第四十六話 最強の名Ⅺ
コルヴォは《鬼殺し(オーガ・スレイヤー)》に強化された腕で何度も何度も右手を斬りつけている。
小剣のように長剣を扱い、避けようともしない手に向かって幾度となく剣を振るっていく。手の甲。浅い。血が少しだけ出るだけだ。人差し指の第一関節。固い。骨には離れた。一度剣を引き、もう一度、今度はスピードをつけて。だが、固い。切れない。関節に剣が食い込みすらしない。手応えを感じなかった。
これまで動かなかった右手が、素早く跳ねる。
指だ。
人差し指が跳ね上がったのだ。
それはまるで頭突きのようにコルヴォに迫る。下がって避ける。
次は中指が弾かれた。床を抉ったのだ。幾つもの岩がコルヴォを襲い、そのうちの一つが頬に掠って赤い筋が出来る。
攻撃のどれもが効いていないと、コルヴォは悟る。
かつては龍にも通じた剣が通じないことにコルヴォは焦るように叫んだ。
「こいつを食い止めないと、迷宮探索どころではなくなるぞ!」
その間にも手は大きく上に上がった。
右手だった。
それが空中に漂う。
そしてまるで小虫を払うかのように動いた。コルヴォとイリスはそれを下がって避けるが、風圧までは避けきれない。必死に身を固めてこらえる。手であおいだだけなのにこの力。もしまともに当たればどうなるのだろうか、と考えるとコルヴォはぞっとした。
「二人共、避けるが良い!」
コロアが右手を前に出して、ギフトを唱える。
「――雷の主よ。我が化身よ。我が偉大なる血族よ。我に、天上の力を。一瞬にして全てを焼き尽くし、破壊し、全ての者から畏れ敬まれる絶対の力を。其れは大雷であり、我が魂の一片なり」
眩いばかりの光が、イリスとコルヴォの視界を遮る。
まるで天が怒ったかのような爆音。
この雷撃は、コロアの持つギフトの中で規模、威力、共に最大の出力を誇るギフトだ。
範囲こそアメイシャに比べれば少しだけ劣るものの、学園でもギフト使いとしては優秀なコロアが放つそれは、並のモンスターなら一撃で倒せるほどの威力を誇り、過去にははぐれをも一撃で倒したことのあるギフトであった。
だが、白い光の中には二本の手が無傷で存在していた。
傷一つついていなかった。
左手が伸びる。
手首から先の腕の部分までもが這いずり上がる。
「さあ、どうしようかしら?」
イリスはコロアのギフトを受けてなお、ダメージが殆どなく、動きも落ちない二本の腕に向かってつぶやいた。
ギフトは通じない。
イリスのレイピアは刺さり、コルヴォの剣も斬れるが、ダメージがあるかと聞かれれば自信がなかった。
この“はぐれ”の動きは遅かった。
何度手が動こうと、こちらの位置が正確に掴めていない状況では攻撃が当たることはないだろう。全て避けられるという自信がイリスにはあった。たとえ手がどのように動こうが、全ての攻撃を躱せると自負している。
だが、逆はどうだ?
イリスは自身の持つアビリティで刺すことは出来る。鉄の防具は薄く、イリスのレイピアでも断ち切れる。肉も斬れるだろうだが、それで、ダメージがあるのかという疑問がイリスの中で消えはしない。
骨は切れない。
たとえ、イリスのアビリティと剣があったとしても。
もしこの“はぐれ”がこの部屋にその姿を表したとして、その勝算をイリスは考えた。
――倒せない、と悟った。
イリスは静かに攻撃の手を止めた。
レイピアは持っているが、コルヴォのように手に攻撃しようとは思わない。無駄だと思ったのだ。
コルヴォが未だに右手の攻撃を避けながら、決して諦めずに剣を振るっている時、イリスは右手に加勢しに行こうとも、左手に攻撃しに行こうとも思わなかった。
イリスが絶望に打ちひしがれている時、そんな彼女をコロアが見つけた。
「イリス!」
「無理ね――」
イリスは嗤いながら言った。
「何故、何もしようとし――?」
「倒せないわ。あれには。殺す方法が見当たらない。これ以上やっても労力の無駄よ――」
イリスはコロアの言葉を遮って言った。
「――本気かい!?」
遠くで孤軍奮闘しているコルヴォが遠くから叫んだ。
既にイリスの言葉を受けて、コロアも攻撃の手を休めていた。
そんな二人の様子を見たコルヴォも一度攻撃を止めて、二人の元へと帰る。そこにいたのは暗い顔をしたイリスとコロアであった。
「さあ、どうしましょうか? あれは殺せない。倒せない。そもそもあのモンスターにとってあの手は弱点でもなんでもない」
イリスは自嘲気味に言った。
「ああ。それは分かっておる。ただ、あれを放って置くという選択肢もないのだ!」
コロアは強く言った。
「イリス、君はどうしたらいいと思う?」
「さあ――?」
イリスがコルヴォの質問に答えようとした時だった。
地面が微かに揺れた。
その揺れは大きくなり、イリス達三人が立っていられなくなる。
このような揺れは迷宮の中で何度も感じたことがある。
だが、それはあの二本の腕を持つ大きなモンスターが持つ足音でもなければ、誰かの地響きでもない。
――内部変動だ。
イリスは視線をそっとナダ達のほうへ向けた。
そこには首のない騎士と共に倒れているナダがいた。
あの“はぐれ”に勝ったのだと、イリスは悟る。
思わず笑みがこぼれそうになった。
強いモンスターと戦って勝つことは冒険者に取って誉れの一つであり、その瞬間を見ていなかったことをイリスは惜しいとさえ思っていた。
「イリス、あれを――」
だが、コルヴォの声によってイリスの視線はまた巨大な二本の手に引き戻された。
先程まであった数多くのモンスターを連れ、二本の手が出ている穴が閉じようとしている。まるでその穴を絞るように徐々に、徐々に閉じていく。
「これで安心出来るな――いや、あれは何だ?」
コロアがほっと一息ついて気を抜こうとするが、二本の手が出てくる穴を見ていると異変が起こった。
穴の縮小が途中で止まったのだ。二本の手が穴に手をかけ、むりやり広げようとしている。ダンジョン内で起こる内部変動は冒険者はおろか、モンスターでさえも逆らえないというのが常であるはずなのに、目の前の二本の手はそれに逆らおうとしていた。
床の振動もおさまった。
部屋の奥には“新たな扉”が出現している。
だが、唯一、二本の手が抵抗している床だけは未だに閉じていない。迷宮自体はその穴を閉じようとしているが、巨大な二本の手が必死に抗っている。どちらが勝つかは分からない。
だが、もしもあのモンスターが勝ったら、そこまで想像して、考えるのをイリスは止めて、むしろやる気が生まれたかのように軽快な口調になっていた。
「ねえ、あれを押し戻すのは、倒すのに比べたら簡単だと思わない?」
イリスは口元に笑みを浮かべて言う。
「ああ。なるほどね。倒せなくても勝てる状況にはなったか」
コルヴォはため息を吐いた。
「狙いは手というよりも地面のほうがいいな? 内部変動は続いている。あの手を落とせばいいはずだ」
コロアはそういうとギフトを唱え始める。
それと同時にイリスとコルヴォの手に近づいた。
イリスは左手へ、コルヴォは右手へ。先ほどと同じような配置になったが、目的は違う。
先程までは手を倒そうとしていたが、今度は手を穴に落とそうとしている。
目的は手と接着している地面であり、その肉だ。
「行くよ――」
コルヴォは右手の、まずは小指を狙う。肉を切れたことは先程の攻防で実証済みだ。だから体勢を低くして地面と接している場所を剥ぐように斬る。赤い血がコルヴォにかかる。
右手もコルヴォに抵抗しようとするのか、一瞬だけ手を強引に伸ばしてつかもうとするが、コルヴォは必死に下がって避けた。
右手が一瞬だけ浮いたことによって、中に少しだけ押し戻された。
「ふう――」
イリスの斬り方は違った。
がむしゃらに左手にレイピアを浴びせている。人差し指の付け根。中指の先。薬指の第二関節。小指に刺し、手の甲を撫でるように斬る。
血がでる。
イリスは赤で濡れていた。
おそらく手自体にダメージはないだろう。
だが、厄介な虫であろうイリスに対して左手が気がついた。
薙ぎ払おうと左手が動く。
イリスは笑う。
その瞬間、何の惜しみもなく体を引くイリス。
すると穴を広げる圧力が無くなったことにより、穴が少しだけ縮小した。それをまた左手も必死に広げようとする。
「引くのだっ!」
隣では右手にコルヴォが攻撃をしかけている。
それをコロアが退かせた。
一瞬の後の雷撃、それは地面をえぐり、また穴は小さくなる。
今では穴は小さくなり、両手が共に人差し指、中指、薬指の三本しか出ないほどに。
イリスはその中の一本の指に近づく。
斬っていく。
骨は断てない。
なら、狙いは肉。
少しでも力を削ぐことに全力を注いでいた。
コルヴォも同じ行動をしていた。
二人の猛攻。
時折、放たれる全力のコロアの雷撃。
それは一種のパターンとなっており、徐々に徐々に、指が押し戻されて穴が広がっていく。
そして最後に、コロアがギフトを唱えた時、雷撃によって指は少しだけ動かなくなり、その間にダンジョンが勝ち、完全に穴がふさがった。
辺りには“はぐれ”の血が無数に広がり、けれども肉は全く残さず、正体が不明のままそのモンスターは穴によって二度とこの部屋に現れることはないのであった。




