第二十七話 学園最強
「ええー、イリス先輩、行っちゃうんですか?」
そうイリスを引き止めたのは、短い茶髪をカチューシャで止めた女生徒だった。
まだ新入して間もない一期生だろうか。イリスの取り巻きの中でもナダには見覚えが無かった。
「そうよ。そうよ。どうしてあんなビニャの大木なんかに……。ねえ、あんたからも言いなさいよ。イリス先輩と話すのも恐れ多いって」
その茶髪の女生徒に同調するように頷く長い黒髪の女性には、ナダは見覚えがあった。いや、イリスの取り巻きの中でもナダが最も知っている女生徒である。
名前をアメイシャと言い、イリスの取り巻きの古参の一人だ。
うねりのない腰まである長い髪は彼女の魅力の一つであり、シャープで綺麗な顔立ちと縁のない眼鏡と相まってアメイシャはとても美しかった。また彼女のアビリティは冒険者の中でも貴重であり、その美しさもあってか彼女は学年でも人気のある女生徒であると、以前にダンが語っていたのをナダは思い出す。
さらにナダと同じ学年でありながらイリスのファンクラブの会長も務めており、ナダに最も当たりが強い女生徒である。
「ああ、またお前か……」
ナダはアメイシャにため息を吐きながら言った。
彼女とは何度も同じ授業をとっていることもあり、顔見知りの仲でもある。
だが、あくまで顔見知りであり、どちらかが率先して話すことはない。ナダはアメイシャ対して特に何の感情も抱いていないが、アメイシャはナダに対して嫌悪感は強い。それはナダがビニャの大木という無能ということも要因の一つだが、それよりも何故ナダがイリスに誘われてアギヤに入ったのかが分からず、彼女を尊敬するアメイシャにとってナダに対する嫌悪はより強くなった。
「どうしてあんたなんかにお前呼ばわりされなくちゃいけないのよ。ねえ、イリス先輩、本当にこんな男に用があるのですか?」
アメイシャは視線を厳しくして言った。
ナダはイリスともアメイシャともましてや他の取り巻きとも関わらず、早く家へと帰りたい気持ちが強くなった。
「ええ。色々とね、聞きたいことがあるのよ。近況報告とか――龍の討伐についてね」
イリスの顔つきが一瞬だけ変わった。
獰猛な獣のような表情になった。口角が少し上がって、鋭く尖った歯を見せる。目は大きく見開いて、全身が戦闘態勢に入るように少しだけ前傾姿勢へとなる。それだけで歴戦の冒険者であるイリスは風格を持つ。
それは奇しくもナダと似ていた。いや、違う。ナダが似たのだ。この迷宮都市インフェルノに自らの意志で迷い込んでイリスと出会った時から、ナダは様々な場面で彼女のこの表情を目にした。
それは時に迷宮ではぐれに出会った時だったり、インフェルノで有力な貴族と出会った時だったり、はたまた人から強力なモンスターの話を聞くだけでイリスはこの顔色になったりした。
それを見てきたナダは、冒険者として自然とイリスに似た冒険者になった。
どちらかが意識をしたわけではない。
そもそもナダとイリスは師匠と弟子のような関係ではなく、冒険者としてはそれぞれ独立した存在だった。
それが近くにいただけで、お互いに影響を受けたのだ。
そしてナダは、この時思い出した。
イリスは――生粋の冒険者だった、と。
自分のような生活のために全てを賭けて冒険者をしているのではなく、他に様々にあった無数の選択肢を斬り捨てて冒険者をしている酔狂な人物だということを。
イリスは、貴族だ。
それも三流貴族なのではなく、スカーレット家というパライゾ王国でも王家に名を連ねるような大貴族である。三女とはいえ、イリスは器量もいいので運さえ良ければ王族に嫁入りすることも出来ただろう。事実、イリスと年頃の近い王家の嫡男とそのような関係にしようと、スカーレット家の内で画策していた者もいた。
だが、イリスは十二になると、様々な反対を押し切って自らの意志でインフェルノに来て、ラルヴァ学園に入った。
冒険者になりたかった、と。
事実、これが天職だ、と。
特に英雄が倒したような“はぐれ”を狩ることが自分の目標だと言っていたのを、ナダはイリスと出会ってから数日後に聞いたことを思い出す。
「……なるほどな。分かった」
もとより、イリスからの誘いに断れない立場にいるナダは二つ返事で頷いた。
その時、ナダはアメイシャから歯ぎしりが聞こえた。
気のせいではなかった。
実際にナダがアメイシャに視線を向けると、彼女は嫉妬の炎を宿らした瞳でナダを睨んでいた。
「いい返事ね。それじゃあ、私はこの後ナダと用があるから、皆、ごめんね――」
イリスが周りの者達に手を合わせてから可愛らしく小首を傾けると、徐々に彼らはイリスの元から去って行く。
これはナダも聞いた話だが、どうやらイリスのファンクラブの鉄の掟に彼女のプライベートには関わらないと書かれているとのこと。
しかし、アメイシャだけは残り続けて、最後の一人となった時にナダをもう一回睨みつけてから彼に背中を見せて去っていった。
「じゃあ、ナダ、行きましょうか?」
麗しい美女からの誘いの言葉。
普通の男なら喜ぶような場面だが、残念ながらナダは普通の男ではなく、イリスも普通の女ではなかった。
ナダは肩を大きく落としてから、大人しくイリスの後を付いて行くのであった。
◆◆◆
イリスはインフェルノに住んでから日が長い。
さらに冒険者としてその実力と立場から、様々な人と会食などの日々を送ってきたので様々な美味しいお店を知っていた。その数は当然ながらナダよりも多く、どうやら今日も彼女が知っているお店へナダを連れて行こうと思っているようである。
「ねえ、ナダ――」
少しだけ足を遅くして、ナダへと肩を並べたイリスが口を開く。
「何だよ――」
「こうして歩くのも久しぶりね。いつ以来かしら?」
「知らねえよ。それより、どこまで歩くんだ? そろそろ視線がうるさくなってきたんだが」
ナダとイリスが並んで歩いている場所は学園都市だ。
周りにいる者たちも殆どがラルヴァ学園の生徒たちだ。
彼らから見て、ナダとイリスの知名度は随分と高い。
イリスは学園最強の冒険者の一角として英雄の再来やアダマスの生まれ変わりなど、様々な名で呼ばれることが多いが――双色と、呼ばれることが最も多い。その由来としては、アビリティとギフトの二つを持つことやアビリティの発動時と通常時で姿が変わることなど様々な要因からその名で呼ばれる。
逆にナダは、学園の落ちこぼれとして――ビニャの大木としてよく知られている。その名もやはり学園では、いやそれに留まらずインフェルノでは有名であった。
「慣れているでしょ? お互いに――」
「……まあ、そうだがな――」
だからこそ、イリスの発言にナダは大人しく頷くが、やはり他方から聞こえる様々な声は嫌でも耳に入ってくる。
だが、ナダとイリスが一緒に歩いていることに対しての疑問の声は、その中には含まれていなかった。
当然だろう。
アギヤで一緒になっていたパーティーメンバーという間柄だけに留まらず、ナダとイリスの関係は友達以上に深いと学園では有名だった。もちろんその仲を邪推する者も多いが、ナダとイリスの二人が揃って否定していることと、片や大貴族のご令嬢で希代の冒険者であるイリスと、片田舎の平均以下の冒険者であるナダが釣り合っていないと思う生徒が多いためそこまで噂になっていなかった。
「それより、私ね、前に見つけた魚の美味しいお店があるのよ。そこでナダの今回の“冒険”について、詳しく教えてもらいましょうか?」
可愛らしい少女のような表情から一転して、冒険者のそれも獰猛な獣の顔になる。
ああ、やはり目の前のイリスが、ただの女ではなく一介のそれも熟練の冒険者なのだとナダにもう一度再確認させた。
そんな風に二人で話していると、突如、後ろから声がかかった。
「イリス!」
若い男の声だった。
だが、男にしては声が高く、ベルベットボイスと言うのだろうか。とても美しい声だった。だみ声のナダとは正反対の。
それに男の声は明るく弾んでいた。
「……また、あんたね――」
だが、逆にイリスの声はため息が混じっていた。
うんざりしていたのだろう。
勿論、ナダもその声の持ち主の事は知っている。学園でも有名で、アギヤにいた頃、それもイリスがまだ所属していた時に何度も会ったことがある。
彼の名は――コロア。
学園にいる大多数の男のようにイリスに恋情を寄せていて、最も学園でイリスに積極的な男であり、同時にイリス、コルヴォに続く最後の学園最強の一角として――王子との名前よく知られている。
もちろんその名前通りパライゾ王国の王族の一人であり、その証拠に王族特有の赤髪が映える美しい男であった。
そして、当然ながらナダのことを一方的に敵対視している一人でもあり、ナダとしてもこの男が現れたことに肩を大きく落とした。




