第九話 砂嚢
龍の体内で踊っている岩の数は、一つや二つではなく、大群が砂嚢の中を跳ね返りながら飛んでいる。
その要因としては、非常に弾力にあふれた肉の床だろう。
これまでとは違い、七人の足は床に深く沈む。そしてそこからジャンプすると、まるで肉の床の下にスプリングがあると錯覚するほど体が大きく跳ね上がった。どうやらこの力を使って、岩達は踊りながら様々なものをすり潰しているらしい。
トランポリンのような龍の体内の床はもちろん、壁や天井でさえも同じ素材でできており、天井に足がついたかと思うと、地に落ちるよりも早く天井を強くければ、自分の行きたい方向へ体を動かすことができる。
アトラクションとしては、七人が体感したことのないような面白さだ。
尤も――岩達が邪魔をしなければ。
「くっそ! どうなってやがるんだ。ここはよ!」
ブラミアは砂嚢の中で、大声で叫ぶ。
もちろん、彼は未だこの砂嚢の中に慣れていない。
反発係数が高い壁や床に苛立っており、激しい怒りをぶつけながら壁や床を跳ねながら進んでいる。その際には天井に頭をぶつけたり、岩に掠りそうになったりしていた。だが、床の素材は深く体が沈むので、たとえ十メートルの空中から落ちてもブラミアにダメージはほぼ無かった。
既に七人に隊列など無かった。
いや、組めなかったのだ。
普通の地上ならいざ知らず、全員が初めて体感する砂嚢の中だと慣れに差があるのだ。
ブラミアはその中でも慣れが下の方で、他の六人から少しずつ遅れて行った。
「あはは! これは楽しいね――」
一方、七人のリーダーであるコルヴォは早くも砂嚢に慣れたらしく、まるでボールと見間違うような勢いで先へと進んでいく。
空中での体の変換、体の制御、また砂嚢内の構造の把握など、その能力はラルヴァ学園内でも屈指の冒険者の名に相応しいものを持っている。
七人の中で最も早く彼はこの空間に慣れ、岩たちを楽々避けながら難なく砂嚢の中を進んで行った。
「……ふん、まあ、進みづらくはないな」
セレーナもコルヴォと同様に砂嚢内に慣れるのは早かった。
泡と見間違うかのように壁や天井を使って、ふわふわと無重力の空間を動いているかのようにセレーナは先へと進んで行った。元々、彼女は運動能力が高いのか、この空間に戸惑うことはあっても、すぐにそれは払拭し、コルヴォ並に早くとは行かないが、七人の中でも砂嚢の中に慣れるスピードは早かった。
「嫌でござるー! この空間から早く抜け出したいでござるー」
また、七人の中で最も砂嚢に苦戦しているのはアマレロだった。
砂嚢の中に全く慣れず、一回床から跳ねてからというもの、空中制御が全く出来ず、天井に頭をぶつけたり、壁に背中を打ったり、また床にやっと着地したかとおもうと、つるつるとした床なので草鞋が滑り、低空で体が一回転して、そのまま顔を床にぶつけてまた大きく体が空中に投げ出される。
そして岩が当たりそうになると神速の居合で岩を真っ二つにするので、ダメージ自体はないのだが、一向に慣れる気配のない砂嚢にアマレロは精神ががりがりと削れて、今では泣き言を言うまでになっていた。
「あー、だるいですねー。ここって、ダン先輩もそう思いませんか?」
ところでギフト使いの二人はというと、クラリスは地味に慣れるのが早かった。
コルヴォほどすいすいと砂嚢の中を進むわけではないが、要領を掴んだのか、一定の放物線を描きながら安定して砂嚢の中を進む。その際、大岩にぶつかりそうにもなるが、それらは全て闇の神のギフトによって、小石一つ残さないほど粉々になるまで砕いていた。また、砕いている岩の中にはダンに当たりそうな岩も含まれている。
「そうだね。まさか僕も砂嚢内がこんなアトラクションになっているなんて初めて知ったよ。もしかして人の砂嚢もこんな風になっているのかな?」
ダンはクラリスほど安定していなかったが、四足で何とか飛び跳ねていた。
もちろん、クラリスのサポートが無ければとっくの昔に大岩に潰されていただろうが、ダンはパーティーの中でも貴重な治癒師なので、クラリスも彼の命には細心の注意を払っている。
先程の胃液もそうだが、龍の体内だと治癒師がいるかどうかが生命線だということを重く受け止めているからだ。
「はあ――」
最後にナダはというと、意外にもこの空間に早く順応していた。
コルヴォほどの軽快さはないが、ちゃんと壁や床に当たる時には常に足をつけており、深く沈む性質を利用してタイミングよく床や壁を蹴っている。
彼の馬鹿げた筋力が原因なのだろうが、その際には予想以上に大きく弾むこともあるのだが、その際には片手で持った青龍偃月刀を大きく伸ばして、壁や床のいずれかに引っ掛けて勢いを殺している。もちろんその程度の衝撃で偃月刀が折れることも無ければ、ナダの握力はかなりのものなので偃月刀を手放すこともなかった。
七人はそれぞれの方法で砂嚢内を進んでいると、やっと岩も少なく安定した場所に辿り着いた。
最初に到達したのはもちろんコルヴォであり、次にセレーナ、ナダ、それにクラリスとダンが続き、ブラミアがやっとの思いで着いて、最後に顔を青くしているアマレロが着いた。
「このあたりでいいかな? ナダ、頼むよ――」
どうやらこのパーティーで壁を切るのは既にナダの役目となっているらしく、コルヴォはナダに新しい道を開くように言った。
「ああ――」
ナダももちろんそれに反対することはなく、足を滑らせながらゆっくりと体が跳ねないことに注意しながら壁に近づき、横から大きく青龍堰月刀を振った。
すると、これまでと同じように肉の壁は簡単に裂けて、ナダが血まみれになるとすぐに新しい道が開けてきた。特に髪は多量の血を浴びたおかげか、赤黒く染まっており、ところどころ乾いて固まってすらいた。
「今度はどんな空間が広がっているんですかねー。最初に虫の大群、次に胃液、その次は岩のアトラクションですよねー。じゃあ、次は血のプールですか? うわー嫌です。せっかくの私の髪が台無しになりますっ!」
クラリスはまだ見ぬ空間に向けて、大きな抗議をした。
これまで色々と龍の体内を巡ってきたが、安心できるような場所についたことは一度もなく、休憩もないまま進んでいるのだ。
「拙者はここと同じような空間だけは勘弁でござる。もう跳ねるのは嫌でござる――」
最初の頃はあった余裕が、今のアマレロには無くなっていた。
泣き言を言うまでにこの砂嚢の中で疲れたらしい。
「オレは別に何でもいい。できれば早くこの中から抜け出したい」
ブラミアもアマレロほどではないが、少しだけ弱音を吐いた。
それもそうだろう。
砂嚢の中に慣れなかったのもそうだが、ブラミアは直接胃液を浴びて、鎧が駄目になったのに加えて体に大きなキズを負った。いつもの冒険では負うはずのない大怪我だった。
もう、龍の体内という場所にブラミアもうんざりしていたのだ。
「別に次に現れる場所は私も何でもいいが、そろそろここから出たいものだな――」
セレーナも少しだけ本音をこぼした。
これまでどの空間にもうまく対処してきたセレーナだが、そろそろ桃色の光景にも吐き気を通り越して頭が痛くなってきた。
やはりそろそろ青空を見たい、というのが彼女の意見だった。
「僕としてはもう少しここにいたい気もするけど、まあ、そんなことを言ってられる状況でも無いしね」
また、七人の中でたった一人、ダンだけはこの空間を楽しんでいるようだった。
その最大の原因はこれまで資料などでしか見たことが無かった生物の体内を、直に歩きながら味わっているからだろう。
最も、そんなことに興奮する人物は、七人の中でもダンしかいないが。
「まあ、皆、オレも早くここから抜け出したくて、これからまた別の道なる場所に行くのは少しだけ勇気がいるけど、まあ、頑張ろうよ」
コルヴォが複雑な表情で言うと、まずはすました顔したナダがいの一番に開いた場所へと進んだ。
他の六人も彼に釣られるように、新しい場所へと入っていった。
そこは、最初、ナダが目覚めた場所とよく似ていた。
地面は先程のような跳ねる素材ではなく、ハリのある床だった。少しだけ歩きにくいが、先程の空間ほどではなく、またこの床には七人とも既に慣れている。
それにアマレロはほっと胸を撫で下ろした。
「よかったでござる――」
「いや、安心できないみたいですよ、アマレロさん」
クラリスが七人の背後を指で示すと、そこには――先ほどまであった岩よりも数倍巨大な岩が、七人へと転がりながら迫ってくる。
「あれは、誰か破壊できるかな?」
コルヴォが先ほど岩を破壊していたクラリスとアマレロを見ると、二人共顔を横に振る。
「じゃあ、逃げようぜ――」
ブラミアはそう言うと、すぐさま岩に背を向けて全力で走る。
他の六人も一目散に大岩から逃げようとするのだが、ナダが目を凝らすと先にある二股の道のうちの一つに――嫌なものを見た。
「来るぜ――」
それは――虫だった。
先ほどの虫が大群を引き連れてこちらへと迫っていたのだ。
じゃあ、と七人はすぐに方向を変えて、今度は二股にわかれた道の別の方向へと急ごうとすると、今度はセレーナが別のものを見つけた。
「む。あれは胃液じゃないか!」
その通路を埋め尽くすように黄色い胃液の濁流が七人へと迫る。
「ダン、ところで人の体内には、胃と砂嚢が合体したような場所に、寄生虫が湧くことがあるのか?」
ナダは一方向からは大岩、別の方向からは胃液の濁流、また別の方向からは大量の虫が迫ってくる現実に精神が壊れたのか、ニヒルに笑っていた。
「あはは。ないね」
ダンもナダと同じように笑った。
「どうするんですか! これ! ちょっと絶体絶命じゃないですか!」
クラリスは迫り来る三方向を何度も見渡しながら焦ったような声を出す。
「この辺りの壁は固いでござるなあ――」
一方、アマレロは近くにある壁を切って逃げ道をつくろうとするが、この辺りの壁は固くうまく行かない。
「おい! どうするんだよ! これ!」
ブラミアもアマレロと同様に壁を斬ろうとするが、やっぱり上手く行かなかった。
「どうしようか? ちょっとオレはこれを対処できないかな?」
有能なリーダーであるコルヴォも、遂にはこの状況に諦めて、やれやれと言った。
「ちょっと待ってくださいよー! 私はまだ死にたくありません! 誰か何とかしてください!」
クラリスがそう叫ぶも、今も徐々に三方向からそれぞれの脅威は迫ってくる。
逃げ道は作れない。
どれか一つを対処するのも無理筋に思えた。
「セレーナ!」
そんな時、ダンがセレーナへ向かって大声で叫んだ。
「分かっている!」
セレーナはこの状況を打開できる“何か”を持っているのか、大声を出しながらダンに頷いた。
そして、三つの脅威が迫り来る中で、セレーナは艶のある声で言った。
「《独りよがりの箱庭》」
その瞬間――セレーナの右手の先に空間の“ひずみ”ができて、黒い裂け目が生まれた。
「ここに入って!」
ダンがそう言うと、七人は飛び込むようにして、セレーナが作り上げた空間に入った。




