第三話 ニレナ
「誰にって? もちろんイリスさんに決まっているではありませんか。彼女はナダさんのことなら大体のことはご存知でありますから――」
「……そう言えばそうだな」
ナダは数週間前にイリスからいつごろ王都に来るのか聞かれたことを思い出した。
そのときには既に王都行きの列車を予約していたので、少しのためらいもなく教えたのだった。
「久しぶりにあなたに会いたかったので、こうして会いに来たのですよ」
「それはそれは嬉しいことで。で、一体なんのようだ?」
ナダは隣に執事を少しだけ見てから言う。
彼のこともよく知っている。確か名前がアンセムだったと思う。迷宮の中までは流石に付いてきた事はないが、それ以外ではいつもニレナに付いている。離れたところを見たことがなかった。
「会いに来たと言ったではありませんか」
ニレナは優しく微笑んでいる。
「それだけじゃないだろう?」
「どうしてそう思いますの?」
「ニレナさんがそれだけの理由で俺に会いに来るのか?」
「……そうですわね。そろそろ本題と参りましょうか。ナダさん、あなたに少しお話があります。もちろん付いてきてくれますわね?」
ニレナが有無を言わさないように強い言葉で言う。
「別にいいが、実は宿を探さないといけないんだけどな」
ナダは困った顔で言った。
「あら。どこも宿をとっていませんの?」
「ああ。初めて王都に来るからな。どこの宿屋がいいか分からなかったんだ。それに予約を頼めるような知り合いもいないからな」
「そうですか。なら素晴らしい提案がございますわ」
「……何だよ、その提案っていうのは?」
嫌な予感がしたナダ。
「私の実家に泊まるというのはどうでしょうか? 部屋もいっぱいありますし、退屈にはさせませんわ――」
ニレナは口元を白い手袋をつけた右手で隠して笑っている。その姿はとても上品であり、その姿だけを見れば深窓の令嬢と言われても否定しないだろう。それほど、彼女の周りの空気は澄んでいるように思えた。
尤も、迷宮の中での彼女がナダの脳内に蘇り、そんなイメージはすぐに消し去ったが。
「本気か?」
それはナダにとって魅力的な提案でもあった。
ヴィオレッタ家と言えば国内に置いて王家の次に権力を持っていると言われている。歴史も長く、屋敷自体も大きい。そんな家に泊まるとなれば、きっと滞在費はかからないだろう。
学園から多少の援助は出たが、苦学生のナダにとって旅費を捻出するのは大変なことだった。
その中の滞在費が浮くというのはすごく助かる。
「はい。ナダさんのことですからお金に困っていると思いましてね」
「……よく知っているな」
「だってアギヤの時からお金が無かったのですもの」
「そう言えばそうだったな」
あの時は確か防具や武器、それに学費や生活費が必要だったからお金が無かった記憶がある。
親からお金を貰っていない苦学生にとってラルヴァ学園での生活は大変なのだ。
「私はあなたの先輩なのです。少しぐらい助けてあげようと思いまして。優しいでしょう?」
「……そうだな」
「安心してくださいね。大丈夫ですよ。ナダさんに金銭の請求はしませんから」
「それは助かる」
「ええ。ですけど、一つだけお願いを聞いてもらいたいのです。宜しいですわね?」
「お願いって……何だ?」
ナダは眉をひそめた。
「それは後からのお楽しみですわ」
ニレナは優しく笑った。
だが、その姿に見慣れているナダにとっては酷く恐ろしい物に見える。過去の彼女がしてきたお願いは無理なものも多かったからこそ、ナダは警戒しながらも覚悟してから言った。
「そうかよ。じゃあ、わかった」
やはりお金が浮くというメリットはナダには捨てがたく、彼女の提案を断るということはしなかった。
今の経済状況を考えるとそのようなことはできなかった。
「いい返事が聞けてよかったですわ。では行きましょうか? 外に馬車を待たしていますから」
「ところで一つ聞きたいが、もしも俺がこの提案に乗らなかったらどうしていたんだ?」
「それはありえないということです。私にとってナダさんは、私のお願いを聞いてくれる可愛い後輩ですもの――」
ニレナはにっこりと笑っていた。
それからナダはニレナに連れられるがまま、駅の外へと向かう。赤いレンガによって作られたそこは天井部分が青いアーチで支えられて、その対比が美しい駅だ。また、透明のガラスによって道が仕切られており、広く長い通路に脇には服屋や雑貨屋、また食事処などが入っている。
また絵画や彫刻、様々なアートが溢れており、中には貴族らしき老人の男が無心にピアノを引いていれば、指で引く小さな弦楽器を引きながら歌を唄う吟遊詩人は目の前に箱を置いてチップを貰っている。またアカペラで唄う女性もいた。
それらを聞きながらナダは多数の人とすれ違った。服装も、顔も、喋っている言葉さえも違う人々がいた。
その中にはアマレロのような東方の服装をしている者もいれば、首元までファーが付いた毛皮の服を着た者もいる。おそらく北方の民だろう。それに貴族もいた。豪華絢爛な、様々な色で彩られた派手な服を着た者もいれば、地味な格好の者もいる。大きな荷物を持った冒険者も多く、彼らの大半はここにある迷宮――『インペラドル』に挑戦するのだろう。
もちろん外套などを着た普通の旅行者も多かった。
やはりパライゾ王国の首都だけあって、人種のるつぼとも言うべきだろうか。
様々な人が多い。
彼らの横をニレナとアンセムの案内で駅の外に出ると、多数の馬車や人が行き交う道路の端に、ひときわ大きな馬車が止まってあった。
それは他の馬車とは違い、馬が二頭も繋がれており、また馬車自体も四輪で黒が基調と地味ながらも複雑な木の彫刻がなされている。インフェルノでもあまり見たことがないような豪華な馬車だ。
おそらくあれがニレナの馬車だろうと、ナダは思った。
「ナダさん、こちらですわ」
ナダの予想は当たる。
ニレナが案内したのはやはりその馬車であった。
馬車には既に御者の男の老人が乗っており、アンセムが馬車の入り口を開けた。アンセムに先導のもと最初に乗ったのはニレナであり、次に「ナダさんも早く乗ってください」と言われたので、ナダも乗ることとなった。
だが、アンセムは乗らないらしい。
彼は馬車の外の御者の横に座るようで、ナダが馬車の中にある椅子に座ったと同時に扉は閉められた。
だから馬車の中にはナダとニレナしかいない。
あとは外に繋がるガラスの小窓が二つほどあるだけだ。一つは御者台のほうと繋がっており、もう一つは壁の横にある。外から二人の姿は殆ど見えないだろう。
ナダは馬車がゆっくりと動き始めると、目の前でお行儀よく座っているニレナに向かって、やはり一番気になっていることを聞いた。
「で、ニレナさん、お願いってのは何なんだ?」
「ほんのちょっとしたお願いですよ。もう聞きたいのですか?」
「ああ――」
ナダは頷いた。
「簡単なことです。私の――婚約者になってもらいたいのですわ」
いつもと変わらないトーンで言うニレナの言葉に、ナダは予想していなかったので、一瞬だけ頭が真っ白になって言葉が出ない。
目を点にして、あっけにとられた表情でニレナを見つめていた。
それを見て、ニレナは口元を隠しながらくすくすと笑う。
それからようやくナダは口を開くことができた。
「本気か?」
「はい。本気ですわ」
「どういうことだ?」
「その名の通り、ナダさんには私の婚約者になってもらいたいのですよ。と言っても、その“ふり”をしてもらいたいのですわ」
「ふり? ……詳しく説明してもらおうか?」
「構いませんよ――」
それからニレナがお願いのことについて話すのをナダは黙って聞いていた。
どうやら親が結婚についてうるさいようだ。ニレナとしてはまだまだこの王都で冒険者として活動したいらしいが、貴族である親が早くどこかの家に嫁入りしろとずっと言っているようで遂には婚約者まで見つけてきたらしい。
その婚約者というのは貴族の、それもヴィオレッタ家と同じく王家の傍流の血筋の長男であり、将来は家を継ぐことが約束されている男のようだ。現在はこの王都にある役所で働きながら、いずれは領地に戻るらしい。
ニレナも会ったことはあるらしく、色男であり、性格もよく、非の打ち所がないような男らしい。悪い噂も聞かず、貴族の女性の中では憧れている人も多いようだ。
そんな男との縁談話が上がっているようで、お互いの両親もそれに乗り気のようで、単純に相手が嫌だという理由では断れないほどまでに話が進んでいるらしい。
「――と、この話を私はどうしても断りたいので、ナダさんには協力してもらいたいのですわ」
「……その男と結婚したら駄目なのか? それで冒険者は続けるように交渉したらどうだ?」
ナダは聞く耳を持たないと思っていながらも言う。
「無理ですわ。だって、貴族の妻には、その責務が数多くございますから。ナダさんは知らないでしょうが、私はこう見えても幼き頃よりそのような教育は数多くされているので、嫁入りした人がどんなことをしなければならないのかはよく分かっております」
「……そもそも他のやつに頼もうとする気はなかったのか?」
「ありましたわよ、もちろん。ただ……私は実はそこまで信頼している男性は少なくて、最初はレアオンにしようかとも思ったのですが、どうやら彼の消息は分からずじまいで、誰に頼もうか悩んでいる時にちょうどナダさんが王都に来たのですよ。アギヤの時には“一度も”来なかったナダさんが――」
「そうだな――」
ナダは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「それで、引き受けてくれますわよね?」
とびっきりの笑顔でお願いをするニレナに、無情にもナダは言った。
「アンセムじゃあ駄目なのか?」
「駄目ですわ。だって彼は執事ですもの――」
「へえ。じゃあ、俺は平民だぜ。ただの家名すら持たない男だ。そんな奴がニレナさんの相手にふさわしいとでも? きっとニレナさんのご両親も、お相手の婚約者もそう思うはずだ。俺に偽の婚約者としての価値は無いぜ。当て馬としては失格じゃないのか?」
「いいえ。ナダさんは私の当て馬になるに相応しいですわ」
ナダは少ない頭で必死に断る理由を考えていったが、どうやらニレナの表情は変わらなかった。
それがナダには不可解だった。
「何故だ?」
「だって、ナダさんは――冒険者でしょう?」
「……ああ」
「それも屈指の冒険者ですわ」
「……そうじゃねえよ」
「いいえ。イリスさんから聞きましたわよ。ナダさんはあのコロアさんやイリスさんたちと学園最強の名を賭けて争ったと聞きましたわ。そして、勝った。紛れもなく、一流の冒険者ですわ。だからこそ――資格があります」
ニレナは断言した。
「……何故、冒険者というだけで俺に価値がある? ヴィオレッタ家のご令嬢をもらうほどの価値があるというのか?」
ナダの単純な疑問だった。
冒険者という職業は野蛮である。学園にいる生徒は貴族出身も多く、育ちもよく、気性も穏やかな者が比較的多いが、冒険者がそのような者ばかりだとは聞いたことがない。
そもそも、冒険者は命をかける職業だ。
宵越しの銭など持っていても仕方がないし、そもそもその日の稼ぎをほぼ使い切る冒険者も多いと聞く。過去にはそういう者が多く、後先を考えずに命を落とす者が多かったからこそ、ラルヴァ学園という冒険者の命を守るための施設ができたという話もあるくらいだ。
インフェルノではそのような冒険者は少なくなったが、未だにそのような者は数多くいる。迷宮に潜るという苦痛を紛らわすために、ある者は、酒に、女に、賭博に、様々な快楽に浸りながらそれでも必死に身銭を稼ぐのだ。
「ええ。冒険者は冒険者でも、ナダさんは実力がありますから――」
「……ねえよ」
「いいえ。ありますわ。だって日々、死なずに、一定量のカルヴァオンを収める。これがどれほど難しいことか、そしてどれほど重要なことかご存じなくて?」
「……残念ながら教養が無いからな」
「じゃあ、教えてあげますわ。ナダさんは先程、列車に乗ってここまで来ましたわよね?」
そんなニレナは過去にも聞いた優しい言葉で言う。
同じようなゆっくりとした口調で、ナダはニレナから冒険者として大切なことを数多く教わったのだ。
「ああ」
だからこそ、ナダは首を縦にふることしかできなかった。
「あれは何で動いているか知っていますか?」
「カルヴァオンだ」
「じゃあ、今、家庭での調理をしたり、またはお湯を作ったり、ああそう言えば、暖を取るのにも何を使っているか知っていますか?」
「……カルヴァオンだ」
「それだけではありませんよ。製鉄所、船の動力、またはランプに至るまで、ありとあらゆる所に使われ、今となっては人々の生活には欠かせない物になっておりますわ」
「そうだな……」
その知識はナダも知っている。
カルヴァオンを何に利用するか、という知識は学園で教わったことがあるからだ。
「では、カルヴァオンを産出する冒険者がどれほど重要なのかもご存知で? 今や、機関車が馬車に変わって国中の大切な移動手段になり、様々な産業の発達にも不可欠な物につつある今、カルヴァオンの確保はどの貴族にとっても死活問題ですわ。だからこそ、貴族は有能な冒険者を囲いたがります。それこそ、自分たちの娘や息子を結婚させてまで囲いたい者もいますわ。ナダさんだって、その経験があるのではないでしょうか?」
「ああ……」
ふとナダはカノンとの話を思い出した。
彼女もニレナと似たようなことを言っていた。
「ナダさんは優れた冒険者です。多くのカルヴァオンを供給してくれる有能な冒険者です。そして伸びしろがまだございます。そんな人を強欲な貴族が逃すと思って? 安心してください。あなたは価値のある冒険者です。だから、私の婚約者になる資格がありますわ。よかったですわね――」
確かにニレナの話には納得ができた。
だが、素直には頷けない。
何故ならそうしてしまえば、ニレナの嘘の婚約者として多数の人間を騙さなければならず、王都に来て、宝玉祭に出るだけだったのに、こんな事に巻き込まれるなんて聞いていないとナダは言いたかった。
だが、何も言葉は出ず、ただうなだれていた。どうやってニレナから逃げようかをただ考えていたが、いい案は全く浮かばずに大きなため息をつく。




