第三十三話 血縁Ⅴ
久しぶりの更新となってすいません。
その分、いつもより少し文字数が多くなっております。
最初に三人が訪れたのは草原だった。
見渡す先には影のような森の姿が微かに見え、三人はそれを目指す。草原は草の背が短く、風も心地良い。さらに太陽は雲に半分ほどが隠れており、歩くにはちょうどいい気候であった。
旅は順調だった。
そもそも普段から迷宮に潜っているナダとイリスにとって、モンスターもいなければ、トラップもない。それに持ち物も少なければ、内部変動のような特異な現象も起こらないので特に緊張することなく草原を悠々自適に進む。
特に久しぶりに大量に浴びる日光は気持ちよく、ナダは朗らかに笑い、イリスも馬車から降りて草原を自分で歩くのは久しぶりなのか背筋を伸ばして心地よさそうだ。
だが、テーラは違った。
彼女はこの道をこの前に通ったばかりであり、さらにその道中は苦しかったので、顔は暗い。
その様子に気づきながらも、ナダとイリスは何も言わずに進んだ。
やがて、三人は森にたどり着く。
森と言っても、そこはそれほど深い森ではない。
針葉樹が段々と立っているが、整備もされており、馬車が通る道も当然ながらある。何故ならこの森を抜けた遙か先には王都――『ブルガトリオ』があり、この森はインフェルノからブルガトリオの間にある道なので、二つの都市を行き来するために国の事業で道が整備されているのである。この道を使って、武器やカルヴァオン、それに冒険者が行き来するのだ。
そんな道を通っていると、少しずつテーラの足並みが遅れていることに気がついた。それもそのはず。現役の冒険者である二人と、ただのそれも数日前まで栄養失調だった子供と比べるとテーラの体力が無いのは必然だ。
「ねえ、ナダ。あの子――」
その様子を見かねたイリスが先頭を行くナダを引き止める。
「ああ。分かっている――」
ナダは足を止めて、後ろにふらふらになっているテーラを見る。
「なら、何とかしなさいよ。あの子はあんたの妹でしょ?」
「そうだな」
ナダは二つ返事で頷くと、テーラに近づいた。
テーラは足が遅れていることを怒られるのではないかと思い、体を飛び跳ねさせて瞳が震えた。
だが、ナダは無言でテーラを両腕で抱えるとそのまま歩き始めた。
テーラも急に抱えられたので最初はじたばたと体を動かして抵抗するが、やがてかつての兄や父と同じ匂いのするナダに安心し、その腕の中ですーすーと寝息を立てながら体を預けた。
どうやらここまで歩いた疲れによって、簡単にテーラは寝たようだ。
「可愛いわね」
ナダの腕の中で小さく丸くなるテーラへと近づいたイリスは、その頬をぷにぷにと楽しそうに押しながら言った。
テーラはイリスにいたずらをされても、起きる気配はない。
「……そうか?」
「まあ、ナダにはない母性と言うものが私にもあるのよ」
「そうかよ」
「ナダは思わないの? テーラちゃんって可愛いでしょ。素直で、見るもの全てに怯えて、まるで小動物みたい。ああ。そう言えば、あれは似ているわね。私の記憶にも、そっくりな子がいたわ。もちろん、ナダも知っている子で」
「似ている?」
ナダは首を傾げた。
だが、記憶上にそんな人物の名前はない。
似ている人物と言えば、アギヤ時代の同じパーティーメンバーであるナナカで、小動物のような印象を持っていたが、彼女はちゃんと小動物ながらの鋭い牙を持っていた気がする。相手を自分の命ごと殺すという牙を。
それに比べると、テーラはまだ牙も持たない生まれたての小動物のようだとナダは思った。そんな人物、知り合いにいただろうか。
「分からないの? テーラちゃん、この町に来た時のあんたにそっくりよ。あんたも、あの時は全てを怯えていたわ。まるで何も知らない赤子のように、そう思うと、本当にテーラちゃんはあんたの妹だわ」
「……そうかよ」
ナダは痛い過去を突かれたように不機嫌になる。
「まあ、でも、ナダの方がテーラちゃんと比べると、顔は暗かったと思うけど――」
イリスの最後の言葉は掠れて、先を急ぐナダには聞こえなかった。
それからナダとイリスは最近のダンジョンのことやモンスターのことなど、冒険者としての会話を数時間も続けながら歩いると、徐々に日が暮れてきて今となっては空に色とりどりの星が見える。
その時にはもう三人は森の中の湖についており、そこは十分ほどで一周できるような小さな湖だが、森の中なので非常に水が澄んでおり、底が見えるほどの透明感がある。
もう夜が近くなったので、湖のほとりで今日は休むことにしたナダとイリスは、持ってきたマントにテーラを包むと、すぐ近くで木の枝を拾うと、テーラの元まで帰り、持っていた火打ち石で火をつけて木の枝を焚べる。
そしてそれで暖を取りながら、ナダは鞄の中から鍋と野菜と肉を取り出して、湖の綺麗な水でスープを作る。味付けは塩と胡椒、それにイリスが好きな幾つかの南方のスパイスを粉末状にしたもので、スープはほんのりと辛い。それにナダがククリナイフで雑に斬った野菜と肉を入れてじっくりと煮込む。
ぱちぱちと、木の枝が弾ける音とともに、スープがぐつぐつと煮込まれていく。
その音で起きたのか、それともスープのいい匂いで起きたのかは分からないが、テーラは目を擦りながら飛び起きた。
「あ、テーラちゃん、起きたの? スープが出来ているわよ。ほら、ナダ。それにパンも出しなさいよ」
イリスの言うとおり、ナダはボストンバッグの中から紙で包まれた細長いパンを取り出した。それをククリナイフで斬って分けたものを、それぞれイリスとテーラに渡してから自分の分を用意すると、イリスが木の器に分けたスープを受け取る。
ナダはそれを一口、口に含んだ。
美味い。じゃがいも、にんじん、玉ねぎ、それにキャベツなどの野菜と共に、煮込まれたことによって柔らかくなった干した豚肉のそれぞれの芳醇な味と、様々なスパイスによって深みの出たスープは少し舌が痺れるが、それは飲みやすく、体を温める効果がある。さらに肉はほろほろとして柔らかく舌の上でほぐれ、野菜は少し形が崩れているが、その味は絶品だ。
それとは反対に、パンはそのままでは固くてぼそぼそとしていてはっきりと美味しくはないのだが、スープに浸すとちょうどよく柔らかくなり、さらによく煮込んだスープの味がじんわりと染みて、美味しい物となった。
三人はそれぞれお代りしながら、スープを平らげると焚き火を消して、またナダのボストンバッグに入っていた毛布をナダとイリスは取り出すと湖のほとりでそれで体を包んで寝た。
三人が寝る場所からは空に幾つもの美しい星がよく見え、その中には星の川も鮮やかすぎるほど見えた。
さらに森の中では獣がうーうーと鳴いている中、三人は次の日に備えて寝た。
◆◆◆
次の日の早朝から三人は活動し始めた。
森の中で鳴く鳥たちによって三人は目を覚ますと、朝食は簡単に済ませた。昨日の夕食で余ったパンと鞄の中に入っていたチーズ、それに固い干し肉を湖の水で浸しながら柔らかくしながら食べた。
そして荷物を全てナダの鞄に入れると、また三人はペケニョを目指す。
湖を抜けると、今度は山に出くわした。その山の中腹にナダの村はあるのだから、五年ですっかり様子の変わった森の中に入る。前回とは違う場所に木が生え、前に木が立っていた場所には切り株がある。
こんな田舎の森は整備などされているわけはなく、三人は獣道をかき分けるように進んだ。
ナダの記憶はすっかりと当てにはならなかったが、このあたりの道はどうやらテーラが詳しいようで簡単に三人はペケニョについた。それはまだ太陽が真上に登っていない時間帯であり、予想よりも早くついた。
ナダの――故郷である。
ナダは久しぶりに生まれ故郷に帰ってきた。五年ぶりだった。だが、生まれてきた感情は懐かしさよりも、哀愁だった。
ペケニョの村はナダの記憶にもある通り小さい。家の数は三十にも満たなく、ナダの記憶にある家のうち、幾つかが取り壊されていた。そこには知り合いも住んでいたはずだが、果たして彼らは別の村に移ったのか、それとも――その答えがナダに知り得るはずもなかった。
村に住んでいる住人はその殆どが痩せ細っていて、どうやら状況はナダが村を出た時よりも悪いようだ。どの住人も見たことある顔が多いが、五年前はもう少しふっくらとしていたイメージがある。
彼らの顔は畑仕事や家事仕事で泥や砂埃で汚れ、近くには川もなく、井戸の水も少ないので大半はそのままだ。
そんな中で身なりが綺麗な者と言えば、ちょうど村に来ていた行商人が数人と村長一家だけだ。
ナダはそんな村に入ると、自分の記憶だけを頼りに元々住んでいた家を目指す。その途中、ペケニョの村人たちはナダとイリスに注目していた。もちろんナダは村の中にはいないような巨漢であるということと、イリスはその容姿が絶世の美女だからである。
だが、誰も声をかけることはしない。
それほどまでにナダ達の存在は異質すぎた。
そしてナダが元々住んでいた家は簡単に見つかった。
それもそのはず。
家の位置は昔と変わらないのだから。
ナダは自分の家につくと迷いもなく、その扉を開けた。
ああ懐かしい。粗末な木で作られた家。もちろん家の中に玄関など無く土足で入り、土足で眠るような空間だ。釜戸が一つだけ家の前にあり、農具が家の前にとっちらかって置いてある。
だが、そこには――。
「――あんたは誰かね?」
ナダの知らない者が住んでいた。
いや、顔は見たことがある。数軒隣に住んでいた夫婦だ。それがどうやら誰も住まなくなったナダの家に今では住んでいるらしい。
「いや、悪い。邪魔したな」
ナダはすぐに扉を閉めて自らの家に背を向けた。
どんな感情が自分の中で生まれているか、ナダ自身にも分からなかった。悲しいと言う気持ちはある。だが、それがどんな感情なのかが整理付かない。元々は自分たちの家だった場所に赤の他人が住んでいることが悲しいのか、それとも心のどこかで家に帰れば母や父それに兄弟たちが温かく迎えてくれるということを心のどこかで望んでいたのか、ナダには分からなかった。
「いや、あんたは誰だい!」
家の中にいた中年の細い女性は、すぐにナダを追うように家を飛び出した。
急に家の中に入ったナダを不審者と思ったようで、その後を追って怒鳴った。
だが、その中年の女性はナダの傍に随分前にこの村を去ると、かつて迷宮都市に向かったであろう兄の元へ行くと言った少女――テーラを見つけた。
「急に、入って悪かったな」
ナダは心にもなく謝った。
「あんた、もしかして、そう言えばどことなくカロルやシャマと……まさかっ!」
その中年の女性は、イリスのことは別次元の存在と思ったが、どこか泥臭いナダの顔には見覚えがあるようで、はっと驚いた顔をする。
「いーや、誰と間違えているのか知らねえが、俺はこの村に初めて来た。じゃあ、テーラ、お前の兄たちの墓の場所を教えてくれ」
そしてナダは逃げるようにテーラを急がせた。
◆◆◆
テーラが案内したのは森の中である。
そしてそこは他の地面とは土の色が違っており、上に置かれた大きな石には読むのにも苦労するような不細工な字で父や母、それにナダの兄弟たちの名前が刻まれてあった。
「えへへ、それね、私が必死になって入れたの。村に来ていた商人さんに教えてもらって」
ナダが石を見つめていると、恥ずかしそうな顔でテーラは言った。
「そうか。俺は綺麗だと思うぞ」
ナダは心にもなくお世辞を言う。
「それでね、それを埋めるのにはミカお姉ちゃんが手伝ってくれて、でもね、私も精一杯頑張ったんだよ。でもね、でも……私の家には何も無いから、こんな山奥に埋めることしか出来なくて……」
テーラは家族を埋めたことを必死にアピールしていた。
だが、村には一応共同墓地があり、それと比べるとみすぼらしいのも確かだろう。自分の家族が死んだ時には、その墓地へ入れる余裕さえ家には無かったんだろうとナダは思った。
「いや、いい場所だと思う。山の中から抜ける風が心地よくて。シャマやクレアは山が好きだったからな――」
「そうなんだ! それなら良かった!」
ちょっとずつナダに慣れてきたのか、口数も多くなってきたテーラ。
その姿はやはりもう一人の妹であるクレアと姿が重なる。そう思えば、心の何処かが暖かくなり、五年前までと同じように自然とテーラの頭を撫でるほどには。
テーラはナダの大きな手に包み込まれると、「えへへ」と笑った。
そんな姿を見ると、ナダにはもうテーラがここにいた家族に執着していないように見える。おそらくだが、テーラは彼らが死んだ時にきちんと別れの挨拶を済ましたのだと思う。
そしてテーラと同じことをナダも今からしようと思っていた。
五年ぶりとの家族の再会。出来れば別の場所で会いたかったナダだが、こんな形となってしまったのは仕方のないことだと思っている。
後悔はない。
そういう道を自分は選んだのだから。
もっと言えば、ここには二度と来ないつもりだった。彼らとはもう今生の別れを終わらせているとナダは思っている。
だが、この地をもう一度踏むことになったといえば、ナダは別れをしなければならない。あの時、子供の時に家を飛び出した時とは異なる、本当の別れを。
ナダは家族が埋まっている地面に両膝をついて、目を瞑った。
そして様々な思いを浮かべる。
父や母、それにカロル、シャマ、クレアの兄弟についても同じように。その思いは決して言葉に出すことはなく、ナダは内に秘めたまま数分間その場で動こうとはしなかった。
それを、イリスも、テーラも邪魔はしなかった。
◆◆◆
ナダたち三人はそれからまたペケニョの村に入る。今度はここから立ち去るためだ。
だが、そこには待ち構えていたように五人ほどの男が立っていた。その一人は他の者と比べても恰幅がよく、腹が少々出ている。
「なあ、おい、ちょっと待てよ。あんたらよそ者だろう?」
恰幅がいい男は特にイリスを下から上まで舐め回すように見ながら、三人に声をかけた。他の男達も、村には決していない宝石のような輝きを放つイリスに向けて似たような顔を向けている。
「ねえ、ちょっと――」
イリスは隣にいたナダの裾を引っ張って、自分の前に立たせる。
その力は強く、ナダも簡単に動かされた。
「一つ、忠告しといてやるが、こいつに手を出すのはおすすめしないぞ」
ナダは自分の後ろで小さくなって震えているイリスを見ながら言った。
その姿を見て、男たちは震えているイリスを見て怯えていると思ったのか、「怖くて震えているぞ」「その姿も可愛いなー」と的はずれな事を言っているようにナダは思える。
ナダの角度からはイリスが腹を抱えて笑っているので、震えているからだ。
どうやらこのようなナンパを久しぶりにイリスは味わったので、酷く愉快らしい。何故ならインフェルノではイリスは名が売れているので、手を出すと恐ろしい目に会うという噂で評判の女性なのだ。尤も、その罰はイリスではなく、彼女のファンの冒険者が男女問わず下すのだが。
「へ、何、言ってやがる! なあ、お前、ちょっと図体がでかいからって調子乗ってんじゃねえぞ。早くその女を俺達に渡しやがれ。この村を通る通行料だ!」
恰幅のいい男はイリスの色香に惑わされたのか、そんな事を言った。
ナダが頭をかきながら困った顔をすると、それよりも前にテーラが口を挟んだ。
「待って! ダグラス兄! イリスお姉ちゃんには!」
「何だ、テーラか。戻ってきたのか。せっかく、ミカが頭を下げて頼むもんだから家に置いてやろうと思ったのに、勝手に出ていった恩知らずめ。いや、待てよ。テーラ。その男はお前の知り合いだろう? 早く言えよ。そいつに。何、ちょっとその女を借りるだけさ。へへっ」
テーラがダグラスと呼んだ男は、イリスをずっと見つめながら鼻の下が伸びていた。
ナダもダグラスと言う名は聞いたことがある。記憶の奥底、それもすり減った記憶の中からダグラスの事を思い出した。
たしか彼は、この村でも一番の権力者である村長の息子だったと思う。彼は一人息子であり、次期村長としてとても大切に育てられ、また村の中でも最も良い物を食べ、いい服を着るという存在だったと覚えている。
何度かナダも関わったことはあるのだが、一緒に遊んだことは殆ど無い。何故ならナダはよく山に入って一人で食料を探していたが、そんなことをしなくてもいいダグラスは村の中で他の子供たちと一緒に遊んでいたからだ。
「おい、テーラ、ちょっと下がってろ」
「うん……」
ナダはテーラとイリスをその大きい体で隠すと、ボストンバッグを左手に持ったまま無言でダグラスに近づく。
頭が一つも二つも小さいダグラスは、ナダの巨漢にびびり、一歩後ずさった。
そこでナダは太い左手を伸ばして力をある程度セーブしたまま拳も握っていない裏拳で、ダグラスの頬をはたく。
ダグラスはそれを耐えることも、避けることもできず、まともに受けたので、地面へと何回転かしながら地面に顔をつけた。
彼のもとにいた男たちはダグラスがそんな状態になると、すぐに彼のもとに駆け寄った。
それをナダは横目で見ながら短く言った。
「邪魔――」
そうして三人はダグラスのもとを去り、今度こそ村から出ようとする。
「――待って!」
だが、まだそれを引き止める者がいる。
今度は女性だった。
それもナダと年齢がそう変わらない女性であり、ポニーテールに簡単にくくった髪に、目元にほくろがあった。
「あ、ミカお姉ちゃん」
その姿を見て、嬉しそうな顔をするテーラがいた。
ナダも、その名前は覚えている。
ダグラスや自分と同じような年齢で、祭事の時になるとよく村の若い男集から贈り物を貰っていた、と。その容姿はこの村の中でも優れており、今では多少顔にシミやそばかすも増えたが、素朴で可愛らしいのは昔と違いが無かった。
「ねえ、あなた、ナダでしょ?」
そして彼女はよく自分に食べ物をくれたという多大な恩が、ナダにはあるのだ。
もっともナダはそれらを自分で独り占めはせずに、弟や妹に上げていたが、それでもあの時に感じた感謝は、今でも変わらない。
「……ああ、そうだが」
流石のナダも命の恩人に嘘を付くことはしなかった。
「ねえ、私の事……覚えている?」
どこかミカは不安そうだった。
「ああ。覚えているさ。忘れるわけねえよ――」
「そう嬉しい!」
そう言うと、まるでミカはナダの体温を感じるようにその胴体へ抱きついた。
その時、ナダは少し違和感を覚えたが、ミカは構わず話を続けた。
「ねえ、本当に冒険者になったんだね」
ミカは腕などからでも分かるほどの傷跡を見て言った。
「ああ」
「ナダは、言っていたもんね。村に出る時、冒険者になるって」
「ああ」
「夢が叶ってよかってね」
心の底からそう思っているのか、ミカは涙を少し流した。
「で、お前のそのお腹は?」
ナダは自分に抱きついてくるミカの腹部が気になった。
見た目ではあまり分からないが、こうして密着すると少々大きくなっていることは分かる。
「……妊娠しているの」
「そうか。おめでとう」
「うん。ありがとう。私ね、一年ほど前にダグラスと結婚したの。でね。これは彼との子供なの」
「幸せにな――」
ナダはそう告げて、ミカの手を放し、背を向けた。
もう二度とこの村には来ることは無いだろうという漠然とした予感を抱えながら。
だが、もう一度、ミカが大きな声で叫ぶ。
「ねえ、ナダ! あなたも幸せに! 冒険者、頑張ってね! テーラも幸せにしなさいよ! テーラも元気でまたね!」
「うん! またねー」
ナダはもう何も言わなかったが、代わりにテーラが大きな声で手を振りながら見かに言った。
ミカも村の入口から大きく手を振っていた。何度も何度も。それはナダ達の背中が見えなくなると、手はやがて下ろしたが、その体は夕方まで動くことはなく、三人の背中が消えた先をずっと見つめていた。




