第四十一話 最強の名Ⅵ
「――火よ」
アメイシャはいついかなる時も己のルーティンを変えない。
変えるはずがなかった。
それは七十七階に現れた新たな十三番目の部屋に入る時も一緒であった。もしかしたら誰か他の冒険者がついている可能性があったとしても、アメイシャのすることは変わらない。
いつものようにギフトを唱え、放つだけだ。
「それは誉れ高き炎である。何よりも大きく、力強く、それでいてあらゆる者共に畏れを。我は龍。誉れ高き王である。天と地をともに手に入れ、全てを焼き尽くす。我が魂に――」
アメイシャは使えるギフトは七つ。
これはギフト使いの中でも多い方であり、故に学園で最強のギフト使いだと言われている。
そもそもギフト使いは三つのギフトが使えればそれだけで優秀なのだ。集団を殲滅する広範囲のギフトが一つと、一体のモンスターを対象にしたギフトが一つ。それにパーティーにいる冒険者たちを支援するギフトが一つあれば、どのパーティーにも引っ張りだこであった。
だが、学園には三つものギフトを使えない者が多かった。
そんな中、アメイシャはギフト使いとしては非常に優秀である。
様々なギフトを選択でき、それぞれのギフトが学園の中でも最もレベルが高い。
そんなアメイシャがお目当てのはぐれ相手に選んだギフトの名前は――『焔龍の吐息』。アメイシャが持つギフトの中で最大の攻撃力を誇り、時にはダンジョンの地形すらも破壊することもあるギフトであった。
アメイシャは部屋の中へ入る。
敵の認識などしない。
確認したことは一つ。
他に冒険者がいるかどうかだ。
わずか数瞬で、アメイシャは他に誰もいないことを確認する。
口角を少しだけ上げて、アメイシャは最後の祝詞を告げた。
「――無限の業を」
アメイシャは両手を伸ばす。
右手は上に。左手は下に。
それはあたかも龍の顎のようであり、そこからどこまでも紅く煌めいた炎が放たれた。目指す先は一つ。はぐれである。騎士である。百器の騎士である。
アメイシャの目には強大な炎しか映し出されていなかった。
何も見えない。
眼前がいつものように炎で満たされたのだ。
だが、ふいに、一つの風切り音が聞こえる。
炎で見えないが、その中から嫌な声が聞こえた。
咄嗟にアメイシャは身を捩る。
すると、先程まで己の顔があった場所を一本の太矢が通過する。
熱かったはずのアメイシャの肝が冷える。
あの矢は確実に自分の頭を狙っていた。
やがて、炎が晴れた。
未だに地面が溶岩のように爛れている中で、百器の騎士は鎧に煤一つ残さず大弓を構えていた。そこには既に新しい矢が引かれており、確実にアメイシャを狙っている。
アメイシャは新たな祝詞を唱える。
「我は炎。肉体に熱と――」
そのギフトの効果は身体能力の向上。
普段は自らが率いるパーティーメンバーにかけるのだが、この日に限っては普段はかけることのない自分へとかけた。
アメイシャは静かにそして、冷静に自分の勝算を探っていた。
『焔龍の吐息』はアメイシャの持つ中で最大の攻撃力を持つギフトである。先程は祝詞を最大に唱え、集中力も高く、威力も上々だった。さらに敵である騎士にそれが的中しているのにもかかわらず、騎士へのダメージは無いに等しかった。
あれ以上のギフトをアメイシャは持ち合わせていない。
だとすれば、それ以外の方法で勝機を探っていくしかなかった。
「――業を」
アメイシャが己にギフトをかけるのと同時に、騎士が太矢を放つ。軽戦士のようなスピードを得たアメイシャは、それを横に避けながら非常時用にと腰に吊り下げていた剣を抜いた。
長さは六十センチ。標準的な両刃の剣ではあるが、一流の冒険者らしく、ヒヒイロカネを豊富に用いた剣だ。もちろん、重さ、切れ味とともに折り紙付きであり。羽のように広がる鍔の中心には赤い宝石が、それは火の神のギフトの力を高めると信じられている宝玉であり、柄には握りやすいよう革が巻かれていた。
さらに続けてアメイシャは次なるギフトを唱える。
「火よ。我が魂に寄り添う力となり――」
そのギフトを唱えると同時に刀身の鍔元から炎が奔る。やがて、全てを言い終わる頃には紅金色の刃が赤い炎に包まれていた。
「全ての業を焼き斬れ――」
そのギフトの効果は剣の切れ味を上げて、炎の力を宿す。
もちろんアメイシャが自分や仲間に普段から酷使するギフトの一つであり、この力のおかげでアメイシャは様々な窮地を脱してきた。
「炎の矢を――」
短い祝詞。
それと同時にアメイシャは幾つもの火の矢を己の周りに浮かせた。そして牽制とばかりに騎士へと放つ。
その時にはもう騎士は弓を構えるのは止めて、背中にあるツヴァイヘンダーを抜いていた。巨大な剣であり、それは人が持つ物よりも長く、おそらく三メートルはあるだろう。刀身の根元には“リカッソ”と呼ばれる刃をつけていない部分があるが、騎士は柄の先端の部分を片手で持っていた。
人では考えられない膂力を持っているのだとアメイシャは判断する。
騎士は地面より少しだけ浮いていた。
だからこそ、駆けるのではなく、まるで低い位置で滑空するようにアメイシャへと迫る。幾つかの矢は避けながら、けれども矢を受けても鎧に阻まれているおかげかダメージは見る限り――ない。
「くっ――!」
初動が分からない動き。
だからこそ、アメイシャの反応は少し遅れてしまった。
騎士がツヴァイヘンダーを振り下ろす。
アメイシャは横に転がるように避ける。
すぐさまこちらへ薙ぎ払うのをアメイシャは幾つもの火の矢をぶつけてその時の爆音と衝撃で騎士の意識を逸して体勢を整える。
「炎の矢を――」
アメイシャがギフトに集中する数瞬、騎士から左手に持ったボウガンの矢が飛んだ。
アメイシャの放っていた矢があたり、わずかに軌道が外れてアメイシャに掠る。白いローブが切れて、そこから白い太ももが見えて、さらに僅かながら赤い血が出ていた。
けれどもアメイシャは怯まない。
すぐに生み出した炎の矢を全て騎士の顔にぶつけた。
矢が爆ぜる。
ダメージは無いだろう。
だが、騎士の意識が少しだけアメイシャから外れる。
アメイシャは剣を強く握る。
前線で戦う剣士のようなスピードで騎士まで近づいた。
ツヴァイヘンダーを振り下ろす騎士の姿が見える。だが、それよりもアメイシャの剣のほうが早く、到達する。首など届かない。狙う先は騎士の鎧と鎧の間である膝だ。アメイシャはスライディングし、剣で一閃。
やった!
確かに手応えを感じた。
だが、すぐに騎士のもう一方の足が飛び、アメイシャの腹部を蹴って転がす。
アメイシャは三メートルほど転がった先で、絶望的な騎士の姿を見た。
先程切ったとされる膝はかすり傷が少しだけついただけであり、ダメージは無いにも等しかった。
けれどもアメイシャはすぐに次の騎士の攻撃を避けるために立ち上がる。
寝転がっている暇など無い。
自身が持つ様々な戦力と敵である騎士とを考えながら、圧倒的な彼我の差を感じる。
せめて仲間がいれば――。
だが、ここには誰もいない。
アメイシャは次の騎士の攻撃を避ける心構えをしながら、静かに、そして冷静に自分が負けるまでに何が出来るかを探す。
◆◆◆
ナダがその部屋についた時、既に中では激しい戦闘が行われていた。
そしてそれとは別に、二人の冒険者がいた。
レアオンとオウロである。
「次についたのはナダか――」
そう言ったのはレアオンだった。
彼は部屋の入口で待機するように壁にもたれかかっている。だが、いつでも戦えるように剣だけは抜いており、視線も目の前で激しく戦う冒険者と騎士に向けられており、いつでも戦えるようにしていた。
「ルールではついた者の順番が、挑める順番だったか。ならばナダ殿は三番目であるな」
オウロは笑うように言った。
彼は剣を抜いていない。背中に収めている。
「ちなみに、二番目についたのは?」
「私だ」
ナダの質問にオウロは静かに答えた。
「そしてその次が僕だよ、ナダ――」
レアオンが笑いながら言う。
「そしてその次が俺か? おいおい、あの三人はどうした? 仮にも俺らの先輩だろうが――」
ナダは部屋の中心で行われている凄惨な戦いよりも、この場にイリス、コルヴォ、コロアの三人がいないことのほうが気になった。
何故なら彼らはナダの知る限り、学園で最強の三人である。その実力だけはナダもよく知っていた。
そんな三人の内、一人もこの場にいないことのほうがナダには気になった。
「どうやらまだ来ていないらしいよ」
レアオンは嗤う。
「意外だな――」
「そうかな? ナダ、僕はそうは思わない。これは順当な結果だと思うんだ」
「何故だ?」
「だって、彼らはいずれも自身の持つパーティーを手放している。何故なら卒業条件を満たし、もはや学園から卒業するまでパーティーを持っても意味がないからね。だからこそ、思うんだよ。パーティーを持って、日頃から冒険している冒険者のほうが現役なのではないのかと――」
「本当にそうか?」
「考えてもみなよ。この場に最初についたのは、『アヴァリエント』のアメイシャで、その次が『デウザ・デモ・アウラル』のオウロだろう。学園のパーティーランキングと一緒じゃあないか――」
「かもな――」
ナダはレアオンの質問に答えながら、目の前で起きている戦闘に目をやった。
アメイシャは既に死に体であった。
攻撃は何とか避けている。
だが、おそらく限界が近いだろう。
砂埃で薄汚れた修道服は数々が破れ、アメイシャの白い肌が脇腹、肩、太もも、腹、など様々なところが破けて、扇情的な姿になっている。
息も切れ、激しい戦闘だったのか、それともギフトを使いすぎたのか顔も青い。
どう考えてももう限界だ。
後は彼女が負けを認め、次なる冒険者に冒険を譲るだけだ。
アメイシャは剣を握る。
その剣に宿る炎は小さく、切っ先に少し宿すだけであった。
騎士は左手にボウガンを握っている。矢は自動。小さな光が集まり、自動的にセットされるのだ。そのボウガンは単発式であるが、騎士はわずかの間に幾つも放つことができた。
アメイシャも当然のように炎の矢を放つが、もはや騎士は避けることもなかった。
だが、騎士の放つ矢をアメイシャは避けなければ致命傷になる。
一つ。横に避ける。アメイシャ。
二つ。火の矢と相対するが、既に威力の下がった火の矢にそれが止められるわけもなく、アメイシャは軌道が変わりふくらはぎを掠るだけで終わった。
アメイシャは一発逆転を狙い祝詞の長いギフトを唱えようとするが、その前に騎士が滑空するように距離を詰める。ツヴァイヘンダーを薙ぎ払う。
アメイシャはぐっと口を噛み締めてそれを躱すように距離を詰めて剣を振りかぶるが、もう一歩距離を詰めた騎士の膝がアメイシャに当たる。アメイシャは体がくの字に折れ曲がり、口から血を吐いて転がった。
そんなアメイシャにツヴァイヘンダーが振り落とされるが、咄嗟に先程の中途半端な炎を地面にぶつけて、アメイシャは体を退かせて避ける。
騎士はそれでも焦りはしない。遠くで倒れているアメイシャにゆっくりと近づく。
アメイシャはその間に体だけ立ち上がった。
髪は乱れ、顔は砂と血で汚れている。彼女の美貌などもはや跡形もなかった。目の奥は濁り、勝つ希望すら無い。
そんな状況でも、彼女は冒険者らしく戦っていた。
「次は私か――」
ため息を吐くように言ったオウロ。
彼は悲惨そうな表情でアメイシャを見ていた。
「早く負けてくれると助かるよ。次は僕の番だからね――」
「そうならないことを私は祈っておくことにしよう――」
オウロが背中の大太刀に手をかけると同時に、挑戦的にレアオンがナダに向けて言った。
「残念だったね。ナダ。ここまで来たようだけど、君の順番は訪れないよ。何故なら君の前が僕だ。僕はあの“はぐれ”に勝つつもりだ。君はそこで手をこまねいて眺めているといいよ」
「そうか――」
ナダは少しの感情もなく答えた。
ナダはずっと眼の前の戦いを見つめていた。
アメイシャは火の矢を出し、剣を振り、けれどもそのどれもが騎士に通じることはなく、様々な武器を相手に一歩ずつ一歩ずつ着実にアメイシャは追い詰められている。
負けるのは時間の問題だ。
ナダはその点についての見解は、オウロやレアオンと一緒だった。
だが、ナダは百器の騎士の目が気にかかった。
青い眼光。
それが度々、こちらに向けられている。
この部屋の入口にいる冒険者たちに向けて、ナダはその目が気にかかった。手を出すつもりはないのに、百器の騎士はナダがこの部屋に入った時には既にこちらへと注意を向けているのだ。
明らかに殺気をこちらに向けていた。
ナダはそれが気にかかる。
レアオンもオウロも、はぐれから目をそらしたりはしないが、意識はあまり向けていないようだ。
だが、ナダはまるで己が戦っているかのように騎士を睨んでいた。
騎士が、ナダを見る。
ナダも、騎士を見る。
アメイシャの限界が来たのか、息が早くなり、もう動きも緩慢になってきた時、ナダはそんな彼女の様子を目にも入れてなかった。
まるで自身が戦うかのように青龍偃月刀を持つ手に力が入る。
右足が一歩踏み出る。
――瞬間、百器の騎士が矢を放った。
それはナダの目の前に床に刺さった。
そして百器の騎士がアメイシャに最後のトドメを刺そうとした時、ナダは反射のように投げナイフを取り出して騎士へと投げつける。騎士の意識をアメイシャから外して、時間を作る。
続けざまに百鬼の騎士へと駆けて、アメイシャへの一撃を偃月刀で受けるように動いた。
かん、と大きな衝撃が鳴る。
ナダは騎士のツヴァイヘンダーを受けると同時に横へと流し、すぐさま騎士へと斬りかかるが、騎士は大きく後ろに飛ぶ。
「ナダ――」
信じられないような表情で見るアメイシャ。
「ナダ! どうしてそんなことを!」
一方のレアオンは激怒するようにナダへ抗議する。
ナダは大声で言った。
「――俺は冒険者だ! 眼の前にモンスターがいて、それを見逃すって言うのは“がら”じゃねえんだ! そもそも、最強の名なんて俺にはどうだっていい! どうだっていいんだ! ああ、そうさ! 俺は、俺の命を狙ったあいつを殺したい。ただ、それだけだ!」
叫ぶようにナダは言った。
その顔は晴れ晴れとしており、背中にアメイシャを隠すようにしながら。一心に百器の騎士を見つめている。
そしてそんな百鬼の騎士に斬りかかる者がいた。
オウロだ。
「よくぞ言った! ナダ殿よ! 私も思っていたのだ。淑女が一人必死になって頑張るのを見ている男はどうなのかと! 私も助力するぞ」
オウロが喜々として振り下ろした大太刀を、騎士はツヴァイヘンダーで受けていた。
そしていつの間にかボウガンから三日月の形をした券であるショーテルへと持ち替えていた騎士は、それでオウロを狙う。
オウロは横に距離を取って騎士から距離を取る。
騎士はツヴァイヘンダーをオウロに向かって全力で投げた。
オウロが横に避けると、ツヴァイヘンダーはナダとアメイシャのところへと向かっていた。
ナダは後ろにアメイシャがいたので偃月刀でそれを弾こうとした時、レアオンの怒号が飛んだ。
「ああ、クソ! ナダ、かがめ!!」
反射的にナダは屈むと、彼の頭上をツヴァイヘンダーだけではなく、いつの間にか右手に持っていたクロスボウで矢を放っていたのだ。まるでツヴァイヘンダーに隠すように。
「レアオン、やるではないか――」
感心するように言うオウロ。
「クソ! クソったれ! ナダはいつも僕の予定を崩す! オウロもそれに与しやがって! おい、アメイシャ! これを受け取れ! そしてさっさと戦線に復帰しろ!」
レアオンはすぐにアメイシャに近づいて持っていた回復薬を手渡す。
その間に先程刺せなかったとどめを刺そうと近づいてきた騎士に、ナダが全力で張り付き、必死になって青龍堰月刀を振りながら、ハルバードを振るう騎士相手に足を止める。
その間にオウロが騎士の背後から迫っていた。
「きいぇええああああ!!」
オウロは雄叫びとともに袈裟斬りをする。
騎士は一歩横に大きく滑空し、四人と大きく距離を取る。
ナダとオウロはすぐにアメイシャを守るように近づいて、百器の騎士を睨みながらレアオンと共に前へと出ていた。
「おい、ナダ! どうするつもりだ! コルヴォの決めたルールはどうするつもりだ!」
隣にいるナダに怒りを隠せないレアオン。
「知るかよ! もうどうだっていいだろうが! そんな事より、さっさとあいつを倒すぞ!」
ナダは偃月刀を構えながら一心不乱に騎士だけを睨んでいた。
「この二人は……全く……それよりアメイシャ殿は大丈夫なのか?」
オウロは未だ回復をしていないアメイシャに対して声をかける。
「ええ。何とか。それよりもこの状況は一体……?」
アメイシャは目を何度も見開きながら、騎士から自分を守るように立つ三人の冒険者を見ていた。
「おい、ナダ!」
「お前も冒険者だろうが! 最低限の仕事は果たせ!」
「誰に物を言っているんだ! ナダはさっさとあいつの動きを止めるんだ!」
「言われなくても分かってるよ!」
ナダとレアオンはまるで息がぴったりと重なったように同時に動く。ナダは真正面から騎士へと突撃するように、レアオンは右翼から牽制するように。
「面白くなってきたではないか――」
今の状況にオウロは一人だけ楽しそうに嗤いながら、左から動き始めた。




