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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第二章 楔
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第二十話 心臓Ⅵ

 《独りよがりの箱庭エスコンディル・ウチロ》の中にいた六人は誰も喋っていないが、ただ一人――ダンのすすり泣きだけがその空間を支配する。

 その一方で、ブラミアは不満そうにダンを一瞥してから外の風景を睨む。

 彼の瞳には最早血の濁流によってあかによって埋め尽くされた外しか見えていないが、確かにその目には先程まで青龍偃月刀を持っていた男を射抜いている。

ナダの姿が赤に埋め尽くされてからどれだけ経っただろうかは分からないが、ダンがここにいる冒険者を治療するぐらいの時間はあった。

 しかし、ナダは見えぬまま。

 今、この“龍”がどうなっているのか、冒険者達には分からなかった。


「それにしても……何故、ナダ殿はあんな行動を起こしたのでござろうか?」


 アマレロは胡座で床に雑に座りながら、両手を組んで悩んでいる。

 先程までダンから傷を治されていたので、今ではきちんと座位を組んで喋れるほどには回復していた。


「きっと、ナダには……ナダの理由があったんだよ……」


そんなアマレロの問いに対して、ダンはフォローするように答えた。


「ちっ、知らねえよ――」


 ブラミアはぶっきらぼうに言った。

 その言葉を聞くと、ダンも怯えたようにそれから泣くこともなかった

 それから誰も喋ることはなく、ウチロという独立した空間の中で六人は自分たちを避けて通るように流れる龍の血を見ていた。

 だが、その沈黙を破るようにセレーナは口を開いた。


「……私にはあいつが龍の心臓に拘っているように見えた」


「拘っている……だと?」


 ブラミアの眉がつり上がった。


「うむ。私が見るに……あいつは、あの男は、――私達が死ぬ気で戦ったあの“虫”を、単なる邪魔者としか見ていなかったんだと思う。だから、邪魔者がいなくなると、真っ先に本命を目指した――」


「つまり、オレたちを囮として見ていたって言いてえのかよ!!」


「そ、それは……」


 叫びあげたブラミアにセレーナは反論することができず、小さく縮こまりながら口を閉じる。


「ふーん。なるほどね――」


「コルヴォ先輩、どうかしたんですか?」


 クラリスは不敵な笑みを浮かべるコルヴォが気になった。

 ブラミアも学園の冒険者の中でも三指に入るコルヴォが何かを気付いたようで、眉を潜める。


「いや、なに、ナダはやはり“冒険者らしい”と思ってね――」


 コルヴォは怪しげな笑みを浮かべながら言った。


「冒険者、らしい?」


 クラリスが首を傾げて、彼の発言が気に障ったのかブラミアも大きく舌打ちをしてナダへの嫌悪を表した。

 だが、コルヴォはブラミアから直接敵意を向けられても表情は変わること無く、ナダがいるであろう血の濁流を見ていた。


「ああ。だって、そうだろう? そもそも、何故、オレたちも含めてナダ達はあの場所へ行った? 目的は何だ? 虫を倒すことか? それとも皆で合流することか? 違うんじゃないのか? オレたちの目的は――龍からの脱出。その一点だろう? なら、ナダの行動は自らの目的に従った非常に冒険者らしい行動だと思う」


「だとしても、だ! だとしても、どうしてあいつはオレたちが倒しきるのを待たなかったんだ? あんなタイミングで龍の心臓にケリをつけるなら、もう少し待ってからでも良かったはずだろうが! そもそもあいつはオレたちが必死に虫と戦っていたことを見ていたはずだ。それを手助けもせず、まっすぐ龍の心臓に向かったことが気に入らねえんだよっ!!」


「ま、確かにそうだね。そもそもオレはナダの行動を褒めたわけじゃないんだよ。客観視しただけで。あいつの行動は冒険者らしい。だが、“人”としては失格だ――」


 コルヴォは鼻息を荒くしながら怒るブラミアに向けて淡々と告げた。その顔に謝罪の意はなく、むしろナダの行動を面白いとまで考えているのか怪しげに笑っている。

 しかし、その言葉でブラミアも少しだけ溜飲が下がったのか、落ち着いたようにコルヴォと同じくナダがいるであろう心臓に視線を向けた。

 血の濁流は今も変わらず止まらない。

 相変わらず心臓があるだろう部分から血が流れ出ている。

 いつまでこの血が続くのだろうか?

 その疑問はこの場にいる六人全員が思っていたことだが、誰にもそれを口に出すことはない。何故なら言った所で何も解決しないことは目に見えていたからだ。今の六人が出来るのはただこの場で血の流れが止まるのを待つことだけ。問題は龍の図体が巨大なので、どれだけ時間がかかるかということだ。

 ――だが、異変をダンが見つけた。


「ねえ――なんか、おかしくない?」


 ダンはずっとナダがいるであろう方向を赤くなった目で見ていた。

 だからこそ、セレーナのアビリティに起きた異変に気がついた。


「……ちょっと待つでござる! 空間が――侵食されている」


 次に気がついたのはアマレロだった。

 心臓から湧き出るような血が大量に流れ出て、その殆どは自分たちのいる空間を避けて後方へと流れていくというのに、ごく一部、たったの数滴にも満たないような血が《独りよがりの箱庭エスコンディル・ウチロ》というセレーナの絶対領域に食い込んでいる。


「何故だっ?」


 やはりそれに大きく反応したのはセレーナだった。

 自分の空間に、絶対に何も入り込めないであろう空間に、“血”という異物が入り込んでいる。だがセレーナ自身もこの現象は初めて起こったのか、原因は分からずそのままでおろおろとすることしか出来ない。


「へー、なるほどですねー」


 そんな中、床を一撫でしたクラリスが意味深な笑みを浮かべる。


「何か分かったのでござるか?」


「はいっ! 分かりましたよー」


「なら、さっさと説明しろよっ!」


 ブラミアは急かすように言った。


「いいですかー? まず前提として、セレーナさん達冒険者が持つアビリティは、迷宮に満ちていると言われている“ダークマター”によって発生されますー」


「それで?」


 コルヴォもクラリスの話には興味があったのか、続きを急かす。


「それでですねー。基本的にはダークマターで作られたものはかなり強度があったり、条件によってはセレーナさんのように壊れなかったりするのですがー、一つだけ、“全てのアビリティ”に共通する弱点があるんですよー。例えば、アビリティー。例えば、ギフトー。例えば、龍の火炎弾―。まあようするに――」


「――ダークマター。それ自体が弱点ってこと?」


 ダンが苦笑いで答えた。


「はいっ! そうですー。ダークマターが弱点なので、もしも龍の血にダークマターが含まれているのならー、この空間ももしかしたら壊れるかも……」


「まさかっ!」


 セレーナは大声を出した。

 おそらく自分のアビリティには絶対的な自信を持っていたのだろう。いや、そもそもセレーナは自分のアビリティを他の物に害された経験など一度もないので、今の状況が信じられない。

 その不安が、この場にいる全員に感染し、ウチロの中がざわめき始めた。


「で、どうしたらこれは止まるんだい、クラリス?」


 そんな中、冷静でいたコルヴォはクラリスに聞く。


「いや……私にもわからないですよぉ……そんなのー」


 だが、返って来た言葉はコルヴォが期待していないものだった。

 クラリスもこの状況は考えていなかったのか、顔を複雑に歪ませて焦っているようである。


「おいおいおい! 壁だけじゃなくて床も危ねえぞっ!」


 ブラミアは血が食い込んでいる壁よりも、染み込んでいるかのような床に注目した。実際、血による侵蝕は壁よりも床の方がひどかった。


「……何かおかしいでござるな?」


 胡座をかいているアマレロはセレーナのアビリティが破られることも危惧しているが、それよりも体が浮遊しているような現象のほうが気にかかった。


「……まさかとは思うけどセレーナ、この空間が動くということは無いよね?」


 アマレロと同じ浮遊感を覚えていたダンは、次に迫り来る脅威のことを考えていた。


「ないとは思うが……」


「でもー、この空間ってアビリティで固定しているでしょー。つまりー、その固定しているものをダークマターで壊せばー」


「クラリス、笑えないぞ――」


 コルヴォがクラリスを窘めるが、事実、彼女の予想は間違っていなかった。

 血の濁流にずっと浸っているウチロの床部分から“嫌な音”が聞こえた。それはまるで新鮮な生肉が骨から引き剥がされるような音で、耳の奥で虫が蠢いているように疼く。

 その音は時が進むに連れてどんどん大きくなって――やがては音が無くなった。


「まさかっ!」


 自らのアビリティの中にいて、何もできないセレーナは叫ぶことしか出来なかった。

 そして六人の阿鼻叫喚の中、無情にも《独りよがりの箱庭エスコンディル・ウチロ》は固定された空間から龍の血によって引き剥がされる。そのままセレーナのアビリティはまるで川に流れるボールのように血の濁流によって流された。

 六人の絶叫を乗せたまま。



 ◆◆◆



 ナダは混濁とした意識の中、いや自我すら無い頭の中で、でたった一つの使命だけはその脳裏に焼き付いていた。

 それは龍の体内からの脱出でもなく、“虫”の討伐でもなく。

 もっと濃く、純粋で、それでいて――黒い意識。

 ――龍殺し。

 いや、ナダにとって龍を討伐することが特別なのではなかった。

 “自らの命を害する存在”を殺すことを、ナダは本能で求めていた。そこに利害などの損得感情はなく、あるのは生物本来の“生存本能”。

 それだけでナダは龍の心臓に青龍堰月刀を突き立てていた。

 そこから溢れ出る血は、ナダの全身を生暖かい感触で抱く。

 まるで人肌のようだった。

 恋人のように優しくナダを抱いていた。

 ナダは殺意のみで偃月刀を握っていたというのに、龍に抱かれるという安らぎを感じていた。


 ――温かい。


 それを体でナダは感じていると、段々と彼の脳に意識が戻ってきた。

 すると全身に龍の血を浴びていることにより、血を飲みながら呼吸していたナダは息苦しいことに気が付き――覚醒した。


 そしてナダが思い出したのはここにいる自分の生い立ちと、朦朧とした意識の中で自分が何をしたか、何よりも現在の自らの立ち位置を。

すると血の波によって目が開けられないナダは、青龍偃月刀を通して伝わる深い脈動が龍の巨大な心臓から伝わってくるものと理解した。

この先に自分が目指していたものがある。

そう考えると、ナダの偃月刀を持つ力が強くなる。


だが、血に溺れているのでナダは力が出ない。

酸素が、足りなかった。

自分の最高のパフォーマンスを発揮するための。


 がぶ。がぶ。がぶ。

 血は飲んでいるため息苦しいが、しかし不思議とナダは体の痛みを既に感じていなかった。あれほど虫に体を痛めつけられたというのに。おそらくは骨折もしていれば、体に裂傷もあるだろう。

 この血の効能だろうか?

 詳しいことは分からない。

 しかし、ナダにとってそれは僥倖だった。

 体に痛みがないためしっかりと青龍堰月刀を持つことが出来る。荒れ狂う血の波にも押し流されること無く。

 そのため、未だにナダは偃月刀を離していなかった。


「――殺してやる」


 ナダのそれは声にはならない。

 血によって溺れている彼の声は、どこにも響かない。

だが、彼の心に、意志に、深く響いた。

それは冒険者のさがか。それとも生存本能か。もしくは――。

ただ一つ言えることは、ナダは間違いなく龍を殺すことを決意していた。


ごぼ。ごぼ。ごぼ。

ナダは息苦しさも忘れてこれまで昆布のように血の海に漂っていたため、まずは肉の床にしっかりと足をつけた。

 血によって滑りそうになるが、青龍偃月刀を持っている両手を支点になんとか持ちこたえる。


 そのままナダはもう一度血を大きく飲み込みと共に、少量の酸素を吸い込んだ。

 ナダは必死になりながら得た酸素で、両足を使ってしっかりとその場に踏ん張る。

 そして、ナダは下半身を起点にして、力を上半身に伝え、その力を次は両腕に伝達し、最後にそれを青龍偃月刀へと移す。

 ナダの全力を込められた青龍偃月刀をより深く、捩じ込むように龍の心臓の奥深くへと侵入した。

その結果、より多くの血が心臓から溢れ出て、その圧力によって多くの心臓の血管が千切れた。ナダへ降りかかる血の流れは早くなり、何故か足場も大きく揺れて遂には地面からも離れてしまった。

ナダを振りほどくように大きく空間が揺れた。

その原因は彼には分からない。

分かるはずも無かった。

ナダに心臓を貫かれた結果、まさか――龍が激しく暴れているため上下に血の海の中を叩きつけられるなんて。


「なっ――」


 そしてナダは突如として、血の波から解放された。

 青龍偃月刀が心臓から抜けたからだ。

 ナダはそのまま暴れている龍の体内を流される。多くの血によって深く体が沈められたナダは、今度こそ完全に意識を失った。


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