第十五話 準備Ⅱ
ナダはニレナの案内の元、彼女の屋敷を歩いていた。
どうやらニレナが用意する武器は、この屋敷の武器庫にあるらしいがそれはここから遠い地下室にあり、美しい幾何学的な模様が刻まれた絨毯の上を歩き、周りの調度品が目に入る。
よく分からない壷、オオカミや騎士の彫刻、美女や壮年男性の絵など、どれか一つをとっても一般人なら思わず足が止まって見てしまうものばかりで、思わずナダの目にも入る。
ニレナはナダの数歩前を歩きながら振り返らずに温かい声で言う。
「ナダさん、先ほどは厳しい言葉を言いましたけど、これは私の予想ですが宝玉祭で陛下の勲章を受け取らなかったことを罰せられることはないでしょう――」
「どうしてそう思うんだ?」
ナダは先ほどまでとは打って変わり、穏やかな声色だった。
「私の実家に昨日の夜に私がここに帰ってから、一度も近衛は訪れていないからです。彼らの索敵ならナダさんが王都に来てからこの屋敷に泊っている事は明確ですわ。でも、何らかのアクションがない」
「……ニレナさんが自分の考えに自信があるのはそれだけが理由じゃないんだろう?」
ナダは過去に知るニレナの事を思い浮かべて言った。
「ええ。もう一つ理由がありますわ。ナダさんは私の屋敷まで“何もなく”たどり着いた。もしも陛下がナダさんを害するつもりならそれまでに接触があった筈ですわ。ですが、それはなかったようです。ナダさんが裏道を通ってこの屋敷に入った、という可能性も考えたのですけど、どうやら執事長の話ではナダさんは正面の門から入ったからその線も薄いと考えました」
「つまり、俺は国王陛下から見逃されていると?」
ナダは腕を組みながら考えている。
「ええ。そう思います。そもそもあなたはこの屋敷に来た時に上半身裸だったようですね。それで捕まらなかったのが不思議なぐらいです」
ニレナは振り返って穏やかな笑みを浮かべていた。
「……それもそうだな」
ナダはあの時の自分の恰好を酷いものだとようやく認識した。
「それで、その点について心当たりは?」
「ない――」
ナダはすぐに答えた。
「そうですか。分かりました。ですけれどもその点については安心してください。“私は何もしておりません”が、あなたがこの先宝玉祭の件について王族から罰則があることはないでしょうから」
「そうか。それはよかった」
ナダは王族へ無礼を働いたことにかんしてなど気にも留めていなかった。
だからニレナの言葉に対しては特に何も響かない。
だが、ニレナは真剣な顔つきになって言った。
「――さて、それでは再度、聞きましょうか。ナダさん、あなたには昨晩何があったのですか?」
「……」
「ナダさん、今ならあなた自身に何があったのか、話せる時間があるのではないでしょうか? 何故ならここから武器庫までは遠いからです。その短時間の間にでも話せるでしょう。それと――話せる心の余裕もできたでしょう?」
ニレナは足並みをナダの隣に合わせて、にっこりと彼の心をほどくようにやさしく話しかける。
ニレナは暗に言うのだ。
迷宮に潜る算段もついた。国王陛下からの勅命により近衛兵団からも狙われることがない。武器はこの道さえ進めば手に入る。
ならば、その間ぐらい事情を話す余裕があるのではないかと。
「……どういうことだ?」
「ナダさん、これは先輩からのアドバイスですわ。先ほどのあなたは焦っていました。何があったのかは知りません。けれども、武器屋が開いていることすら考えず、ただ冒険のためだけにお金を求めていた。気持ちが焦って、考えがそれについてきていなかったです。頭に血が上っていたのでは? そんな調子では――迷宮で死にますわよ」
ニレナは低く、それでいて迷宮の恐ろしさを知る冒険者としてナダに分からせるように言った。
まるで迷宮に初めて潜るような新人冒険者に対して言うように。
先ほどまでのナダは、まるで迷宮に潜ってから死にやすい冒険者特有の症状だった。何かに焦り、それを解消するために迷宮に上る。そして気持ちが焦って、それに体などがついてこずにあっけなくモンスターに敗れて死ぬのだ。
「…………そうだな。ああ、そうかも知れねえな。“きっと大丈夫だろう”が、それは冒険者として、褒められた精神じゃねえな。助かるぜ。ニレナさんはこれから行う俺の冒険をきっとより有意義にしてくれた」
ナダはここで、自分が先ほどまで焦っていたことを自覚した。
冷静さなどなかった。
ああ、ある筈がないのだ。
先ほどまで、理解にできない痛みに悩まされていた。医者にも治せず、神に祈りは通じず、死の一歩直前までいった。だが、その際で助けられたがどうやら次にあの発作が起こると、自分が死ぬ可能性があると聞いて、それを何とかするためには迷宮に潜るしかないと言われて。
自分の命が危うい状況で、国王陛下の事や他人の状況など考えるわけもなかった。武器屋のこともそうだ。自分の生死がかかっている状況で、心を穏やかにできるほどナダは人間としてまだできてはいないのだ。
だからこそ、ナダは自分の状況を自覚して、嗤った。
頭に血が上っていたのだと自分をあざ笑い、左胸から流れる血液は今も熱く流れているのにまるで冷めたような感覚に浸る。
「気づいてくれてよかったですわ。それで、少しぐらいは事情を話す気になれましたか?」
「……いいぜ。だけど、信じなくてもいい。多分、信じれらないだろうからな」
ナダはまるでつきものが落ちたようなすっきりとした表情になり、ぽつぽつと話す彼の様子を見てニレナもそんな彼の様子に満足していた。
ナダはそこで初めて誰かに昨日の晩に、いや以前にイリス達と学園最強を競うというふざけた迷宮探索をした後にできた胸のしこりとその痛みに悩まされていること話した。
それから昨日の夜にそれも宝玉祭の途中に痛みが頂点に達して我慢することもできずに、王城から逃げ出して医者の所へ向かおうとしたこと。その途中で意識がなくなったこと。
死んだと思ったらどうやら同じ病を抱えたラビウムと名乗る女が助けてくれて、この病を治したかったら迷宮に潜りなさいと言われたこと。
ナダは正直に全てニレナに言った。
「そうですか――」
だが、ニレナの反応はそれだけで、考え事をするように押し黙った。
ナダもその様子に何も言わない。
二人の表情は変わらずに、ナダが状況説明をしてすぐにニレナの案内する武器庫へとたどり着いた。
木の扉には当然のようにカギがかかっていて、それをニレナが開けるとナダへといたずらめいた顔で言う。
「さて、ナダさん、あなたの武器が普通のお店では手に入れにくいことも、鍛冶屋に依頼しても嫌な顔をされることを私は知っておりますわ。ですが、ここにある武器はきっとあなたが求める物だと私は思いますわ」
「……そんな武器が都合よくあるわけねえだろう? 俺はどんな武器だっていいんだぞ」
「いいえ。あなたは気に入りますわ。きっと――」
ニレナは扉を開けて、中に入るようにナダに示した。
ナダは躊躇せずに中に入ってあたりをざっと見渡す。いや、見渡す必要すらないだろう。
部屋に置かれた無数の武器。レイピア。長剣。槍など、様々に“見覚え”のある武器の中でそれは確かに存在感を放っていたのだから。
通常の長剣もはるかに刃が分厚く、長く大きかった。また刃には傷一つなく、美しい鈍色に輝いているのはきっと手入れを欠かさなかったであろう。それには鍔すらなく、柄には持ちやすいように白い布がまかれただけの簡素な物。
だが、ナダは知っている。それは上質な鋼にかすかにオリハルコンを混ぜた何の特徴もないが、強靭な剣だと。
何故なら――かつてはナダが使っていた武器だからだ。
陸黒龍の顎を使う前に使っていた武器であり、エクスリダオ・ラガリオと呼ばれる龍を殺した大剣。剣に名前はなく、単に種別であるグレートソードと呼ばれる何の特徴もない剣。
ナダはかつての相棒に思わず表情を緩めた。
それから周りにある武器が見たことのある武器ばかりであると分かった。例えばイリスが過去に使っていたレイピアやレアオンの過去の剣。ほかの先輩の武器も眠っている。
そういえば、とナダは昔のことを思い出す。
ニレナがアギヤにいたころは彼女が資金を計算していた。使わなくなった武器も彼女に渡すのだが、ナダはてっきりパーティーのために売ったと思っていた。次の冒険の資金にするために。
まさかこのように、パーティーメンバー全ての過去の武器まで保管しているとは思わなかったのだ。
普通の冒険者ならグレードの高い武器に換えることはあっても、かつてのグレードの低い武器などすぐに手放すものなのだから。
ナダはグレートソードを手に取って、武器庫を出る。
「まさかこんな物があるとは思わなかったぜ」
かつてのように大剣を片手で持ちながら少しだけ表情を緩ませて言った。
「私はこう見えても物を大切にする性分でして、過去の思い出が詰まった武器を手放すことができなかったのです」
「そうか――」
「過去に縛られる弱い女だと思いましたか?」
「いいや、助かった」
「それはよかったです。では、次に防具を見繕いましょうか。もちろん――ナダさんがかつて使っていた防具ですわ。昔と比べて少々きついかもしれませんが、そこは調整で入るかどうか確かめましょう――」
ナダはニレナの案内のもと、防具もかつてつけていたものを手に入れる事ができた。
そしてポーチ、回復薬、投げナイフ、など様々な道具を用意してそれらを馬車に詰め込む。どうやら迷宮に潜るのに必要な手続きを取る冒険者組合まで、馬車で送ってくれるようだ。
ナダはまだ朝の早い時間に馬車に乗り込こもうとしている。
ニレナの物は何も馬車には載せていなかった。
ナダが断ったからだ。
「ナダさん、本当に私の冒険者としての手助けはいらないのですね?」
心配そうな顔でニレナが言った。
「ああ。今回は一人で潜りたいんだ」
ナダは強い意志で言った。
ニレナの実力は知っている。
自分の実力も知っている。
頭は既に冷えている。
だが、この冒険は一人で行いたかったのだ。
まるでいつもと同じように、インフェルノでポディエに潜るように一人で潜りたかったのだ。
その方が自分らしい冒険をできると思ったからだ。
「……分かりましたわ。では一つだけお願いがありますわ、」
「なんだよ?」
「もしも迷宮に潜って出会うことがあれば――例の王冠を被ったはぐれを狩ってきてくれませんか?」
「それが何になる?」
「お父様への手土産に。すぐれた冒険者は、強力なモンスターを狩るものでしょう?」
「……分かった。出会うことがあれば、な」
そしてナダが馬車へ乗り込んで扉を閉めようとすると、それをニレナは止めて思案しながら言うのだ。
その表情はナダから昨日の顛末を聞いたときと変わらない様子で。
「最後にもう一つ。ナダさん、実は私は、ラビウムという名に聞き覚えがあります。今ではあまり使われない珍しい名前です。ですが、どこで聞いたのか調べてもよろしいでしょうか?」
「勝手にしろよ」
「ありがとうございます。実はですね、私は疑問を抱いているのです。彼女は何者かと?」
「それは俺も抱いている。だが、今はあいつに従うしかないだけだ」
「そうですね。ではご武運を」
「ああ、今回は助かったぜ。恩に着る――」
ナダは容赦なく馬車の扉を閉めると、馬車はゆっくりと動き出す。
ニレナはその姿を見送りながらどこかで危惧していたのだ。
聞いたことのない病。迷宮に治療法があるという前代未聞のこと。それにラビウムという怪しげな女。
ナダも彼女についてすべてを信頼しているわけではないようだが、きっと藁にも縋る思いで迷宮に希望を見出しているのだろうとニレナは考えている。
既にニレナの目は覚めている。
かわいい後輩のために、何から調べようかと考えて、まずはラビウムの事よりも病気のことから調べようと思い、アンセムに王都でも高名な医者と話がしたい、と言った。




