第二十二話 インペラドルⅥ
その一撃は全身全霊の力を込めていた。
ナダは手ごたえを感じた。
確かに死人の太ももを剣で切り裂いた――筈であった。剣は死人の肉を通り過ぎて地面へと当たる。ナダの剣はそこで止まった。
だが、死人は止まっていない。
少しも変わらずに部屋の中を彷徨っている。
確かに切ったとナダは思う。
まるで日常のように馴染んだモンスターを斬るという行為をいつもと変わらずに。
ナダが前から過ぎていく死者を注意深く見ると、死者の筋肉の薄いふくらはぎには線の傷が入っている。しかしながらそこから血は出ておらず、足を引きずっている様子もなかった。
どうやら青騎士も倒した一撃は、死者へはかすり傷に終わった。
部屋の中を変わらずに歩く死者に対して、ナダはいまだに熱の冷めることのない体でもう一度剣を振るった。今度は横に。無防備な死人の足へ。防がれる様子はない。
だが、ナダの剣は途中で止まった。
骨だった。
死人の硬い骨によってナダの一撃は止まったのだ。
そこでようやく死人がナダに気付いたようだった。これまで振り返ることも首の位置を変えることもなかった死人が、足元にいるナダへと首を向けた。迸る殺気をナダは感じた。
後ろへと大きく下がろうとするが、それよりも前に剣が刺さっている足によってナダは蹴られた。巨人にしては細い足がナダの胴体にあたるが、その足は当然のようにナダよりも太い。そして殆どが骨の固い足が。思わずナダは剣を手放してしまった。そのまま遠くにある壁にぶつかった。近くの壁に太い大剣が当たり、甲高い音が鳴る。
ナダは壁との衝撃によって、肺がつぶれて一瞬だけ呼吸がしづらくなるが、その痛みも慣れたものだった。何度このような目にあったかは分からない。ダメージなど無いに等しいだろう。
右手を地面について必死に起き上がり、近くにあるだろう大剣を探しながらも死人から目をそらすことはない。
これまで何も認識していなかった死人が、明らかにナダに敵意を向けて視認していた。
緑色の眼窩をナダに向けながら、大きな口を開いて叫んだ。
広い空間のはずなのに、その声はナダの芯にまで響いた。
人では出せないほどの低い声。さらには言葉まで話しているようだが、ナダにはそれが理解できない。その理由が自分たちとは別の言語を使っているのか、それとも歯が少ないことで言葉が上手く発声されていないのかはナダには分からなかった。
死人はこれまで引きづっていた大剣を振り上げて、怒り狂うように何度も何度もがんがんと地面に叩きつけた。
絶叫と共に。
死人はナダに向かって大股を開きながら走った。
そして、ナダと死人の戦いが始まった。
◆◆◆
これまでの緩慢な動きとは違い、死人の動きは速かった。
確かに死者らしく体を動かしづらいような印象はある。片足は引きずり、体が大きいだけあって先ほどまで戦っていた騎士ほどの動きはしていない。
動きの基本は何も変わっていなかった。
歩くときには大きな足音も立てて、武技のようなものを使う様子もない。剣は振り上げて落とすか、薙ぎ払うだけだ。人と言うよりは理性の失った獣に近い。
だが、その一撃は重たいと思った。
だから剣で受けるということはしなかった。
ナダは上から降ってくる剣を横に飛んで避ける。その一撃によって大地が抉れた。まるで龍のような巨大な存在と戦っているようだ。人よりも圧倒的な力を持つモンスターらしいモンスターと。
ナダは見るだけで予測することができる死人の攻撃を簡単に避けると、死人の足元に潜りこむ。足の甲を切りつける。浅い。ダメージはなさそうだ。死人は斬られた足でナダを踏み潰そうとするが、転がるように回避する。すぐに死人は胴体で押しつぶそうとする。ボディプレスだ。
ナダは必死に走って避けた。
死人が倒れた後は地面が揺れるので足元がおぼつかないが、それでも必死に距離を取る。すぐにナダは反撃ののろしを上げようと前傾姿勢になって死人に近づこうとした。
だが、すぐに起き上がりナダを近づけさせないように剣を薙ぎ払った。
大きく、ぶん、と。
ナダはとっさに身をかがめて死人の懐まで踏み込むことも頭によぎったが、リスクを考えるとそれは出来ない。大人しく後ろに飛ぶ。死人はナダが離れても剣を右に、左にふるう。そして三連撃の後に高い雄たけびを上げた。
「一体、なんだよ!」
ナダは思わず叫んでしまった。
死人の声があまりにも大きく、耳がおかしくなりそうだからだ。大剣を片手で持って左手で耳を抑えるほどだった。頭の奥でがんがんとハンマーが殴られているかのような音だ。
ナダの、足が止まった
死人は叫びながらナダに剣を振り落とす。
「ああ!」
ナダも負けじと声を出す。
だが、死人のあまりにも大きな声に飲み込まれた。
足がすくんで動かない。いや、動かそうと必死にしているが、足が居着いてしまったのだ。死人の声には人の心を縛る力があった。
慟哭にも似た苦しみの声のようにも聞こえる。
言葉は分からない。
分からないが、死人の心の底を表しているようで、それがナダにも伝染し、同じような言いようのない深い感情に支配されて背筋がぞっとして足が動かないのだ。
「くそっ!」
ナダは耳を抑えていた手も外して、絶叫に悶えながら両手で剣を頭の上に動かした。
死人の剣が降り落ちて来た。
大剣と大剣がぶつかり、ナダはそのまま潰された。
だが、良質な剣と上質な鎧によってナダは斬られなかった。床にたたきつけられただけだ。
あたりに土やがれきが舞う。
ナダの視界がかすんだ。
死人はそんなナダへもう一回大剣を落とそうとするが、ナダはなんとか転がりながら避ける。そのまま急いで距離を取る。もつれる足を必死に動かしながら。距離を取る。
ナダは土埃の中を必死に大剣を振り落としている死人を見ようとするが、視界がぼやけ、赤く塗りつぶされる目が痛い。
血、だった。
どうやら額の一部分が裂けたらしい。
おそらく兜に隠された頭が地面に叩きつけられて衝撃で負った傷だろう。頭からどくどくと血が流れ出る。すぐにナダの兜の中は血まみれになった。あごの部分にある留め具が壊れて外れなかったので力づくで引きちぎると、ナダは兜を捨てるように投げた。そして止血するために腰のポーチの中から回復薬を出そうとするが、ナダが掴んだのは瓶の破片だった。割れたのだ。すべての回復薬が。
そもそも上質な鎧がへこんでいる時点で、皮袋に入っている瓶詰めされた回復薬が無事なわけがないのだ。
ナダは思わず叫びたくなった。
頭の傷を治す方法はない。
血が止まる様子もない。
すぐに左手で目をこすり、血を何とかぬぐって見えるようにする。
誰もいない地面をたたき切るのを止めた死人が、闇のように深い目をこちらに向けながら大きく口を開けていた。
そのまま歓喜のような雄たけびを上げる。
言葉にもなっていない。
ナダにゆっくりと近づいてきた。
ナダは額から伝わる血が邪魔だったのでぬぐって、額からかきあげるように髪で拭いた。黒髪が燃えているように真っ赤になる。血まみれになった左手を使い、右手で持っている剣を支えた。
ナダは焦りを感じていた。
頭が熱い。
熱い血が止まらないからだ。
このまま悠長に死人と戦っていると、出血多量で死ぬだろう。
だらだらと戦っている暇はない。
限界が近いのが分かった。
剣を強く握る。
まだ、体は冷めていない。
流れ出している血よりも多くの熱量をナダは持っている。
こちらに走ってくる。死人に向かってナダもかけた。
叫びながら死人はこちらに剣を振り下ろした。緩慢な動き。けれども力強い一撃。もはや避けている余裕などなかったナダは、剣が振り下ろしよりも早くまた下に転がり込んだ。
一閃。死人の小指を切り落とす。体勢が揺らいだ。すぐに剣を切り返す。くるぶしに刃が当たる。だが、固い骨によってはじかれた。皮すら切れていない。左足でナダを踏み潰そうと死人が片足を上げた。
ナダはそれに気づいていたが、叫びながらもう一方の足首を切りつける。そこは最初に切った場所、先ほどよりも深い切れ込みが入る。もう少しで足が落ちて。避けるか。ナダの頭にそんな選択肢が浮かんだ。だが、大剣を強く引いて、叫びながら力を籠める。
ナダは同じ場所でもう一度剣を振るった。
より深く剣が食い込む。
ナダは叫んだ。
腹の中から声を出した。
もう一歩、――そのまま前へ。
ナダの剣が進んだ。
そして足が落ちてくる数瞬前に、ナダの剣が死人の足を断ち切る。体が前へと流れたので、振り落ちてくる右足を躱すことはできた。
だが、片足のふんばりがない状態でも、死人は強く床を打ち砕いた。
ナダの足元が崩れる。
遠くへ避難する余裕などない。
攻撃すらできず、その場で立っているのがやっとだった。
そんなナダへ足首の無くなった死人の足が飛ぶ。
思わず大剣で防ごうとするが、手の力も足りなければ、足の力も足りない。そのまま宙に浮き、蹴飛ばされる。そのまま床に何度かぶつかって、派手に転がった。
ナダは背中に鋭い痛みを感じた。
――鎧だ。
鎧が曲がり、自分の体に刺さったのだと判断した。まだ血は出ていないが、ナダは抜けにくくなった手甲を留め金の部分を引きちぎるように剥がすと、大剣をその場に置いて全身に着ている鎧を引っぺがす。
折れ曲がった鎧など体の動きを妨げるだけで邪魔と判断したのだ。
ナダは単なる麻の長ズボンと長袖の姿となった。
だが、腹や太ももなど、これまでの激しい戦闘で切れた部分から赤い血が滲みだし、色のないはずの服が徐々に赤色へと染まっている。
そんな時、先ほどまで死人がいた場所が大きく揺れた。
片足を失くした死人が地面へと倒れたのだ。
死人は地面から起き上がる様子はあった。だが、足首がない足では到底立つことなどできなかった。
死人は嘆くように上体だけ両手で反らすように上げて、大きな雄たけびをあけた。その姿はまるでオオカミのようだった。
「ふう――」
最早死人の戦力を削り立てなくしたことによりナダは勝ちを確信した。足の失ったモンスターなどいくらはぐれと言っても負けることはないだろう。
後の戦闘は流すだけでいいかと、ナダは死人を注意深く観察しながら荒れた息を整える。
ナダの目が、深い闇と会った。死人の目だ。そこに吸い込まれそうになるが、寸でとどまると、死人はナダを視界から外そうとはしなかった。
そのまま深いうなり声をあげると、死人は剣をナダに向けて投げた。
ナダはそれを楽々と屈んで避ける。
そして死人を見ると、ナダは信じられないように目を皿にした。
死人は両腕を使って這いずるようにナダへと近づく。
ここまで読んでくれた皆様、いつも感想などをくださりありがとうございます。とても嬉しく、大変執筆の励みになっております。




