第二十二話 生還Ⅱ
龍がどれほど深い場所まで堕ちていたかナダには分からない。
けれども、あれから龍のカルヴァオンへの未練が無くなって、地上に出ようと思いナダは長い迷宮の道程を歩いた。モンスターとはあまり出会わなかった。そもそもナダが歩いていた道が細く長い道だったかも知れない。
地上へと登る急傾斜の道は、龍の体内で満身創痍に戦ったナダには辛いものだった。
どれほど登ったかは分からない。
何故ならその小道を抜けた場所は、ポディエの中でも低階層だったからだ。いや、正確にはあの小道の先には行き止まりしか無かった。だが、最後の場所は蹴るだけで崩れるように道が開いたのでそこからナダは抜けだしたのだ。
「はあ――」
ナダはやっと己が知るポディエに脱出できて安堵の溜息を吐いた。
長かった。
竜に食べられてから、ここに来るまで。
ナダはもう一度自分がたどってきた道を見つめてから、狼のようなけたたましい聞き慣れた遠吠えが聞こえたので出口へと向かう。あの小道はこれからどうなるのだろうかとナダは少し考えて、また内部変動が起きてあの道も閉じるのだろうな、と漠然とそんな風に予想した。
ナダは迷宮から地上に戻ってすぐに、顔見知りの茶髪の受付嬢に、迷宮の入り口でダンの安否を確かめた。ついでにコルヴォやセレーナ達の安否も。
「友達がいないあなたは知らないでしょうが、彼らはいくつかのパーティから“龍”に喰われたと学園内でも話題になったのですよ。まあ、三日もかからずに戻ったことと、龍に喰われた冒険者が同時に帰ってきたことで騒動は少し収まりましたが、逆に新しい噂が学園に流れていますね」
淡々とその受付嬢は言った。
ナダはその話を聞いて、自分が迷宮に潜った日を確認してみる。
四日前だった。
そんなにも長い間自分は迷宮に潜っていたのか、とナダは驚く。アギヤというパーティーを抜けてからずっと一人で迷宮に潜っているナダは、日帰りの迷宮探索しかしていない。それは己の体力の都合もあるが、どうしても迷宮に泊まるとなると見張りがいるためそれが自分の身一人では厳しいからだ。
それが久しぶりの長い迷宮探索。
それを自覚してナダはどっと疲れが体に襲って来るような気がした。
そもそもナダは龍に喰われてから、体内時計がまともに働いていなかった。それもそうだろう。龍に喰われてから意識が無くなり、摩訶不思議な龍の体内を数時間に渡って歩き、心臓にトドメを刺してからも気を失った。それからまた数時間も迷宮を進んでいるのだ。
寝ていた時の時間がどれほどかなど、太陽も存在しない迷宮内で分かるはずが無かった。
ナダの時間の感覚としては、あの日から一日ほどが経ったような自覚しか無い。
「――で、どんな噂が流れているんだ?」
頭の中で自らの時間を整理したナダは、そこでようやく受付嬢に気になった部分を聞くことが出来た。
ナダの前にカウンターを挟んで丸い椅子に座っている受付嬢は、一瞬だけ眉間にしわを寄せてから、ナダの質問に答える。
「あの龍に喰われた六人が、摩訶不思議な巨大な龍を討伐したという噂ですよ。尤も、あの六人はその噂を否定していますが」
「へえ――」
「それにこの噂には信憑性があるのですよ。あの六人は、それはそれは大きくて質のいいカルヴァオンを持ち帰った。二つに割れていましたが、私もあれほどのカルヴァオンは久しぶりに見ました」
ナダはすぐにそのカルヴァオンを龍のではなく、彼らが協力して倒した騎士の姿をした“虫”のカルヴァオンだと思った。
だが、彼女に真実を告げること無かった。
「そうか――」
「ええ。おそらくこれから学園の“機関”が詳しく彼らの迷宮探索を調べあげて、きちんとしたレポートが公開されると思いますから噂が収まるのもそれからでしょうね」
受付嬢は淡々と言った。
ラルヴァ学園では迷宮探索を行った冒険者が、特殊な状況に遭った場合は学園に調査されたうえで上にレポートが提出される。学園に所属している生徒には、これらを観覧できる権利があり、有益な情報は冒険者で共有されるのだ。
ナダもガーゴイルを倒した時にそのレポートが上に提出され、あの特性はこの学園の生徒なら知っている人が多いだろう。もっともはぐれの情報を欲しがるのは研究者が多く、冒険者はあまり欲しがらない。
同じ“はぐれ”のモンスターはほぼ存在しないからだ。
「そうだな――」
聞きたいことが全て聞けたナダが生返事をすると、目の前にいた受付嬢は今度は唇を尖らせて、ナダへと問い詰めるように言う。
「それで、その格好は何ですか? あなたは迷宮に潜る前は防具も付けていたと思います。あなたは露出狂のつもりですか?」
そう言えば、とナダは自らの格好を見なおした。
上半身が裸で、ズボンしか履いていない。さらに上半身には様々な生傷が付いている。こんな格好で戻ってきたのかと思うと、ナダはもう一度ため息を吐きそうになるも顔を伏せながら形だけ受付嬢に謝罪する。
「すまん」
「それにカルヴァオンも見当たりませんね。あなたはラルヴァ学園の生徒としての、そして一介の冒険者としての義務をどう考えているのですか?」
「……冒険に失敗したんだ」
「それに私の覚えている記録では、あなたが迷宮に潜ったのは四日前となっていますがそれから何をしていたのでしょうか? まさか、迷宮にずっと潜っていたのではありませんよね? 届け出では、日帰りの冒険の予定と記載されていますから」
受付嬢は笑顔で言った。
背筋も凍るような冷たい笑顔だった。
「……冒険にトラブルがあったんだよ」
「それで予定通りに帰れず、そんな格好になって、カルヴァオンまで持っていないと?」
「…………そういうことみたいだな」
「何があったか知りませんが、あなたはもう一度冒険者としての基本から学んだ方がいいのかも知れませんね。どうやらまだまだ冒険者としての自覚が薄いようです。この事は上に報告させてもらいます。迷宮であったことを事細かにレポートに纏めて提出してくださいね」
弾むような声で彼女は言った。
ナダはこれから先のことを考えると、憂鬱で仕方なかったが、この状況では頷くことしかできなかった。
「分かった……」
「では、ナダ様。本日は迷宮探索お疲れ様でした。疲れたでしょうから、ご自宅でゆっくりと休んでくださいね。そしていち早く迷宮に潜って、カルヴァオンを提供くださいね」
「ああ」
「出来ることなら、次の迷宮探索の終了時には私も叱ることが無いことを願います」
そう言われて、ナダはその場を去った。どっと疲れたような気がした。
そしてそれからナダは自宅に帰ろうとするが、その前に腹が減った。馴染みの食堂に行って大量の不味いオートミールと少量の干し肉を胃の中に入れた。
ナダはそれから帰宅し、部屋に乱暴に武器を置くと、着替える気力もないのか汗塗れの体で、ベッドの上で泥のように眠った。
◆◆◆
ナダが起きたのは次の日の夕方だった。
自室に鍵をかけなかったので、勝手に部屋の中に入ったダンに起こされた。
彼はナダが目をさましてそうそうこう言った。
「今日ね、あの時の皆が集まるんだ。ちょっとしたいいところのお店でね。ナダも来てくれるよね。皆、ナダから聞きたいことがたくさんあると思うな」
ダンは笑顔で言った。
怒っている。
何故なら目が笑っていなかったからだ。表情筋だけで無理やり口元を笑わせているのにナダは気がついた。
ナダは眠気から目覚めたばっかりだが、付き合いの長いダンのことなら分かる。
あの龍の体内にいたメンバーがいる場所へ行きたくもなかったナダだが、行くしかなく、ナダは小さな声で「分かった」と言う。