第四話 ニレナⅡ
それからすぐに馬車は止まる。
慣性に引っ張られてナダの体が少しだけ前に重心が移動した。あまり馬車を乗る機会がないので慣れていないのか、頭が大きく動いていた。
それを見ているニレナはくすくすと笑っている。
「そう言えば、ナダさんは馬車が苦手でしたね。昔と比べてどうですか?」
「……もう酔うことはねえよ」
ナダは小さな声で言う。
それからすぐにアンセムの手によって馬車の扉が開けられた。
「ニレナ様、どうぞ」
「あら、ありがとうございますわ」
ニレナは外にいるアンセムの手をとって、支えられるようにして馬車を降りる。彼女が降りきってから、ナダも外に出た。
馬車が着いたのは屋敷の前であった。
いや、城と言ったほうが正しいだろうか。限りなく広い敷地には、花や木が彩られ、馬車のすぐ横には花壇が広がっている。だが、今は冬なので花は咲いていないが、それでも綺麗に手入れされていた。
その奥にあるのが屋敷である幾つもの高い塔が空に向かって伸びている。色は白を基調とされており、未だにその輝きは衰えていない。きっと外壁も綺麗に掃除されているのだろう。
だからナダには既にニレナの屋敷の敷地内には入っているのだと思った。ふと屋敷の反対側を見ると、高い壁と鉄で作られた門が見える。その門は開いており、今まさに帯刀をした従者らしき男二人が閉めようとしている。
「ナダさんは私の家に来たのは初めてでしたわね? どうぞ、こちらへ。案内いたしますわ」
ニレナは先頭を切って屋敷に入ろうとしており、屋敷に元々いた執事だろうか。アンセムと同じ格好をした執事らしき男が扉を開けており、その中にニレナは入っていった。そしてこちらを手招きしながら待っている。
ナダはそれに付いていこうかと思ったが、隣にアンセムが立っていることに気づいた。
彼に声をかける。
「あんたは知っていたのかよ?」
「何のことでしょうか?」
アンセムはナダを見ながら言った。
「……婚約の話だよ」
「はい。一年前には――」
アンセムは顔色を変えない。
「じゃあ、その相手に、両親を騙すとはいえ、俺がなるって事にあんたは納得しているのか?」
「はい。それがニレナ様の決めたことなら――」
「本気かよ――」
「はい。そもそもこの事は私もニレナ様からご相談されましたので、経緯も理由も全てご存知ですよ」
「あんたはそれで納得しているのか?」
「ええ。そうです」
「そうかよ――」
ナダはそれだけアンセムに聞いてからニレナの後を追うように、老執事の横を通って屋敷の中へ入っていった。
屋敷に入ってまず目についたのは、床に敷いてある赤い絨毯だ。それが先にある部屋や階段まで続いている。その途中には龍や女神などの彫刻が置かれている。その女神は、氷の女神――ポリアフ。人のような姿であって、差し出した右手につららが滴っているのを白い大理石によって表現されている。何よりも感嘆するべきは服のベールの表現だろう。
またそれらを照らしているのは天井にある大きなシャンデリアだ。ナダの身長よりも遥かに高い場所に、それは光を放っていた。ろうそくではなかった。もっと科学的な灯りだ。
「ナダさん、こちらですよ――」
ニレナの声が階段の上からかかる。
「ああ。分かった」
それから階段を登り、ニレナの隣に立つと彼女も下にある氷の女神の彫刻を見てから奥にある部屋に老執事が扉を開けたので入った。
そこは応接間だろうか。
中にあったのは、ソファが対面に二つとガラスのテーブルが一つ。他にも何もなく、ニレナとナダがそれぞれ対面するように座ると部屋に入ってきたアンセムが二人にそれぞれ紅茶を淹れた。
「ナダ様、砂糖とミルクはどうされますか?」
「……一つだけでいい。ミルクはいらない」
「かしこまりました」
ナダの前に温かい紅茶が置かれた。
またクッキーも一緒に。黒いのは中にチョコが入っているからだろう。インフェルノでも人気があったが、高いのでナダは買ったことがなかったので興味本位で一つだけ口に入れた。
優しい甘さだった。
それから紅茶を飲むと、目の前に座っているニレナが思い出すように言った。
「あの彫刻が気になりましたか?」
「氷の女神だろう?」
腕にしたたっているつららが、氷の女神の証だ。
「ええ」
「……ニレナさんのギフトだろう?」
「はい。そうですわ」
「血だったか?」
ナダは学園で習ったことを確かめるように言った。
「ええ。そうですわ。私の家系にはポリアフ様のギフトに目覚める者が多いのです。私もそうでしたし、叔父もそうみたいです――」
ギフトに目覚める者は冒険者の二割ほどだろうが、その中でも多いのが貴族出身の者だった。彼らの先祖には、ギフトに目覚めて優れた冒険者となり、貴族になった者も多い。そして、貴族達は先祖と同じギフトに目覚めることが多いと聞く。
ギフトはアビリティとは違い、血に宿ると言われている。
もちろん、先祖と違うギフトに目覚める者もいれば、ギフトに目覚めない者もいるが、統計をとってみるとやはり同じギフトに目覚めることが多いのだ。
例えばニレナのヴィオレッタ家の場合は氷のギフトを、コロアの王家の場合は雷のギフトを。
それぞれ、生家のギフトを手に入れている。
「だから、彫刻があるのか?」
「はい、そうですわ。私の先祖である偉大なる冒険者――グラエス様。彼に力をもたらしたポリアフ様を我家は信仰しています」
「確か教科書にも載っていたな」
「有名なお方ですから――」
「確か……声も聞いたんだって?」
「よく覚えていますわね。そうですわ。グラエス様はポリアフ様のお声を聞くことができたほど、神と近かったと思われます」
「へえ」
ナダはクッキーをつまみながらニレナの話を聞いていた。
「まあ、その話はいいでしょう。それよりも、私との婚約の話の本題に入っても宜しいですか?」
ナダとしてはこの話をスルーしたかったが、どうやらそうも行かないらしい。
「……いいぜ」
「まず、宝玉祭が三日後に控えているのはご存知ですわよね?」
「ああ。そのために来たんだからな」
宝玉祭はどうやら王城で開かれるらしく、そのための招待状をナダは持っている。学園長直々に言われたのだ。絶対に出なければならない。そうしないと、学園に在籍できなくなるかも知れないからだ。
「私の両親に会うのはその後にしますわ。正確に言えば今から一週間後です。父も母もそれまでは帰ってきませんわ。だからこの屋敷でゆっくりとしてくださいね」
「……ああ。ところで、ご両親はどこに行ったんだ?」
「母は西にある領地にいますわ。父は……宝玉祭の準備が忙しいようで、王城に泊まっているみたいです」
「そうか――」
ナダはどうして王都に来ただけなのにニレナの両親に会わないといけないのか。そして何故こんな事になってしまったのだろうか、と自問自答したくなる。
だが、もはやナダは諦めたようにニレナの言葉に頷くだけだった。
一度、大きなため息を吐く。
「――っ!」
不可解な痛みがナダを襲った。
左胸からだった。
まるで熱いマグマを胸に抱いているかのような痛み。それは灼けるように熱く、心臓を中心に全身を傷ませる。
ああ、そうだ。と思い出す。
ナダはこの痛みの解明にも来たのだ。
学園にいる医者にも見てもらったが、左胸のしこりは骨折が治った時に肥大した骨だと言われ、その時は大して痛みもなかったのでその場は納得していた。だが、時たまこのように痛むことがまだあるのだ。
それは忘れた頃に思い出すように来る。
だから王都にはこの胸の痛みの解明にも来たのだ。
「……何やらナダさんは調子が悪いようですわね?」
「そう見えるか?」
ナダは平静を必死に保っているが、顔に浮かぶ冷や汗は隠せなかった。
また、右手は全力で左胸を押さえている。
ここがニレナの前でなかったから声を上げて蹲っているところだ。
「ええ。用意したお部屋で休みますか? 夕食の時間になればまた呼びますわよ」
「ああ。そうしてくれると助かる」
「では、アンセムに案内して貰ってください――」
「ああ――」
ナダは痛みに堪えながら必死に立ち上がり、アンセムが開ける扉を出ようとした時にニレナが心配そうに言った。
「ナダさん、本当に大丈夫ですか? もしもダメそうなら医者を呼びますけど?」
「……いや、大丈夫だ。無理そうだったらお願いするから」
「ではナダ様、こちらへどうぞ」
ナダはアンセムの案内のもと、痛みに必死に堪えながら用意された部屋に向かった。
頭が痛みでくらくらとして、アンセムがなにか言っていたようだがナダは聞いてすらいなかった。
客室用に用意されたそこはベッドの他に一人用の椅子と机が用意されたり、クローゼットも大きかったりするのだが、ナダはそれらには目もくれずにコートなどを雑に脱いで床に置くと、ベッドの上に倒れ込むように横になった。
キングサイズのそのベッドは、ナダがこれまで寝てきたどのベッドよりも柔らかいが、それに喜んでいる暇などない。
ナダは胸を必死に押さえながら蹲っている。
その熱と、痛みは消えることまでなく、眠るまで続いた。




