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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第二章 楔
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第二十四話 生還Ⅳ

 ナダは目の前に鉄板に乗った分厚いステーキが出されると、これからの重い空気を断つようにナイフで切った。お世辞にもマナーがいいとは言いがたい。フォークは逆手持ちで、ナイフの切り方はどこかおぼつかない。

 だが、ナイフを肉に食い込ませる度に、肉汁が溢れだし、それが鉄板の上で蒸発するように食欲をそそるじゅーという音が聞こえる。ガーリックの香ばしい匂いもした。既にナダの口の中はよだれでいっぱいだった。

 久々のご馳走だ。

 それも、迷宮探索が終わって、からのご馳走だ。

 ナダの血肉が肉を欲していた。

 ナダはそれを口元に運ぶと、大きい塊だというのに一口で頬張って口の中でくちゃくちゃと音を出す。

固い。が、噛めば噛むほどステーキから肉汁が溢れだし、それが赤ワインのソースと絡み合う。

やはり、旨い。

ナダは久しぶりに味わうこの店の料理を、無言で、口だけを動かしながら味わっていた。

 そんな風にナダも含めた全員がステーキに舌鼓を打っていたところで、小さく一口だけステーキを食べたコルヴォが口を開いた。


「――で、ナダ。何故、お前は龍の心臓をあの場面で斬ろうとした?」


 あの場面。

 おそらくは自分以外のものが“虫”と戦っている時だ。

 他のものが死に物狂いで“虫”と戦っている中、ナダは自分でも記憶がないまま何故か龍の心臓を目指した。


「……さあな」


「さあなって何だよっ!! ああっ!!」


 だが、そんなナダの返事にやはり大きく反応したのはブラミアだった。

 両手に持っていたナイフとフォークを机に叩きつけるように立ち上がり、身を乗り出してナダを睨む。


「記憶に無いんだよ」


 ナダはまたステーキを己の口に運んで、肉を頬張ったまま言った。

 ナダはブラミアの殺気に当てられても、顔色が変わることはなかった。


「しらばっくれてるんじゃねえぞ!!」


「うむ、では、ナダ殿はいつから記憶があったのでござるか?」


 ブラミアの隣に座っていたアマレロが、彼の肩を押さえて大人しく席へと座らせながら言った。


「俺の記憶があるのは……そうだな、既に俺の槍が龍の心臓と思われる所に刺さっている時ぐらいか」


「……そうでござるか」


「だが、それも曖昧だ。俺があの場面で覚えていることは少ない」


「なら、何を貴様は覚えているのだ?」


 セレーナがナダへと聞く。

 ナダはそこでようやく、あの時の自分を振り返ることが出来た。

 肉を噛む口も止めて、ゆっくりと考えてから言った。


「……温かさだよ。まるで人に抱かれているような温かさ。それと同時に思い出した龍への殺意。“まとも”なんかじゃなかったさ。“まとも”だったら――あの状況で龍の心臓を斬ろうとはしねえよ」


「……あの状況とは何なのだ?」


 セレーナが聞いた。

 するとナダは自嘲気味に言った。


「血に溺れながら龍の心臓に突き刺さっている槍に、更に力を込めたことさ。己の命を守ろうとはせず、お前らのことも忘れて、それまで戦っていた虫のことも頭になく、ただ一つ――龍への殺意だけで動いて、溺れながら龍の心臓に槍を食い込ませたことさ」


 ブラミアはナダの話を聞いて、やはりナダに納得できなかった。

 だが、それはナダが嘘を言っていると思ったからではない。ナダの喋る口はどれも疲れていて、真実味に溢れていた。

 けれども、そんな状況でも龍を殺そうとした冒険者としてのナダが、ブラミアには理解できなかった。


「それで全てなのか?」


またセレーナが聞く。


「ああ。俺は槍を食い込ませたところで、溺れて、かろうじて繋いでいた意識が無くなった。そこから先は龍の心臓がどうなったかは分からねえよ」


 ナダの言葉を否定するようなものはいない。

 だが、それを肯定するような者もいない。

 長年ラルヴァ学園で冒険者として活動し、その実力から多種多様な冒険者と出会ってきたコルヴォでさえ、ナダの行動は、いやその本能が理解できるものではなかった。

 理性なのではなく、野性的な意識のみでモンスターと戦うなど。

 まるで、その時のナダの姿を想像すると、ブラミアには獣のように感じた。

 それもただの獣ではない。

 血に飢えた獣だ。

 人である冒険者としての行動ではなかった。


「……じゃあ、ナダ先輩は次にどこで目を覚ましたんですかー?」


 ナダの話に興味を持ったのはクラリスだった。

 楽しそうに、声を弾ませながら聞く。

 当然ながらナダ以外の六人は、ナダが迷宮から帰ってきた時の情報を手に入れている。一人で、それも二つの足でしっかりと地面を踏みながら帰ってきたのなら、どこかで意識が蘇ったとクラリスは思ったのだ。

 迷宮は複雑な道のりなので、意識がはっきりとしていない状態で帰れるような簡単なものではないからだ。


「広い、部屋だよ――」


 それからナダはどこで目を覚まして、その時の状況を話しだした。

 目の前に龍の死体があって、特大のカルヴァオンがあって、それが持って帰れないような大きさだったことを六人は聞いて少しだけ目を輝かしたが、そもそもナダはそんな荷物を迷宮から出る時に持っておらず、それらを迷宮に置いてきたと言った時には六人共が落胆した。

 また、それらが諦めきれなかったセレーナはナダに場所を聞いたが、「……教えてもいいが、既に道は内部変動で閉じたぞ」という言葉にショックが大きく、うなだれるように俯いた。

 それからナダはどのように迷宮から出てきたかを語って、話を終えた。


「――以上だ」


 ナダが言い切っても、六人から反応はない。

 話の内容としては、貴重な宝があったが、それを持ち帰ることは出来なかった。それに終始尽きるからである。ダンジョンの新しい道を発見したわけでも、龍の新しい生態を見つけたわけでもないからだ。


「ナダ、その言葉に嘘偽りはないかい?」


 それはまるで六人の意志であるかのように、確認をとるためにコルヴォが言った。

 それからナダとコルヴォの押し問答は続く。


「ねえよ――」


「なら聞くが、他に隠していることはないかい?」


「俺が半裸でダンジョンから出てきたことを、おそらくお前は知っているんだろ?」


「ナダが龍の死体と出くわした空間には、本当にほかも無かったんだね?」


「さあな。あったかも知れねえし、無かったかも知れねえ。そこまでくまなく探してねえし、探す気力も無かったからな――」


「なるほど。その道も隠してはいないんだね?」


「ああ。何だったら案内してやろうか? おそらく数時間を無駄にすると思うがな。コルヴォの頼みだったら聞いてやるよ――」


「と、いうわけらしい。君たちはナダに聞きたいことはあるか?」


 コルヴォはナダ以外の五人に聞くが、返事は無かった。

 五人もコルヴォと同様、ナダから聞きたいことは聞いた。自分たちが血の濁流に飲み込まれて、見えなかった事の顛末もナダの話の断片からあらかた分かった。感情ではナダに納得していないことが多い者もいるが、そもそもこの七人は“パーティーではない”。

 たまたま龍の体内で出くわした冒険者が、一時的に共同戦線を張っただけだ。

 途中で裏切ろうと、それを恨むのはお門違いである。

 そもそも実際に裏切らなくても、心の中でいざというときに裏切ると思っていた者も、公言した者もいた。

 それが今回、たまたまナダであったということ。

 それも意図したものではなく、彼の冒険者としての行動指針が起こしたものだった。


「無いなら、次に話を移ろうと思う。話の議題は――“これ”だ」


 コルヴォは近くに置いてきた鞄から、“二つのカルヴァオン”を出す。

 それは二つで一つの球体になる形をしていた。どうやら割れたらしい。

 だが、それはコルヴォが燃料として買ったものでは無かった。


「これはオレたちが倒した“虫”から出てきたカルヴァオンだ。まだ換金していない。オレはどちらかと言えばナダの行動の話よりも、こいつをどうするかでお前たちに集まってもらった――」


 ナダはそのカルヴァオンを初めて見た。

 それもそのはず。

 ナダは“虫”が死ぬ瞬間を見ていない。

 その黒く光った美しいカルヴァオンを、見れたはずが無いのだ。


「皆はパーティーにそれぞれ所属したことがあって、おそらくカルヴァオンなどの迷宮の戦利品の分配は各自違うだろう――」


 コルヴォの話は尤もだった。

 カルヴァオンの使いみちとしてよくあるのがパーティーメンバー全員に、等配分だ。もちろん、契約によっては、特定の有能なスキルやアビリティを持っている者が少し配当が高くなることもあるだろう。

 もしくはパーティーメンバーの武具の資金を集めるため、少しだけを分配して、他の資金はプールしておくパーティー。またはその迷宮探索においての出来高で配当を変えるパーティーなど、その形は様々だ。


「もちろん、オレたちは“パーティーではなかった”。だから、このカルヴァオンを手にするのは、第一発見者のブラミアが手にするべきだ――」


 コルヴォはブラミアをちらりと見た。

 ブラミアはコルヴォへと小さく頷いた。


「だが、それはフェアじゃない。ブラミアも同じ意見だ。そこでどうやってこれを配分しようとオレも考えたんだがここは――この七人で、このカルヴァオンから出る金額を平等に分けようと思う」


「平等……でござるか?」


 アマレロが意外なコルヴォの意見に驚いたように言った。


「ああ。出来高や失った防具などを見据えた分配も考えたんだが、どうも上手く行かなくてな。やはりオレたちはちゃんと契約されたパーティーじゃない。なら、一番後腐れが無い選択肢を選んだんだよ。どうだ? 誰か文句はあるか?――」


 コルヴォは不敵に笑っていた。


「なら、一つ私から聞きたいことがある?」


 そう言ったセレーナもコルヴォの意見には納得していた。

 だが、どうしても訪ねたいことがあったのだ。


「何だ?」


「上へのレポート制作、またはカルヴァオンの換金などの事務作業などはどうするのだ?」


「ああ。なるほど。それらか。それはオレがやっといてやる。この場で全員の話は聞けたし、そういう交渉もこの中ではオレが一番上手いだろう。何よりオレは一時的だがお前たちのリーダーで、お前たちの先輩でもあって、今はパーティーにも正式に所属していない暇な身だ。それぐらい――無給でやってやるよ。で、まだ聞きたいことはあるか?」


 コルヴォはもう一度六人を見渡した。 

誰からも反対意見は上がらなかった。

 それはこれらのカルヴァオンを拾ったブラミアであっても、怪我で言うなら一番酷かったセレーナであっても、また一番ギフトで働いたであろうダンであっても、実質“虫”にトドメを指したアマレロであっても、もしくは“虫”を殺す要因を作ったクラリスであっても、龍を殺したナダであっても、だ。

 コルヴォは誰も反対意見が上がらない六人を嬉しそうに見渡してからまた言った。


「無いな。なら、今日はこの宴を楽しんでくれ。料理や酒は好きなだけ頼んでいいぞ。何、心配するな。ここはオレの奢りだ。オレはどうやらちょっと懐に余裕があるらしくてな、これぐらいは出してやるよ――」


 そうコルヴォが言ったと同時に、七人を包んでいた重苦しい空気も消えて本当の宴が始まった。

 全員が好き勝手に料理と酒を頼み、様々に席を入れ替わりながら話を交わす。

 先ほど、少しは険悪な雰囲気になったとしても、龍の体内にいたころはそれぞれが普段の冒険よりも命をかけて冒険していたパーティーだ。本来なら育まれないような絆も多少は生まれていた。

 話すことといえば、初めは龍の体内の冒険だったが、時間が進む毎にそれぞれのパーティーの冒険の話になり、今の冒険の話になった。

 ナダも酒は大量に飲んでいたが、酔えるほど弱くもないため、冷静に聞かれた質問には答えていた。アギヤ時代の冒険のことや少し前にあったガーゴイルとの戦闘など、戦績は立派であるナダには聞きたいことが多い者も多かった。もちろん、その中にはコルヴォやブラミアの姿もあった。


 それから数時間経って、七人の宴は終わる。

 一時的なものだが、普段のパーティーとは違う形でパーティーを組んだ冒険者にそれぞれ特別な思いが残ったが、店の前に七人が立つと、それぞれお別れのあいさつをして、別の道を行った。

 この中でこれから先、道が絶対に交わらない者同士もいるだろうが、彼らは冒険者だ。

 そのような出会いや別れはこれまでに数多くしてきた。

 だからこそ、だれもが後悔なく、今回の――誰一人欠けること無く終えた冒険をいい思い出とすることが出来た。


 ――だが、その数十秒後、すぐに二人の影が交わった。

 すぐ近くにあった広場で。


「――やあ、待ったかい?」


 一人はコルヴォだった。

 酒を大量に飲んだせいか、少し顔が赤らんでいる。


「いえ、待っていませんよ、コルヴォ先輩――」


 もう一人は――クラリスだった。

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