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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第二章 楔
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第十九話 心臓Ⅴ

「ああ、そうみてえだぜ。オレも詳しくは知らねえが――」


 ブラミアはそう言いながらナダとアマレロの方を見た。

 彼もどうしてこの虫を倒すことにナダとアマレロが躍起になっているかという詳しい状況をよく分かっていない。

 分からないまま、ブラミアは虫と戦っていたのである。

 まるでそれが冒険者としてのさがとばかりに。


「あいつの先に見えるだろ? あの石と肉の融合体が。あれがこの龍の心臓だ。俺は“あれ”を狙っている――」


 ナダは短く言った。

 ラルヴァ学園に在籍している冒険者の中で、龍を倒した学生がいるパーティーは学園内に知れ渡ることが多い。ナダのいるアギト然り、もちろん、その中にはコルヴォがかつていたパーティーも含まれている。

 コルヴォ自体が、龍殺しを経験した冒険者の一人でもあった。


「なるほど。つまり、ナダたちは本気でここから脱出しようと思っているわけか――」


 かつて龍と戦った経験のあるコルヴォはナダの考えを察した。

 彼自身もそれを知らなかったわけではなく、記憶の片隅にはあったがまさか龍の体内から龍を殺そうという発想が無かった。


「ああ。まあ、そういうことだ――」


「ちょっと待って下さい! どういうことですか!」


 まだラルヴァ学園に入ってから日が浅く、あまり龍の生態に詳しくないクラリスは状況を察することが出来なかった。


「……要するに、オレたちはあの虫を倒せばいいんだよ。簡単だろう? 君も“冒険者”なんだから」


 そのコルヴォの発言を待たずに虫はナダ達に向かって突進する。

コルヴォはクラリスに向かって最低限に説明しながら視線だけは虫へと向け、己のアビリティ――《鬼殺しオーガ・スレイヤー》を発動させた。

 右腕が肥大する。

 それは鬼のように醜く、人とは思えないほどに歪だった。

 ブラミアがそんなコルヴォの変体を横目で見ていて思わず顔を不快に染めるほど。

 コルヴォは向かってくる虫に向かってゆっくりと巨大な右腕を上げて、タイミングを見計らってランスを地面へと叩きつけた。その腕のスピードは鋭く、力強い。

 だが、その腕に見合う膂力をコルヴォは持っておらず、すぐに虫から飛ぶように距離を取る。このままランスを押さえようとすれば、すぐに状況が悪くなることを察したからだ。


「やれやれ、目の前の敵は大変だね。些か火力が足りないか――」


 コルヴォは自身のアビリティの特徴をよく理解している。

 《鬼殺し(オーガ・スレイヤー)》は確かにアビリティの中でも応用が効いて強力なアビリティであるが、人よりも遥かに巨大な力を持つモンスターには“それだけ”では勝てない。

 虫は自身からコルヴォが離れるとすぐに標的をセレーナとダンへと移した。

 やはりセレーナの治療に付きっきりになっているダンが無防備だからだろうか。

 だが、そんな虫の動向を注意深く観察していたナダが、二人を守るように偃月刀を両手で構えながら立つ。


「……ちっ――」


 だが、両足でしっかりと立っているナダの体内は既に限界だ。

 息を切らしながら思わず悪態をつくほどに。

 ナダは確かに冒険者の中でも体は丈夫な方だろう。しかし、酸によってナダは今鎧を着ていない状態で、虫の様々な猛攻をその身に受けている。特に腹部は血こそ出ていないものの、内部の損傷は酷い。

 そのダメージはおそらく、この場にいる中でセレーナの次に酷いものだと思われる。


「おい! クソ女! てめえのギフトは何だった?」


 そんな状況をブラミアはよく知っていた。

 現にブラミアがこの場に着いた時、ナダは一人で虫を抑えていた。

 あの時でさえ、既にナダは限界だったのだ。

 だが、ブラミアはナダとは違い、筋力には自信がないため、虫から二人を守るには適さない。

となれば、ブラミアが取る行動は一刻も早く虫を殺すことだった。


「私のアビリティですかー?」


 クラリスはやはり間延びした声で言った。


「ああ、そうだ! とっとと答えやがれ!」


 その間にも虫はナダへと走る。ナダもそんな虫と相対するように駆ける。

 虫の勢いを真正面から殺すためだ。

 そんな風にナダが虫の猛攻を受けようとした時、横からコルヴォのちょっかいが飛んだ。

 コルヴォが鬼のような腕に持った剣で、虫を横から斬ったのだ。もちろんその斬撃は虫の鎧甲にはかすり傷しかつかない。

 しかし横から強烈な衝撃が与えられた虫は突進が鈍る。

 ナダはそこを狙って、下から跳ねるように偃月刀で虫の首を狙った。

 だが、虫はそれを軽く横に飛んで避ける。


「私のギフトは闇の神ですよー。ちょうど良かったですね。皆さん――」


 クラリスは微笑みながら言った。


「うむ。破壊の力でござるか。無論、拙者たちに力を貸してくれるでござるな?」


「はい、もちろんです! 皆であのモンスターを倒しましょう!」


 クラリスはそう言うと、すぐに神への宣誓を述べた。

 だが、その声質はいつもの彼女が持つ明るさとは一変し、まるで冷気を漂わせたかのような薄寒く、冷えきった声であった。


「――溢れ出す混沌の狂気を心に込めて、百人を殺した剣を供物とし、我が子の心の臓を生贄に捧げて、我は、闇の神――アンラマンユの力を欲す。嗚呼、我が神よ、新たな血を欲すならば、我に、我が眷属に、あなたのちからを与えよ」


 クラリスの口上が終わると、ナダ、アマレロ、ブラミア、それにコルヴォの持つ武器に、闇の力が備わった。それはそれぞれの武器にまるで呪いのように、紫色の闇の奔流が武器にとぐろを巻く。

 クラリスは四人に破壊の力を与えると、続けざまに虫へと片手を向けながらまた新たな宣誓を述べた。


「――地の底より這い出る狂気の声をかてとし、百の蛇の生き血を我は飲み干して、闇の神――アンラマンユの力を欲す。嗚呼、我が神よ、我に、敵に、あなたの呪いを与えよ」


 クラリスがそう述べると、今度は黒い蛇によく似た闇の奔流が、ぬっ、地の底より這い出てきた。蛇は彼女の足首から太腿へとゆっくりと締め付けるように登っていく。それから臀部、腰、胸、などローブに隠されたクラリスの肉付きの良い体が露わになるように蛇はゆっくりと、そして確実に彼女の体の全てを締め上げていく。

 もちろん、それと同じものが虫の体にも巻き付いていた。

 その力は例えるならば――呪いだった。

 クラリスの持つギフトの中でも自身と敵に“同等”の呪いを与える技だ。

 現に、何匹もの蛇に締め上がられた虫の体は、動きが遅くなっている。蛇に体の動きが阻害されているからだろうか。

 だが、あくまでそれは一般的なモンスターに対してのギフトなのだろう。

 虫は確かに動きが遅くなっているが、現段階での速さでも人にとっては驚異的で、蛇に体を拘束されたまま虫は邪魔な障害物であるナダへとランスチャージした。

 ナダは動きが遅く見切りやすくなった虫のランスを、破壊の力が備わった偃月刀で押さえようとするが、その前に体に限界が来た。

 血を吐いて、膝から崩れ落ちたのだ。


「ちっ!」


 そんなナダの姿を見て、すぐにブラミアが動いた。

 横から虫の注意を引くように分厚い鎧甲の上から、馬の部分へと剣を振り落とした。するとどうだ。これまではどれだけ頑張っても掠り傷しかつかなかったのに、クラリスによって破壊の力が加わった斬撃は鎧甲に深く刺さり、微かに傷跡から酸も流れ出た。


「皆さん、今の内ですよー! 私のギフトは未熟なので二つともそれほど長いこと持ちません! 今の内にあの虫を倒してください!!」


 ブラミアが想像以上に闇の神のギフトが強力なことに驚いていると、クラリスが大きな声でこの場にいる冒険者に時間制限を告げた。

 それと同時に、三人の冒険者は闇の神のギフトに感動を覚えるのを止めて、すぐに気を引き締めて虫へと照準を合わせた。


「オレが砕くよ。だから最後は任せたよ――」


 そう言ったのはコルヴォであった。

 コルヴォはそのアビリティの性質上、繊細で鋭い剣は苦手であった。むしろ力まかせに何かを断ち切る豪剣が得意であり、敵の急所を狙うというよりも、大きなキズを与えて隙を生むほうが得意である。


「じゃあ、オレがあの虫を撹乱してやるよっ!!」


 現在、一番虫に近いブラミアはそう言いながら、右に左に軽く動いて虫の注意を引く。もちろん、その間にも虫に少しでもダメージを入れるために斬撃を与えることは忘れない。ブラミアの剣の一撃一撃は軽いが、クラリスのギフトによって強化されたそれは確実に虫の命を削っていく。

 虫はクラリスのギフトによって動きを封じられていることに苛ついたのか、それとも冒険者たちを威嚇するためか、体を擦り合わせて地獄からの産声のようなものを出す。

 ブラミアは至近距離でその声を全身に受けたため、一瞬、怯えたように体の動きが止まる。虫はブラミアのその隙を狙ってランスで貫こうとしたが、それよりも早く既に虫へと近づいていたコルヴォが剣を振り上げる。


「行くよ――」


 コルヴォの透き通るような声とは裏腹に、その右腕は《鬼殺し(オーガ・スレイヤー)》によって人と同じほどにまで肥大している。

 コルヴォはそのまま、片手だけでまるでナイフのような翡翠の剣を操り、虫のランスを地面へと全力で叩きつけた。虫の抵抗が出来ないまま、ランスは深く肉の床へ刺さる。

 その時、虫の右腕のランスからまるで骨が折れるような嫌な音がコルヴォには聞こえた。きっと罅が入ったのだ。コルヴォはそう考えた。

 それはコルヴォの筋力が明らかに人を超えて怪物になっていたせいもあるだろうが、クラリスのギフトの力もあっただろう。


 コルヴォはこの場に闇のギフトを持つクラリスがいることに感謝しながら、もう一撃、身動きの取れない虫に強烈な斬撃を与えようとする。

 狙いは頭部だったが、残念ながらコルヴォの身ではそこまで届かない。

 だから、コルヴォは胴体を叩き斬った。

 ――みしり。

 これまで虫に与えたどの傷とくらべても、大きな傷が虫の鎧甲に入った。

 だが、足りない。

 この程度では虫の命を奪うには足りないとコルヴォは直感する。


「仕方ねえなあ! おいっ!!」


 それを感じていたのはブラミアも一緒だった。

 胴体にどれだけダメージが入った所で、虫の生命力は強い。その全てを削ろうとすれば、今の装備では心もとないとブラミアも思っている。

 だから、ブラミアはコルヴォへと近づいて襟を掴むと、すぐさま己のアビリティを発動させた。

 ――《重力からの開放カウティベリオ・ゼロ》。それは自身にかかる装備の重さを零にすることだが、“自分が持ったモノ”も装備として扱うことで重量を零にすることが出来る。

 だから、ブラミアはそのまま虫の頭部へ向かって、自分のアビリティによって一時的にコルヴォの重力を零にしてまるでボールのように虫の頭部へと投げる。


「ほ、本気かっ!!」


 コルヴォもそんなブラミアの行動には予想していなかったため、空中で声が思わず震えてしまった。

 だが、コルヴォは歴戦の冒険者だ。その状況に慌てたものの、すぐにブラミアの行動の意図を理解して、空中で体勢を立てなおし、まともに動くことができない虫の頭部へ鬼の一撃を加えた。

 ――みしり。

 それは鬼の筋力のみならず、コルヴォの体重やブラミアの投擲力が加えられた結果、これまでで一番大きなダメージが虫の兜へ入った。場所は後頭部だった。まるで頭部全体に蜘蛛の巣が広がるように虫の兜は割れる。


「後は頼んだよ――」


 コルヴォは先程の一撃に全身全霊を込めていたため、まともな着地体勢は取れず背中から無様に落ちて、虫に腹部を踏まれて血反吐を吐きながらもがくようにその場から抜けだしたその時に――見た。

 ブラミアに投げられた自分よりも遥かに高く、天井付近まで駆け上がっているアマレロの姿を。


「――責任重大でござるなあ」


 アマレロはそう言いながらも、虫を仕留めるというプレッシャーにも負けることはなく、まるで愉快そうに嗤う。

 ここにいるどの冒険者よりも《自由への疾走(コヘール・リベルタージ)》によって高い位置にいるアマレロは、遥か下にある虫の頭部――それもコルヴォがつけた傷跡を見ながらコルヴォは嗤った。

 確かにこれは自分たち、冒険者が龍の体内から脱出するための聖戦だ。

 だが、それ以上にアマレロにとっては、先程、自分の一撃を虫に受け止められた雪辱戦という意味合いのほうが強い。

 自分は、先ほどよりも大きな力を持っている。

 動かない標的。コルヴォによって突破口が開いた頭部。それにクラリスによる闇のギフト。その全てが自分に有利に働いている。

 それらに加えて、自重、さらには天井を蹴った勢いをつけた鞘走りからの居合い斬りを行うつもりでいた。


 だが、勝てるのだろうか?


 そうした疑問はアマレロの中で消えることはない。

 だからこそ、アマレロは捨て身の特攻をする。

 天井で蹴って加速するのは先ほどと一緒だ。

 だが、アマレロはそれだけでは足りないと踏んだから――空中を蹴ってまた加速する。アマレロは重力によって自分が虫へと急降下している最中に、自らのアビリティを使って加速することを考えた。

 普段なら絶対に行わないことだった。

 何故なら加速しすぎるとその勢いのまま地面に自分がぶつかるという危険性が残るからである。


 しかし、それすらもアマレロにとってはどうでも良かった。

 自分の最高の一撃が通じないなら、それ以上の一撃で虫を仕留める気でいた。そこに自らが無事でいるという計算を抜いていたとしても、そんなことアマレロにとっては本当にどうでもいいことだったのだ。

 攻撃用のアビリティを持たない自分の剣技が、どんなモンスターにも通用するというちっぽけな野望の為なら、アマレロは自らの命すらも簡単に捨てるような男だった。

 だから――加速する。

 アマレロは虫へと落ちながら、何度も空中を蹴って加速する。

 ――加速する。

 何度も、何度も――加速する。

 まるでそれだけでは足りないとアマレロは渇望しながら、虫に到達するその時まで――加速した。


「はっ!!」


 そして弾丸のような速さになったアマレロは虫に到達する直前、自らに迫る空気の壁を切り裂くように――神速の居合い斬りを行った。

 それは誰にも見えなかった。

 早過ぎるあまり、アマレロの目にも見えないほど。

 アマレロは確かに虫の頭部を斬った感触はあったが、虫の頭部に刀がぶつかった時に自分の腕がその衝撃に耐え切れず刀を手放してしまったのだ。

 アマレロはそのまま床へと頭部から衝突し、ダンたちの近くまで転がった。

 アマレロは地面にぶつかった時の衝撃のせいか、それとも長い間転がった時に受けた損傷のためか、最早動かない体で必死に頭をだけを虫に向けながら、自分の割れた頭部から流れ出る血にまみれた視界で虫の“最後”を見た。


 確かにアマレロの放った剣は虫に通じていた。

 コルヴォの作った罅から侵入した剣は、虫の頭部を叩き割り、首まで侵入して、人の胴体のところで止まっていた。

 その時の斬撃の衝撃で、虫の人部分の胴体に詰まっていたカルヴァオンが、それもアマレロの斬撃によって二つに割れたカルヴァオンがブラミアの足元へ転がるように落ちると、虫は全く動かなくなり、直立のまま止まっていた。


「はは、やったでござる……」


 アマレロはそんな虫の最後を見てようやく安心をしようとした。


「やったな、おい……!!」


 そんな虫の様子を見ながら、足元に転がってきたカルヴァオンを拾い上げたブラミアは床から大きな振動を感じた時に――信じられないものを見た。

 それは虫の向こう側、自分たちへと血の濁流が襲おうとしている源の龍の心臓の部分に――ナダがいたのだ。



 ◆◆◆



 それは一人を除いて、この場にいた冒険者が虫を倒そうと必死に頑張っている時であった。

 一人の男は、地面に倒れ込んだ衝撃で意識が朦朧としていた。

 だが、その身に刻み込んだ冒険者としての行持だけは失っていなかったのだ。

 モンスターを殺す。

 ただ一つ、その目的だけは失っていなかった。

 ――だが、彼の標的は虫ではなかった。

 あくまで彼の――ナダの目的は龍だった。

 自分たちを呑み込んだ張本人こそ、ナダの標的だった。

 だからこそ、ナダは青龍偃月刀を、それもクラリスの闇のギフトが込められた青龍偃月刀を両手でしっかりと掴むとすぐ近くで戦っている虫にも、冒険者にも目もくれず、一直線に龍の心臓へと向かう。

 そして、ナダは意識が混濁している状態で、龍の心臓へと偃月刀を突き立てた。

 ナダが行ったそれは、確かに最初の傷は小さかった。だが、闇のギフトで強化された偃月刀で何度も周りも大動脈らしき部分を斬ってから、抉るようにナダは偃月刀を何度も何度も押しこむ。

 その結果、龍の心臓に大きな“穴”が幾つも空いて、そこから流れでたのは大量の血液であった。


「おい、てめえ! 何してやがる!」


 ブラミアの怒号がナダへと飛んだ。

 だが、それを聞けるような精神状態をナダは持っていない。

 いや、そもそもブラミアの声すらナダは聞こえていなかった。龍の心臓の鼓動と、溢れ出る血の濁流音によってかき消されていたのだから。

 すぐに心臓から噴水のように溢れでた血は、この部屋を満たすように広がっていく。


「ナダ!」


 コルヴォもブラミアと同じくナダを呼んで、さらに彼はナダへと近づこうとするが、残念ながらナダのいる心臓を中心に広がる血の勢いと、龍が暴れているのか地震のような地面によってナダへと近づくことはできない。

 すぐにこの心臓の中が危険だと察した一人の冒険者はアビリティを発動する。


「――《独りよがりの箱庭エスコンディル・ウチロ》」


 セレーナだった。

 ダンの治療によって意識を取り戻した彼女は、必死の思いで自分に出来る唯一の仕事であるアビリティを使った。

 その瞬間――セレーナの右手の先に空間の“ひずみ”ができて、黒い裂け目が生まれた。


「皆、ここは危ない! 早く、セレーナのアビリティの中に避難して!!」


 それと同時にダンはこの場へいた冒険者全員へ、大きな声で告げた。

 ブラミアはそのアビリティが発動すると、すぐさま地面に転がっているアマレロを拾ってセレーナのアビリティへと避難する。それはコルヴォもクラリスも一緒であった。

 大きく揺れる体内で足元も覚束ないのに、迫り来る濁流にも対処しなければいけない。

 そんなこと、ただの人には出来ないことだった。

 そして、ナダを除いた全ての冒険者がセレーナのアビリティ内へと入った時も彼は未だ心臓を偃月刀で貫いていた。

 抜く気などなかった。

 たとえどれだけ足元が揺れていようと、自分の身へ大量の血が降りかかろうと心臓に刺さる偃月刀をしっかりと両手に持っている。


「ナダぁ!」


 ダンの悲痛な叫び声が龍の体内で木霊こだまする。

 だが、それはナダの耳には届かない。


「駄目だ! このままだとこの空間まで血に飲まれてしまう!」


 そう判断したセレーナはナダの方を一瞬見てから顔を複雑に歪めて、唇を噛み締めてから《独りよがりの箱庭エスコンディル・ウチロ》の入り口を閉じた。


「ナダぁ!」


 ダンはそんな中で、ずっとナダへと叫び続けていた。

 やがて、セレーナが入り口を閉めると、どこか別の場所で溢れだした血とともに、ナダと、六人の冒険者は大量の血に飲み込まれた。


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