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迷宮のナダ  作者: 乙黒
第二章 楔
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第十話 ウチロ

 七人が入ったのは、セレーナが創りだした亜空間だった。

 龍の体内ではなく、時空のはざま。彼女のアビリティである《独りよがりの箱庭エスコンディル・ウチロ》の中だ。

 そこは、丸く、無垢な空間だった。中には何もない。物はおろか、でっぱりさえもなく、非常に簡素な空間だ。大きさは二十人ほどが雑魚寝で眠れる程度の大きさほどだろうか。少なくとも、七人がゆうに寛げるようなスペースはある。

 壁や天井、床さえも存在しなかった。

 周りに見えるのは先程の肉の壁や床と、大岩が迫り来る光景が間近に伺えた。さらに黄色い胃液と虫が迫り来る瞬間も。

 確かに自分たちがいる空間と、龍の体内との空間の間には僅かに“歪み”があり、景色が少しだけ捻じ曲がっている。まるで綺麗に整えた絵を水でぐちゃぐちゃに汚したような景色だった。


「それにしても、凄い場所だな、ここは――」


 ナダが素直に感想を述べた。

 見たことがない空間だった。

 確かに、冒険者の中には独自の空間を作り出す唯一技能ワン・オフ・アビリティを持っている者もいると聞く。もちろん、その数は多くはないが、一定確率でいるのは確認されている。

 アビリティによって作る空間は冒険者によって“色”が違うとされており、有名な冒険者では千の武具を保管する蔵のような空間を持っている者もいるらしい。


「空間系のアビリティ――そうか。君が数年前に噂されていた冒険者だね」


 コルヴォがセレーナを見ながら語った。


「……昔の話だ」


 セレーナはコルヴォから視線を外しながら言った。

 これはナダがアビリティの授業で習ったことなのだが、空間系のアビリティを持っている冒険者は希少と言う。ラルヴァ学園でも一学年に一人いるかいないかだ。また、人によって創造出来る空間の大きさや特性は違うとされており、その中でもどうやらセレーナは七人が悠々と入れるほど有能な空間系のアビリティの持ち主らしい。


「そういえば、オレも聞いたことがあるぜ。昔、オレのところのリーダーがあんたを誘ったことがあるらしいじゃねえか。尤も、断られたらしいけどな」


 ブラミアが思い出すように言った。

 どうやら有能なアビリティの持ち主であるセレーナは、当然ながら色々なパーティーからのお誘いがあるみたいだ。おそらくはブラミアが所属するパーティー以外からも似たような誘いはあったことが伺える。


「……すまんが、あまり私はその時のことを覚えていない。この力が覚醒してから、パーティーに誘われることは日常茶飯事になったからな。尤も、今では、そういうことも少なくなったから、最近に誘われたパーティーの名前は覚えているがな」


 セレーナは嘆息しながら言った。


「そうだね。セレーナは凄いから、パーティーのお誘いも沢山あるもんね」


 確かにと、ナダはダンの言葉に頷くようにもう一度この空間を舐めまわすように見た。

 外では大岩と、虫と、胃液が混ざりあっている。

 まずいちばん最初に到着した虫は、次に来た岩によって無残にも踏み潰されて柔らかい暗い緑色の外装を粉々になるように破壊されて、さらには大岩の圧力によって緑色の体液をまき散らしながら死んでいく。その体液は大岩を少し溶かすが、大きさが規格外であるため、表面を少し撫でる程度に過ぎない。

 そこへ、新たな脅威である胃液が雪崩れ込んできた。

 胃液はまずは大勢いた虫達を流し始めた。もちろん虫もその濁流に流されないように抵抗するが、まずは外殻を胃液によってすさまじいスピードで溶かされながら中身が剥き出しになっていく。その際には緑色の液体がもちろん飛び出て、黄色い胃液と混じりながら彼方へと消えて行った。

 もちろん大岩も胃液によって溶かされるが、その大きさはかなりのものなので全部が溶かされることはなく、むしろ表面は胃液によって研磨されたかのように溶けていきながらまた彼方へと転がっていく。

 また、今では、この空間が――胃液に飲み込まれている。

 ピンクの肉壁や虫の顔なども景色さえも消えて、黄色い濁流の中に浮かぶ一つの泡の中にいるような気分にナダはなっていた。

 どうやらセレーナが作ったこの空間は、あれほど強力だった龍の胃液に飲まれても少しの問題もなく、誰一人として死ぬことが無かった。

 このような能力を持った冒険者が一人もパーティーに入れば、迷宮探索は非常に簡単になることがナダでも分かった。何故ならいざというときの危険地帯からの脱出や、休憩場所の作成、もしくは怪我人が生まれた時の急な医療施設に早変わりなど、その用途は多岐に及ぶだろう。

 尤も、ナダはアギヤ時代も、またそれ以前も空間系のアビリティを持っている冒険者とパーティーを組むことは無かったので、実際は他にも色々な使い方があるのだろうな、とぼんやり考えていた。


「それにしても凄いですねー。あの胃液も全く効果なしですか」


 胃液に飲み込まれている部屋内を、冷や汗をかきながら眺めているクラリスが語った。


「……ここは亜空間だ。外の空間とは完全に隔離しているから、胃液どころかどんな英雄の一撃だろうと、どんなモンスターの一撃だろうと、影響がないと私は思っている」


 どうやらセレーナですらもこの空間の強度は確認しておらず、どれほどの一撃が耐えられるかの検証はしていないらしい。

 尤も、この空間がこれまでに破られたことは無さそうだが。


「もっと言えばね、僕たちは今、龍の体内にはいないんだ。いないから、胃液の影響がないのも当然のことだよね」


「え、じゃあ、私達はどこにいるんですか?」


 クラリスがダンの発言に首を傾げる。


「空間と空間のはざまだよ。正確に言うと、この世のどこでもない“どこか”だね」


「それって怖くないんですか? 閉じ込められたりしないんですか?」


 クラリスは空間のことについてあまり詳しくはない。

 そもそもラルヴァ学園ではアビリティを持っている生徒はアビリティの授業を、ギフトを持っている生徒はギフトの授業をそれぞれ優先する。自分が持っていない能力のことを勉強しても、あまり意味はないという学園側の配慮からだ。

 もし両方共授業を受ける生徒がいるとすれば、イリスのようにギフトとアビリティの二つを持っている生徒か、もしくはナダのように学年を上がるための単位が足りない生徒ぐらいである。


「……この亜空間を出口と入口を作れるのは私だけだ。もし私がこの中でくたばれば、この空間の出入口は開かなくなるだろうが、そんな心配をするような状況ではないな――」


「なるほど、そうなんですかー。でもーここってセレーナさんがアビリティで作っているんですよね? もしセレーナさんが死んだら、この空間は無くなるんじゃないですか?」


「それは私も知らない。死んだことがないからな」


 セレーナはクラリスの疑問を断ち切るように言った。

 どうやらこの空間のことについてはまだセレーナも研究中のようで、わからないことが多いのも仕方の無いことのようだ。

 未だに七人がいる空間の外では胃液によって埋め尽くされており、未だ外に出られる様子はない。

 それを見かねたアマレロが、他の六人を順番に見ながら言った。


「拙者は、ここで休むのがいい頃あいかと思っているでござるが――?」


 セレーナはその言葉を考えたくなかったのか、眉を潜めた。

 ブラミアはその言葉を聞くと、鼻を深く鳴らした。

 クラリスはその言葉を聞いても、ずっと笑顔のままニコニコとしていた。

 コルヴォはその言葉を聞いたら、そうだね、とアマレロの意見に賛成する。

 ダンはその言葉を聞いて、思い出したように自分たちの目的を思い出した。

 ナダはその言葉を流すように頷いていた。


「拙者たちの目的は唯一つ、それは大岩から逃げることでも、虫達を殺すことでもない。この――龍の体内からの脱出でござるが、残念ながらそれは上手く行っていないのが現状。それをどう打開するか、この休息は非常に大切な時間だと思っているでござる」


「確かにお前の意見は尤もだけどよ、どうやって脱出するんだ? そもそもオレたちが龍の体内のどこにいるのか、まともに分かっている奴はいるのか?」


 ブラミアも早く龍の体内から脱出したいのはやまやまだったが、その手がかりとなるものも見つかっていない。

 そもそも、龍の体内という特殊な場所は、ダンジョンであってダンジョンではないとブラミアは考えていた。

 ダンジョンという場所は内部変動が起こるとはいえ、様々な場所が冒険者によって把握されている。内部変動によって開いた道がかつての冒険者によって既に踏破された道であるのも少なくはなく、新しい道にかつてのパーティーのシンボルが残っていることも少なくはない。

 だから冒険者たちはこれまでの経験と、先人たちの知恵に助けられながら冒険を行うのだが――龍の体内だと、そのいずれも使えなくなっている。

 そもそも出口はあるのだろうか?

 生物の体内から出る方法はと言えば、ブラミアは二つの方法しか思いつかない。自分たちが入ってきた口から出るか、もしくは尻の穴から出るか。どちらにしても問題は山積みだ。


「……ダン殿はどうでござる?」


 アマレロは生物の体内に詳しいダンに意見を伺った。


「……そうだね。僕達のいる場所は、ある程度の予想はついている。例えば、最初にナダや皆と出会ったところはおそらく胃か食道だよ。次に酸性の液体をまき散らしていたところは胃に間違いないし、さっきの岩が沢山いたところは砂嚢だ。ここもおそらく胃だろうと僕は思うよ」


「何故、そう思うんだ? ここは大岩もあるし、ましてや胃はさっき通った場所だろ?」


 コルヴォが首を捻った。


「生物によっては胃が複数ある生物も少なくはないんだよ。それこそ、三つや四つの胃を持っている生物も珍しくないんだ。それにここは胃液が今も埋め尽くされている。こんなに大量の胃液が出ている場所なんて、胃しか存在しないよ」


 ダンの話に口を挟むものはいなかった。


「でも、まだ問題がある。そうだろ、ダン?」


 ナダは自分たちの場所が分かっているというのに表情が暗いダンを見て、一つの結論に達していた。

 それはやはり、ダンの意見を同じだった。


「そうだね。僕達の問題は唯一つ。現状では――脱出する手段がない、ということだ」


 ダンが言い切ると同時に、ナダとダン以外の五人の肩ががっくりと落ちた。


「脱出する手段が無いとはどういうことだ。ダン?」


 セレーナは肩を落としながらも、ダンへと睨みながら聞いた。


「僕たちが脱出しようと思えば、幾つか方法は考えられると思うけど、最も簡単なのは腹を切り裂いて出ることだ。でも、内臓の壁は簡単に切り裂けても、切り裂けない壁もある。そうだよね。アマレロ?」


「うむ。拙者はさきほどこの胃を斬ろうとしたが、かすり傷一つつかなかったでござる」


「アマレロの剣技は皆も知っている通り、冒険者の中でも特出している。その剣の切れ味もね。もちろん、ナダや……コルヴォさんのアビリティを使えば、もっと強力な斬撃を放てて、“肉”は切り裂けると思うけど――“龍鱗”まで切り裂くのはおそらく無理だね」


「そう言えば、龍がモンスターの中で最強な理由は――その何よりも強固な鱗だったか」


 セレーナは忌々しげに呟いた。

 彼女の言うとおり、ナダも龍の鱗には苦しめられた記憶がある。あの鱗は並みの武器だと切り裂くのはおろか、かすり傷ひとつつけるのさえ難しいのだ。だから鱗の薄いところや、目や爪の付け根など鱗の無い所を狙うほうが普通だ。


「でもー、私が話に聞いた限りには、過去にナダ先輩がいたアギヤや、コルヴォ先輩がかつてリーダーを務めていた『ネーヴィ』では龍を倒したこともあるんですよね? それなら、龍鱗だってそれほど問題がないのではないんですかー?」


 クラリスは顎に人差し指を当てて思い出すように言うが、コルヴォはそれにゆっくりと首を横に振った。


「残念だけど、それは無理だよ。オレが確かに龍を倒したけど、一撃で龍鱗を切り裂くアビリティなんて持っていない。仲間と協力して、何度も同じ場所を切りつけて、やっと龍鱗を剥がすことが出来たんだ。ここでも同じことが出来るといいけど……その前に何か、妨害が来そうだね」


「俺もコルヴォの意見に賛成だ。そもそも龍鱗は固い。それなら剥がせばいい、って考えになるだろうが、ここまで龍が大きくなると、一枚の鱗も規格外だ。内側から剥がすことも無理だろうな」


 コルヴォに続いてナダも、腹から脱出するのは無理だと判断する。


「じゃあ、次の脱出のプランだね。皆も考えている通り、口かお尻からの脱出だと思うけど、これも両方共難しいんだ」


「ダン殿、口から脱出するのが難しいのは分かるでござるが、尻から脱出するのはどうして難しいでござるか?」


 アマレロは深く考えながら言った。


「うーん。理由は幾つかあるけど、例えばおしりは筋肉があって、開閉の権利は龍自身にあるとか、糞と一緒に出る時にそれに埋もれて死んでしまう可能性があるとか色々考えられるけど、そもそも――そこまで僕達がたどり着けるの?」


 ダンの出した問題提起に、六人はダンから目を逸らしてしまった。

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