で噂と憧れの的となっていくのに時間はかからなかった。
秘密の部屋の四面の壁には効果的に配置された美麗絵が並び、美術館の如き様相となっていた。
絵画の内容はあまりにも偏った妄想たくましいものばかりだが、だからこそ統一感もあった。
その中をゆっくりと歩きながら、マリアンヌとイザベルは微笑み合う。
淑女の微笑みではなく、にんまり、という表現が似合う類の笑みで。
「こんな風に贅沢に再現できるなんて。本当にイザベルのお陰だわ」
「あら、あなたの記憶力のお陰でもあるわ。当事者でもあるしね! しかも、文才もあったなんてねえ」
「こっちでも二次創作を書くことになるなんて思わなかったわ。しかも自分を元にした。恥ずかしいけど…楽しさが勝るわね」
「ゲームの恥ずかしい台詞も、現実だと笑っちゃいそうだけど、この絵になら似合うのよねえ」
「絶対にレイエスには漏らさないでくださいね。彼の言葉も使ってるんですから!」
「言うわけないでしょ! ここは私達、乙女だけの秘密の場所よ!」
「じゃあ、そろそろ次の構想を…」
お互いがいるがこその相乗効果妄想は、留まるところを知らない。
自分達以外の令嬢にも認められたことで、それは更に助長されたといってもいい。
そんな彼女達の様子はこの上なく楽しげであった。
――会話は聞こえないが、扉の向こうからは朗らかな笑い声が聞こえてくる。
鍵のかかった部屋の前で肩を落とすのは、マリアンヌを迎えにきたレイエスだ。
彼はマリアンヌと婚約はしたものの、この部屋が完璧に出来上がるまで…という名目で、結婚を伸ばされている。
もしやこれこそイザベルの策略かとも思ったが、それはマリアンヌにきっぱりと否定を入れられた。
当初は戸惑い、次第に微笑ましいと思えた友情だったというのに、今やそれは疎ましい段階にきていた。
「レイエス様」
そんな彼に声をかけたのは、イザベルの弟だった。
「ああ、カレル」
「そんな所でため息をつかれているのは、レイエス様らしくありませんよ」
「…自分の入れない領域を、これだけ楽しげに閉ざされては、ため息も出るものだよ」
「分かります。お話、いたしませんか」
ノックをしてみようかと思っていた扉からは、途切れさせるのを躊躇う笑い声が響き続ける。
レイエスは扉から離れ、カレルに導かれるまま談話室に腰を落ち着けた。
そこでおもむろに話されたことは、思いもしない企みの相談だった。
「レイエス様。姉達に対抗したいと思いませんか?」
「…何だって?」
「姉の抱えている画家は、我が伯爵家の画家でもある。その画家に我々にも希望通りに描いてもらうのです。女性専用の絵ではなく、男性専用の部屋を作る為の絵画を」
「何故、そんなことを」
「今の貴方は、姉達の行き過ぎた趣向が納得できないでしょう? 訪ねる女性が増える度に、私の周りでも同じような者が増えているんです。止めろと言えば反感を買ってしまうでしょうが、こちらが同じことをすれば分かると思うんです。自分達のしていることがどれだけ周りを戸惑わせているかを」
「それ、は…」
レイエスは僅かに眉を潜め、言葉を失くした。
だが、カレルは自信ありげに、後押しをする。
「いかがですか? 姉とマリアンヌ嬢を驚かせてみませんか?」
義兄となるかもしれなかった人と成りは、それなりに熟知している。
女性を大切にする人格はお墨付きだが、自分が振り回されるだけになるのを許す性格ではないはずだった。
「…やってみようか。マリアンヌ達の気持ちを知る為にも」
「そうです。我々も見返すほどのものを造りましょう!」
異様に楽しげに過ごす姉達を間近で見ていたカレルが抱き始めた、密かな野望。
それはタイミングを見計らったお陰で、侯爵家という大きな味方をつけることにできた。
こうして男女共に巻き込んだ ‘美麗画’ の流行は、じわじわと広がりを見せることとなる。
後に多くの貴族の家に「乙女」と「紳士」の専用部屋ができ、多くの若者の婚期が遅れる原因のひとつとなった――ということがあったとか、なかったとか。
2000字くらいで収まるだろうと思っていたせいか、
後半は駆け足になってしまいました、すみません。
そして、どうしてこんなオチになったのか。はて。