第十三話 病
深い暗闇の中、ナダの意識はゆっくりと晴れる。
不思議な事に胸の痛みは治まっていた。
先ほどまでの体が燃え尽きるような痛みが嘘のようだ。
ナダは冷たい地面の感触をその身に確かめながら、ゆっくりと自分の体を確かめるように目を開いた。
ナダは痛みのない体を確かめるように両手を握ったり開いたりした。
やはり、先ほどとは違って痛みがない。
念のために左胸を掴んでみるが、そこは依然と変わらずに石ころのようなしこりがある。
だが、痛みはない。
「何が起こった?」
「――感謝してほしいものだね。君の胸の痛みはボクが和らげたのだから」
ナダはそこでようやく目の前に人がいることが分かった。
その者は怪しかった。
全身を黒いローブで隠している。だが、両腕につけた藍色の腕輪が闇夜の下でも怪しく光っていた。背は小さく、もしも街中で会えばただの子供だと思うかも知れない。
だが、数多くの冒険者を見てきたナダにとって、見たことのない輝きを放つ腕輪と彼女の飄々とする風のような立ち振る舞いからは、まるで存在をこちら側に掴ませないような異様な雰囲気がある。
「どういうことだ?」
「その言葉の通りだよ。君はその胸が痛かったのでしょ? それがどうしようもなくて、ここに倒れていた。このままだと死んでしまうところだったからボクが助けたんだ。感謝してくれていいよ」
ローブの者はフードの隙間から桜色の唇を動かして言った。
声からすると、女性だとナダは思った。
童女とも思うが、ナダの鋭い視線にもひるまないことから只者ではないと思う。
「どうして俺の痛みを知っているんだ?」
「逆にどうして知らないと思ったの? 君はここで胸を抑えていたのをボクは見たんだ。だから胸が痛いのかな、って思った。合っているでしょ?」
「ああ」
「それにしても君、運がよかったね。ボクがいなかったら死んでいたかも知れないんだよ?」
「……そうかも知れないな。だけどどうしてあんたは胸が痛いってだけで、俺の痛みを取り除くことができた? 医者でも諦めた事だぞ。まさか俺のために神にでも祈ったんじゃないだろうな?」
ナダは目の前の童女を警戒していた。
これまで何人かの医者に相談しても取り除くことができずに、ひたすら耐えることしか出来なかった痛みを取り除いたのだ。感謝はしているが、どうして自分を見ただけで痛みの原因が分かり、それに対処することが出来たかは疑問しか持たない。
「残念ながら神は君の痛みを治してくれない」
「知っている。じゃあ、あんたはどうやって治した?」
「ううん。治していないよ」
「……痛みは無くなったぞ」
「知っているよ。でもね、これは悲しいお知らせだけど、ボクはね、君はまた痛みだすまでの時間を稼いだに過ぎないんだ。君の胸はまた痛む。これは間違いない――」
童女は悲し気に言う。
ナダは深いため息を吐いてからあぐらに座りなおして諦めたように童女に言った
「なあ。いや、その前に俺を助けてくれてありがとう――」
「そうだね。そうやって素直にお礼を言われると、ボクも助けた甲斐があるよ」
「それで一つ聞きたいんだが、そもそもあんたはいったい誰なんだ? 何者だ?」
ナダは命の恩人を見定めるように厳しい視線を送っている。
だが、童女はそれにおびえることはなく、苦笑いで答えた。
「そうだね。なんて言えばいいか分からないけど、ボクの名前はね、ラビウムって言うんだ。ボクの事を一言で表すとすれば、“君と同じ者”だよ」
ラビウムはフードを外した。
これまで見えなかったが、やはり彼女は女性であるようだ。目は黒く、桜色の唇。特徴のない顔つきと感情が薄い表情は儚げな印象を受ける。白く透き通るような髪は肩で揃えられていた。
ラビウムはそのまま胸が少しだけ見えるほど右の肩をあらわにするようにローブをずらす。
「……そうか。そういうことか」
ナダは諦めたようにため息を吐いた。
視線はラビウムの胸に集中していた。
ラビウムの右胸は、いや肩や右胸の一部までもが“桜色の石”になっており、それは肌との境界線があいまいだが、しかししっかりと石に変質している。
――まるでナダの左胸と同じように。
ラビウムはナダの反応を見てから右肩を隠し、フードを被った。それから苦笑しながら彼に話しかける。
「そうだよ。ボクが対処法を知っている理由は一つだ。ボクはね、君と同じなんだよ。君のように体の一部が変質して、激しい痛みを伴うこととなった――」
「……それは大変だな」
ナダは現実を直視するように頷いた。
一度も考えなかった。
このしこりが本当に石となっており、自分と同じようになっている人がいるなんて。
想像すらしていなかったのだ。
自分の痛みの正体はただの古傷であり、体にできた単なるしこりであり、誰でもできるような病気の一つだと考えていたが、どうやら違うらしい。
ナダは冒険者という職業柄、様々なケガや病気を少しは学園で勉強したが、その中に体が石になって激痛を伴う、という病気は聞いたことがない。
自分の痛みの正体は、この胸の正体はいったい何なのだろうか、と考えるととてつもない恐怖に襲われた。
「それでボクも名前を言ったんだ。君の名前も教えてくれるかな?」
「ナダ、だ。俺の名前はナダだよ」
「ナダ、ね。分かった。覚えたよ」
儚げに笑うラビウムに向かって,ナダは嘆くように言った。
「なあ」
「なんだい?」
「これを治す方法ってあるのか?」
ナダは自分の左胸を親指で指した。
「……あると思う。おそらく」
「おそらく?」
「うん。そもそも治せるのだったらボクもこれを治しているよ。だけど、まだ治せていない」
「でも、方法はあるんだろう?」
「うん」
「教えてくれよ――」
「いいよ――」
ラビウム口角を少しだけ上げて、淡々とまるで説明するかのように言葉を続ける。
「――かつてね、この病気になったのはボクやナダ君だけじゃなく、沢山いるんだよ。その中の一人である“アダマス君”が、どうやらこの病気を治す術の手がかりが迷宮にあると思った」
「アダマスが?」
「うん。だからね、ナダ君、この病を治したければ、迷宮に潜るといいよ。どこまでも、どこまでも迷宮に潜ったら、きっと全てが得られるはずだ。君の知りたいことも全て――」
ナダは眉間にしわを寄せた。
「……本当か?」
「うん。本当だよ。アダマス君がボクたちと同じ病だったのも本当。それを治そうと思って、その術が迷宮にあると彼は知った。そもそも君は冒険者だろう?」
「ああ――」
「なら、かつてのアダマス君が神に言われた言葉を君にも送るよ。――汝よ、迷宮に潜りたまえ。さすれば全てが与えられん」
ナダは歯を強く食い占めてから覚悟を決める。
このしこりが無くなるのなら、痛みが無くなるのならば、最初から答えは決まっているのだ。
ラビウムという女のことは信用できない。
そもそもこの女は何者なのか。
そもそもアダマスの話の中に体が石となる病を抱えていたこと。それを治すために迷宮を潜ったことなどは見た覚えがない。それなのにどうしてアダマスも同じ病気の事を知っているのか、様々な疑問が絶えない奇妙な童女だ。
だが――
「ああ、いいぜ。潜ってやるよ――」
――もしも嘘だとしても、この童女の言葉を信じるしかナダにはないのだ。
医者に頼んでも、神に祈っても、どうしようもなかった痛みだ。イリスやニレナの伝手を頼る方法もあったのだが、きっとどうしようもないと思った。
そもそも体が石になる病気なんて聞いたことがないのだ。現にナダもラビウム以外に同じ病になった者を聞いたことがない。
誰も知らない病気を治す術などあるわけがないのだから。
もしもあったとしてもきっとイリスやニレナでも時間がかかると思うのだ。
そんなのを待っている暇などない。
だからこそ、藁にもすがる思いで、ナダは頷いた。
「うん。なら、早くするといいよ。ボクが君に施した延命はすぐに切れる。それまでに迷宮に潜るといいよ。次に発作が起こってもボクは知らない。死にたくないのなら急ぐことだね――」
「分かった。助かった――」
ナダは素直にラビウムの言葉に頷くと、立ち上がって背を向ける。
暗い路地ではなく、明るい大通りへ出るように歩くのだ。
その瞳は先ほどまでの痛みにおびえていた表情とは違い、強い意志が見られる。
――迷宮に潜る。
これまで幾度となく続けてきた行為だ。それ自体には何の感慨も持たない。
だが、誰かに強制されたわけでもなく、金のためでもなく、ましてや今後の生活のためにでもなく、純粋に自分のために潜るのはいつ以来だろうか、とナダは考える。
ナダは左胸を強く握る。
ナダは一刻も早くこの痛みを治したかった。
久しぶりだと思う。
これほどまでに強く迷宮に潜りたいと思ったのは。
「頑張るんだよ――」
そんなナダの背中へラビウムはエールを送る。
彼女のまなざしはとても温かかった。
だが、ナダの姿が見えなくなると弾むような足取りで路地裏からナダとは逆方向へと出ながら、かつてのアダマスと先ほど会ったナダのことを思い出して彼女の忌み名である魔女のように薄気味悪く嗤った。
「それにしても――」
ラビウムはナダへと思いを馳せる。
「久しぶりに懐かしい思いに浸れたよ。ナダ君、初めて会ったけど君はどこまでもアダマス君と似ていると思うよ。アダマス君と同じように神に愛され、アダマス君と“同じ才能”を持ち、そして――アダマス君と同じ道を歩み始めた」
ラビウムは遠い過去に浸るように言った。




