第十八話 インペラドルⅡ
橋には当然のようにモンスターが二体も立っていた。
どちらもナダよりも体格の大きな青騎士だ。まるで城を守る門番のように大きな槍を持ちながら行く手を阻んでいる。
侵入者であるナダを見ると、彼らは目を白く光らせながらナダへと近づいてくる。
だが、その足並みはゆっくりだった。
冒険者を狩るモンスターではなく、城を守るその姿は一般的なモンスターと違っていた。
だが、ナダはモンスターを待つ気などなかった。
嵐のように騎士たちへ近づき、コマのように大きく回りながら大剣をふるう。二体の騎士は簡単に胴体が切断されて、その場に赤い血が飛んだ。
まるでかまいたちが過ぎたかのような光景であり、ナダは大剣を両手で持ちながら先を急ぐ。
奥へ、奥へ。それは城の中に入っても変わらない。
絨毯の上を走り、壷や絵画、または壁を傷つけながらも剣を大きくふるう。
剣を持っている騎士も、槍を持っている騎士も、ましてや大盾を持っている騎士も、ナダの前には単に街道にいた亜人達と変わらなかった。騎士の中身も彼らと同じような亜人種であり、強いのは確実なのだがどれもナダの前には一刀のもとに切り捨てられていく。
ナダは、風のように体が軽かったのだ。
迷宮に入ってから調子がいい。
まるで心臓から流れる熱がそのままエネルギーとなって自分の体の中を回っているようで、これまでにない全能感にナダは支配される。気を抜けば思わず笑みがこぼれてしまいそうなほどの強さだった。
これはかつての武器を握ったからこの強さなのだろうか。
それとも昨夜まで心臓が痛かったので、その反動で痛みがないことを調子がいいと錯覚しているのだろうか。
疲れすらなかった。
大剣の重さも感じず、鎧の重量も気にならず、騎士たちを鎧ごと切る抵抗すらあまり感触がない。
体は――本当に軽いのだ。
今だって迫りくる騎士をそれ以上の速さで近づき、まるで短刀をふるうかのような早い振りで青い騎士を倒すのだ。今倒した騎士が兜に白い羽飾りがついていて、他の青騎士たちよりも強いらしいということは分かるが、ナダにとってはそんな差は微塵も感じなかった。
息切れすらしない。
休まず迷宮の中に潜っているというのに。
頭の先から足の先まで、ナダは自分の体がこれまでとは何か違うものに変化していっているような奇妙な感覚も覚え始めた。
だが、体は軽い。
それはいいことだ。
モンスターたちを苦労なく倒せることもいいことだ。
――しかし、ナダの足がふと止まった。
体は風のように重量がないはずなのに、ナダには別の重さがかかる。
それはまるで両肩に乗っているようで、自分を押しつぶすかのようだった。体は軽いはずなのに、思考は別の重さに支配された。
死ねない。
それが単純にナダの頭に中に思い浮かぶ。
死にたくないのではない。
死ねないのだ。
こんな無茶な冒険をして、自分の身に何かあったらどうするのか、という奇妙でいて絶好調な体とは違う考えが頭に浮かぶのだ。
だからこそナダは城の中にある誰もいない小部屋に入り、部屋の隅で体をいたわるように座った。
そんな必要はないのに。
もっと、ずっと、迷宮へ潜れるはずなのに。
そんな風に軽くなった体が叫んでいるが、ナダは別の重さが体にのしかかっていた。
以前の自分ならきっと、この調子がいいまま迷宮に潜っていただろう。疲れを知らない。好都合だ。そういわんとばかりに、同じハイペースで休憩すら挟まずにモンスターを淡々と狩っていただろう。
だが、今のナダは喉が渇いていないのに腰のポーチの中に入った水筒の蓋を開けて水を一口飲む。またお腹も空いていないはずなのに、干し肉をかじった。辛い塩気は喉が渇くので水をもう一口飲み、ゆっくりと干し肉を噛む。口の中で簡単に硬い干し肉は柔らかくなるが、それでもナダはゆっくりと噛み続けて、手足を動かすことはなく体を休めた。
しばしの間休憩を取ると、ナダは立ち上がって部屋を出た。
先ほどと何も変わりはしない。
疲れを知らない体。風のような動きの冴え。冒険者としてもしかしたら一段上のステージに上がったかもしれないという気持ちも湧いたが、それ以上にのしかかるのは広い迷宮を駆け回りたいと叫ぶ本能を押さえつけるような重圧。足が地面にへばりついて離れない。
それからのナダは冒険のスタイルが少しだけ変わった。
騎士たちを殺すのは変わらない。
モンスターを一振りで倒すのは変わらない。
だが、先ほどまでの迷宮の中をひたすら走ってまるで速さに自信のあるイリスのようなヒットアンドアウェイの戦い方ではなく、大きな体を物陰に隠して、騎士たちの様子を観察し、慎重に剣をふるうタイミングを見計らって迷宮の中で立ち回るのだ。
死ねないから。
死ねないから、安全に戦うのだ。
ナダは酷く息苦しさを感じる。
死にたくないのではない。
以前と同じように一日でも長く生きたいわけではない。
ただ、死ねないのだ。
自分が死ねばどうなる。
ナダは考える。
まず頭に浮かんだのは妹のテーラだ。彼女の面倒は亡き親たちに代わって現在は自分が見ている。他に頼れる身内などなく、自分が死んだら彼女は独りぼっちだ。生活だってどうなるか分からない。あの町で浮浪児になるのか。それともどこかで野垂れ死ぬのか。
どうなるかは分からない。
姉のところにお世話になるということも考えられるが、ナダは出来れば姉には幸せになってもらいたかった。小さな妹がついた女など、旦那となる家族の者が嫌がるだろうと思うのだ。それが原因で姉の立場が無くなることまで考えられる。
それにテーラだって、姉の嫁ぎ先でうまく行くかは分からない。
きっとこのまま自分が面倒を見て、せめて彼女が成人するまでは生きるのが最善の選択だとナダは思いたかった。
それにスピノシッシマ家のカノンの事も頭に浮かんだ。
彼女の領地にカルヴァオンを主に提供しているのは自分だ。費用としてはそれなりで、ナダとしても学園に安価で買い叩かれるよりも安定して売れるので非常に助かっていた。
また彼女の執事から聞いた話だが、いまだに他の冒険者との交渉はあまり上手いこと行かず、自分にカルヴァオンを頼っており、そのおかげで以前よりも製糸業が盛んになり少しずつだが潤ってきていると言っていた。このまま順調に事が運べば、貧しかった領地が少しは豊かになると語っていた。
そして彼女たちは領地が豊かになり、カルヴァオンの必要な量が増えたからと言ってナダに供給量を増やすことは言わず、他の冒険者からの買い付けや国から高額で買うことによって賄っているようだ。
これから領地が発展して経済が豊かになれば、契約する冒険者も増やすとのこと。そうなれば執事はナダが提供するカルヴァオンの相場も高くすると約束してくれた。
また非常に助かることに、彼女の家はよく迷宮に潜る時にテーラの面倒を見てくれている。今だってそうだ。ナダは王都に行かなければならないのだが、その間の世話は彼女の家がしてくれて、テーラに家庭教師までつけているということを聞いた。
テーラはカノンとも姉妹のように仲がいいと聞き、彼女の家にはナダもカルヴァオンの提供という関係のほかにもお世話になっている。
だからこそ、スピノシッシマ家に提供するカルヴァオンを減らすわけにはいかない。
死んだら終わりではないのだ。
自分がいなくなれば、彼女たちも大変なことになるだろう。
他にも様々な人の事が浮かんだ。
イリスやニレナはもちろん、友人のダンも。彼らにもお世話になっている。その恩をまだ返せていない。それにイリスとも、ニレナとも様々な約束をしており、それをするまでは死ねない。
また、コルヴォやコロア、もちろんレアオンにだって前回の迷宮探索の勝負の時にもらった権利を行使していないのだ。それを使わずして死ぬわけにはいかないと思った。
それに迷宮に潜る前に出会った受付嬢の名前も聞いていない。
ああ、そうだ。とナダは物陰に潜みながら思うのだ。
だからこそ、自分は死ねないのだと。
様々な人との繋がりがあり、そのためにも自分は死ねないのだと。
その緊張感が、自分の肩に重圧としてのしかかるのだと。
ナダは背後を見せた一体の青騎士に静かに近づいて、背中から大剣を振るった。
軽いはずの体。
それを押さえつける重さ。
だが、とナダは思うのだ。
この重さは――弱さなのかと。
自分の為だけではなく、誰かのために生きたいと思うのは弱さなのかと。
いや、きっと違うと、ナダは思った。
きっとこの体の調子に当てられて全力で迷宮に潜ることも間違っておらず、それでも自分は強いのだろうと思った。様々な考えを振り払い、獣のように力を振り回して迷宮に潜る。それも冒険者の姿の一つで、そんな自由に潜ることが強さに繋がっている者もいるのだろうと思うのだ。
だが、自分は違う、とナダは考える
様々な考えに支配され、戦いながらも様々な思いを胸に、そのために必要以上に迷宮探索が慎重になる。調子がいいはずの体を、別の重さが支配し、それで剣をふるう。
きっと、こののしかかる重圧も“強さ”なのだろうとナダは思った。
双肩にかかる重圧が、刃を重くさせる。
きっとそうだ、とナダは思うのだ。
考えれば考えるほどに嫌な事が頭を巡って不安になり、体が軽い今が錯覚だと思うほどの重さを感じれば感じるほど、きっと自分は強くなっているのだと思うのだ。
きっと自由に剣を振るい、迷宮を縦横無尽に駆け巡った時よりも、今のほうが自分は強い、とナダは思った。
あのように胸の痛みだけを考えてそのためだけに迷宮に潜るよりも、様々な事に思い悩んで迷宮に潜る今のほうが強い、とナダは思うのだ。
だからこそ――死ねない理由をナダは強く自覚する。
迷宮に深く潜れば、胸のしこりの答えはあるとラビウムは言った。
ナダは死ねない。
だからこそ、死を与えるこの痛みを克服しなければならないと思うのだ。
自分のために。
そして周りの事を思う自分の為に。
いろいろなことが頭をよぎり、その重さによって足が止まりそうになるが、それを刃へと伝えることによって強さに変えるのだ、とナダは思った。
ああ、きっと迷宮に潜った時よりも今の方が大剣は重く感じるだろうとナダは思った。
そして以前にアギヤに属してこの剣をふるっていた時よりも、今の方が大剣は重く感じると思った。
だが、それが自分の強さだと思うのだ。
もしかしたら自分は成長していないかもしれない。あの時から、エクスリダオ・ラガリオを倒した時から何も変わっていないのかも知れない。筋力も技術も、もしかしたらあの時よりも落ちているかも知れないと考える。
しかし、きっと今のほうが強い、とナダは思った。
あの時よりも込める刃の思いが増すほど、自分が強くなるのだとナダは思った。
そして――ナダは王城の中でも空間に出る。
そこには一体のモンスターが剣を抜かずに待っていた。
最近思ったのですが、主人公が女性と絡んでいる時のほうが感想が多いような気がします。
この作品の女性陣にそんなに人気があるとは思いませんでした。




