第二話 宝玉祭Ⅱ
列車の旅からすでに三日が経っている。
山を超え、谷を超え、何もない雪原を抜けて。
街も幾つか越えた。
その度に乗客が増えたり減ったりしている。
かつては旅人たちが馬や徒歩で何ヶ月もかかってした旅を列車という偉大な発明のおかげで、苦労することなく終えることができた。その間にナダがしたことと言えば食堂車でゆったりとブラミア達とお茶をするか、自分の部屋にあるベッドの分厚い毛布にくるまって寝るか。もしくはそこにある窓から移り行く景色を楽しむか。
それらの景色はインフェルノからほとんど出ることのないナダにとっては新鮮なものであった。海岸を走っているときに眺めた海は初めて目に入るものであり、思わず窓を開けて潮の香りを楽しんだ。
高い山はどれも雪化粧がなされており、そのどれもが故郷にある山よりも大きく険しかった。
また各地の街ではそれぞれが発展しており、インフェルノには劣るかもしれないが立派な街であった。石でできた古い建物が並んだ街もあれば、レンガばかりの家が並んだ街もあった。
寄ってみたいとも思ったがそんな時間も無ければ金もない。ナダは窓から見える景色だけで満足していた。
などと久々に冒険に全く関係のない日々が続き、体がなまった頃に列車の窓から見える先に巨大な都市が見えてきた。
「あれが――」
ナダは食堂車の窓から見える光景に思わず感嘆した。
飲んでいた紅茶の手を思わず止めるほどであった。
大きな高い壁で囲まれたそこに、線路は続いている。だが、それよりも驚いたのは壁よりも高い建物たちだ。
長い年月をかけて作られたそれらは、天に伸びるように無数に作られている。一つ、二つ、三つ、とうてい数えられないほどあった。
平らな雪原が広く続いた先にあるそれは、まるで突然出現したかのように、驚きがナダの心に浮かんだ。
「やっと王都じゃねえか」
隣でケーキを食べていたブラミアの顔にも笑みが宿る。
だが、先に見えたと言っても、どうやらブラミアの話によるとまだまだ列車の旅は続くようだ。
王都は広い平野の上にあるので遠くからでもすぐに見つかるが、実際に到着するにはそれから早くとも半日はかかること。
先は長かった。
暫しの間、ナダはまたブラミア、アマレロ、ケインたちと冒険者としての話を行うこととなった。
そしてナダたちが乗った列車は王都ブルガトリオにある最南の駅――サウスブルガに着いた。
列車が大きく揺れて止まった後に汽笛が大きく鳴った。
どれやらもう列車から出られるようだ。
すでにカップに入った紅茶はなくなっており、四人とも退屈を紛らわすためにどうでもいい会話しかしなくなったころであった。
特にブラミアはテーブルの上にうなだれている。
「行こうぜ!」
食堂車の中から慌てて飛び出たのもやはりブラミアであった。
ナダたちもそれに続くように食堂車から出て、荷物を取りに自分たちの部屋に行った。ナダも最低限の荷物をとってから、数日前に列車に乗った場所と同じところから出て行く。
「ご乗車ありがとうございます。お荷物がある方はあちらでございます」
それは乗った時に話した乗務員だった。
彼に従うがまま、後ろの車両を目指すナダ。そこでは荷物の引き渡しが行われており、ブラミアたちもそこに並んでいた。
普通の旅人は荷物が少ないのだが、冒険者と思われる者たちは荷物が多かった。おそらく防具や武器であろう。
だからナダは順番を待つ間、周りを眺めてみる。
ブルガトリオの駅はインフェルノにあったそれよりも立派であった。列車が七編成も止められる線路が敷かれ、現在はそのうちの三線が列車で埋まっている。列車の色は黒が基本であるが、中には赤で装飾されたものもある。そこから降りている者たちが豪華絢爛な服を着ていることから、上流階級の者たちが使う列車なのだとナダは判断した。
そもそも聞いた話によると未だにインフェルノでは実用化にいたっていないが、ブルガトリオでは都の中も列車が走り、そのための駅が幾つか存在するらしい。だからここに住んでいる者は距離や金額を考えてから列車を利用するのか、それとも
徒歩で移動するのかを決めるらしい。
そもそも一日歩いても端から端まで辿り着かないほどの大きな街だ。
列車という便利なものがなければ不便なのだろう。
現にこの駅から先に続くように二本の線路が伸びている。おそらくあれは都内に通じる列車なのだろう。
「じゃあな、ナダ!」
そんなことを考えていると、最初に列車から出たブラミアがもう荷物を受け取ったようだ。
彼も他の冒険者と同じく大きなカバンを幾つも持っている。また細長い包みも一緒に持っていることから装備も中に入っているのだろうとナダは思った。
「迷宮に潜るつもりか?」
ナダはつい興味本位で聞いてしまった。
「ああ。そうに決まっているじゃねえか!」
ブラミアは笑顔で言う。
「そうか――」
「ナダは潜らねえのか?」
「……装備を持ってきていないからな」
「ここの迷宮は面白いって有名だぞ」
「確か名前が――」
「――インペラドル。ま、興味があるんだったら特徴などは調べろよ」
「ああ――」
ナダは頷いた。
「じゃあ。またな。どこかで会おうぜ!」
「ああ。またな」
ブラミアはナダの返事が聞けるとそれで満足したのか、ニヒルに笑いながら大量の荷物を抱えてナダに背を向けた。
一度も振り返ることはなく。
「おや、ナダ殿はまだでござるか?」
どうやらアマレロとケインも荷物を受け取ったのは早かったらしい。
二人共大きな風呂敷をそれぞれ一つずつ持っている。どうやら二人とも防具などは持っていないようだ。
だが、二人共腰には列車の中と変わらずに刀を差している。彼らの出身の習わしだそうだ。
「ああ。どうやら出遅れていてな」
「僕たちはもう終わったよ。と言ってもこれだけだけどね」
ケインは風呂敷を持ち上げた。
「アマレロとケインは迷宮には潜らないみたいだな」
「拙者はそもそもパーティーメンバーがいないでござるから。一人では流石に……」
アマレロは苦笑いで答える。
「僕は潜るよ――」
アマレロとは反対にケインは挑発的な笑みで言った。
「ケインもアマレロと一緒で防具はつけないのか?」
「それはないよ。僕も流石に迷宮の中だとしっかりとした防具はつけるね。でも、先にブルガトリオに着いた仲間が持ってきてくれていてね。だから僕の荷物はこれだけなんだよ」
「そうか。ケインはつけるのか――」
どこか安心したように息を吐いたナダ。
「おやおや、それだと拙者がおかしいと思われているでござるか?」
アマレロは顎の無精髭をさすりながら言う。
「そうだね……」
「おやおや、これは一本取られたでござるなー」
アマレロは怒っている様子もなく、どうやら防具もなく迷宮に潜ることの異常さは自覚しているようだが、自分のスタイルを変えるつもりもないようだ。
だが、それでも十分な結果を出しているので、ナダもケインも何も言わなかった。他人の冒険スタイルに口を出すことが野暮だと知っているからだ。
「次のお客様――」
そんな話をしているうちに、ナダの番がやってきた。
荷物の受け渡しをしている乗務員に、数日前に切り取られた切手を渡す。それから荷物を探すようだ。
「じゃあ、ナダ殿。またでござるよ」
「じゃあ、ナダ、またね」
「ああ。またな」
ケインとアマレロはブラミアとは違い、どうやら王都の中も列車で移動するようでまた別の列車に乗りに行った。
そんな彼らの後ろ姿を眺めているうちにナダの荷物が乗務員によって探し出されたようで、丁寧に手渡された。
「大丈夫かとは思われますが、念の為荷物の中身をご確認ください」
ナダは少し場所の離れたところで手渡されたダッフルバッグの中身を確認した。ククリナイフも持ってきた服も中に入っているようで、盗まれたものはないようだ。また、ククリナイフも抜いて確認するが、特に損傷もなかった。
ナダはアマレロたちとは違い、これ以上列車に乗る予定はなかった。また宿もとっていない。これから取らなければ行けないのだ。
まだ時刻は昼にもなっていないだろう。
夜までに探さないといけないなと思いながら、ナダはダッフルバッグを持って駅から出ようとホームを歩き始めた時――鈴を転がしたような声がナダの名前を呼んだ。
「――ナダさん」
それは聞き慣れた声であった。
声の持ち主が誰なのかすぐにわかったからこそ、ナダはそちらの方を向くことを本能が拒否した。
だからこそその声を聞かなかったふりをしてその場から立ち去ろうとしたのだが、それよりも前に先程よりも大きな声で“彼女”は言った。
「あら、ナダさん、まさか私を無視するわけではございませんよね?」
ナダの背筋が凍る。
ゆっくりと首を回してナダは“彼女”を視界に入れた。
久しぶりに見た“彼女”は一年ほど前と全く変わらない姿で、上品に佇んでいた。
白いワンピースはスカートの部分がフレア状に広がっており、腕の先から足元、に至るまで繊細なレースの刺繍がほどこされてある。身長は百六十ほどと一般女性とあまり変わらないのだが、おそらくハイヒールを履いているのだろう。少し高く見える。
髪は金色であり、背中まである長いそれはきれいなウェーブがかかってある。その姿もナダの記憶にあるものと変わらなかった。
色素が薄い肌が示すように太陽の光が眩しいのか、日傘を隣にいる高身長の燕尾服を着た執事に持たせたまま、薄くピンクに塗られた唇でナダの名前をもう一度呼んだ。
「ナダさん、あれ、おかしいですわね? 返事がありませんよ――」
冷たい氷のような声。
ナダは外気とは関係がなく、体が一度震えた。
長いまつ毛。大きな目。小さな鼻。薄い唇。まるで芸術品のように美しいはずの彼女の姿が、まるで恐ろしいものに見えた。
「……聞こえているさ、ニレナさん。それで一体何のようだ?」
ナダは顔を引きつらせながら言った。
彼女の名前はニレナ。ヴィオレッタという国内でも有数の王家に連なる大貴族の出身であり、長女という育ちから玉のように大切に育てられた淑女である。
普通ならどこかに嫁入りするのが彼女の運命であっただろうが、何を間違えたことかラルヴァ学園に入学し、冒険者になったのである。そして実家からのサポートを存分に受け、また彼女自身も冒険者としての才能があったことから学園にいた時代には彼女の名前は有名であった。
ナダもニレナのことはよく知っている。
――何故ならイリスがまだアギヤにいた頃のパーティーメンバーの一人であり、イリスが唯一頭の上がらない幼馴染であり、当然ながらナダもニレナに対しては逆らったことはない。
やんわりとお願いする彼女が絶対に折れないことを経験則で知っているからである。
「あら、久しぶりに会う先輩に対してつれないではありませんこと?」
小首を傾げながら魅力的な笑みでニレナは言った。
「そうか? 別にいつもこんな感じだぜ」
「そうですか。まあ、いいですわ。それよりも出会うのは一年ぶりぐらいでしょうか?」
「ああ」
「元気にしていましたか?」
「ああ」
「そうですか。それはよかったです」
「それで、ここに俺がいることは一体誰から聞いたんだ?」
かつてのアギヤ時代の癖で絶対的な上下関係があるので、ナダは恐る恐るニレナに質問する。




