第二十六話 ククリナイフⅡ
その日もナダは迷宮に潜っていた。
ポディエである。
装備としては簡単な革の鎧を着ていた。それほど高価なものでは無かった。迷宮に現れるモンスターの中でも浅い層に出るモンスターである“ハポーザ”と呼ばれる弱いモンスターの皮をなめして作った防具である。ハポーザは狐のような形をしており、体長は一メートルほどと大きいが、素早いだけの特に強くもないモンスターだった。
初心者が狩るに最適のモンスターの一つであり、その鎧はとても軽いので冒険を始めたばかりの射手におすすめの防具とインフェルノでも安価で大量生産されている防具である。
ナダはそんな装備を着ていた。
前線で槍を振るうナダにとっては心もとない防具だったが、あまりお金の無いナダは裸よりかはマシだろうとこの防具を初心者用の防具屋で選んだ。
それに武器は、青龍偃月刀とソリデュム。
ククリナイフは持っていなかった。
買うお金はなんとか用意したのだが、ナダの行きつけの店の『アストゥト・ブレザ』曰く、まだ入荷していないとのこと。
ククリナイフという武器は小さいが、ナイフという観点から見ると大きい部類に入る。同じ大きさの武器ならククリナイフよりも癖がなく、扱いやすいショートソードのほうが人気は高かった。だからククリナイフを手に入るのも簡単だった。最近までは。
今ではククリナイフの人気は高く、迷宮都市インフェルノでは品薄が続いている。
その理由が――イリスだった。
彼女の武器はレイピアだが、サブにククリナイフを持っている。
学園最強の冒険者の一角として知られるイリスの人気は高く、彼女に憧れる冒険者が学園内には多かった。それも男子生徒ではなく、その殆どが下級生の女生徒であり、服装や武器だけではなく戦闘スタイルや生活まで真似をするものまでいた。
だからこそ、彼女が愛用する物はインフェルノでは品薄状態が続いていた。
ナダもそのことに小言の一つや二つを言いそうにもなるが、見方によってはイリスの影響でククリナイフを使う自分も同類なので何も口に出したりはしなかった。
「はあ、次はあんたか――」
ナダは現れた目の前のモンスターに言った。
その名は、マカーコ。
人の姿をしたモンスターであり、より人が獣に近づいたモンスターとも言えるだろう。
服は着ずに裸で、それを隠すように全身に黒い毛が生えている。それは太くしなやかであり、人の防具のように剣などを防ぐことができるだろう。
マカーコは武器を持っていなかったが、人より強靭で大きな牙とカミソリのような鋭さを持つ爪を持っている。
またその立ち姿も異様だった。
背骨は老人のように大きく前に曲がり、猫背になっていた。そのおしりは赤く固くなっている。そして、その体躯は人の中で小さく120センチ程しかないが、短い足から繰り出される俊敏な動きはまさしくモンスターと言えるだろう。
だが、とは言え、ナダの目の前のマカーコはポディエの浅い層に出現したモンスター。学園では落ちこぼれと評価されているナダであっても、このようなモンスターなど数年も前に飽きるほど狩り尽くした。
敵ではなかった。
マカーコは機敏な動きをしながらナダに近づくが、既にその動きは何十、いや何百と見てきたので既に見切っている。
ナダは青龍偃月刀を振るう。
それは素早く近づいてくるマカーコの胴体を両断する。
すぐにナダは絶命したマカーコからソリデュムで解体し、中から目当てのカルヴァオンを取り出した。
「ふう――」
ナダは腰のポーチにカルヴァオンを入れると、一息ついて休憩を入れる。既にポーチの中には十数個のカルヴァオンが入っていた。そのどれもが小粒であり、今いる浅い階層に出現するモンスターから手に入れた糧だった。
そもそもナダの本来の冒険スタイルといえば、深い階層に潜って大物を討伐するのではなく、浅い階層の弱いモンスターを安全に狩って、カルヴァオンを手に入れていた。
だから、本当なら、大物――俗に“はぐれ”と呼ばれる種類と戦うことをナダはほぼ想定していない。あんな命がいくつあっても足りず、勝てたとしても辛勝、もしくは代償が多いモンスターと戦うことなどナダには信じられなかった。戦うことすら、本来の彼なら避けるような冒険者なのだ。
彼らの持つ巨大なカルヴァオンもいらず、その肉体から出来る装備を欲しているわけでもなく、それどころか特殊な“はぐれ”の先にある宝具すらもナダは眼中に無く、ましてや冒険者としての名声もいらない彼にとって、“はぐれ”とは心惹かれるまばゆい黄金ではなく、“災厄”であった。
それがアギヤ時代にはイリスの悪運によって何体もの“はぐれ”と戦うことになり、最近ではガーゴイルと龍という二体の“はぐれ”と戦うことになってしまっていた。
さらにどちらも大した実入りはなく、結果として自分は損をしているということになっている。
それに比べて、今回の冒険は何と普通なことか。
ナダは様々な低級モンスターを狩りながら、淡々としたつまらない冒険に感動を覚えるほどであった。
今日の冒険はそれほど問題がなかった。
強いモンスターとも出会わずに、モンスターハウスのような数多くのモンスターと出会う不運に遭うることも無ければ、内部変動も一度としてない。命を賭けるような戦いがない冒険にナダは深い安堵を覚えていた。
だが、ナダは熟練の冒険者である。
そんなことで安心したりはせずに、一歩ずつ慎重に今いる階層のモンスターを狩っていく。どのモンスターもが青龍偃月刀で一振り、もしくは二振りで倒せるようなモンスターであり、その全てをナダは自身に近づく前に倒している。
作業のようであり、酷く退屈な冒険でもある。
しかし刺激のないことにナダは思わず笑みが零れそうになっていた。
特に今日はあの“龍”を殺してから初めての冒険ということもあり、ククリナイフがないということもあってか、いつもよりも浅い層で安全にモンスターを討伐することを目標としている。
特に今日は一人での冒険にも慣れてきたのか、楽になっているように感じた。
そしてポーチに小粒のカルヴァオンがいっぱいとなったところで、ナダは腰にある革袋の水筒を口につけて、本日の冒険を終えようとする。
だが、冒険はあくまで帰るまでが、迷宮から出るまでが冒険である。
ナダは過去に内部変動によって深い場所に落ちたり、突如として天井から現れた龍によって喰われた経験があるため、帰る道中でも油断したりはしない。四方、いや、上や下なども含めたあらゆる方向に意識を置きながら安全に、何事も無いように注意しながら出口へと向かう。
そして、今回は何事もなく地上に出ると、ナダは顔が緩みながらいつもの茶髪の受付嬢に冒険を終えたことを伝えた。
だが、返って来たのは怪訝そうな顔をする受付嬢の言葉だった。
「何ですか? その顔は? そんなにだらしない顔をしているということは、何かいいことがあったのでしょうか?」
「そうか。そうか。俺は笑顔なのか」
だが、ナダは表情を変えることもなく、本日の冒険は平凡に、しかも五期生としてはありえないほど浅い階層を攻略してきた学生としては奇妙な笑顔だった。
普通の五期生の学生なら、もう少しは残念そうな顔をするものである。
だとするなら、冒険以外でいいことがあったのかと受付嬢は考えた。
「……大きなお世話だと思いますが、美人局にはお気をつけくださいね。最近、冒険者からお金を騙し取る人が増えているみたいですから」
「ああ。分かった――」
だが、そんな受付嬢の言葉を聞いてもナダの表情は変わることはなく、スキップをしそうな勢いでその場を後にした。
受付嬢の冷ややかな目線が、ずっとナダの背中を射抜いていたのであった。
◆◆◆
地上に出たナダは受付を後にすると、空から眩しい日差しが降り注いだ。
閉塞された空間であり迷宮で、先程まで花や岩が光源となっていた場所と比べると、やはり地上というものは多大な開放感をナダに与えた。
何と空は広いのだろうか。
安全に冒険を終えたナダは心に余裕を持っており、既に夕方で日も落ちている日差しを気持ちいいとさえ感じていた。
すぐにナダは自室に装備を置いてからカルヴァオンの換金施設に寄り、現金に変えると今日はオートミールではなく少し良い物を食べようかという余裕さえ生まれてきた。
何がいいだろうか。
やはり肉だろうか。
そう考えながらナダは道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「あら、奇遇ね。ナダ――」
ナダは背後から艷やかな声で引き止められると、ゆっくりと振り返ってその者を見た。
下はジーンズで上は白いシャツとシンプルでラフな格好をしていたが、彼女のスタイルの良さはそんな姿でも健在であり、いやむしろ胸部がシャツによって強調されてより蠱惑的な姿になっていた。
ウェーブのかかった金色の髪は後ろで一つに結ばれており、美形の顔には薄く化粧がほどこされより綺麗になっていた。
――イリス、であった。
ナダの先輩である。
そんな彼女のまわりには多数の取り巻きである冒険者がいた。その殆どは女性だが、男性も何人かいる。
やはり彼女の学園での人気は凄いらしい、とナダが再度実感するほどに。
「……久しぶりだな」
「ええ。そうね。少し時間はあるかしら?」
「……ああ」
頷きたくないナダであったが、彼女の要望に逆らえるはずがなく即座に頷いた。
何故かこの時ナダは“災厄”が近づく足音が聞こえていた。
気のせいだと思いたかった。




