第八話 胃
七人が入ったのは、胃、だった。
生物の体内構造に詳しいダンが、おそらくここは胃だろうと言っていたので、他の六人もダンの意見に誰も疑おうとはせず、今、自分たちがいる場所を胃だと思った。
様々な瓦礫やモンスターの肉の破片らしきもの、はたまた見慣れぬものまでが乱れるように広がっている。
そして、天井から垂れ下がっている無数の筒状の突起物から、黄色の液体――“胃液”らしきものが辺りへと撒き散らかしている。
それは胃の中に納められた全てのものを溶かす。
モンスターの死骸らしきものは既に肉が溶け落ちて、中身である内臓や骨までもが剥き出しになっている。その原形は狼型のモンスターだったのか、それとも猿のようなモンスターだったのか、最早判別もつかないようなありさまだった。
また、龍の胃液が溶かすのは生物だけにとどまらず、瓦礫や岩なども無差別に溶かしていった。
「辺りが胃液のプールでないだけマシだな――」
そう感想を述べたのはブラミアだった。
先ほど、龍の胃液をその身に被ったブラミアの着ている服といえば、裾半分ほど溶けているズボンと、革のブーツだけだ。腰につけているポーチは無事だったのか、小さい革のポーチがベルトにしっかりと二つほどつけられていた。
上半身は裸であり、ダンによって治療された肉体には傷一つない。その身は並みの冒険者と比べると些か細いが、それも仕方のないことなのだろう。ブラミアの持つアビリティである《重力からの開放》は、己にかかる装備の重さを無くす。
そのおかげか、ブラミアには必要以上の筋肉はつかない。あくまで、迷宮に潜り、活動するだけの筋力しか持たないのだ。
また、ブラミアの特徴と言えば、アビリティのおかげで堅牢な防具を着れるためか、もしくはパーティーの中に優秀な治癒師がいるおかげか、その肉体に傷跡は殆どなかった。あるとすれば、右胸を貫くような円状の傷跡だけだった。
「だが、そこら中に胃液は散らばっているみたいだぜ――」
ナダは一定間隔に並べられた胃液を出す器官に苦い顔をする。
もちろん、その器官が無い所、胃液が散らばっていない所を進めば何の問題もないのだろうが、どの道を進めば出口があるのかが分からない。
いや、そもそもここは龍の体内なのだ。出口など無いに等しい。そんなモンスターの前で、自分というちっぽけな冒険者は必死に生き残ろうと足掻くしか無いのだろうと思うと、ナダはうんざりな気持ちになった。
そんなナダも、ブラミアと同様、上半身は裸だった。その体はブラミアとは正反対で、体に様々な傷跡がついている。モンスターの爪や牙、もしくは剣や槍、最近ではガーゴイルの槍に抉られた腹部の傷が真新しいだろうか。傷跡の上に傷跡を重ねたナダの体は、歴戦の戦士と呼ぶに相応しい屈強で、それでいて悲惨な肉体を持っていた。
ただ、ナダは裸と言っても、唯一残った防具である左腕の手甲――ソリデュムは龍の胃液にあたっても端すら溶けることが無く、ナダの左腕に残っている。その外見はくたびれているが、どうやら迷宮で見つかった武器というのは嘘では無いらしい。
何故なら迷宮で見つかった武器の特性に共通するのが――不変、ということだ。その姿形は一生変わることが無いと聞く。上等なブラミアの鎧をも溶かした胃酸だ。並大抵の武具なら、おそらく浴びるだけで反応し、駄目になるだろうとナダは考えていた。
とはいえ、手持ちの武器の一つである青龍偃月刀は、先ほど胃液に当たったというのに溶けている様子がない。この利点だけは、ウーツ鋼さまさまだな、とナダは思う。
だが、ククリナイフの鞘は若干溶けており、この先も胃液に当たるのなら刃ごと駄目になりそうだ。
それだけが唯一のナダの不安材料だろう。
「で、どうするのだ? 早く逃げたほうがいいのではないか?」
胃の中に入ってまだ一分と経っていないが、褐色の肌を持つセレーナは、背後にある斬った肉壁の向こうにいる虫にうんざりしながら前を見つめる。
とはいえ、前も地獄なのは同様だ。
特にセレーナは鎧が薄い。
胃液に当たればおそらく自分の着ている鎧は全て溶けてしまうだろうな、と想像すれば、自然と顔がしかめっ面になった。
「それもそうだね。皆はどっちに行きたい? オレとしてはどっちでもいいんだけど、右か左、胃液が撒き散らかしていないのはその二つの道かな?」
七人のリーダーであるコルヴォは、二つの道を互いに見比べてから、どちらを選んでも違いが無いことを確認すると、意見を他の仲間に聞いた。
「ええー、じゃあ、右にしましょうよー! 右が絶対いいですって」
クラリスは片手を上げながら大声で右だと宣言した。
そんな彼女にコルヴォは苦笑いしながら頷いて、右を見据えながら言った。
「じゃあ、右にしようか。女の勘は鋭いって聞くしね――」
そんなコルヴォの意見に逆らうような者はおらず、先ほどと同じ隊列で右を目指す。
少し前の虫との追いかけっこで疲れたのか、七人の冒険者の足取りは数分前と比べると些か遅い。
「それにしても、生物の胃の中って、初めて入るけど……凄いね」
胃の中というのは非常に歩きにくかった。
先ほどとは違い、胃の床は粘膜がブーツの裏にべっとりと貼り付き、足を上げる度に糸を引く。ダンの説明いわく、この粘液は胃液から胃を守るものらしいが、ナダたち六人にとっては行く手を阻む邪魔ものでしかなかった。
さらに胃の中の特徴として、大きな“ひだ”が軽い山や谷のように連続しながらうねっている。足元に広がる粘液も相まって、七人の足取りは先程の肉の上よりも重たかった。特に草鞋を履いているアマレロは、草履が滑りにくいのかこの肉に戸惑うように歩いており、足取りは七人の中で一番遅い。
「えー、私の胃の中もこんなんなんですかー。絶対違いますよ!」
ダンの話に真っ向から対抗したのは同じギフト使いであるクラリスだ。
「あはは。じゃあ、クラリスさんは自分の胃の中はどんな風になっていると思うの?」
ダンはそんなクラリスに苦笑しながら尋ねた。
「それはですねー、きっとお花が咲いているような色とりどりでー」
「お前は胃よりも、頭にお花畑ができていそうだな――」
クラリスの言葉に真っ先に反応したのは、ダンの隣にいたセレーナだ。
ハスキーな声で、クラリスを薄ら笑う。
「何ですか! それっ!」
もちろん、クラリスもダンの隣にいるので、彼を挟んでクラリスも大声でセレーナを抗議する。
「ふん。癒しの神のギフトを持ち、生体医術にも詳しいダンなのだ。人の胃を見たことも一度や二度ではあるまい。そんなダンが、間違えるわけが無いだろう――」
「それはそうですけどー」
正論であるセレーナの意見に、クラリスは拗ねたように唇を尖らせた。
「お前もちんぷんかんぷんな言葉を言うのは止めるんだな。耳障りだ」
セレーナが鼻でクラリスを笑っていると、彼女も眉間に皺を寄せながら言い返す。
「でもでもー、“女の子”としてはー、胃はこんな気持ち悪いものではなくて、もっと美しいと思うような夢があったほうがいいんじゃないですかねー? もっともー、女を捨てているような野蛮人である誰かさんには関係ない話だと思いますけどー?」
そんなクラリスの言葉に、セレーナは眉間の皺を寄せる。
「喧嘩を売っているのか……?」
だが、低く脅すようなセレーナの声に、クラリスは怯える様子も無く言った。
「えー、誰が誰に喧嘩を売っているんですかー? ていうかー、そんなふうにすぐ暴力で解決しようとする所って、女の子っぽくないんじゃありません? ダンさんはどう思いますかー? やっぱり女の子は、女の子っぽくしているほうがいいですよねー?」
「ダン、お前はそのような男ではないよな? きちんと内面を分かってくれる男だと私は思っているぞ」
「あはは……」
二人に挟まれているダンは、クラリスの問にはいともいいえとも答えずことは出来ず、から笑いで場を濁しているだけだった。
どっちに味方をしても、いい状況とは思えないというダンの好判断からだった。咄嗟にダンは助けを求めようとナダへと視線を送るが、ナダも巻き込まれたくなかったのか、三人から距離を取りながらダンへと静かに合掌した。
セレーナとクラリスはそれからも二人でダンを挟みながら言い争っていると、前方の三人の一人――ブラミアが大声を出した。
「うるせえぞ! 女ども! ちょっとは静かにしやがれ! あれか? お前らは喋ってねえと死ぬのか? なら、黙ったまま死ね!」
そんなブラミアの近くにいたコルヴォとアマレロは微妙な顔をしながらダンたちへと振り返って、様子を見守っていた。
「えー、今のブラミアさんの声のほうが大きいんですけどー。あ、でもー、猿ってーそんなふうに頭に響くような声をよく出しますよねー。セレーナさんもー、全くああいう声って耳障りだと思いませんかー?」
クラリスは当然のことのように首を傾げながら言った。
「全くだ。特に発情期の猿はぴーぴー泣くからな。ああいう声を聞くと、頭が痛くなるものだ。尤も、この場にも発情期を迎えたオスがいるからな。私達は気を引き締めなければならないだろう」
済ました顔でセレーナは言った。
「誰がてめえらのようなあばずれに手を出すか! お前らとやるぐらいなら、そこらへんの畜生とやっているほうがマシなぐらいだぜ!」
ブラミアも負けじと言い返すが、
「それって負け惜しみですよねー。自分が私達みたいな“可愛い”女の子に相手にされないからって、そんな風に負け惜しみを言っているんですよねー。それって惨めですねー」
「まあ、まともな女ならお前のような男とするぐらいなら、死んだほうがマシだと思うだろうな」
「何だと、てめえらあ!」
先ほどまではセレーナとクラリスの言い争いだったのに、そこにブラミアが加わって七人のパーティーはより一層騒がしくなった。
尤も、その中で声を出しているのはセレーナとクラリス、それにブラミアの三人だけであるが。その間アマレロとコルヴォは言い争いをしている三人を無視して進み、ダンは二人から少し下がって、ナダの隣へとそそくさと移動した。
三人が言い争いをしながら先を進んでいく。幾つものひだを乗り超えていくと、七人は嫌な音を聞いた。
「ふむ。何でござるな? この音は――」
まるで荒れ狂う水流のような轟音が遠くから押し寄せてくる。
また“虫”と七人は思うが、どうやらそうでも無いらしい。
遠くからひだを埋めるように襲ってきたのは黄色の液体――胃液だった。これまで床に少量しか巻かれていなかった胃液が、今度は濁流となって七人を襲う。
「これは逃げるしかないようだね。流石にあれに当たったら……オレでも死にそうだよ――」
歴戦の冒険者であるコルヴォでさえも、津波のように押し寄せる胃液には冷や汗をかきながら顔を複雑に歪めた。
当然、他の六人も――特に先ほど胃液をかぶっているナダとブラミアは特にあの大量の胃液に恐れながら逃げていく。
これまで向かっていた方向ではなく、胃液から逃れるように七人は走った。先程は少し遅れていたナダも、鎧がなくなった状態では足が随分と早い。
それでも、七人の足取りよりか押し寄せる胃液のスピードのほうが早かった。
さらに――
「ここは、行き止まりみたいだね……」
さらに運の悪いことに、七人は肉壁に行く手を阻まれてしまった。
「退けっ――」
叫ぶように一番後方にいたナダは叫んだ。
すぐに六人がナダに道を開けると、今度はナダが一人でその壁を青龍偃月刀によって断ち切った。
ナダは血に溺れながら先の空間へ急ぎ、他の六人も急いで同じ場所に入る。
「おいおい、冗談だろ?」
ブラミアは先に待ち構えていた空間の光景に言葉を失った。
あいかわらずの肉の壁と肉の床には違いがないが、それよりも七人の目についたのは――石が踊っていたのだ。
それも拳大の小さな石ではなく、人を遥かに超える大きな岩が肉の空間で跳ねるように動いている。その石は長年この中で動き回っていたのか、角が取れていて、美しい真球のようでもあった。
「おやおやこれはもし王都に出来たとしても、流行らなそうな遊園地でござるなあ。虫の大群に、酸の海。その次は、岩の踊り場でござるか」
アマレロは軽口で言うものの、内心は焦りでいっぱいだった。
何故なら弾んでいる岩は一つではない。見る限り様々な岩が、これまでよりも弾力のある肉の余暇によって高く跳ねて、そこらへんにある瓦礫などを破壊している。
「そう言えば、動物の中には砂嚢と言って、小石なんかをお腹の中に入れて、それで食物をすり潰して消化の手助けをする器官があるらしいね」
ダンはそんな大量の岩石を見ながら冷静に言った。
「これが小石なんですかー? どう見てもそうには見えませんよー」
いつもは明るいクラリスでさえも、岩の大群にはうんざりするかのように肩を落としている。
「あの龍にとっては、この程度のは小石なのだろう。全く――」
セレーナもこの光景には目を驚きで見開いている。
「来るぜ――」
ナダはとっさに頭上を見る。もちろん、他の六人もナダが言わなくてもわかっていたことなのだが――自分たちの頭上にその球の一つが降ってくるのは。
そして、七人の冒険者は上から降ってくる岩を全員が飛ぶように避けた。
更新が遅れてしまって申し訳ありませんでした。
今度はもう少し早く更新したいな、と思っております。
また誤字脱字報告はいつも助かっていますので、これからもありましたらご指摘の程をお願い致します。