第四十話 最強の名Ⅴ
――五十九階層
レアオンは部屋に入った時から、常にアビリティを発動していた。
――『第三の目』。
三百六十度隙無く見渡せる彼だけが持つ特殊な瞳であり、それはモンスターや冒険者のあらゆる動向を見逃すことはない。
レアオンがかつてアギヤのリーダーに選ばれたのも、このアビリティが大きい。
前にいようと、後ろにいようと、パーティー全体の冒険を把握することができるので、的確な指示をどこからでも出すことができる。それは自分のパーティーを管理するリーダーにとって垂涎するほど欲しいアビリティの一つなのは間違いがない。
レアオンのアビリティはパーティー時にその効力を最も発揮するが、個人での冒険においてもその輝きが鈍ることはない。
現に、レアオンはこの階層に存在するモンスターの情報を裸眼で見るよりも詳しく得ている。
敵は一人。
大型の戦士だ。
身長はレアオンの二倍ほど。
巨人であった。
また、巨人の戦士の最大の特徴といえば、腕が四本も生えていることである。そのいずれにも大剣が握られており、どれも二メートルはあるだろう。その大剣はどれもが半月状に湾曲しており、刃が分厚く太い。さらに刃は片方だけについている。
レアオンにとってその剣は見たことのないものであった。
レアオンは既に自分の剣を抜いている。
その剣は単なる長剣である。
刃が九十センチほどのロングソード。刃自体も特別太くなく、むしろ、細い。さらに刀身自体が透き通っており、それは美術品だと言っても遜色がない代物だった。
剣自体にもそれほど大きな特殊効果はない。
毒が仕込まれているわけでもなければ、敵を切りつけると炎が出るわけでもない。重さも普通。鉄で作られた単なる長剣と同じぐらいはあるだろう。そう考えると、レアオンは冒険者の中でも比較的重たい剣を使っていた。
剣の名は――『アーシフレ』。
かつてレアオンが所属していたパーティーであるアギヤにいた時代に、イリスがリーダーの下で『シフレ・ラガリオ』と呼ばれる翼を持つ“龍”を倒したときに得られた角から作り出された一品だ。
その剣の特徴は恐ろしく固く、切れ味が鋭いことである。
巨人はレアオンにすぐ気づいた。
攻撃方法は単純だった。
一本の剣を横に振るっただけだ。
ただレアオンが奇妙に思ったのは自分との間に恐ろしく距離があること。どれだけ手を伸ばしてもその斬撃が己に届くことはない。
巨人の剣は地面を強く叩く。
レアオンの足が振動によって揺れた。
それだけではない。
空気の衝撃波だろうか。それとも別の“何か”だろうか。割れた地面を伝わって波のような何かが迫りくるのがレアオンにはわかった。
裸眼で見ても地面が割れていくだけだが、アビリティを使うとその力がよく分かる。レアオンは横に大きく飛んだ。怪我はない。だが、次々と衝撃波が飛んでくる。巨人の腕は四本もあった。一撃では止まらない。
そのいずれもレアオンは避ける。
アビリティによって、どれも事前に感知していた。
そして距離を段々と詰める。
レアオンは長距離の攻撃を持たない。
地道にモンスターに近づいていくしかなかった。
そして、巨人の剣が当たる距離まで近づいた。
レアオンは目をつぶる。
セカンドサイトに集中するためだ。
巨人は攻撃方法を変える。
地面に大剣を叩きつけるのではなく、振るうことを選択する。
右の一の腕で横に振るうと同時に二の腕で叩きつける。それらはレアオンにはよく見えていた。
二つの斬撃を掻い潜るようにスライディング。人がぎりぎり通れるほどの隙間をレアオンは見通している。
レアオンはそのまま巨人の股を通り背後へ、すぐに巨人が振り向きざまに左の大剣が二つ落とされる。
既にそれは見切っている。
すっ、と足を運び、大剣に平行になる。
巨人の剣圧により風が起こり、レアオンの髪が舞い、二本ほどだけ髪が斬られる。
巨人の大剣は地面に叩きつけられたことによって、衝撃波を何もない方向に飛ばす。
レアオンは地面に食い込んでいる大剣を見たことによって、巨人の一本の左腕へと飛んだ。
そのまま腕を駆け上った。すぐに巨人は左腕を払うが、それよりも早く、既に二の腕に近い部分までいたレアオンは大きくもう一本の左腕へと飛んで、すぐさま右の腕に足をかけて飛び、もう一本の右腕を大きく蹴って体の方向を変える
レアオンは空中で頭が下になった。
だが、目の前には巨人の後ろ首が。
落ちることなど考えていない。
踏ん張りの利かない空中で、レアオンは長剣を振るう。
浅い。巨人の太い首は簡単には落とせない。
レアオンは地面へと落ちる瞬間になんとか受け身を取るが、肺が強く強打される。
だが、体は動く。
そのまま這いずり回るように右のアキレス腱を切る。
巨人は片膝をついた。
レアオンは必死に息を整えながら、起き上がり、巨人の背中へと足をかける。
巨人も大剣で必死の抵抗をするが、どれも見えているレアオンには意味がない。最小限の動きで攻撃を避けながら上へ、上へ。
そして先程傷をつけた後ろ首へと、両手で持ったアーシフレを全力で横に凪いだ。
巨人の首が空中に舞った。その瞬間巨人は全身の力が抜けて、地面へと前から倒れることになった。
レアオンはもう一度巨人の背中を蹴って離れて、地面に降りる。その時はなんの苦もなく着地できた。
レアオンは既に事切れた巨人に目を向けることも無く、飛んだ頭部の中にあるだろうカルヴァオンにも意識を向けることもなく次の部屋に向かう。
無論、彼の持つアビリティは次の部屋に行けばまた使うだろう。
なぜならレアオンは迷宮の下まで行く部屋を直感で選んだからだ。それほど深く考えていなかった。これまでの冒険者としての中で培った感で、これらの部屋を選んだのである。
何故なら、レアオンは迷宮の中においてあまりにも深く考えることは無駄だと思っていた。
迷宮は、いつも人を裏切る。
はぐれ。
内部変動。
黎明時と黄昏時。
それだけではない。迷宮は絶えず変化している。それはこのダンジョン――トーヘでも同じだ。あくまでこれらのモンスターが出るという傾向だけで、必ずしも望んだモンスターが出るわけではない。
だからこそ、レアオンは自分の直感を信じ、これらの部屋を選んだのだ。
冒険自体は上手く行っていると思っていた。
今のところは――。
――六十二階層
オウロが扉に入った時、まるで彼は闇に紛れているようだった。
彼が黒かったからだ。
暗い迷宮内に溶け込むほどの漆黒のプレートアーマーはシャープな流線型であり、あらゆる攻撃を受け流すように作られている。また兜に生えたまるで兎のような二本の角が特徴的な防具だった。その鎧は長年使われているのか既に光沢が失われており、表面にも無数の傷がつけられている。また鎧の上にかぶったコートまで黒かった。
もちろん背負った剣も黒い。
その剣は特徴的な形をしていた。長く、細い。太刀といったほうがいいのだろうか。黒い鞘に収められており、柄まで黒かった。
オウロは部屋に入ったことにより、背中の物を抜く。
それはやはり太刀であった。大太刀であり、長さも一メートル二十センチほどあるだろう。もちろん片刃であるが、波紋がない。刀身がの全てが黒いのだ。
オウロは剣を天井に向けて八相に構えている。
そしておそらく部屋の中にいるだろうモンスターに目を向ける。
いるのは分かっている。
だが、この部屋は暗い。
天井に生えて光っている蔓の数が少ないからであろう。
モンスターは見えない。
だが、足音は聞こえる。
二つ。
人形なのだろうか?
じっとすり足で近づいてくるのがオウロにはわかった。
「はっ――!」
丹田にオウロは力を込めた。
気合を入れる。
モンスターと戦う前にはまるで儀式のように毎回行っていることだった。
そしてオウロは姿の見えないモンスターのことを考える。
特殊なことがないのなら相対しているモンスターの情報は分かる。
事前に調べ上げたからだ。
あらゆるモンスターの情報を手に入れ、それぞれのソロでの攻略法を練ってきた。体の動き、攻撃方法、苦手なモンスターには薬を使うことまで想定している。
それだけではない。
『デウザ・デモ・アウラル』のパーティーメンバーにお願いをして、事前にトーヘへと潜り、戦闘経験が少ないモンスターには個人で戦えるようにしてもらった。
そして幾つかの想定をしてから、これらの部屋を選んだのである。
そしてオウロの選んだ部屋の六十二階層にいるモンスターの名前はおそらく――ペレンブラ・コンデ。騎士の形をしたモンスターだ。暗い部屋の中で有利なように黒い外套を着て、レイピアで確実にこちらの急所を突いてくるモンスターだ。
足音こそ聞こえるものの、ペレンブラ・コンデは身が素早くトーへにいる中では厄介なモンスターの一体として数えられている。
だが、そんなモンスターにもオウロは攻略法を練っていた。
大切なのは初手だ。
オウロはそう思っている。
ペレンブラ・コンデは最初の一撃だけが非常に慎重なのだ。
ゆっくりとこちらに近づいてくるのである。
それからは高いスピードを活かしたヒットアンドアウェイであるが、最初の一撃はまるで暗殺者のようなのだ。
オウロはすり足でゆっくりとペレンブラ・コンデへと近づく。
向こうからも近づいてくる。
徐々に、徐々に、二人の距離が詰められる。
まだ、まだ、と思いながらお互いに剣は振らない。
その時ではなかった。
そして、オウロは自らの目にそのモンスターの持つレイピアの鋭い刃の姿が一瞬見えた時に、全力で大太刀を振り下ろした。
「あーーー! きえああああ!!!! いやああああ!! ああああああ!!!!」
まるで空間を揺らすような大きな声。
どちらがモンスターか分からぬほどの奇声を上げながらオウロは大太刀を振るう。
無論、ペレンブラ・コンデも負けていない。無言でレイピアを突き出した。
だが、結果は――オウロの大太刀に血がついていた。
唐竹割りだ。
ペレンブラ・コンデの脳天を叩き割ったのである。
オウロはもうモンスターの姿を見ない。
結局、彼がペレンブラ・コンデの姿を見たのは最初の数瞬だけであった。
出口のある扉へと向かいながら大太刀についた血をマントで拭い、鞘へとしまう。その姿は戦闘の時とは打って変わって優雅であった。
――七十七階層
扉に入る前から暗い迷宮の中でアメイシャは祝詞を唱えていた。
「火よ――」
彼女の口から紡ぎ出されるそれは、酷く美しいものであった。
「我らの火よ。恵みよ。私はこの身と血を火に灼かれながらも、片時も貴方様に恐れを抱くことはありません。火こそ私達の魂であり、輝きであり、そして獣への最大の――」
アメイシャは部屋の中に入る。
モンスターの姿は見ていない。
何故なら目をつぶっているからだ。
遠慮などない。
全力でギフトを放つつもりでいた。
何故ならここは七十七階。例の部屋を除く最下層であり、ここさえ超えれば次の部屋に続く道は、自分が目指した部屋であるからだ。
アメイシャはここまでほぼギフトですべてのモンスターを焼いてきた。
部屋に入る前から祝詞を唱え、部屋に入る瞬間にギフトを放つ。
そして多くのモンスターを焼いた後で、残ったモンスターを自身の持つ直剣か、ギフトで殺すのかを決めるのだ。
それはアメイシャがリーダーを務める『アヴァリエント』の普段の冒険であり、今回のソロに於いても同じようにすることをアメイシャは選んだ。
確かに準備をして冒険をすることも大切だと思っている。
もちろん、事前に情報もある程度は手に入れた。なるべく個体が弱くて数が多い部屋を選んだのだ。
だが、攻略方法をアメイシャは変えない。
アメイシャにとって、これはリズムなのだ。
ギフトによる殲滅は彼女のルーティーンであり、最も早い攻略方法だと思っている。現に『アヴァリエント』は現在、ラルヴァ学園において最も早く攻略するスピードが早いパーティーになっている。
「――業となれ」
部屋に入った瞬間、アメイシャは炎を放った。
それは地獄の業火であった。
狭い部屋の中をすべて炎で満たし、モンスターも光を発する蔓も、その他一切もすべてを焼き払う。
その中でただ一人アメイシャだけが、笑顔で炎の中に両手を広げている。
火の神――カグツチの加護を得て、愛された彼女は火に対する驚異的な耐性がある。もちろん、それが自分の生み出した炎であるのならダメージなどない。彼女の着る白い修道女のような服には煤の一つすらつかない。
彼女は学園において最も神に愛されている。
だからか、彼女の放つギフトは、学園にいるどの冒険者よりも範囲が広く、威力も強い。
今も部屋にいたモンスターをすべて殺した生き残りなどいない。
彼女はカルヴァオンだけを残し、炭すら残さなかったモンスターたちには目を向けず、次の部屋へと向かう。
次の部屋こそ、彼女が追い求めていた場所であった。
そして彼女は辿り着く。
百器の騎士がいる場所へ――誰よりも早く。




