第十六話 心臓Ⅱ
虫の動きは軽快だった。
上半身を低くしながらまるで脇近くに構えるかのように腕を折りたたみ、ナダたち三人へと先端を向けている。
そして、そのままランスチャージの如く、三人へと馬の下半身で駆けた。
早い。
四本足での移動の早さは人の比ではなく、瞬く間に三人へと到達する。
最初に虫が狙ったのは、先頭にいたアマレロだった。まるですれ違うかのように彼に近づいて、そのまま下半身の馬力で一突き。腕は殆ど動かしておらず、まるで飾りのように折りたたんでいる。
「いっ――!!」
アマレロは顔を歪ませながら、転がるようにしてその攻撃を潜るように避ける。また、彼はそれだけでは終わらず、通り過ぎて行く足に向かって脛切り。
だが、虫はそれを嘲笑うかのように高く飛んで躱した。
それはナダやセレーナの頭上を越すほどの高さであり、龍の心臓とは反対側に虫は悠然と立ちながら前足を上げていなないた。だがそれは、馬のような甲高い声ではなく、まるで金属を擦り合わせたような不気味な声が、虫の上半身から発していた。
セレーナはその鳴き声に体を一回ビクンと跳ね上げて、虫から一歩距離を取る。
虫の何気ない行動の一つに恐怖を感じたのだ。
「しっ――!」
だが、ナダはそんな虫の隙を見逃さない。
すぐに虫へと距離を詰める。
そして両手で持った青龍偃月刀を、前足を上げているおかげで体勢が不安定な虫へと力いっぱい横に振るった。
すぐに偃月刀の軌道は変えられる。
虫は左手の盾で偃月刀を防いで、すぐに前足を下ろす勢いとともにランスで上から押さえつけた。
ナダはその状態で全力で力を振り絞るが、偃月刀は動かない。
虫はそんなナダを見つめながら、ランスをそっと偃月刀から離した。そのまま、ランスを大きく引いてナダへと一突き。ナダは偃月刀が動くようになったので、すぐに後ろへと大きく飛んだので何とかその突きは躱した。
ランスが龍の肉の床に浅く刺さって、赤い血が床から滲み出る。
「やばいでござるな。あの切れ味は――」
アマレロは肉に突き刺さったランスを簡単に抜く虫を見ながら言った。
そのランスの切れ味は、相当なものであることは三人が簡単に斬り裂けなかった龍の肉を簡単に穿ったことから予測したのである。
「食らったら、一発でお陀仏だ――」
ナダもそんなアマレロの意見に同意して肝を冷やす。
そもそも、ナダとアマレロは最低限の防具を身につけているセレーナとは違い、防具らしい防具をつけていない。アマレロの服装は薄い着流しで、ナダは上半身そのものが裸で下半身も布のズボンしか履いていない。
二人共まともに虫の突きをもらうとたかだか一撃で死に至る可能性が高い。
「だが、どうするのだ?」
一方のセレーナはナダに聞いた。
彼女は冒険者としては非常に有能ではあるが、戦士としては二流であるのを自分でも自覚している。武器のランク、並びに武芸自体もナダとアマレロに大きく劣っている。
ナダの武器は青龍偃月刀と学園では最低ランクに位置する武器であるが、その切れ味と破壊力だけを見れば学園内での相当なものである。最低でも、学園でも優秀な冒険者であるコルヴォと同じほどには、とセレーナは考えている。
またアマレロの武器のランクもコルヴォと同じ程には高いとセレーナは思っていた。先ほどの腕が鎌に変形していたモンスターを切っても刃こぼれが少し程度で済んでいる姿がその力を伺える。
それに比べて、セレーナの剣はお粗末もいいとこだ。
刃の色は白金。材料は鋼。もちろんその中には軽い素材であるオリハルコンも混ぜられているが、比率としてはそれほど高くなく、学園ではランクが高い方の武器だがあくまで中の上。ナダやアマレロの武器と比べると明らかに下だ。
「やるさ――」
ナダは不安そうな顔をするセレーナに間髪も入れず言った。
そのまま、ナダは虫から視線を外し、龍の心臓――カルヴァオンへと一目散に向かった。ナダ達は虫とカルヴァオンの境目にいるので、虫から心臓の位置は遠い。
ナダにとって、虫は獲物ではない。
ナダにとって、敵は龍なのだ。
だが、虫はそんなナダの行動を見るとすぐに風のような早さで駆けて行く。その際、邪魔な障害物であるアマレロとセレーナの二人を飛び越えて、ナダの正面、まるで心臓を守るように虫は立った。
ナダはそんなのはお構いもせずに一歩強く虫へと踏み込んで、雑に、横に、全力で、偃月刀を振った。
もちろん、腕がランスになっている右腕がある場所を狙って。
しかし、虫はその攻撃を避けようともしなかった。
むしろランスを少し引いて、ナダの左胸を狙って一突き。
避けられない。
ナダは直感する。
だから先に得物の軌道を変えたのはナダだった。
狙いをカルヴァオンからランスへと変える。
偃月刀は、ランスを弾いた。
だが、ランスは少し軌道を変えるだけでナダの脇腹を掠る。
その瞬間、ナダは大きく虫から距離を取った。
これ以上の攻防は損と判断したからだ。
防具があれば、もう少し装備が整っていれば、または回復薬の入ったポーチを持っていればもう少しナダは無理をしたかも知れないが、今の状況で無理をすれば死の危険性があると早々に退散したのである。
「どうやらあいつ、あの心臓を守る“番人”みたいだな。ちっ、嫌なことを思い出すぜ――」
ナダがその姿を見て思い出したのは一体の石像だ。
自信が死ぬ思いをして倒した一体のはぐれ。そのはぐれは奥に続く道を守っていたのだが、その姿が、心臓を守る目の前の虫と姿が重なる。
この虫もはぐれなのだろうか。
そんな考えにナダは至った。
とはいえ、迷宮におけるはぐれの定義と言えば、通常のモンスターと違うモンスター。普通に迷宮に潜れば出会わないモンスターのことをはぐれという。
ならば、この龍の中にいる虫はモンスターならば全てがはぐれではないか、という無駄な考えを行ってから、すぐに頭を目の前の“邪魔者”をどう消すかに思考を切り替えた。
「どうやら、あの虫をどうにかしなければ心臓を壊すのは無理そうでござるな。だが、ちと、あの虫は骨が折れそうでござる――」
「先程のアマレロの剣技は通じないのだろうか?」
セレーナは、先ほど、似たような虫を三体も狩っていた記憶を思い出す。
あの力ならば、この騎士相手にも勝てるのではないのかと。
「流石にサイズが違うでござるよ。先程の虫はたかだか人並み、まあナダ殿程度の身長でござるが――今回の虫の身長はその倍はありそうでござる。それに加えて、あの鎧でござろうか? それも分厚くなっているでござろうから、斬るのも容易ではないでござるよ」
アマレロは肝を冷やしながら言う。
それに何より、とアマレロは声には出さなかったが、先程の虫は腕が鎌の形をしていた。鎌という武器は、馬上ではあまり適さないというのがアマレロの持論だ。鎌という武器の特性上、突く、斬るという動作が難しく、薙ぐ場合は一度手前に引かなければその威力を発揮しない。
はっきりと言って、前に進むことが利点な馬の足と合わないとまで思っていた。
だからこそ、あの場はたとえ三体いても一人で何の問題も無かったが、今回の虫は違う。
手が、ランスだ。
ランスはおそらく、馬上で適した武器の一つだ。
馬の突進力を最大限に生かすために突きに特化した武器である。
さらに、馬に乗っているような虫の体高は、人のみで地上に立っている三人にとっては果てしなく高い。
「まあ、でも、他に道は無いだろ。まさか逃げるのか?」
ナダはアマレロの言葉を鼻で笑った。
その間、ナダは虫と距離を取りながらも、目の前の“敵”から視線は外さない。
「そうでござるな。仕方がないでござるな。冒険者と言えば、未知なるモンスターとの戦いには心が躍るでござる――」
アマレロも、ナダの少し後ろで腰を落としながらも両手を腰の物から離さない。
どうやらナダと意見が一緒らしい。
この眼の前の門番から逃げて、別の脱出方法を探すというそんな選択肢は既に頭から無いようだ。
「全く……お前たちは頭がどうかしている。気が狂っているのではないか?」
一方、セレーナはそんな二人に呆れたような声を出した。
彼女はダンをこの龍の胃の中から救うという目的がありながら、ナダとアマレロがいなければここから逃げ出していたと思っている。
だが、明らかに逃げる様子のない二人を見て、不思議と勇気、いや無謀さがセレーナにも生まれてきた。
だが、そんな悠長に話している時間は無かった。
すぐに虫がまるで機械のような体を、油を指していない歯車のようにぎぎぎという不気味な音を立てながらガチガチと動かす。
ナダはすぐにアマレロと視線を交わす。
――その時、虫が三人に向かって駆け出してきた。
もちろんランスチャージだ。
ナダとアマレロはまるで事前に打ち合わせしたかのように行動を始めた。
まず、虫の正面に立ったのはナダだ。青龍偃月刀を両手で横に持っている。
虫の狙いがナダになった。
まるで虫を迎え撃つかのごとく、体勢を低くする。
そして、虫がナダを串刺しにしようとする直前、既に動いていたのがアマレロだった。ナダの背中を影にして、自身のアビリティである《自由への疾走》を使って、天井付近まで駆け上った。
そのまま虫が真下に来た時にアマレロは素早く天井を蹴って上から虫を強襲する。
それに、虫は未だ気づいていないようで、あくまで狙いはナダだった。
ナダは虫が自身まで近づくと、もちろんそのランスを転がるように避けた。その際、ナダはアマレロに負けじと馬の脛を狙うが、飛んで避けられる。
「ふっ――」
アマレロは虫の足が地面から離れた瞬間、虫の頭上に到達していた。
そして自重、さらには天井を蹴った勢い、それに加えて鞘走りからの居合い斬りだ。
アマレロとしては最も自信のある攻撃の一つ。アマレロのアビリティは冒険者の中でもセレーナと同様、直接的に武器の威力を上げるアビリティではない。そんな彼の工夫の一つがこの攻撃方法で、威力は当然ながら折り紙つきだ。
アマレロの狙いは虫の頭部だった。
先ほど倒した鎌の腕の虫と似た兜だが、こちらの兜は大きな一本角の兜に、二本の触手のようなものが生えている。その一本角と六つの目があるさかい目の眉間にアマレロは狙いを付けていた。
虫の紫色の瞳が、アマレロの目と交差した。
虫は空中にいたまま首を少しだけ動かし、アマレロの剣に対して額の一本角で抵抗する。
「それでっ! 拙者の剣が止まるとっ! 本気でっ!」
アマレロの叫び。
丹田から声を出し、より一層力を込めるが、空中にいる虫の体勢は崩れそうにない。
アマレロの剣と虫の一本角が絡みついたまま、虫の足が地面についた。
アマレロは離れない。
空中を足場にして、右手で柄を左手で峰を押しながら先程よりも強く剣を押し込むが、強靭な虫の首はびくともしない。
「はっ!」
そんな風に気合の入れた声を出したのはナダではなく、セレーナだった。
深くアマレロを睨んでいる虫の背後から足音を消して回り、自身の長剣を抜いて斬りかかった。
虫は当然のようにその攻撃に気づいていなかった。
だが、アマレロを振りほどくためにその場で虫は暴れ始めた。前後の足を何度も大きく足踏みする。
セレーナの剣は虫に到達するが、鎧甲にかすり傷を負わせることしか出来ず、すぐに無防備な腹に馬の後ろ蹴りを浴びた。セレーナはそのまま近くの壁までふっ飛ばされて、腹を抑えながらその場に座り込んでぐったりとする。壁に激突した際に頭も打ったのか、額から細い血が流れでた。
「――っ!」
アマレロも結果的には虫から振り下ろされてしまった。
暴れる虫に追従するように空中を蹴りながら何度も方向転換をして、刀で虫の顔面を切りつけようとするがその度にランスや盾、はたまた一本角で阻まれて上手くいかない。
それを何度か繰り返すうちに、アマレロのアビリティが切れたのだ。
そもそもの話、アマレロのアビリティは無限に空中を蹴られるアビリティではない。
それには制限がある。
それが来てしまったのだ。
アマレロは無防備な空中でくるりと回りながら無事に床へと着地するが、そこをランスで狙われてしまった。
すぐに後ろへと飛ぼうとアマレロは動くが、想像以上に突きが速い。
回避が間に合わない。
――かん、と甲高い音が鳴った。
出処は虫の下半身の胴部分。
原因はナダだった。
振り下ろしの一撃によって虫へと斬りつけていたのだ。
それを虫は防がなかったからか、浅く鎧甲は傷つけられて緑色の液体――酸が滲み出る。幸い、ナダの偃月刀には何の問題も無いが、その一滴がナダの頬に飛んで肌が爛れるが、ナダはそれを意に介さない。
虫はすぐにアマレロを突くのを止めて、足を素早く方向転換。まずは後ろ蹴りでナダを狙った。ナダはそれを大きく距離を取りながら避けると、今度は虫は標的をアマレロからナダへと移してランスの一突き。やはりその“伸び”はナダのバックステップよりも早い。
――かん、とまた音が鳴った。
今度はナダの命を救ったのはアマレロだった。
一撃、ナダの攻撃に比べても浅い剣撃であったが、やはり薄く酸が虫の体から流れた。それを確認すると、今度は攻撃を欲張らずにアマレロは素早く距離を取る。
ナダとアマレロに挟まれた虫。
虫は首だけを動かしてナダとアマレロを確認すると、すぐにナダの方向へ駈け出した。
ナダはそれをいつでも攻撃が避けられるように前に重心をかけながらぎりぎりまで距離を図るが、虫の行動はナダの想像の上を行った。
――飛んだのだ。
ナダの頭上を。
虫の標的はナダではなかった。
「まずいでござるっ!」
ナダの背中に隠れて見えにくかったが、アマレロには虫の狙いがよく見えた。
――セレーナだ。
壁に無防備に背を預けている彼女を狙ったのだ。
だが、アマレロの声は届かず、今もセレーナは腹を押さえて悶えたままだった。
そして、虫のランスはセレーナの豊かな胸を――鎧ごと貫いた。
これを見ている人には本当にどうでもいい余談だろうが、胸囲は巨乳のセレーナよりかナダのほうがある。




