第四十九話 エピローグ
百器の騎士を倒してからもう三週間も経った。
すでに怪我が治り、体の調子が戻ったナダは迷宮に潜っていた。
もちろん――行き慣れたポディエであった。
ポディエの環境にナダはすっかりと順応している。懐かしいとさえ思うほどに。天井は高く十メートル以上はあるだろう。天井にはいくつもの発光した花が咲いており、この花のおかげで冒険者はあたりを確認することができるのだ。
ナダは目を凝らす。
多少、内部変動で変わったとしても、ポディエの情報は常に仕入れていた。だからこの道も知っている道であり、下へ続く重要な通路である。
そしてナダは通路の奥――モンスターがいる場所を睨む。
いた。
足音が聞こえた。
多数の足音だ。
カショッホだ。
狼の形をしたモンスターだ。
数が多いので、この浅い階層だとカショッホしか出ないとナダは知っている。
ナダはすぐに迎撃体勢を取った。
右足を軽く引き、体の重心を少しだけ下げる。
手慣れた仕草であった。
だが、ナダの持っていた武器は青龍偃月刀――ではなかった。
ただの剣であった。
腰から抜いた剣であり、同じものが右の腰にも鞘に入ったままぶら下がっている。
ナダが抜いた剣は、普通のブロードソードだった。それこそ、学園に入りたての新入生が使うような。長さは六十センチ。モンスター相手でも壊れないように刀身は少々幅広だ。ナダの巨漢には似合わず、少々短いようにも思えるそれをナダは使っていた。
柄の下をしっかりと右手で握り。左手は添えるように。
自分の眼前へ軽く、力を抜きながら自然な動作で構える。
正眼の構えであった。
ナダはその所作に違和感などなく、むしろ懐かしささえ感じるほどであった。
そもそもナダが学園に入った頃は他の学生たちと同じく、このブロードソードのような剣を使っていた。それから徐々に同級生たちがアビリティやギフトに目覚めていくに連れて、ナダは新たな力を求めるようになり、少しずつ大きな剣へと変えていったのだ。
だから、ナダは最初、このような剣で戦っていた。
カショッホを、短い剣で倒していたのだ。
またナダは鎧を着ていたが、胸当て、手甲に足甲といった最低限のものしか身に着けていなかった。どれも安さだけで選んだので、鉄でできた防具であり、こちらもラルヴァ学園の一年生が持つような代物であった。
ナダは装備がこれまでと比べると遥かに劣っていたとしても、焦るような気持ちはなく、むしろ冷静にカショッホを迎え撃つ心の準備が出来ていた。
来た。
敵が、怪物が、モンスターがナダへと襲いかかる。
まずは一匹。見慣れた大きさの狼であり、それが飛びかかってきた。ナダはその攻撃を躱そうともせずに、ブロードソードを上から単純に振り落とした。対象の切れ味の悪さなら腕力で押し切っていた。
それは切ると言うよりも、叩くと言ったほうが正しいだろう。
切れ味の悪いブロードソードをまるでただの鉄塊のようにナダは扱っていく。
右斜前方からきたカショッホは横に一旦避けてから、腹へと刃を振るう。切れない。肉に食い込むだけで、そのまま壁へとナダはカショッホを払い飛ばす。カショッホは壁にぶつかって脳天が破裂した。
また三匹目のカショッホもナダに襲ってくる。
右からだ。
躱せない、と判断したナダはすぐにカショッホの口の間にブロードソードを挟むようにして、攻撃を凌ぐ。
その間に左からもカショッホが飛びかかってきた。
ナダはすぐに左手をそのカショッホに向けた。手首を引く。すると、ナダのつけていた手甲であるソリデュムから白銀の美しい刃が飛び出た。その刃はカショッホの眉間を突き刺し、ナダが腕をひねると傷口が抉れて、そのまま腕を振るい近くの壁にまでカショッホを飛ばした。
それからナダは右のブロードソードで攻撃をしのいでいるカショッホを太い足で蹴ってどかし、それから胴体をブロードソードで無理やり何度も突き刺して命を奪った。
ナダは前を見据えながらソリデュムの刃を手甲へと戻す。
百器の騎士との戦闘で折れたソリデュムであったが、帰りの戦闘の時にはすでにソリデュムの刃は復元していた。どうやらソリデュムは折れても勝手に治る便利な武器らしい。
これも迷宮で見つかった武器だからその特性だろうか、とナダは思っているが、詳しいことは何も知らないし、それ以上は興味もなかった。
「相変わらず、ここは変わらないな――」
ナダは奥の通路を見据える。
カショッホがいる。
多数いる。
愛用の武器である青龍偃月刀はない。いくらウーツ鋼で作られた強靭な武器と言えど、使っていればやがてガタが来る。軸がずれ、刃が鈍ったのだ。だから『アストゥト・ブレザ』の店主であるバルバの伝手を使って、特大武器でも扱ってくれる酔狂な鍛冶師へと修理に出したのだ。
金もかかる。
時間もかかる。
だからナダは青龍偃月刀を持たない冒険を強制されていた。
最初は代わりの大きな武器を手に入れようとしたのだが、残念ながらそんなお金は青龍偃月刀の修理代へと消えていった。
だから、ブロードソードのような初心者用の武器で戦っているのだ。
ナダは嗤った。
口角を高く上げ、にたあ、と嗤った。
粗末な武器しかないのに、多数のカショッホと戦わなくてはいけない。
だが、不安などなかった。
いつものように冒険者としてモンスターを狩るだけだと、ナダは無言でマカーコの群れに突っ込んだ。
◆◆◆
「どうやらまた無茶な冒険をしたようですね。そろそろ身の程を知ったらいかがですか?」
ナダは迷宮から帰ると、すぐに今回の冒険を、カウンターを挟んだ場所にいる茶髪の受付嬢に報告した。すると返ってきたのが、この返事だった。淡々とした声でまるで義務のように告げられる。
「……そうだな」
持っていたブロードソードは二本とも折れており、一本は重たかったので鞘ごと迷宮に捨ててきた。もう一本は中程で折れており、おそらく修理も出来ない代物をナダは持っている。
鎧も砕け、取れ、もとの形が残っていない状態で帰ってきたのだ。
順調な迷宮探索だったとは言えないだろう。
「まあ、カルヴァオンは手にしているようですが――」
茶髪の受付嬢はナダの腰のポーチから溢れんばかりのカルヴァオンを見る。どれも小ぶりで質も悪そうだが、量だけは持って帰ってきていた。
「ああ」
「それはどうしますか? こちらで全て換金いたしますか? それとも別の方にお渡し致しますか?」
「残念ながら先約があるから、二割だな――」
ナダはそう言って、持って帰ってきた中から二割のカルヴァオンを茶髪の受付嬢に渡す。
換金レートは高くないが、迷宮で手に入れたうちの二割のカルヴァオンをダンジョンを管理する場所で換金するのは冒険者の義務であると同時に、学園の校則にも書かれている。
茶髪の受付嬢はそれらのカルヴァオンを受け取ると、ナダにいつものように告げた。
「では、ナダ様。換金されたお金はのちほど銀行を通じてあなたへと支払われるでしょう。本日は迷宮探索お疲れ様でした。疲れたでしょうから、ご自宅でゆっくりと休んでくださいね。そしていち早く迷宮に潜って、カルヴァオンを提供くださいね」
「ああ」
ナダはそう言ってすぐに自宅へと向かう。
スピノシッシマ家に寄るような体力も気力も残っていなかった。
ナダは自宅につくと、すぐに部屋の隅にがらくたのような防具と武器たちを置く。もちろん、損傷のないソリデュムとククリナイフは丁寧に置く。テーラはいない。自分が迷宮探索に行っている時に一人にするのは不安だったので、スピノシッシマ家へと預けているからだ、
テーラを迎えに行くのは明日にしようとナダは思うと、外にある井戸へと向かい水を汲んだ。
水面へナダは視線を向ける。
そこには自分が映っていた。
よく見た顔であった。頬などに新しい細い線のような傷があるが、よく付くので問題はない。
ナダはその水を頭からかぶった。
服を着たまま。
冷たい。
まるで迷宮に潜ったことによって生まれた熱を冷ますかのように。
ナダはもう一杯水を汲み、もう一度水面へ顔を向けた。
自分は何か変わったのだろうか、と思う。
昔と何か変わったのだろうか、と思う。
スピノシッシマ家という貴族の繋がりができ、テーラという妹を育てなければいけない。青龍偃月刀は当分帰ってこないだろうし、不本意ながら学園の殆どが認めていないだろう学園最強という名も手に入れた。
だが、状況は何も変わらないのだ。
迷宮に潜り、金を稼ぐ。
それで、生きる。
余裕などない。
きっと自分は何も変わらないのだろう、と思った。
いや、とナダは考える。
一つだけ、確かに変わった部分があった。
ナダは上の服を脱ぎ、右手で左胸を握りしめた。
固かった。
しこりが心臓の部分にあった。
百器の騎士を倒し、知らない風景のイメージが四つも頭に生まれて気を失ったあと、目が覚めると胸にこのしこりが出来ていたのだ。
まるでそれは石ころのようであり、どれだけ水をかぶっても体の中で唯一熱く、時々胸に激痛がはしるのだ。
「っ――!」
ナダは左胸に痛みを感じてとっさにうずくまって左胸を抑えた。
痛みは消えた。
だが、石ころのようなそれが冷めることはなく、ずっと熱を持っている。
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