第三十六話 最強の名
ナダは多数の荷物を持ちながらインフェルノの町中を歩く。
そこは、冒険者御用達の様々なお店が連なる街道。当然のように冒険者が多く通る。
ナダのようにこれから武具や道具を買う冒険者は小綺麗な格好をしており、武器など付けていない冒険者も多い。彼らの多くは大きな荷物を両手に抱えたり、実力のあるパーティーでは馬車で物資の調達をしている者もいた。
また迷宮探索から帰ってきた冒険者も当然ながら多い。彼らの多くの鎧は傷つき、モンスターたちの血にまみれている。また迷宮から帰ってきたことが分かる独特の獣臭と土臭さ、それに血の匂いに塗れており、その姿は一目瞭然だ。彼らは恐らくパーティー単位でこの区域に多く存在するパーティー専用の倉庫というのか宿舎と言うのか、そういう借りている部屋へと急いでいた。そこに恐らく武具などを置きに行くのだろう。
それらをざっと見渡しながら、ナダは自分の家へと急ぐ。
今までに買ったものを家に置いて、たっぷりと休息を取り、それから迷宮に出かけようと考えていたのだが――ナダは自分が進む先に人だかりが見えた。それも円状に人が集まっており、どうやら冒険者が皆注目するような人物が円の中心にいるらしく、その一角だけ騒がしい。
ナダはその一角に何故か嫌な予感を感じ、出来ればこの道を避けたかったが、この道が家に帰るための最短距離だ。荷物も多数持っているので、遠回りしたくなかったので円の脇を抜けるようにナダは歩いた。
「だから、私は断ったでしょう。それで、この騒ぎなの?」
「残念ながら、我はそれでも諦めきれないのだよ。そなたを――」
円の中心からは聞き覚えのある声が二つ聞こえる。
ナダは身長が高かった。ここにいるどんな冒険者より、頭一つ分ほどは。それはヒールを履いている女性であっても例外ではない。
だからこそ、ナダは横を通る時に見てしまった。円の中心を。見たくなかったのに。
そこには、ナダの見知った顔が二つあった。
一人は、イリスだ。円の中心で、太陽の光で輝いている金髪を風で揺らしながら腕を組んで立っている。どうやら円を作っている人垣の半分はどうやら彼女のファンクラブであり、彼女のすぐ後ろにはアメイシャもいる。そこには女性の冒険者が当然のように多い。
そして、イリスに相対するように立つのが――コロアだった。珍しい赤髪が、群衆の中でも一際目立っている。また彼は迷宮に行く予定があったのか、黒いプリーツスカートに、白い長袖のワイシャツという私服のイリスとは違い、全身を“龍鱗”で作られた鎧を着ている。また武器は腰につけている黄金の剣だ。遠い噂では、王族ゆかりの物だと聞いている。
また彼の後ろにいる冒険者たちも鎧を着ており、誰もが武器を装備している。その中にはナダの“見知った顔”がちらほらという。どれも学園内に限らず、このインフェルノで有名な者たちだ。オウロ。プラタ。コブレなど、どれも有力な冒険者であり、それぞれのパーティーで今はリーダーを務めているが、かつてはコロアと同じパーティーで活躍していた冒険者だ。また他の者達もコロアと縁のある者達であり、どうやらコロアの後ろに立っているのは彼の取り巻きらしき男たちばかりであった。
どうやらイリスとコロア。
彼女の取り巻きと、コロアの取り巻きが、一触即発の状態でこの通路で敵対しあっているようだ。どちらも殺気立っており、どちらから仕掛けてもおかしくはない状況だ。
その状況を嗅ぎつけた冒険者がまた集まり、大きな集団と成しているようだ。
「そう。それで、私と戦うの? 全面的に――」
「それで、そなたが手に入るのなら。我はそなたを手に入れたい。我がパートナーとして――」
「パートナーって、どちらの意味かしら?」
イリスは睨めつけるように聞いた。
「もちろん。全ての意味で、だ。我が生涯の妻という意味も、また我が冒険者としてのパートナーでもある。そなたが我のものになれば、我は全てを手にすることが出来るのだよ。だから――我は欲しいのだ」
観衆の前でのコロアの告白。
それにイリスの取り巻きも、コロアの取り巻きもどよめいた。それもその筈。コロアがイリスに求婚をしたことは周知の事実であるが、このように人前でしたことはない。
それはおそらく、王家であるコロアと、大貴族であるスカーレット家の三女であるイリス。どちらも担ぎ上げる者は多く、政治的な理由とこのように大々的に告白すると権力者達の様々な思惑が絡んでくるので、コロアもイリスもそれを良しとしなかったからこそ、今まではこのように表立って告白することは無かった。
だが、その禁忌を――コロアは破った。
「ねえ、その言葉が、どんな意味を持つか、コロアちゃんはご存知でしょ?」
イリスは冷たい瞳で言った。
「ああ。分かっている。だが、我にはもう時間は残されていないのだよ。ここでは明かせないが、理由は幾つかあり、その一つは我にも、そなたにも関係のあることだ。なあ、イリスよ――」
「何よ――」
「そなたもそろそろ奔放に生きるのは止めたらどうだ? そろそろ貴族としての責を果たすつもりは無いのか? 我にはその準備も、覚悟もある」
「……嬉しいお誘いだけど、私は貴族のことなんかどうでもいいの。私は、私の思うがままに生きる。邪魔するのなら、あんたでも容赦しないわよ?」
イリスは一歩近づいた。
「望むところだ――」
それにコロアも反応するように一歩近づいた。
それと同時に、二人の取り巻きがイリスとコロア、二人の殺気に喚起されるようにそれぞれが武器を持つ。
そして二つの大群がぶつかりそうになった時――水を差したものがいた。
「いやはや、いつかはこうなると思ったけど、まさかこんなに早いとはね――」
水を差した者はたった一人で、二つの軍団をかき分ける。
その者は武器も持っていなかった。長ズボンに半袖という極めて無防備な姿であったが、誰もその者の行く手を止める者などいない。
彼は、黒髪であった。非常にスマートな体つきをしており、右頬には大きな傷跡が残っている男だ。
コルヴォであった。
イリス、コロアに続く学園最強の冒険者。彼が、たった一人で水を差したのだ。
イリスとコロアの間に入り、飄々とした顔で二人がぶつかるのを寸での所で止めたのである。
「コルヴォ。我はそなたのことを一人の冒険者としても、男としても認めているだから聞こう。何の用だ?」
「いや、コロア。君の“成し遂げたい事”はよく分かるよ。その理由も」
「なら、何故、我を止める?」
コロアは、腰の剣に手をかけた。
だが、その行動を貶すようにコルヴォは嗤う。
「理由は簡単じゃあないか。コロア、君は――冒険者なのではないのかい? 冒険者は、このような町中で、自分の目的の為に剣を握り、人を斬るために努力してきたのかい? そもそもそういうことは国が禁じている筈だ。何故なら、君たちの剣は、モンスターを殺すためにある。他に、理由など、ないんだよ――」
コルヴォの意見は至極当然であった。
「まあ、そうね」
もちろん、それに真っ先に頷いたのはイリスであり、既に殺気はコロアに向いていない。
「それで、イリス。おそらくだけど、オレが思うに、コロアはこのままだと諦めない。おそらく“いかなる手段”を使っても、君を冒険者の座から引きずり下ろして、ただの貴族の娘に落とすつもりだろう。もし、そうなれば、どうする?」
「もちろん、徹底的に、戦うまでよ――」
イリスは冷酷に言い放った。
その発言にやれやれとコルヴォは首を振る。
「……どうやらここで君たちの争いを止めても、またぶつかりそうだね。その時は、もっと大きなうねりとなって。なら――オレが一つ提案をしよう」
コルヴォは意地の悪い笑みを浮かべた。
「提案?」
イリスは、それに首を傾げる。
「コルヴォ、お前は何を思いついたんだ?」
コロアは、コルヴォの事をよく知っているので、顔を少しだけしかめた。この場の主導権をコルヴォに握られたことを不味いと思ったのだ。
「いいかい? イリスも、コロアも、冒険者だ。この町のラルヴァ学園では、冒険者である君たちにあらゆる権力が降りかからないように出来るだけ努力している。いいかい? もう一度言うよ。君たちは冒険者だ。なら、どっちの言い分を通すか、どっちが相手を降すか――冒険者らしく決めればいい」
「どういう事なの?」
「簡単だよ。先にモンスターを狩ったほうが、相手に要求を飲ませることが出来る。確かイリスは強い冒険者が好きだっただろう? 自分より強い冒険者が。なら、この機会に決めればいいんじゃないか? この学園で本当に強い冒険者は誰なのかを? その者に従うのなら、別に文句はないだろう。何故なら、冒険者は、力だけが正義なのだから――」
コルヴォは意地の悪い笑みを浮かべた。
確かにナダも知るとおり、学園最強の冒険者は三人いるが、果たして真に強い冒険者は誰なのかは未だに論争が絶えない。
能力だけを見ればイリスで彼女はそれに見合った活躍をしているが、冒険者としての功績だけを見ればおそらくはコロアが一番輝かしい。コロアは三人の中で最もはぐれを倒している。その数はイリスやコルヴォよりも格段に多く、様々なはぐれを力のみで倒した。
コルヴォはそんな二人と比べると劣ると見られることが多いが、堅実で地味ではあるが、着実に功績は積んでいる。またコルヴォははぐれをあまり倒していないにしても、会えば必ず撃破しており、彼の功績の少なさは運の無さだと言う者も多く、彼の地道な冒険の成果としては、カルヴァオンの供給量だろう。それは、イリスやコルヴォに比べてもダブルスコアを付けられるほど多かった。
「へえ。面白い提案ね」
イリスはコルヴォの提案をどうやら受け入れるようだ。
「それなら、ちょうどいい敵がいることを我は知っている。トーへ。七十七階の“騎士”。必ずそこにいる“はぐれ”であり、このモンスターを最も早く倒したパーティーのいる方の言うことを聞くというのはどうだろうか?」
コロアは最近仕入れたホットな情報を開示した。
どうやらコロアはコルヴォがこの提案をした時点で、それから逃げられないことは分かっていた。そもそも逃げれば、それだけでコロアの冒険者としての評判が落ちる。最強の存在であるイリスが二つ返事で受けたのだ。それを受けなければ、この町の冒険者は多くの者がイリスの方が上だと決めつけるだろう。そうなると、コロアの計画がずれるため、それだけは避けたい。
「それはちょうどいい敵だね。どうかな、イリスは?」
「いいわよ。そいつで――」
イリスは頷いた。
彼女はそのはぐれの事を知らないが、コロアが注目するぐらいのはぐれなのだ。久々に血が滾った。
「なら、決まりであるな。我と、イリス。二人が結成したパーティーの内、どちらが早く“騎士”を倒すかを――」
「いーや、ちょっと待ってくれよ。コロア――」
コルヴォは微かに笑いながら、コロアの発言を止める。
「何だ、コルヴォよ」
「オレはね、本当に強い冒険者を決めようって言ったんだ。誰が本当にいいリーダーを決めようって言ったんだい? 独力だよ。パーティーではなく、たった一人でその“騎士”を狩るのさ――」
「何――」
「イリス、君は文句はないね。コロアとイリス、それにオレが一緒に迷宮に入り、誰が早く“騎士”を狩るのか、それで、決めるんだよ」
「……あなたも参加するの?」
イリスはこの戦いにコルヴォが参加することが不可思議であった。
「ああ。オレはね、イリス、君には当然のように、そしてコロア、君にも頼みたいことがあるんだよ――」
「コルヴォ、お前は一体何を考えている?」
コロアは、コルヴォがこのイリス争奪戦に参加することに戦慄を覚えた。
一体、この争いにコルヴォが勝ったとして、どのような事を自分とイリスに言うのか、コロアには全く予想がつかない。
「何だろうね。……ああ、そうだ。良い人物を見つけた、ナダ!」
コルヴォはコロアの言葉を流し、そこで遠く集団の横を抜けていこうとするナダを見つけた。彼の頭は他の者よりも一つ分ほど高いので、人が雑多に交じる中でも目立っていた。
ナダはコルヴォの声が聴こえると、集団の視線が全部自分に向けられていることに気づいた。その中には当然のようにイリスとコロアの目もあり、逃げられないことを察すると舌打ちをしてからイリス、コロア、コルヴォの三人へと近づく。
「――何だよ?」
「これからね、この三人の中で最強の冒険者は誰かを決めようと思うんだけど、最近、学園で密かに囁かれている噂があってね、どうやら、ナダ、君があの“ガーゴイル”を倒したことで、君の株が上がっているらしいんだよ。それにこの前の龍、それにアギヤと一人で戦って潰したという噂もあって、君の強さはこの学園でも怖がられている――」
「で、何が言いたい?」
「ナダ、君も参加しなよ。この戦いに、誰が早くはぐれを倒すかを決めるこの戦いに。勝った者は、負けた者に、“何でも命令ができる”。どうだろうか? 良い提案だろう?」
「……コルヴォ、お前は何を企んでやがる?」
「さあ、何だろうね。コロア、イリス。二人共いいだろう。ナダが参加するのも。彼の功績は、この三人に連なることはオレが保証しよう」
コルヴォの意見には、以外にもイリスからもコロアからも反対が起こらなかった。
いや、ナダが参加することよりも、コルヴォが何を考えているのか、それだけがイリスとコロアには不気味で、そのことだけがずっと気がかりだった。
コロアも、イリスも、それぞれが学園最強だと自負しており、またナダの実力も二人共認めているので、コルヴォの意見を素直に受け入れた。
「――ねえ、それってもしかして部外者も参加できるのかな?」
その時だった。
集団の中から新たな冒険者が現れた。
彼の声は美しかった。それはまるで天使が囁くようであり、短い金髪がその美しい顔によく映えている。体の線は細いが、筋肉は以外にもしっかりとついており、隙のない佇まいからは彼の強さが伺える。
その者の事を、ナダも、イリスも、よく知っていた。
「レアオン――」
ナダが声を出した。
その者はかつてのアギヤのリーダーであり、ナダをパーティーから追い出した因縁の人物である。アギヤというパーティーが崩壊してからはあまり噂を聞いていないが、彼の額に真横に伸びる一本傷はナダの目には見たことがなく、前のレアオンからは感じない独特の獣臭がする。
「最近はインフェルノにいなかったんだけど、セウに武者修行に行っててね。そこで一人でモンスターを狩っていたんだ。もちろん――僕一人で。はぐれも何匹も倒したよ。どうだい? 君たちが言う最強の基準に、僕も入っているんじゃないか?」
レアオンは優雅に歩く。
その姿に異議を唱える者はいなかった。
彼はイリス、コロア、コルヴォの殺気にも耐えており、間違いなく彼らと同格だというのは冒険者の経験でナダにも分かった。
どんな経験が彼を変えたのだろうか。
ナダにはそれが分からない。
「レアオン、それは本当なのかい?」
コルヴォもどうやら立ち振舞いだけでレアオンの事は認めているようだが、念のために聞いた。
「ああ。何なら、調べて貰ってもかまわない」
「……ナダ、イリス、それにコロアも、どうだろうか? オレは賛成だけど、君たちはレアオンが参加することに賛成かな」
誰も異を申し立てなかった。
それを言わせぬだけの何かが、今のレアオンにはあった。あのアギヤにいた時には見ることのなかったギラギラとした目の輝きと、貪欲なまでの強さへの執念。そこには余裕すら感じられ、一人の冒険者としてイリスやコルヴォに平等の立ち位置にいる。
「…………あの、はぐれを倒したことが条件なら、それってあたしも入りますよね」
そしてイリスの後ろにいたアメイシャが声を出した。
「君はアメイシャだね。『アヴァリエント』の最近の活躍はよく聞いているよ。……いいだろう。だってアヴァリエントは今、学園でトップに立っているパーティーだ。そのリーダーである君なら誰も文句はないだろうしね」
コルヴォはすんなりとアメイシャの参加も認めた。
「なら、私も入るのではないか、コルヴォ殿。私の名はオウロ。『アヴァリエント』に続く『デウザ・デモ・アウラル』のリーダーだ。三位のパーティーの功績とはかけ離れており、『アヴァリエント』には運悪く少しの差で負けただけだ。もちろん、はぐれも何体も狩っている――」
オウロは、全身を黒い鎧に包んでおりその表情は見えない。
彼の実力も学園中に轟いており、現在ではアメイシャと並んでどちらが最も強きリーダーか論争が絶えないほどである。
「いいだろう。なら、本当に強い冒険者で言うとこれぐらいかな?」
コルヴォがこの辺りに集まった冒険者を見渡した。
誰も、声を上げるものなどいない。この中に混じろうとする者などいない。何故なら誰もが学園で有名な冒険者だ。イリスやコロアはおろか、アメイシャやオウロであっても二人の横に立つなどおこがましいと思うほどの冒険者だ。
それに話の流れでは、この中の誰もが“はぐれ”をたった一人で狩ろうとしている。そんな命知らずはよっぽどの馬鹿か、それとも自分の実力を自負しているかの二種類しかないない。はぐれと戦って勝てるパーティーすら学園には少ないのに、彼らは一人で戦って勝とうと思っている冒険者だ。
そんな者に並び立つものなど、この場では限られていた。
こうして、メンバーが集った。
ナダ。
イリス。
コルヴォ。
コロア。
レアオン。
アメイシャ。
オウロ。
以上の七人が、勝った時の褒美と学園最強の名を賭けて、争うこととなった。
この話はすぐに学園中だけではなく、インフェルノという都市全体、また王族であるコロアとスカーレット家のイリスの対決という事で、王都まで広がろうとしていた。




