第十一話 奈落
「誰か、この龍の全長を分かっている人はいる?」
ダンの質問に誰も答えられなかった。
全員が、龍に喰われてここにいるのだ。胃に入る前の記憶と言えば、己の身より遥かに巨大な龍の顎。ぎらついた瞳。一つ一つが大剣と見間違うような牙。モンスターの最強種である龍の全長など見られるはずも無かった。
「いないよね。だって、あの龍はダンジョンを――徘徊しているわけじゃない。他の人は知らないけど、僕の場合はあの龍が壁から突然出てきて、セレーナと一緒に喰われたんだ」
ダンの言葉に驚くようなものはいなかった。
皆が同じ経験をしていた。
「俺は天井から龍が現れたぜ。その時には内部変動かと思うほどの振動と轟音と共に、天井を崩しながらあいつは現れたんだ――」
そう言ったのはナダだった。
その後、すぐに意識は無くなったが、あの時の光景は忘れられるものではなかった。
「拙者も天井からでござるな」
「私も天井から龍に喰われましたよー」
ナダと同じく、天井から現れた龍に喰われたのは、アマレロとクラリスだった。
「オレは床からだ。まるでトラップのようにそこに足を踏み入れた瞬間、地面からオレを飲み込むように龍に喰われた。……実は恥ずかしい話だがな、オレは龍の顔を見ていない。見たのは牙と舌だけだ。だから最初は単なる巨大モンスターに喰われたと思っていたんだが、お前たちの話を聞いているうちに、ここは龍の胃の中だと言うことがわかったんだ」
ブラミアは少しだけ恥ずかしそうに頬をかきながら言う。
どうやら彼の場合は龍を視認する暇すら与えられず喰われたようだ。
「オレも、ブラミアと一緒で、龍は床から現れた。もちろん避けようと上に大きくジャンプしたから、龍の顔は見たけど、あれはすごかったね。顔だけで下位の龍種並みの大きさがある。それに不思議に思ったんだけど、あの龍はオレを食べるように追尾してきた。全く――オレを食べることに何の意味があるんだろうね?」
コルヴォの発言には、誰も何も返さなかった。
誰も分からなかったのだ。
確かに、龍の行動には不可解なものがある。人を喰うのは分かる。モンスターは人を襲うからだ。
「……私は龍に喰われてからも意識があったが、確かに喰われたのはダンと私だけだ。他のメンバーも固まっていたのに、あいつは私達を選んで食べたんだ」
セレーナが語った。
まるで選りすぐりされたかのようにここにいる冒険者は集まったことに違和感を覚えているのは、コルヴォだけではなかった。特にナダ以外の全員はそれぞれパーティーを組んでいるが、ここにいる以外の冒険者は喰われていない。それはそれぞれのパーティーにいる他のメンバーもそうだ。
「まあ、僕としてはこの龍がどんな選考基準で選んだのかは知らないよ。でも、今はここから抜け出すのが先決だ。龍の事情なんて――どうだっていい」
「そうでござるが、ダン殿、何かここから脱出するいい方法があるのでござるか?」
アマレロの質問にダンは押し黙った。
そして数秒経って口を開いたかと思えば、ダンは微笑みながら抑揚をつけて言った。
「やっぱり――無いね。残念ながら」
ダンがそう告げたと同時に、セレーナのアビリティの外では既に胃液が全てを流しており、そこには虫も岩も存在しないようになっていた。
ここに辿り着いた時のように見えるのはピンクの肉壁だけだ。
もちろんそのことに七人は気付いており、黒くどんよりとした空気が流れるウチロの中で、コルヴォがはっきりと通る声で皆に声をかけた。
「まあ、脱出できないとしても、ここにいるつもりはオレにはないよ。皆だってそうだろ?」
「確かにな。たとえ無理だとしても、こんな所でくたばる気は俺にはさらさらねえぞ!」
ブラミアが大きな声で言った。
他の四人もその意見に反対は無いのか、ブラミアの意見に頷いていた。
「僕も皆と同じで、この龍の体内の中にずっといるつもりは無いよ。でもね――やっぱり簡単には脱出出来ないということは覚えておいて欲しいんだ。やっぱり現実を知らないとね」
ダンが怪しく笑った。
「……そうかもしれないな。でも、オレたちがすることは一つだ。あくまで――脱出口を見つける」
コルヴォがそう強く断言すると、七人の少しの休憩はこれで終わった。脱出の糸口は全く見つからなかったが、パーティーとしての方向性は決まった。
また七人は《独りよがりの箱庭》の中から出て、龍の体内を彷徨い歩くが、やはり当てがあるような冒険ではなく、これまで来た道を戻ってもしかたがないので、七人はだれが決めることもなく、来た道とは反対方向に歩いて行った。
虫はまだ現れない。
胃液だってそうだ。
大岩だって転がってくる気配は無かった。
変わらないピンクの迷路を六人は歩く。幾重もの分かれ道を、先頭を歩くブラミアが無作為に決めていく。もちろん、その際には壁にブラミアが率先して壁に傷を突けてこれまで来た道の目印を書くが、その効果がどれほどあるかは分からない。
龍は生物だ。
ダンジョンではない。
ダンジョンは壁に傷をつければ、それが永久に残る。深い階層に潜れば潜るほど、かつての英雄たちの痕跡を見つけることも多いと聞く。だが、ここは龍の体内だ。もちろん、龍には当然のように傷を再生する力は持っているだろう。モンスターにそのような能力があることは、既に学者によって証明されており、中には右腕が復活したはぐれのモンスターもいると学校の授業でナダは習ったことがある。
だから、ブラミアのつけた傷がどれほどの時間残っているかは分からない。龍の回復力はどれぐらいなのだろうか。ナダは前にいたダンに聞いてみたが、彼は「分からない」と返事をした。
「不気味だな。静かすぎる」
そう言ったのはナダであった。
セレーナの創りだした空間から抜けだして、早小一時間は経っただろうか。未だブラミアのつけた印を見つけたことはなかった。
詳しい時間は分からない。何故なら誰も時計を持っておらず、日も見られない龍の体内だと、時間感覚も狂うというものだ。
もしここが迷宮なら、黎明時と黄昏時は分かる。モンスターの目の色が変わるからだ。
だが、龍の体内だと“虫”の眼の色は変わるのだろうか。そんなことをナダはふと考えるが、虫すら出てこないのだから考えるだけ無駄だった。
「確かに……先ほどまでは遊園地のようにいろいろとあったのに、今ではまるで迷路でござるか? 細い道ばかりでござるが、あまり楽しくは無いでござるなあ」
曲がりくねった道の先には曲がりくねった道が広がっている。
アマレロも流石にここには飽きたのか、目を細めながら顎をさすっていた。
「ダン先輩―、ここがどこかわかりますかー?」
「残念ながら僕にもわからないよ。だって、細いだけの器官なんて体内に色々と候補があるんだもん」
クラリスが隣にいたダンに聞くが、やはり明確とした答えは得られなかった。
「そろそろまた障害物があってもおかしくないな――」
ブラミアの意見に誰もが悪い予感を覚えた。
そして――それは見事当たった。
突如、七人が歩いていた肉床が、刃物で斬り裂かれたようにぶちぶちとまるで肉が引っ張られて千切れるような不快な音と共に、先から肉の繊維と繊維が網目状に隙間ができ、引き裂かれていって、どんどん崩壊していった。底も見えぬような黒い大穴が見えた。
もちろん、七人は後ろに大きく逃げようとするが、足場の崩壊は七人の走る早さよりも圧倒的に早く、すぐに七人は大穴に飲み込まれていった。
急な浮遊感が七人を襲う。
「《独りよがりの箱庭》」
もちろん、その異変にいち早く察したセレーナはアビリティを発動する。
彼女の持つアビリティは亜空間を作る能力。そこには点も血も関係がなく、彼女が指し示した空間に新たな空間を生み出すのだ。
そこに彼女はいち早く入った。
次に一番後方にいたナダが入り、セレーナはすぐ近くにいたダンへと片手を大きく伸ばした。
「ダン!」
「セレーナ!」
だが、セレーナがダンの右手を掴もうとした時、二人の手は滑ってダンの体は奈落へと吸い込まれていった。
もちろん、セレーナがアビリティを作り出すよりも前に奈落に飲み込まれた冒険者もいた。
「……何と皆落ちてしまったでござるか」
そして一番足場の崩壊から遠かったナダと、アビリティを作り出せるセレーナの他に、アマレロが何もない空中の床を蹴ってウチロの中に入った。
彼は呑気にそんなことを言うが、セレーナはダンの落ちていった深い闇を見つめながらもう一度彼の名前を呟いた。
「ダン……」
「さて、どうするでござるか、ナダ殿?」
アマレロはそんなセレーナの背中を見つめながら、闇の中に浮いたウチロの中であぐらをかきながらナダへと聞く。
「どうするって、取り敢えず今は待機だろ。まさか俺らも落ちたほうがいいのか?」
ナダの疲れた声に、セレーナが涙目になりながらきっと睨むように食いかかる。
「もちろん、ダンを助けに行くのではないか! あいつは私の大切なパーティーメンバーなのだぞ! 何故、お前達のような男が助かって、ダンが落ちねばならぬのだ!」
「……と言われても、拙者にはどうすることも……」
「ま、そうかっかするなよ」
アマレロは頬をかいて答えにくそうに、ナダはセレーナを落ち着けるように言った。
「特に貴様、ダンと友人関係でありながら、ダンのことが心配ではないのか! あいつから貴様の話を聞いたことはあるが、まさか、利用するだけしたら、用済みと捨てるような友情なのではないだろうな!」
確かに、セレーナの言葉に、ナダも覚えることはある。
ナダにとって、ダンは大切な友人だ。
返しきれないような恩は多くあり、彼が危険な時にはもちろん助けになると誓ったことまである。
ダンは癒しの神のギフトの持ち主なので、簡単に死ぬことは無いだろうが、それでも今の彼が危険なのには変わりがない。
助けに行かなければ、と思う気持ちはもちろんナダにも強くある。
「そんなこと言われても、どう助けるんだよ? まさかここから落ちるのか?」
ダンのことを思えば、思わず右手に持っている青龍偃月刀に力がこもるぐらいだ。
だが、今の状況がどうしようも無いのは事実だった。
「私は行くぞ! あいつには命を助けられたことがある! ダンを助けるためなら、たとえこの奈落にだって!」
セレーナがウチロの出口に立ち、すぐ奈落に飛び込もうとするが、その前にアマレロが異変に気づいた。
「待つでござる。何かおかしいでござるよ!」
「やめろ! 私を離せ!」
アマレロの言うとおり、ナダは暴れるセレーナを羽交い締めにしながら止めると、急に開いた大穴がまるで巻き戻されたかのように戻って行くのを三人は目にした。
引きされた肉の繊維が、まるでそれぞれ意志を持っているかの如くひとりでに動いて周りの繊維と螺旋状に絡みつき、細い糸のような繊維から急速に縄のように太くなっていき、これまでと変わらない床が現れた。
「どうなってやがるんだ、一体?」
龍の回復力はまさかこれほどまでに早いのか。
そして何故急に大穴が開いた。
などと湧き上がる疑問にナダは頭を痛くしながら、ウチロの外に出て、偃月刀で床を何度かつついてみた。やはり床は弾力性はあるものの、ナダの偃月刀でも簡単に切り裂けるしろものではない。
それならばなぜ、先ほどは死肉のように崩壊したのか別の疑問がナダに浮かび上がった。
「どうして私を止めた!」
だが、そんな考えに浸る間も無く、セレーナがナダの首元に細い剣先を突きつけた。
「まさかお前は自殺志願者なのかよ?」
首元に刃を微かにあたって、赤い線が流れているのにも関わらず、ナダの態度は変わらない。
酷く冷静だった。
「違う! 私はお前のような薄情なものとは違って、ダンをどうしても助けなかればならないのにっ、このように床が閉じてしまってはどうしようもないではないかっ!」
目に大粒のナミダを浮かべながらセレーナは大きく訴えた。
もちろんナダにその気持ちが無いわけではない。だが、あそこで大穴に飛び込むことがナダには得策とは思えなかったのだ。
「ナダ殿、どうするでござるか?」
既に剣で微かに首を切られても微動だにしないナダから興味を失って、床を何とか剣で穴を開けようと錯乱しているセレーナを見つめながらアマレロが困った顔をしていた。
「どうするって、言われても――」
ナダもアマレロと同じようにセレーナを見た。
セレーナは床を剣でこじ開けることが無理と判断すると、ふらふらと夢遊病者のように先へと歩き始めようとしている。どうやらダンを失ったことが、よほど精神に来ているらしい。そうでなくても、このピンク色の壁をナダ達は数時間も見ている。
常人なら、とっくにこの景色に気が滅入っているだろう。
そんな中で、ナダは酷く心が落ち着いていた。
何故かしっかりと今の状況を考えられるような気がしていた。
どうしてだろうか、と考えても、答えは出ない。命の危険があることが心を落ち着かせているのだろうか。
死ぬという危機が、自分を冷静にさせているのだろうか。
答えは出ない。
そもそも、ダンのことは心配だが、それ以上に自分たちも危ないのではないか、という思考にもナダはすぐに達する。ダンを助ける前に自分自身が死んでしまう想像を何故かナダはしてしまっていた。
出口もなく、敵しかいないこの龍の体内で、ナダは心臓のある左胸を片手でぎゅっと握りしめる。鼓動が大きくなるような気がする。
ダンを助けなければいけないのに、それに集中できない自分がいて、むしろ自分の保身へと走るような自分がいて、そのことにナダは苛つきを覚えているのも確かだった。
自分はやはり、己のことしか考えられないのか、と思うと、ナダはどうしてか自分に腹が立った。もしかしたらあのセレーナの姿が自分の本当はするべき姿なのかも知れないとも思ってしまう。
セレーナは先ほど、ダンに命を助けられたと言っていた。だから彼を絶対に助けるとも言っていた。
ナダだって、ダンに命を助けられたことは多くある。間接的ながらも、前回のガーゴイル戦の時だって、彼がいなければおそらくはあの迷宮の中で自分は命を落としていただろう。
それなのに、どうしてもナダはセレーナのようにはなれなかった。
心がざわめく。
何よりも自分のことを考えていることに、ナダは酷く激怒した。
ダンを助けたいのは事実だ。だが、どうやって助ける。答えは出ない。
そもそもその前に自分が死んでしまうのではないか?
自分と、ダンの両方の命を救い、ここから脱出する方法はあるのか??
ナダは少ない頭を振り絞って考えた。
ああ。
どうしよう。
答えが出ない。
いや、出ているはずだ。
ナダは、本当は気付いているのに、全ての望みを叶えるようなそんな簡単な答えに辿り着いているのに、これまで知らぬふりをしていたことに酷く激怒した。
結局――自分ができることは一つしかないのに。
「決めた。おい、アマレロ、セレーナ、――俺は殺しに行くぞ」
ナダは強く言った。
その言葉に隣にいたアマレロはおろか、既に少し距離を離れているセレーナも驚いていた。
ああ。
そうなのだ。
結局、自分は冒険者なのだとナダは強く思っていた。
誰かを救うことや、助けに行くことなどできない存在なのだ。
モンスターを殺すことでしか、己の存在の証明を果たせない人種なのだ。
だからこそ、ここはシンプルに動こうとナダは誓う。
「殺しに行く……本気でござるか?」
アマレロが顔をひきつっているのに対し、ナダはそもそもこんな目にあっているのはこの龍のせいだと、顔に黒く龍への殺意だけが浮かんでいた。
「ああ。一つ――思い出したことがある。龍のウロコの強度、それに肉の固さについてだ。あいつらは生きている時は冒険者でも簡単にそれらを切ったりするのは難しいが、死ぬと強度が落ちる性質があるんだ」
「それは本当でござるか?」
「ああ。じゃないと、鍛冶屋が龍の素材を使って、武具なんて作れるわけがないだろ? まさか、鍛冶屋の全員が龍を簡単に切り裂けるようなアビリティを持っているのかよ」
ナダは吐き捨てるように言う。
実際にナダの過去の武器である陸黒龍之顎も、職人の手によって加工された。もちろん。迷宮からそれらを持ち出す時は普通のモンスターを倒す時よりかは苦労したが、エクスリダオ・ラガリオを倒す時ほど苦労はしなかった。もちろん、龍のウロコの強度や牙の切れ味は、死んで多少落ちても冒険者の武器としてしっかりと機能する。そのための特別な加工を職人が施すからだ。
「それはそうでござるが……」
「龍を殺せば、適当な腹を切り裂いて、ここから出られるほどには肉質が落ちるだろう。もちろん、その時になれば、ダンだって自力でここからで出ることも俺は出来ると思う。どうする、アマレロ、セレーナ? 俺は行くぞ――」
ナダは二人の返事を聞くこともなく、これまで来た道を引き返した向かう先は一つ。
――心臓だ。
カルヴァオンだ。
どんな生物も核となる部分がある。もちろんモンスターにだって。モンスターの場合は心臓の代わりであるカルヴァオンがそれだ。
そして、ナダは足元から伝わる低く一定の間隔で流れる振動を頼りに、目的地の手がかりを見つけていた。
先ほどまで錯乱していたセレーナは考えもしなかったナダの意見に酷く驚かされ、またアマレロは突拍子もないナダのまるで獰猛な獣に変わったかのような姿に、二人共足を止めていた。
そして、それから二人がナダの後を追いかけたのはすぐ後のことだった。
更新が遅れてしまって申し訳ありません。
私生活が忙しかったです。
これからぼちぼちと更新再開します。




