第零話 プロローグ
冬の寒い朝、六時。
迷宮都市に唯一ある駅であるインフェルノ駅のホームに列車が入っていた。都市間を結ぶ重要な列車であり、『ファートゥス号』という名前が付いている。
迷宮から産出されるカルヴァオンを運ぶための一両と王都へ向かう人達の客室が二両に、食堂車が一両、それに荷物を運ぶための一両だ。
すでに乗客はちらほらと乗っており、また駅には何人かの乗務員もいた。乗務員たちは誰もが分かるように深い緑色をした背広を着ている。
特に荷物を置くための車両には三人の屈強な乗務員がおり、一人が荷物の切符を確認し、あとの一人が荷物を中へと乗せる。だが、それらの荷物は何も鞄だけではなかった。剣、鎧、盾、冒険者ならではの必需品を多数乗務員は運んでいる。どれも布が巻かれたり、壊れないように専用の大きな鞄に入っていたりとむき出しになってはいないが、その独特な形は見るものが見ればすぐに分かった。またそれらを渡している者たちも冒険者が多かったからだ。
「荷物はこちらですよ」
乗務員が大きな荷物を持つ客達に声をかける。
列車を乗って移動することは冒険者にとっても珍しく、手慣れていない者も多かった。多数の荷物を抱えた冒険者はそれでなくても焦ったように切符を見て、それから荷物を渡している。
「お客様は荷物はないのですか?」
乗務員は数いる客の中で一際大きい男に声をかけた。
男は色ボケたチェスターコートを着ても分かるほど太い体躯をしており、また頭にはハットを被っている。どれもが黒色であり、中に着ているのは麻でできたシャツであり、寒いのかボタンは上まで締めていた。
ナダであった。
「じゃあ、これを頼む――」
肩にかけていたダッフルバッグと腰につけたククリナイフを持ったナダは切符を見せてから乗務員に渡そうとするが、相手は首を横に振った。
「お客様、申し訳ありませんが、荷物に余裕があるようでしたら、できればその鞄の中に入れていただけると幸いです」
「そうなのか?」
「ええ。見る限りそれは大切な武器なのでしょう?」
「ああ」
ナダは頷いた。
「列車は揺れが大きく、大切な武器や鎧が傷つく可能性もあります。また優れた武具は盗まれることも。だからそのようにむき出しにされていては何かがあっては困ります。無論、荷物に問題がありましても、私達には何の責任も取れません」
乗務員は諭すように言った。
「残念ながらこの鞄には鍵は付いていないぞ」
ナダは自分の持っているダッフルバッグがそれほど上等なものでないことを伝えた。入れる場所も紐で縛る簡単な造りである。
「そうですね。でも、見えているのと見えていないのでは大きく違います。人は見えなければその中にあるものが何かわかりませんが、ひと目で分かる優れた物はそれだけで欲しくなるというものです」
「そうかも知れないな」
ナダは乗務員の言葉にゆっくりと頷くと、まだ余裕のあるバッグの中に鞘にしまわれたククリナイフを素直に入れた。
高価な武器ではないが、それでも盗まれると困るというのがナダの本音だった。
「ありがとうございます」
乗務員はそれからナダのダッフルバッグを受け取り、切符の三分の一を切り取ってダッフルバッグに付けた。おそらくこれがナダの荷物であるという証明だろう。今回始めて列車に乗るナダが仕入れた事前の知識であるが、切符は降りる直前まで持っていないといけないのが、荷物の引き換えのためである。
だからナダは大切そうに切符をチェスターコートの中に入れた。
冷たい空気がホームを突き抜けたので、ナダはとっさに両手をチェスターコートの中に入れてしまった。そのまま客室のある車両へ行こうと寒風の中を急ぐが、数ある客の中に見知った顔を見つけてしまった。
向こうもナダを見つけたようで、お互いの目が合わさる。
二人の足が自然と伸びた。
「久しぶりじゃねえか!」
ナダに近づいた男は特徴的な姿をしていた。短く切りそろえた赤髪。切れ長の目。右耳には赤いピアスを付けており、右眼から顎にかけて炎のような刺青を刻んである。
また服は獣のファーが付いた分厚い服を着ており、冒険者らしい肉体がより一層大きく見えた。
ブラミア、である。
「そうだな――」
ナダがブラミアを忘れるわけがなかった。
それほどあの龍の体内での冒険は深く彼の中に刻まれている。学園で冒険者を続けているが、あれほどの衝撃的な経験は初めてだった。
あの七人以外に、龍に食われた者同士でパーティーを組み、龍の体内を踏破した、そんな冒険はないと断言するほどに。
「あの龍の時以来か? 学園でも会うことはほぼなかったからな」
ブラミアは懐かしそうに目を細めた。
「ああ。そう考えると半年ぶりか」
「そうだな。あれからもうそんなに経つのか。寒くなるわけだぜ!」
「本当に、季節が変わったな――」
ナダは少しだけ鼻が赤くなっていた。
開けたホームは冷たい風がよく通る。
今も二人の体を冷やすほどに。思わずナダとブラミアは体をぶるっと震わせてしまった。
「それで、ナダ――あんたも王都に行くのか?」
「ああ。と、言うことはブラミアもか?」
「そうだ。全く面倒な話だが、呼び出されちまってよ。仕方なくこうして列車に乗ろうとしてるんだ」
「俺も一緒だよ――」
二人で笑い合った。
おそらく、他にも似たような学生は多いだろうと思う。ナダの知り合いではイリスはすでに数日前に王都に旅立ったと聞いた。
ダンは行かないらしいが、風のうわさでコルヴォが王都に向かうことも知っている。コロアは随分と昔に実家である王都に帰ったようだ。
他にもアメイシャ、オウロ、といった名だたる冒険者たちが王都に向かったと聞いている。
その中でもナダが王都に向かうのは遅い方だった。
王都に行けば数週間は迷宮探索が出来ないだろうから。ぎりぎりまで迷宮探索をして少しでもお金を貯めたかったからだ。
そんな時、汽笛が鳴った。
二人の元を通る乗務員が焦るように言った。
「あと十分ほどでこの列車は出発ですよ。乗るのならお早めに」
その言葉を聞いたナダとブラミアは寒い空に下に未練などなく、温かい車内へと逃げるように乗り込んだ。
それからすぐに、列車は大きく揺れて、ゆっくりと動き始めた。
ナダは後ろの扉の過ぎ去る景色に思わず感動の息を吐いた。
列車に乗るのは初めてだった。馬車には何度か乗る機会があったが、このように龍のような大きな乗り物に乗るなどはじめてのことであった。村の時には想像すらせず、知りもしなかった列車という乗り物。それに乗ったことに少しだけ感動を覚えている。
列車はどんどんと早くなり、やがて馬車よりも早くなった。
そんな列車の動力は蒸気機関である。
燃料はカルヴァオン。燃やせば多大な熱と炎を生み出すそれはナダのいる現代には様々な用途で使用される。各家庭での燃料もそうだが、このように列車のような大きな物を動かす燃料としても重宝していた。
蒸気機関が優れた天才によって開発されてからもはや三十年。
列車は、人や物、そして何よりもカルヴァオンを運ぶ大切な移動手段となりつつあった。




