第三十一話 血縁Ⅲ
「皆ね、死んじゃったの――」
テーラの涙は最早止まることは無かった。
誰の死を慈しんでかは分からない。おそらく、家族が一人一人死んだ場面を思い出しているのだろうか。
テーラは膝の上で両手を硬く握っている。
それからテーラはポツポツと家族の死の真相を話し始めた。
テーラの話を総合して考えると、村を襲った悲劇は――飢饉だった。
数か月前から日照りが続き、雨が降らなくなっていた。近くの川から水は引いているが、その水は村の有権者から渡されることをナダは知っている。ナダの家はそれほど地位が高くなく、水を与えられるのも最後も近かったのだろう。
だから、作物が育たなくなった。
それと同時に毎日の食事の量が減り始めた。
だが、父と、兄であるカロルは家の大黒柱なので食事の量は変わるわけがない。その煽りを受けたのは育ち盛りなシャマとクレアだった。よく食べる二人の食事が減らされたのだ。まだ小さいテーラは少ない食事量でも足りたらしい。
しかしそれを哀れに思った母が、自分の食事を削ってでもシャマとクレアに食べさせたので体に“がた”が来て――最初に亡くなったみたいだ。最後の一週間は殆ど食べることはなく、それなのに家の為にと仕事は続けたらしい。頬はこけ、腕は細くなっても、家族のために、と働き続けた母。
その頃だった。
飢饉の村に流行り病が襲ったのは。
近くの村でも流行っていたようで、人が村の中でもばたばたと死んでいった。
そんな中、満足に物を食べられず、病への抵抗力が無かった母は呆気なく死んだ。
その死に悲しんだ家族。
だが、一番狂わしたのは兄であるカロルでも、末っ子であるテーラでもない。ましてやシャマとクレアでも無かった。
「お母様がね、お墓に入ってからお父様は嗤うようになったの……」
――父、だ。
父がおかしくなったとテーラは言う。
その日から不気味に嗤い始める事が多くなったと。
母が死んですぐに父は酒に溺れた。どうやらこれまで母の存在は父にとって心の支えになっていたようで、それが折れると父は狂い始めたみたいだ。確かに村にいた頃も、何かと父は母を頼りにしていたとナダは思う。
だから畑仕事も禄にせず、毎日酒を飲む日々が続いたという。それを兄であるカロルが真っ向から批判するが、父は兄の意見を押しのけて家の大切な生活費まで使って酒を飲み、やがては家に金が無くなって酒が飲めなくなると首を吊って死んだという。
「それからね、カロル兄が頑張っていたけど……」
家に金は無かった。
父が全て酒に変えたからだ。
兄はそれでも何とか生活をまともにしようとしたが、まだ成人になってそう経たない兄に金を貸すところは少なく、作物も育たない日々が続く。毎日の食事は雑草や僅かな森の恵みばかりとなった。
そして畑を僅かばかりのお金で切り売りしながら生活して行ったらしい。
畑は減っていくが、作物は増えず。
しかし、腹ばかりが減る毎日が続いた。
そんな中でも末っ子であるテーラはまだ食事を得られたほうらしい。テーラの兄であるシャマと、姉であるクレアが食事を分けてくれたからだ。
だが、その頃、体が既に大きくなっていたクレアとシャマは流行り病にかかり、日に日に衰弱していった。
そんな中、カロルが必死にお金を工面しようとしていたが、村の飢饉は治まることがなく、流行り病は酷くなるばかりらしい。村に訪れる者も少なく、行商人や人買いも数が減ったらしい。
村には跡継ぎがいなくなった幾つもの畑が荒れた。
もちろん、カロルが売った畑もそうだ。
残った畑は売れることはなく、周りの畑も徐々に荒れていった。
そんな中、カロルがどれだけ頑張ろうと情況が変わることは無かった。
病の結果、最初にシャマが死んだ。ナダが話を聞いていると、もちろん病も原因の一つだろうが、それ以外にも栄養失調も理由の一つだと思っている。病気と戦うだけの栄養が無かったのだ。
カロルは畑を耕しながら何とか食い扶持を探そうと、毎日山に入っていたが、その頃はあいにくの冬であり、木の実は少ない。
栄養が足りていないテーラはそのあたりの野草をかじって飢えをしのぎ、やがてクレアも病気に負けて死んでいった。
最後に残ったのがテーラとカロルであるが、その頃にはもうカロルも流行り病にかかっていたらしい。さらに毎日畑仕事をしながら山に入って食べ物を探す日々が続いたのにあまり食事はとっておらず、その頃にはもう既に体は細かったらしい。
カロルは長男としての役目を果たして弟や妹を生かそうと必死に体を動かしていたが、クレアが死んだことでとうとう限界が来て、クレアを墓に埋めた次の晩に布団の中で眠るように息を引き取った。
テーラも最初は眠っているだけかと思ったが、何度揺さぶっても起きることはなく、息すらもしていない。さらにこれが初めて見た人の死ではないので、テーラも父や母、それに兄や姉に引き続き、最後にカロルが死んだことはわかったらしい。
「それからね。何とかして、カロル兄のお墓を作ったの……」
これまでに幾つもの墓を作ってきたテーラにとって、もう一人の墓を作り方は簡単に分かった。大変だったのは、家の中からカロルを運ぶことと穴を掘ることだったとテーラは語る。
そして、カロルを埋めてから一日が経った。
最初の晩は誰もいなくなったことに泣き叫んだらしい。
兄が最後に残してくれた食料を食べながら家族との思い出に浸っていると、昔、クレアとシャマが迷宮都市に行った兄――ナダのことを話していたのを思い出して、テーラも同じく迷宮都市を目指したようだ。
町に着いたのはいいが、それから目が覚めるとこの布団で眠っていたらしいとテーラは語る。
「それで、私はここにいたの……」
「そうか――」
ナダは家族の死を知っても、それ以外に感想が出てこなかった。
現実感が無かった。
あの屈強で厳格な父、家事に精を出し優しく弟や妹を見守っていた母、自分よりも大きく跡継ぎとして頑張っていた兄、それにいつも後ろをついて回っていた弟や妹が死んだと聞かされても、あの村に帰れば彼らはまだ生きているのではないかと思ってくる。
いや、死んだということは分かっている。
それは紛れもない自分の妹――テーラが告げているからだ。
そもそもこれまでに数多くの死を見てきた。
学園に入った当初、目の前で冒険者が死んだこともあれば、パーティーを組んでいた者が迷宮内で行方不明になり、そのまま帰らぬ人となったこともなったこともある。
あの時に抱いた気持ちと似ていた。
本当に死んだはずなのに、頭では分かっているはずなのに、心が理解しようとしない。胸の奥が空虚のまま、これから先を過ごす。心の穴が満たされる事もなければ、埋まることもない。時間とともに胸に空いた穴を忘れゆくだけだ。
そもそも、自分は家族にどんな感情を抱いていたのかさえ、ナダは分からなかった。
愛情か、憎しみか。それとも、怒りか。悲しみか。
たしかに自分は家を出たが、怨みは持っていなかったと思う。
仕方がなかった。
そうとしか思えなかった。
自分は次男で、他の兄弟姉妹よりも体が大きい。
家で自分に与えられる食事の量だけでは足りず、腹を満たすためだけに冒険者になったのだ。
家の中にいれば満たされない欲求を満たしたくて、自分は冒険者になったのだ。
だが、どれだけオートミールを腹いっぱい食べられる職業についたとしても、ナダは満たされることはなかった。
今だってそうだ。
心が満たされないから、嘆くことも、怒ることも、喜ぶこともない。
家族が死んだとしても、特に可愛がっていた愛していたシャマやクレアが死んだとしても、何も感想が出てこない。言葉が出てこない。涙すら、出てこない。頭の中ではそれらが出るのが正しい、としても、ナダには頷くことしかできなかった。
「なあ、ダン。テーラの調子はどうだ? 同じ病にかかっているのか?」
「ううん。僕が調べた限り、栄養が少し足りないのと疲れが残っていることを除けば健康的だよ」
「そうか。ありがとう。なら、テーラ。まずは食事の用意をしよう。たっぷりと食べて、そして寝て、英気を養え。話はそれからだ――」
ナダは冷静に今できることをした。
イリスとダンは何も言わなかった。
そしてテーラは腹を満たすと、すぐにナダのベッドの上で眠りについた。その頭をイリスは撫でながらナダへと顔を向ける。
「……どうするの?」
「やることは決まっている――」
「なに、それ? もしかして泣くこと? あたしで良かったら胸を貸して上げましょうか? でも高いわよ。なんたって、学園の英雄の胸なんだから――」
イリスは残った手で豊満な胸を叩く。
大きく揺れた。
だが、ナダはそれすら見ていないようで、テーラの妹や母を思い出す顔を見ながら言う。
「残念ながらそんなつもりはねえよ。涙なんてとうの昔に枯れた」
「嘘つき。それにしては、酷い顔をしているわよ。ねえ、ダン?」
「うん。そんな顔を見たのはガーゴイルに戦いに行く前ぐらいだよ」
ダンには、今の顔と以前戦いに行くときの顔が重なり、心配そうにする。
「……残念ながら戦うことはねえよ。家族の命を奪ったのは、盗賊でも騎士でもなく、飢饉と流行り病だ。何を斬れっていうんだ。それに、俺のやることと言ったら、どう考えても一つしか無いだろう」
「それは?」
ダンが首を傾げた。
「――里帰りだ。どうやら俺にもそろそろ蹴りをつけろ、と天が言っているようだ。イリス、一つ頼み事がある。」
「……貸し一つよ」
「助かる――」
ああ。そうさ。
ナダは拳に力が入らない。
そこには生きている者が誰も残っていないとしても、家族の墓しか無いとしても、自分は行かなければならないからだ。
墓参りをして、最後の挨拶をしなければならない。
これは、けじめだ。
家族として、血縁者としての。
これまでは故郷に帰るのも、家族に会うのも嫌だったが、それは乗り越えなければならない。そういう日が来たのだ。ナダも心のどこかでいつかこんな日が来るとは思っていたが、こんなに早く訪れるとは思っていなかった。
そして、出来れば――。
「ああ。そうだな。テーラが起きて五日後、旅の用意をした上で俺は故郷に帰る。帰らなければならない――」
ナダは弱々しく言った。




