第十三話 空中剣技
龍を殺すと誓った、ナダ、セレーナ、アマレロの三人は深く注意しなければ聞こえない龍の心音へとゆっくりと近づいていく。先頭は打って変わってナダだった。彼が率先して前を歩いている。逆に最も歩くスピードが遅いのがアマレロで、セレーナはナダの後をすぐついて歩いていた。
ナダは顔を獰猛な獣のように変えながらも、酷く冷静だった。いや、むしろ興奮しているからこそ、感覚が鋭敏になっているのだろうか。これまでとは龍の体内が変わった場所に見える。それよりも聞こえてくる世界が違うように思えた。
また龍の体内にいて、これほど耳に意識を集中させるのは初めてだった。
何故ならそんな事よりも、目から入る情報がこれまで持っている常識と違い、様々に龍の体内に驚かされてきたからだ。ピンクの壁はもちろんのこと、その壁に走る青と赤の血管は何故か薄く発光しており、本来なら光源がない龍の体内の中も明るい。それだけではなく、初めて見た龍の中にいる寄生虫や、まるでボールのように大きく跳ねる大岩、さらには直視することすらないだろう龍の胃液など、三人は様々なことに驚いてきた。
だから、こうやってゆっくりと心音を探す余裕など無かったのだ。
だが、こうして耳を傾けると、龍の心音はいささかゆっくりと大きく脈動しているようにナダは思えた。いや、耳だけではなく、正確には足からもまるで大地が深い地響きを鳴らしているように思う。
自分の胸に手を当てて測った時の心音より、龍の心音のペースがかなり遅い。以前にナダはダンから、心臓はポンプのような役割をしているんだよ、と聞いたことがあるが、このように馬鹿でかい龍の心臓なら、きっとそのポンプも凄く大きく、だからそんなポンプを動かすために龍の心臓はゆっくりと動いているのだろうか、とふと考えた。
「それにしても――」
ナダがそんなことを考えていると、重々しい口調でアマレロが口を開いた。
「どうした?」
アマレロのもったいぶった言い方に、セレーナが反応する。
「拙者らは、龍の心臓に向かっているでござるな?」
「ああ――」
ナダは先を見据えたまま頷いた。
「龍って、モンスターでござるな?」
「そうなんじゃねえの。だって、体内にカルヴァオンがあるからな」
もちろんナダの住んでいる国であるパライゾ王国には、地上にも生き物は存在する。人も含めて様々な生物が闊歩し、森の中には人に害をなす動物もたくさんいるだろう。当然ながらその中にはモンスターと似たような、いや、全く同じような生物も存在する。
例えば、狼だ。狼はパライゾ王国の森にも済んでおりペットとして飼っている者もいるが、迷宮にも狼型のモンスターは存在する。並べれば、地上にいる狼か、それとも迷宮に住んでいるモンスターか、まったく見分けのつかない動物までいるだろう。
ならば、その二つをどうやって分けるのかというと――心臓だ。地上に住む動物は人も含めて、全て心臓を持っている。だが、迷宮に住む生物は心臓を持っておらず、カルヴァオンという核を持っている。
その違いだけで、人はモンスターか生物かを分けるのだ。
「心臓が動くのは拙者でも分かるでござる。拙者の心臓もばくばくと動いているでござるからな――」
「ああ――」
「だが、カルヴァオンって、脈動をするのでござるか? あれはどう見ても石でござるよ」
確かに、とナダは立ち止まって後ろにいるアマレロの顔を見た。
彼の言うことは一理ある。
カルヴァオンはこれまで何百回、何千回とモンスターから取ってきたが、どれもこれも、色や形が違っていたことはあったが、どれも固く、肉のようなぶよぶよした感触は無かった。むしろ握りつぶそうとしても簡単には砕けないほどに固く、動くとは思えなかった。
「……じゃあ、この振動は何なんだ? まさか俺の勘違いか?」
ナダは首を捻りながらアマレロに聞く。
「私もそいつと一緒で、心臓と思う脈動は聞こえるぞ――」
セレーナはナダに同意する。
どっくん、どっくん、どっくん。
もしも龍に心臓が無いのならこの音は何なのだろうか?
三人の頭に同じ疑問が浮かんだ。
「誰か、モンスターの心臓、並びにカルヴァオンについての詳しい研究結果を見たことがあるか?」
ナダの問いに、アマレロとセレーナは首を横に振った。
そもそも、モンスターの詳しい生態は現在でも分かっていないことが多いのは三人も知っている。その理由としては、何故か――迷宮からモンスターを連れ出すと簡単に死に絶える性質を持っており、生きたまま地上で解剖するのは難しいのだ。
さらに死体も迷宮から五体満足で持って帰るのは難しく、それぞれの冒険者が必要だと思う素材だけを持って帰るのが精々だ。
なので、モンスターの生態については、冒険者が経験で知り得た数少ない情報しか今だ存在しない。またその情報も、モンスターの体内構造ではなく、どういうギフトが有効か、また行動パターンや弱点部位などの戦闘に有利な情報しか集まっていない。
「なら――カルヴァオンが心臓のように脈動することもあるんじゃねえの。知らねえけど。まあ、気にしても無駄だろ。それに、俺達が龍を殺す手がかりはこれしか無いからな」
投げやりなナダの答え。
その行き当たりばったりな行動に、アマレロはため息を吐きたくなるが、他に手がかりがないのも事実だった。
「……まあ、カルヴァオンが本当に動いているかどうか、確かめれば済む問題でござるからな――」
「ああ――」
ナダはアマレロの意見に頷くと、また一歩一歩、龍の心臓へと歩みを進めた。
◆◆◆
三人は心音がするほうへ近づくに連れ、徐々にその音が大きくなっているのを感じていた。
音が大きくなればなるほど肌が焦げるような振動を味わう。まるで巨人の地響きのようだった。こちらが音の出処へ近づいているというのに、まるで向こうから音がやって来るみたいだ。
だが、景色は変わらない。ピンクの壁と天井に阻まれた龍の体内だ。壁と天井には幾つもの血管が浮き出ており、音の出処に近づくにつれて、血管が太くなって数が増えてきている気がする。
「まだ、何も現れないでござるな――」
ふと、アマレロが言った。
三人になってからどれほど立っているのか分からない。
だが、まだ小一時間も立っていないだろう。この龍にくわれてからの長い時間を思うと、まるで刹那のような短さを三人でいる。
その間、まだ三人に障害物は現れない。
これまではある程度歩く度に様々なものが現れたというのに。
「次は何が来るんだろうな――」
ナダが大きなため息を吐いた。
最早、次に来る災厄を予想すらしない。出来ないのだ。胃液はまだ分かる。寄生虫も納得できた。あの大岩にしたって、ダンの説明でまだ頭の中に飲み込めた。
だが、先ほどあった、急に床が開いて、また戻るのは何なのだろうか?
自分の体内でもあんな現象が起こるのだろうか。
「私は……流石に床に大穴が開くことは無いだろう……と思う――」
そう言うセレーナだが、自信は無かった。
だから今も常に視線を少し下げて、床を注視しながら先へと歩いている。
彼女の頭の仲には、未だにダンの手をちゃんと握れなかったことが頭の片隅に残っているのだ。
出来ることなら、今も彼は無事だと信じたい。ダンは癒しの神のギフトを持っているので、冒険者の中で最も死ににくい人種であるが、それでもやはり冒険者という職業柄死ぬことはある。
かつて自らの命を救ったものを助けられずにこのさきの人生を送るなんて、セレーナにとっては嫌だった。
「そう言えば、アマレロに聞きたいことがあったんだ――」
未だ危険がないことが分かると、ナダは思い出したように言った。
「拙者に……でござるか? 答えられるものなら答えるでござるが……」
アマレロは急なナダの質問に顎をさすりながら不思議そうな顔をする。
「そんなに大げさなことじゃねえよ。アマレロの“力”が俺は知りたいんだ。さっきまでいた七人の中で、ギフト使いはダンとクラリスの二人。アビリティを持っているのはブラミア、セレーナ、コルヴォ。この内、セレーナのアビリティは見た。ブラミアのアビリティはおそらくだが、筋力系か、もしくは装備系のアビリティだろう。だってあいつ、装備を着ている時と着ていない時の走る早さがほぼ変わっていなかったからな――」
「……貴様、コルヴォのアビリティを知っているのか? 私はあいつのアビリティはよくある攻撃力を上げるアビリティとしか聞いていないぞ。まさか詳細まで知っているとはな」
セレーナが素直にナダに聞いた。
冒険者のアビリティは基本的に公開されていることが多く、何故なら有能なアビリティだとそれだけ仲間が集まりやすくなるからだ。
だが、ありきたりなアビリティは需要が少なく、情報がおろそかになることが多い。
コルヴォもその例であった。
彼のアビリティは筋力を上げるアビリティだ。だが、そのようなアビリティを持つ冒険者など、学園に数多くいる。もちろん、人によってそのタイプはある程度違うが、所詮は些細な違いであり、セレーナのようなアビリティと比べると、そこまで率先して知りたいと思う冒険者のほうが少ないのだ。
「ああ。前にもあいつと冒険したことがあるからな。あいつのアビリティの名前は――《鬼殺し》。自身の持つ筋力を“オーガ”並み、いやそれ以上に変える力だ。おそらく冒険者の中でも力だけなら最高峰だろうな」
「へえ、そうでござるか。では、拙者の力を知りたいでござるか――」
「ああ。この先、何があるかわからないだろ? 情報を知っていればそれだけで生き残ることもあるからな――」
そんなナダの意見にアマレロは納得したのか、何の不満もなく笑顔で頷いていた。
「拙者の持つ“力”は――アビリティでござる。詳しい説明は――今から来る敵に見せつけようと思うでござる」
そうアマレロが見た先には、これまで三人が見たどの虫よりも大きかった。
さらにそれが三体もいた。
その虫達はまるで騎士のようだった。
いや、むしろ、迷宮に出てくるモンスターの一種である――ケンタウロスに似ていた。
金属のような白銀色をした鎧甲は立派なプレートアーマーに見えるほど、しっかりと作りになっている。その分、体は大きく膨らんでおり、まるで鎧を着せた馬に乗っているのかと思うような後体部では細い四足が体を支えている。
また人のような上半身についた二本の腕は、先が鎌のように変形している。それらは大きな爪というよりも、二本の剣に見えた。
頭にある鎧甲はまるで立派な兜かと思うほど雄々しいデザインであり、二本の太い触覚が、二本の角のように見えた。そんな兜の奥から、宝石のような赤い石が光っている。
「どうする、手助けはいるか? 中々、あれは強そうだぞ――」
「いや、結構でござる。この辺りでそろそろ拙者の実力を知ってもらういい機会でござるからな。拙者、こう見えても――意外と強いでござるよ?」
アマレロはニヒルに笑うと、ナダより先に出て腰の物の鞘を左手で持ちながら体勢を低くし、一気に三体の虫へと近づいた。
「いいのか? 心配ではないのか?」
アマレロ一人に敵を任すのが心配なセレーナ。
「まあ、大丈夫なんじゃねえの。あいつ、ああ見えても剣技は相当だぞ。少なくとも、俺やお前よりも上手いぞ」
「う、それはそうだが……」
ナダに痛いところを突っ込まれて、セレーナは拗ねたように唇を尖らせて呻いた。
セレーナは自分でも分かっているのだが、それほど剣技が得意ではない。
そんな風に二人が無駄話をしている最中に、アマレロは三体の虫へ既に近づいていた。
頭を地面すれすれに近くなるまで体勢を低くした状態から、一体の騎士へと脛へ居合い斬り。上から剣のような腕で押さえられると、すぐにアマレロは体勢を立て直すため、後ろへと下がろうとする。
その時――騎士の一人が、まるでアマレロの足を刈り取るように脛切り。
アマレロは当然ながら上へ高く飛ぶが、その隙を狙っていたかのように両腕の剣を薙ぎ払う。
その攻撃はナダとセレーナの両者も避けきれないと思うが、アマレロはふと、ニヒルに笑って強く“空中”を蹴った。
まるでそこに床があるかのようにアマレロはもう一歩、高く飛んだ。
それは一人の騎士の頭上を超える。
アマレロは頭上を通り過ぎる瞬間、猫のようにくるりと回りながら騎士を頭の上から斬りつけるが、残念ながら浅い。緑色の血液が少し飛び出るだけだ。
アマレロは自分が斬った騎士にダメージがまともに入っていないことが分かったのか、今度は地面へと着く前に空中を壁代わりに蹴って、両手で持った刀で一体の騎士の頭を刈り取った。
そのまま、アマレロは器用にも、頭の無くなった騎士の方の上に乗りながら残る二体の騎士を見つめた。
そこからは、一方的だった。
まるで妖精と見間違うほどにアマレロは騎士たちを翻弄しながらかろやかに空中を飛んで周り、すぐに二体の死体が床の上に転がった。
「うむ。中々に、固いでござるな。とほほ――」
強敵だった虫を倒したアマレロは、鞘へとしまう前の刀を見て少し弱音を吐いた。どうやらあまりにも虫の鎧甲が硬かったのか、刀が刃こぼれしているらしく、涙目になっている。
「あの空中ジャンプか? アマレロのアビリティは?」
そんな彼の様子に気づかず、ナダはアマレロに近づきながら聞いた。
「そうでござるよ。名前は《自由への疾走》。無論、永遠に空中を蹴れるアビリティではないでござるから、制限はあるが、戦闘では使い勝手のいいアビリティでござる」
「そうだな。龍を殺す時は期待しているぜ――」
ナダがそう言うと「そこは自信がないでござる」とアマレロは笑いながら言った。
セレーナはそんな二人のすぐ後ろから付いて行く。
ナダもそれからは何度か似たような虫と戦った。セレーナだってそうだ。
体は温まった。
覚悟はしてきた。
既に心は乾いている。
龍への殺意で。
ナダは昂ぶる獣性を必死に抑えながら先へ進んでいくと、遂に、――龍の心臓と思われし場所に辿り着いた。
ようやく現在のパーティー全員の簡単な能力紹介が終わりました。
書いてて思ったのですが、こういうのは説明として一気に羅列したほうがいいのでしょうか? それとも見せ場を作りながら紹介するのかどちらにしたほうがいいのか謎です。
前者のほうが作者的には楽ですが。




