第七話 王都Ⅱ
「あれ……? イリス先輩……なのですか、この方が?」
学園で何度もイリスを見たことがあるクラリスは、現在のイリスを見て目をパチパチとしながら驚いていた。
それも、そうだろう。
現在のイリスは学園で全ての女生徒が憧れるような凛々しく美しい女性の姿ではなく、無骨な冒険者の姿であった。
赤く美しい髪はボサボサになっており、白く輝かしいはずの顔は土埃にまみれて見るも無残な姿だ。さらに口の周りには薄っすらと無精髭が生えている。服は光沢もない革の鎧を着ており、先程までモンスターを殺していたのかいつもとは違って殺気立っている。
それはクラリスの見たこともないイリスの姿であり、彼女は親しくないクラリスに見られても構わず腰のポーチから取り出したアジェドと呼ばれる黄緑色の果実を取り出した。それは酸っぱいが、栄養価が高いので冒険者から愛用されている果実であるが、それをイリスは気にする様子もなく大口を広げて食べている。
「はあ、イリスさん、久しく会っていないと思っていましたが、どうやらあなたは昔から変わっていないようですわね」
アギヤの時と同じ姿をしているイリスの姿にニレナは頭を抱えていた。
「私が変わるわけないでしょうが。でも、それはニレナも同じようね。久しぶりね。元気にしていたの?」
イリスはアジェドを飲み込みながら言う。
ものの数十秒で食べ終わった。それにアジェドの芯を残すこともせずに全て綺麗に食べている。
「ええ。元気にしていましたわよ。少し……移動しましょうか? ここは少し目立ちます」
ニレナはこちらに奇異の視線を送ってくる市民を気にした。
だが、注目されるのも無理はないだろう、と彼女は諦めたように場所を変えることを提案したのだ。
何故なら戦士の中でも確実に体が大きく目立つ存在であるナダに、異様な雰囲気をした冒険者であるイリス。それに自分は貴族の格好をしており、ドレスを着ている。
さらに普通の少女の格好をしたクラリス。彼女は他の市民と同じ麻のワンピースを着ているおり、本来なら目立たないはずなのだが、他の三人によって最も普通の格好をしているクラリスが最も目立っていた。
「いいけど、私はお金を持っていないわよ。ニレナ、奢ってね――」
イリスは可愛らしく首を傾けた。
「はあ。分かりました。ついでにその格好もなんとかしましょうか。今のイリスさんのままでは一緒に食事をしたくありませんから」
ニレナは眉間を押さえながらどこに行こうか、と考える。
インフェルノにいた時はこういう事が多かったので、どこからでも馴染みの店に行けるようなルートがあったのだが、残念ながら今回は道案内役をしてくれていたアンセムはいない。
だからここから一番近い宿屋に向かった。
もちろん、市民や普通の冒険者では手も足も出ないような宿泊施設である。
◆◆◆
「ふうー、スッキリしたわ。やっぱり冒険の後はお風呂で汗を流すにかぎるわね」
イリスは頭をバスタオルで拭きながら出てきた。体からは湯気がのぼっており、先程までお風呂に入って体を温めていたことが伺える。
そんなイリスはニレナが用意した白いシャツとジーパンを着ていた。髭も剃っており、肌も白く輝いている。たとえ化粧をしていなくてもその美貌は健在であり、今の姿は誰が見てもラルヴァ学園の誰もが憧れる冒険者の一人であるイリスだった。
「うわー、本当にイリス先輩だったのですねー。驚きです」
王都にある高級ホテルの一室でテーブルを囲んでお茶を飲んでいる一人であるクラリスは、迷宮で憧れるイリスを見ながらお茶をティーカップで飲んだ。
すでに先程あったクラリスとニレナの可愛らしい口喧嘩はイリスの登場によって有耶無耶になり、ここに来るまでには簡単な自己紹介をするぐらいの関係になっていた。
「そうですわね。私もアギヤを卒業する時にその悪い癖はどうにかするように、と告げたのですが。あなたの事をよく知っている者ならまだしも、何も知らない人ならば驚きます」
クラリスと同じテーブルについて紅茶を飲んでいるのはニレナだった。
ニレナがイリスの為に用意した高級ホテルの部屋には大きなベッドが二つ置かれており、ベランダは広い。部屋のあちこちに調度品が置かれ、壁一面にかかった大きな風景画はきっと高価であるが、誰もそれに目を向けずにガラスで出来たテーブルを囲んでお茶をしている。
そして真ん中にはマカロンなどの様々なお菓子が置かれてある。
「そうかしら? これでもよくなったのよ。ね、ナダ――」
イリスは三人がお茶をしているテーブルに近づくと、真ん中に置かれたお菓子を手にとった。
どうやら彼女はお腹が減っているらしい。
「……そうだな。少なくともニレナさんが卒業した後のアギヤであの姿は見たことがねえよ」
ナダは過去を思い出す。
今となっては輝かしい功績に満ちた日々を。
イリスがリーダーの下で、コロアやコルヴォのパーティーと競い合った日々を。確かにあの時のイリスはたとえ迷宮の中にいても、今と同じような女性としての魅力に溢れた冒険者だったと記憶している。
おそらくは副リーダーであったニレナがいなくなったので、パーティーをしっかりと引っ張っていかないと行けないという責任があったのだろう。ニレナが卒業した後に、あの姿になることは稀だった。
尤も一人で潜るときや仮面を外さない時の冒険だと、あの姿になることが多いらしいが。
「そうでしょ。ほら、ちゃんとしているじゃない。だからニレナ、お腹が減ったわ」
「はあ。まあ、いいですわ」
ニレナは部屋の隅にある金属のパイプ――俗に伝声管と呼ばれるものの蓋を開けて「料理をお願いいたしますわ」と言った。
既にホテルの支配人には料理を注文していた。王都でも人気のシェフが作る料理であるが、イリスの入浴が終わるまでは待とうというのがニレナ達三人の認識だったのだ。
「それで、イリスさん、どうしてあんな姿をしていたのですか? もうしないと約束していたはずですが?」
「別に見せるつもりも無かったわよ。ただ、ナダならいいかなって思っただけよ。知らない仲じゃないでしょ」
「それはそうですが……ということは、ナダさんにはいつもあの姿を見せていましたのね」
ニレナの眼光が鋭くイリスを突き刺す。
イリスは三人と同じテーブルにつきながらも少しだけ顔を引きつらせていた。おそらくは口の中に入っているお菓子の甘みも感じないと言うほどに。
「……悪い?」
「ええ。悪いですとも。うふふ。イリスさん、あなたにスカーレット家の自覚はありまして?」
「……あるわよ」
「それなら少し別室に行きましょうか? ナダさんとクラリスさんには関係のないお話がございますから。イリスさん……あなたには、貴族の淑女としての最低限の嗜みがどうやらまだないようですから」
ニレナはおしとやかに椅子から立ち上がると、隣にいるイリスのシャツの首元を持って引きずるようにして別室に行く。
イリスも抵抗はしていなかった。というよりも多少は抵抗をしていたのだが、ニレナもそもそもは冒険者だ。イリスと遜色ないほどの筋力は持っており、アビリティも、ギフトも使わない力関係ならイリスとニレナに差はなかった。
「ねえ、あれ、いいんですかー?」
クラリスは見てはいけないものをみてしまったかのように思える。
「……いつもの事だ」
「えーいつもアギヤはあんな感じだったのですか? 私、信じられません。迷宮から出てくるアギヤは、それはそれは私達下級生にとっては憧れの的だったのですよ? 誰も大きな怪我をせず、凛々しく帰ってくるトップパーティーとして」
「ああいう場面もあるって事だけだ。そもそもアギヤの連中はニレナさんには逆らえない。逆らおうともしない。あれでも俺達よりも先輩の冒険者だからな」
「えーじゃあ、ナダさんはあんな風になったらどうしていたのですかー? そもそもパーティーの話し合いの時はどうしていたのですか?」
「黙っていたに決まっているだろう。俺のような下っ端が意見を出来るわけがないだろうが」
ナダはアギヤ時代の時、特にニレナが卒業するまでは自身も冒険者として駆け出しだったこともあって言葉を発することはなかった。
そもそもアギヤというパーティーはラルヴァ学園の中でも歴史のあるパーティーで、イリスもまた別の先輩から受け継いだものであるが、ナダがいた時のアギヤの中心メンバーはイリスと、ニレナと、もう一人の先輩であるシズネなのだ。その三人が冒険の計画を立てていた。
「え、じゃあ、レアオン先輩も確かナダ先輩と入った時期は殆ど変わらなかったですよね? レアオン先輩はどうしていたんですか?」
「相槌を打っていた」
「他には?」
「笑っていただけさ。あいつも意見なんて言えるわけがないだろう? そもそもあの時にいたメンバーの会話の妨げをしてはいけないという暗黙の了解があったからな。俺もレアオンも、あの三人の意見が分かれると何も言えなかったさ。多数決の時にも手を挙げないぐらいだ」
「でも意見をして、いい意見なら取り入れるのでは?」
「その時は別のやつが全力で否定するさ。あいつらが持っている迷宮の知識をふんだんに使うんだけど、それはあくまで争っているときだけ。それ以外の時の意見なら熟考した上で……だいたいダメ出しをされるな」
ナダは遠い目をした。
「でも、それだけならいいのではないでしょうか? そもそも数あるパーティーのリーダーの中には部下の意見に耳を傾けない者もいますし。良い意見なら取り入れるのですよね?」
「いや、問題はそこじゃない。あいつらは駄目な意見でも取り入れるんだ。だいたいダメ出しをした上で、その通りに動くんだ。駄目な意見な筈なのに、それを実践するんだよ。自分で撒いた困難は自分で解決しろってな――」
「うわー」
普通の冒険者なら危険は回避するだろうが、イリス達は違った。
そこをあえて踏みに行く。それも自身のパーティーに入れた新人の意見を取り入れた上で。そこでどう対処するかをパーティーに問うのだ。目に見える程度の困難を乗り越えられなくて、本当の苦難の時にどうして対処できる、という問いかけが三人の共通点だったのだ。
「それが恐ろしくて、逆に俺たちは何も言わなかったんだよ」
「うわー、それは凄いパーティーですね。でもそれで平和になったのならよかったじゃないですか?」
「あいつらに限ってそれは無かったよ。あいつらは俺達から意見が出ないと、今度は無理矢理に意見を聞き出すんだ。先輩というカードを使ってな。それでどうにかして、俺とレアオンを苦難に落とそうと画策する。だからこそ、俺達が成長してまともな意見を出すようになると、あいつらは舌打ちしたさ。つまらない、と」
「うわー」
クラリスが引き気味に言う。
ナダも遠い過去を思い出すように目をつぶる。
あれほど破天荒なパーティーは学園のどこにも無かったと思う。本来なら危険を避けるはずの迷宮探索が、あえて軽い危険ならわざと踏んでいくのだから。
それで多少冒険に問題が出たとしても、学園内で第二位のパーティーにも格差を付けながら第一位にいたのだから凄いパーティーだと思う。もちろんその頃はコルヴォも、コロアも話にならなかった。それもひとえに、ニレナとシズネという先輩の力なのだろう。
「――さて、イリスさんへの説教も終わりましたし、ご飯にしましょうか?」
ナダとクラリスが暇をつぶしている間に、どうやらイリスへの説教は終わったらしく、ニレナは意気揚々と別室から出てきた。
イリスが肩を落としているのは久々にニレナから説教をされたからだろう。いつも傍若無人に振る舞う彼女も、ニレナに正論をぶつけられると反論できない。だから説教をおとなしく聞く羽目になるのだ。
そして二人が席につくと、ナダが思い出したようにイリスに問う。
「それでイリス、あんな珍しい格好をしてどこに行っていたんだ?」
ナダでも滅多に見ることがないイリスのズボラな姿を思い出していた。
「決まっているじゃない。迷宮に潜っていたのよ」
「それはこの王都にあるインペラドルですか?」
「ええ。ねえ、皆、知っている? 今王都にある迷宮には――とある珍しいはぐれの目撃情報があるのよ」
イリスは、怪しげな笑みで言った。




